雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第109話「人肉検索」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、無駄に行動力のある者たちが集まっている。そして日々、持て余す若さで人生を突っ走っている。
 かくいう僕も、そういった活発な活動をおこなっている人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、やんちゃな面々の文芸部にも、きちんとした人が一人だけいます。黒ミサの会場に迷い込んだ、敬虔なシスター。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、笑顔でやって来て、僕の横に座る。その拍子に、スカートがふわりと広がり、ぱすんと閉じた。そういった様子はとても愛らしく、僕は自然に笑顔になる。その表情のまま、僕は先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、見たことのない言葉に出会ったのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの情報を調べる名手よね?」
「ええ。CIAも真っ青な諜報能力を持っています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でも書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、紙とは違う文章表現を目撃した。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「人肉検索って何?」

 おっ、今回は日本ではなく、中国のネットスラングですか。たまに日本でも使われることがあるから、ネット民で知っている人はけっこういる。しかし、普通の人は知らない言葉のはずだ。

「ねえ、サカキくん。人肉検索って何だか怖そうよね。人の肉を、調べて探し出すんでしょう。どんな猟奇的な話なのか分からないけど、恐ろしいわね」

 えー。確かに字面だけ見ればそうなりますね。
 日本語で人肉は、人間の肉という意味だ。検索は、調べて探すという意味。そう考えると、この言葉は畏怖すべきもののように聞こえる。しかし、本当の意味はまったく違う。僕は、そのことを楓先輩に伝えるために口を開く。

「人肉検索という言葉は、日本語ではないですよ」
「えっ、そうなの?」
「はい。中国のネットスラングです。この言葉は、人肉捜索とも呼ばれます。」
「それで、その人肉検索は、いったいどういう意味なの?」

 楓先輩は、強く興味を持ったようで、僕に体を密着させる。ああ、先輩のぬくもりを感じる。僕は、その体温を堪能しながら、説明を開始する。

「検索という言葉は、ネットでは特殊な意味を持ちます。ネットには、これまでの人類が体験したことのない、無数の情報が存在しています。
 その規模は、図書館からお目当ての本を探すのとは、比較にならないレベルの膨大さです。これは、人の手で調べることは不可能です。そのため、検索エンジンという特殊なシステムが利用されています。

 検索エンジンでは、ネットから大量の情報を集めます。そして、利用者の要求に従い、文書を探して、その在り処をリストにして提示します。
 検索エンジンは素晴らしいものです。しかし、そのシステムでは分からないことも、世の中には多くあります。それは、現実社会の情報です。ネットに上がっているデータは、この世界の知識の一部でしかありません。そのために、それ以上のことを知りたいと思えば、他の手段が必要になります。

 人肉検索は、そういった手段の一つです。ネットでは分からない内容を、人の手や足によって人海戦術で調べ、詳細が不明だった断片的な情報に、肉付けをしていくのです。
 ネット時代になり、見知らぬ人たちが、インターネットを通して情報を共有し、協力し合う社会が来ました。だからこそ、こういったことが可能になったのです」

 僕は、人肉検索の表向きの意味を、ざっくりと伝える。
 先輩は、検索エンジンをよく理解していない。そのために、そういった特殊なものがあるのか、といった反応だ。おそらく、僕のような熟練者が利用する、特別なものだと思っているのだろう。

 説明を聞き終えた先輩は、「何だ、怖い話ではないのか」と、安心した顔になった。

「人肉検索は、恐ろしいものかと思っていたのだけど、そうではなかったのね」

 明るく声を出す楓先輩を前にして、僕は沈鬱な表情をする。その僕の姿に気付き、先輩は「えっ、もしかして、ここからホラー展開?」といった、おびえた様子を見せる。

「実は人肉検索は、現代のネット社会の闇を、感じさせるようなものなのですよ」
「そうなの?」
「ええ。そのことを今から話しましょう」

 僕は姿勢を正し、怪談話でもするような顔つきで口を開く。

「人肉検索のだいたいの流れは、こんな感じです。ネットに誰かが、悪ふざけや犯罪の写真をアップする。それを見た、ネットの人たちが義憤を感じて、その犯人を特定して懲らしめてやろうとする。
 でも、ネット上にある情報は、非常に断片的で、本人特定には繋がりません。そういった時に人肉検索が発動します。

 写真に写っている建物や地形から場所を特定したり、過去の投稿から犯人の生活圏を割り出したりします。そして、実際に現地に行って情報収集したり、尾行して住所を突き止めたりするのです。
 話は、それだけに留まりません。その人の家族や年収といった、ありとあらゆるプライバシーを暴いて、徹底的に糾弾します。そして、勤め先に大量の電話をしたりして、現実社会での攻撃も加えるのです。

 このような人肉検索は、非常に過激であり、私的制裁に他なりません。そもそも法治国家では、私刑は許されていません。それに、冤罪を生み出す原因にもなります。中国では、こういった行為が過熱することで、社会的な問題になっているのです」

 楓先輩は、目を丸くしてガクブル状態になる。そして、お化け屋敷に入っているように僕の制服の端を握り、震えながら声を漏らした。

「怖いわね。私が住んでいる場所が、日本でよかったわ」
「あながちそうとも言えませんよ。日本にも、恐るべき調査能力を持った人たちがいますから」

 僕は、鬼女と呼ばれる、ネット掲示板に巣くう人間たちを思い浮かべる。圧倒的リサーチ能力を持った謎の諜報員たちが、既婚女性板という場所に生息しているのだ。
 しかし、そんな話をして、これ以上楓先輩を怖がらせても仕方がない。僕は、先輩を恐怖に陥れたいわけではない。温かく見守り、優しく包んであげたいのだ。
 僕は、先輩をくるむ毛布になりたい。あるいはタオルケット。そういったことを考えながら楓先輩を眺めていると、先輩は僕の服を握ったまま顔を近付けてきた。

「もしかして、サカキくんも人肉検索ができるの? あれ、でも一人だから人海戦術ではないから、ただの肉検索になるわよね。サカキくんは、肉検索をできるの?」

 えー、肉検索って何ですか? キン肉マンでも探すのですか。あるいは、マッチョな兄貴たちを調べるのですか。
 とりあえず、用語は置いておいて、できるかできないかだけ答えることにした。

「ある程度はできると思いますよ。まあ、一人ですし、中学生なので限度があると思いますが」

 楓先輩は、僕との距離をわずかに取った。どうやら僕を、恐怖の対象として認識したようだ。

「サカキくん、実は危ない人だったのね」
「いや、そんなことはないですよ。大丈夫です。安心安全な、サカキくんです」
「私が、デジカメで撮った写真から、私の個人情報を暴いたりできるの?」
「ええ、ある程度は。適当に、ネットの写真を拾ってきて試してみましょうか? まあ、僕の場合は、実際に足を運ぶわけではないので、人肉検索ではないですが」

 僕は、ネットを検索して、個人が撮影した写真を探して保存する。マンションの窓から虹の写真を撮ったものだ。そのファイルのプロパティを開き、GPS情報がないか探す。
 見つからない。しかし撮影時刻は分かる。その時間と虹という情報を手がかりにして、他の人間の写真を何枚か入手する。それらの写真には、緯度と経度の情報がある。その位置を地図サイトで表示する。虹の発生場所がおおよそ分かった。

 虹は太陽に対して一定の向きで作られる。そのことから、撮影者の撮影場所を推測できる。また他人の写真と比較すれば、同じ建物が写り込んでいる可能性がある。
 僕は、写真を見ながら、特徴的な建物がないか探す。あった。最初の写真がどこで撮影されたのか、大まかに知ることができた。

 今度は、地図サイトで、その場所の航空写真を表示する。僕が入手した写真は、マンションという高所から撮られているものだ。そのために、いくつかの建物の屋根が写り込んでいる。それらの位置を確認していき、撮影場所の建物を特定する。
 次は、その撮影者のブログやSNSの写真を漁る。それらの写真の中から、ベランダの様子を撮影したものを見つける。次は、ストリートビューを表示する。建物の外観から、ベランダの配置が一致する場所を探す。そして、撮影者の部屋が、何階のどこにあるのかを特定する。
 そうやって割り出した撮影者の住所を、楓先輩に示した。

「ネットの情報だと、ここまでしか分かりませんね。この先は、実際に現地に行き、情報収集する必要があります。
 ネットで人を募り、近くに住んでいる人に訪れてもらい、住人の写真を撮影してもらえば、人肉検索みたいな状態になります。ネットでは、こういった感じで個人情報を暴く人がいるのです」

 僕は、そこまで説明して、楓先輩に視線を移した。先輩は、僕から大きく離れて、警戒マックス状態で、僕を怖がっていた。
 あれ? もしかして僕は、調子に乗ってしまいましたか。どうやら、自分の得意分野のことをしているうちに、本来の目的を見失ってしまったらしい。僕は、やってしまったと思い、がっくりとうな垂れた。

 翌日、僕が部室に行くと、先輩はおどおどしながら距離を置いた。

「あの、楓先輩。そろそろ、警戒を解いては、いただけないでしょうか」
「さ、サカキくん。私を人肉検索するつもりでしょう」
「いや、ですから、一人では人海戦術はできないですって。だから人肉検索にはならないですから」
「じゃあ、私を肉検索するつもりでしょう」

 楓先輩を肉検索。……何かエロいなあ。それから三日ほど、楓先輩は、僕のことを警戒して避け続けた。僕は、楓先輩を肉検索することなく、その三日間を耐えて過ごした。