雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第262話 最終話「卒業式と雪村楓先輩」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、恋を夢見る者たちが集まっている。そして日々、鵜の目鷹の目で、自分好みの女性を探し続けている。
 かくいう僕も、そういった、特定の女性に憧れている系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、意中の人に思いを寄せる面々の文芸部にも、愛を注がれる対象の女性が、一人だけいます。三つ編み眼鏡愛好家に見初められた、とっても真面目な三つ編み眼鏡。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

 そんな楓先輩と僕の文芸部は、そろそろ最終ページが近付いている。三年生たちが学校を旅立つ、卒業式が始まろうとしていた。

 教室を出た僕たち二年生は、卒業式に出席するために、体育館へと向かう。校舎を出た僕たちは、体育館へと続く渡り廊下を歩いていく。
 体育館は、在校生や保護者たちの声で溢れていた。いつもは運動のために利用するその場所は、この学校を旅立つ者たちのための会場になっていた。

 床の上には、パイプ椅子が並んでいる。僕は、一年生の区画を抜けて、二年生の場所にたどり着く。座る前に、前方を見た。三年生たちは、まだ来ていない。席は空のままだ。卒業生が入場するその瞬間まで、その場所の時は止まっている。
 椅子に座った僕は、壁の高い位置にある丸時計を見る。その時計は、僕の気持ちを裏切るように時を刻んでいた。卒業式の時間が迫っている。いよいよ別れの儀式が始まるのかと、僕は思った。

 卒業生が入場してきた。体育館は、拍手の音で包まれる。僕も手を叩く。そうしながら顔を動かして、入り口を通る卒業生たちに目を向けた。拍手のアーチをくぐるように、三年生たちが歩いてくる。それぞれの思いが、顔に浮かんでいる。
 友人との別れに思いを募らせ、泣いている人がいる。期待に胸をふくらませて、笑顔の人がいる。文芸部の先輩たちは、どんな顔をしているだろうか? 僕は、二年間一緒だった先輩たちの姿を探そうと、目を凝らした。

 長身の鷹子さんが見つかった。普段は傍若無人なのに、少し緊張している様子だ。
 満子部長のゴージャスな容姿が目に入った。自信に溢れ、顔を輝かせている。
 楓先輩はどこだろうか? 僕は、列の中からその姿を探す。整っていながらも、控えめな容姿の楓先輩がいた。いつもと同じように、三つ編み姿で、眼鏡をかけている。

 先輩は、少しだけ目の周りが赤くなっていた。クラスの友人たちと、別れを惜しみ、涙を流し合ったのだろう。いつも教室で、本ばかりを読んでいたであろう楓先輩。その先輩にも、ともに語り合い、涙をこぼす、友人が存在する。この学校に、多くの思い出を残して、先輩はこの日を迎えたのだろう。

 卒業生が、すべて席に座った。体育館から徐々に声が消えていき、静寂が場を厳粛な空気に変える。

「ただ今より、平成……年度、花園中学校卒業式を開始します」

 司会の先生の声が、マイクを通して響く。卒業式が始まった。

 校歌斉唱、卒業証書授与、学校長式辞など、式次第が消化されていく。送辞は現生徒会長、答辞は前生徒会長がおこなった。演劇部の部長、安戸麻里と、元部長、花見沢桜子さんだ。そういえば、あの二人ともいろいろあったなと懐かしくなる。
 式は進む。僕たちの席からは、卒業生たちの背中しか見えない。彼らはどんな顔をしているのだろう? そう思いながら、僕は卒業式を見守った。

 仰げば尊しを斉唱して、閉式の辞が述べられた。卒業生は退場して、保護者の人たちも席を立った。先輩たちの卒業式が終了した。

 教室に戻った僕たち二年生は、ホームルームを終えて解散になった。卒業生たちは、教室で卒業アルバムなどを受け取ったあと、下校する予定だ。その姿を見送りたい人は、玄関や校庭、校門に立ち、先輩たちが出てくるのを待つことになる。
 教室を出た僕は、どうしようかと考えたあと、玄関にではなく、職員室に向かい、部室の鍵を受け取って、文芸部の部室に向かった。

 誰もいない部室でしばらく待った。廊下から人々のざわめきが聞こえてくる。卒業生たちが下校を始めたのだろう。僕は、外に面した窓から、校庭の様子を窺う。まだ、三年生は誰も出てきていない。僕は、文芸部の本棚に目を移す。数冊の本が目に入る。楓先輩のものだ。机の上はきれいに片づいていたけれど、本棚にわずかな私物が残っている。そのことを僕は、今朝早く部室に来て、確認していた。
 楓先輩は、この本を取りに、きっと部室に顔を出す。僕は、そのことを信じて、楓先輩が来るのを待ち続けた。

 廊下側の窓に、人影が映った。その背は低く、三つ編みにした髪がシルエットになっている。扉が音を立て、ゆっくりと動く。制服姿の女性が現れた。

「あれ、部室の鍵、サカキくんが開けてくれたの?」

 明るい声が聞こえた。僕の目の前には、この二年間、恋い焦がれた女性の姿があった。

「ええ。楓先輩の本が置いてありましたから。取りに来ると思いまして」
「うん。昨日、全部持って帰ろうと思ったんだけど、さすがに重たかったから。でも、失敗だったかな。卒業式って、荷物が多いんだね。卒業証書とか、卒業アルバムとか。そうそう。記念品ももらったよ。本は、少し重いけど、今日がんばって持って帰らないとね」

 楓先輩は、本棚へと歩きだす。ととととと、と、いつものように軽やかな足取りで進む。そんな楓先輩を追い抜いて、僕は本棚の前に立ち、先輩の本を手に取った。

「途中まで、僕が持ちます。表で家族の方々が、待っているんですよね? そこまで運びます」
「ありがとう」

 先輩は、笑顔を見せた。
 僕と楓先輩は、本棚の前で隣り合わせになった。いつもは座って話をしているが、今日は、立っての会話だ。

「そういえば、サカキくん。背が高くなったね」
「ええ、成長期ですから」

「一年生の時は、私とそんなに変わらなかったのにね」
「この二年で、体も心も成長しましたから」

 僕は、楓先輩に認められる人間になっただろうか? 年下の男の子や、部活の後輩ではなく、恋人として立候補できるような男性になっただろうか。

「ねえ、サカキくん。二年前のこと、覚えている?」

 楓先輩は、昔を懐かしむような声で聞いてくる。

「初めて文芸部に来た時のことですか?」

「うん。サカキくんは、私に理解不能なことを、延々としゃべっていたよね。何だかよく分からないけど、すごい人が来たなあと思ったよ」

 どうやら、二年前の僕は、相手のことを考えずに、自分の考えや知識を披露する、痛いオタクの代表選手だったようだ。

「この二年で、僕は変わりましたか?」

 一年生の僕は、自分のことで手一杯だった。しかし、二年生の僕は違った。この一年、僕は、楓先輩から質問を受けながら、どうすれば自分の考えを伝えられるか、知恵をしぼってきた。思考の限りをつくして、楓先輩を満足させられる説明をしようと、努力を重ねてきた。
 様々な墓穴を掘り、無数の屍をさらし、僕は、楓先輩とコミュニケーションしようとし続けた。

「変わったよ」

 楓先輩は、僕の肩を、優しく叩きながら言う。

「サカキくんは、とっても変わったよ。相手の立場に立ち、人に物事を教えられる人間に成長したよ。私に多くのことを教えてくれたように、今度は後輩たちに、いっぱい話をしてあげてね。サカキくんは、それができる人だから」

 楓先輩は、扉へと歩きだす。そして、後ろ手に振り返り、優しい表情とともに僕を手招きした。
 楓先輩の雰囲気は、いつもと違って見えた。先輩のたたずまいは、若者を教え導く、年上の女性のものだった。楓先輩は、とても満足そうに僕を眺めていた。

 その様子を見て、僕は、驚きと困惑を胸に浮かべる。そして、その場に立ち尽くした。楓先輩の姿から、ある可能性を読み取ったからだ。
 もしかして楓先輩は、僕を育てるために、ネットスラングの質問を始めたのか? 一年生の時の僕を見て、どうすれば成長させられるかと思い、あのやり取りを考えたのか。

 ネットスラングの意味を知らないからといって、僕に尋ねる必要はない。ネットの掲示板で質問してもよいのだ。楓先輩は、検索エンジンは使わないが、ネット掲示板は利用している。僕に聞かなくても、調べる方法はあるのだ。
 楓先輩は、自分のためではなく、僕のために、あの会話をしていたのかもしれない。自分の知識欲を満たすためではなく、僕の成長を願って質問していたのかもしれない。

 分からなかった。楓先輩は、いつものように、ふわふわとした顔をしている。その心の内は、僕からは読めなかった。天然なところのある楓先輩が、そこまで考えて、僕に接していたとは思えなかった。

 楓先輩は、僕を成長させるために質問を続けていた。それはきっと、僕の思いすごしだろう。

「行こう、サカキくん」

 楓先輩は、扉の前に立ち、声をかける。その顔は、明るく輝いていた。僕は、慌てて足を動かす。僕は、楓先輩と廊下に出て、部室の鍵をかけた。

「サカキくん。いろいろと教えてくれて、ありがとうね」

 楓先輩は、にこにこしながら言う。
 僕と楓先輩は、華やかな声が響く廊下を、玄関に向けて歩いていく。廊下の窓からは、校庭が見える。その校庭の先には、校門へと続く道がある。立ち並ぶ桜が、満開の花を付けている。その花は、先を争うように枝から離れ、希望に満ちた旅に出るように、風に舞っている。

 僕と楓先輩は、玄関で靴を履き替え、外に出た。光がまぶしかった。頭上には青空が広がっている。周囲は、喜びの声、別れの声、様々な人間模様を伝える声が、心地よいメロディのように響き渡っている。

「いろいろと教えてくれて、本当にありがとうね」

 並んで歩く先輩が、小さく言った。楓先輩の両親は、校門の辺りで待っているそうだ。その場所までは、あと一、二分でたどり着く。
 僕は、先輩の本を持って、桜並木を歩いている。この二年間、憧れ続けた女性とともに、校門を目指している。その時間も、あと少しで終わる。別れの瞬間は、もうすぐだ。そう思うと僕は、いても立ってもいられなくなった。

「まだまだ教えますよ!」

 僕は、堰を切ったように声を出した。

「いつだって、どこだって、楓先輩に尋ねられれば、僕は必ず答えます。どんな質問だって、先輩を満足させられる説明を、きっとしてみせます!」

 僕は立ち止まり、真剣な顔で楓先輩のことを見た。
 先輩も足を止めた。楓先輩は、嬉しそうな顔で僕を見上げて、目元に涙を浮かべた。

「じゃあ、教えてもらおうかな」
「ええ、何でも答えます!」

「今からでもいい?」
「ええ、もちろんですとも!」

 楓先輩は、舞い散る桜を背景に、表情をほころばせた。

「それじゃあね、サカキくんがモニターを見ながら、よくつぶやいている言葉を教えてもらおうかな」
「僕がつぶやいている言葉……、何でしょうか?」

 何か、独り言をしゃべっていただろうか? 僕は、疑問に思いながら、楓先輩に尋ねる。

「サカキくん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの……」

 楓先輩は、いつもの台詞を僕に向かって言った。

「はい、何でも尋ねてください!」

 僕は、楓先輩を真っ直ぐ見て返事をする。

俺の嫁って何?」

 先輩は、優しげな目で僕を見ながら、質問した。まるで、その言葉の意味を知っているかのように、このタイミングで僕に尋ねてきた。

 僕は、胸がいっぱいになる。思わず涙がこぼれそうになった。僕は、その涙を必死にこらえる。そして、大きく息を吸い、呼吸を整えた。
 楓先輩は、俺の嫁の意味を知りたがっている。オタクの男性が、理想的な女性キャラクターに対して、愛情を吐露する言葉を、説明して欲しがっている。
 その言葉は、僕にとって一人の女性を指している。

 ――楓先輩は、俺の嫁

 楓先輩は、そんな僕の思いを、分かっているのか分かっていないのか、いつもの期待に満ちた目を僕に向けている。

「楓先輩。俺の嫁という言葉はですね……」

 僕は、桜吹雪の中、説明を始めた。俺の嫁について語りだした。楓先輩への思いについて、この二年間の気持ちをすべて込めて、言葉を紡いでいった。

(了)