第261話 挿話66「卒業式と城ヶ崎満子部長」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、淫靡な雰囲気に包まれた者たちが集まっている。そして日々、怪しい目付きで、品定めをし続けている。
かくいう僕も、そういった、卑猥な言動で周囲を悩ます系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、性的なことに興味津々な面々の文芸部にも、清らかな光に包まれている人が一人だけいます。神聖娼婦の神殿に紛れ込んだ、聖処女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
そんな楓先輩と僕の文芸部は、そろそろ最終ページが近付いている。三年生たちが学校を旅立つ、卒業式が間近に迫っていた。
卒業式の当日、僕は珍しく早起きして、学校へと向かった。今日で、僕と楓先輩の文芸部は終わる。そう思うと、居ても立っても居られず、朝早くから目が覚め、学校に足を運んだのだ。
学校の前までやって来た。校門は、今日のために飾り付けられている。その華やいだ雰囲気の門を抜け、校庭を通って校舎に行く。玄関には、まばらに人の姿がある。僕と同じような思いの在校生だろうか。あるいは、今日の仕事がある生徒会の関係者かもしれない。
上履きに履き替えた僕は、教室を目指さずに、そのまま文芸部の部室に向かった。文化部の部屋が並んだ廊下の先に、文芸部がある。窓からは明かりが漏れている。誰かがすでに来ているのだ。誰だろうと思い、僕は手をかけ、扉を開けた。
まぶしさで、一瞬視界が光に包まれた。校庭に面した窓のカーテンは開けられており、部屋には朝の光が差し込んでいた。部屋は静寂に包まれている。壁際には、部員それぞれの机と椅子があり、中央には、みんなが集まる大きな机がある。
その大机に両足を乗せ、椅子にふんぞり返って、一人の女性が本を読んでいた。この文芸部のご主人様、僕の天敵、三年生で部長の、城ヶ崎満子さんだ。満子部長は、僕に気付き、微笑しながら視線を向けてきた。
「どうしたサカキ。早いな」
満子部長は、いつになく優しげな声で話しかけてくる。いや、騙されてはいけない。満子部長は、卒業式の日だから後輩に優しくしようなどと考える、生やさしい人ではないのだから。
満子部長は、古い少女マンガに出てきそうな、お嬢様風のゴージャスな容姿をした人だ。しかし、この姿に騙されてはいけない。その中身は、気高くも真面目でもなく、エロに染まった品性下劣なものだからだ。
満子部長が、そういった困った性格をしているのは、その出自のせいだ。満子部長は、父親がエロマンガ家で、母親がレディースコミック作家という、サラブレッドな家に生まれた。そういった家庭環境であるために、両親から受け継いだ、深遠にして膨大なるエロ知識を保有している。そして性格はSであり、僕をこの部室で、ちくちくといたぶるのを趣味としているのだ。
そんな満子部長が、しんみりとした気持ちで、後輩をいたわるなど、あり得ないことなのだ。
「満子部長も早いですね。どうしたのですか?」
僕は、警戒するような声で尋ねる。
「うむ。最後の日だからな。私が作ったこの空間を、味わっておきたかったからな」
満子部長が作った空間。その言葉は、比喩でも何でもない。この文芸部は、満子部長が来るまでは廃部になっていた。その部活を復活させ、人を集め、資料を買い漁り、実績を作り、次の代へと繋いだのは、他でもない、満子部長自身なのだ。
「朝早くから来て、充分味わえましたか?」
僕は、満子部長に声をかける。満子部長は、本を閉じ、机の上に置いた。その本の題名は、「エマニュエル夫人に関する百の研究」という、謎の題名の本だった。
「ああ、味わえたよ。居心地のよさを堪能した。そして、サカキというおまけも付いてきたしな」
満子部長は、僕にお茶を入れるようにと指で示した。
僕は、後輩として指示に従い、お湯を沸かして、お茶を入れた。湯呑みを差し出すと、満子部長は、嬉しそうな顔をした。
「懐かしいな。サカキがこの文芸部にやって来た二年前が、ついこの間のようだ」
お茶を口に運びながら、満子部長は言う。
「満子部長の目から見て、僕はどうでしたか?」
「うむ。変態さんがやって来た。ブラボーという感じだったな」
満子部長は、楽しそうに手を頭上に掲げる。
「ちょっと、何ですか、それは!」
「にじみ出る変態臭がなあ。そう、あれだ。咲き乱れる栗の木の下を、通った時のような」
「そんな臭いは、させていなかったと思いますよ」
「そうか? ああ、あれだ。変態は引かれ合う。変態ってのは……、どういう理由か……、正体を知らなくても……知らず知らずのうちに引き合うんだ……」
「ちょっ、僕は変態ではないですよ!!」
「何を言っている。どこからどう見ても変態ではないか。その鋭い視線、鈍重な身のこなし、無駄な博学さ、美少女を部品単位で観察する観察眼。それらを総合すると、答えは一つだ。変態さん、いらっしゃい~!」
「えー、誤解なきよう、言っておきますが。僕は、満子部長のような変態さんではありませんから」
「いや~、サカキを一目見て思ったね。私と同レベルの変態が入ってきたと」
満子部長は、一人で得心して、うん、うんと頷く。僕は、変態ではないのに、なぜか満子部長の同類にされて、迷惑だなあと思った。
「まあ、サカキが入部してきたことは、素直に嬉しかったがな」
「そうなんですか?」
僕は、いぶかりながら言う。
「ああ、そうだよ。私と同じ変態が入ってきたと、喜んだものだよ」
「だからですね。僕は、満子部長と違って、いたって真面目な、品行方正サカキくんなのですよ」
僕が、少しむっとした表情をすると、満子部長は、しみじみとした声を出した。
「私は常々、文芸部には、変態さんが必要だと思っていたからなあ」
「そんなにエロトークをしたかったのですか?」
僕は、げんなりしながら尋ねる。
「いやあ、確かにそれもある。しかし、文芸部員として何かを生み出すには、変態であることが重要だと思っていたからな」
「……どういうことですか?」
意味が分からないと思い、僕は尋ねる。満子部長は、嬉しそうに顔を近付けてきた。
「なあサカキ。変態ってのはな、他人とは異なる、強いこだわりを持つ人間を指すんだよ。
創作というものはな、それに触れた人の世界を広げ、世界の見え方を変えるものだ。自分が今いる社会、産まれた時から接している家族、周囲にいる友人や知人。そういったコミュニティ以外にも世界はあり、様々な人が暮らしていると、教えてくれるものなんだよ。
人は、閉じた世界の中で生きる。そして、時に、その世界に疑問を持つ。自分が生きている世界が辛いと思ったり、苦しさを感じたりもする。
あるいは、まったく疑問を持たない人間もいる。自分のいる世界に、何の疑いも抱かず、他人を迫害したり、痛めつけたりする。
創作物というのはな、そういった世界に風穴を開け、自分の見ている世界の形を、変えてくれるものなんだよ。そうした創作物を作るには、周囲の人間に、変態と言われるような人間でなければならない。他人と違う目で世界を見て、他人と異なる頭で世界をとらえる必要があるんだよ。
そういった視点や思考は、異なる文化の人間からも得られる。文化の衝突が、人々の意識を劇的に変えるのは、歴史的によく見られることだ。
しかし、それだけではない。同じ場所や時代に生きている人間からも、取り入れることができる。社会に紛れ込んだ変態は、同じ社会に生きる人たちに、異なる視点を与えてくれる。世界に対する疑問を抱かせ、立ち止まって考える機会を与えてくれる。そういった貴重な存在なんだよ。
だから私は、文芸部には変態が必要だと思っている。創作をするということは、自分の変態性を突き詰めて、読んだ人間に化学反応を起こさせる何かを生み出すことだと考えているからだ。
サカキ。お前は変態だ。そして、その変態さを表現できる能力を持っている。それは一つの才能だよ。
人と同じである必要はない。多くの人に認められる必要もない。にじみ出る変態性。それを、技術でもってオブラートに包み、自分以外の人間に飲み込ませる。サカキ。お前は、それができる人間だ。私は、サカキのことを買っているのだよ」
満子部長は、真面目な顔で言った。
僕は変態ではない。少なくとも、満子部長のようなサラブレッドの変態ではない。
満子部長は、僕たち文芸部員に、新しい視点を与え、世界の見え方を変えてくれた。それは紛れもない事実だ。
しかし僕と、満子部長は違う。同じことを僕に期待されても困る。僕は、普通の人間だ。ちょっと、ネットにはまっていて、エロマンガやエロゲが好きで、オタクで、美少女鑑定士な、平凡な人間だ。
僕が困った顔をしていると、満子部長が、頭の後ろで指を組んだ。そして、青空のような気持ちのよい笑顔で、僕に語りかけてきた。
「この文芸部で対等に話せるのは、サカキだけだった。サカキ、この部活を、次に繋げてくれ」
満子部長は、僕の目を真っ直ぐ見て言った。
僕は、満子部長との二年間を思い出す。満子部長は、エロかったり、不真面目だったりする台詞ばかりを言う人だった。僕を好きなだけ連れ回して、いろんな人に会わせ、様々な話を聞かせ続けた。
そういえば、満子部長が僕に引き合わせた人は、どれも一級の変態さんだった。満子部長のお父さんを筆頭に、他人と同じ場所で暮らしていながら、まったく異なる世界に生きている人たちだった。
「満子部長は、変態さんですか?」
「ああ、特級のな」
「僕も変態なのですか?」
「そうだろう。疑う余地はないぞ」
「僕は、この文芸部の部長になるのですね?」
「ああ。同輩たちに、後輩たちに、多くの世界を見せてやってくれ」
僕は、目頭が熱くなった。そして、目元に手を添え、必死に涙をこらえた。
「楽しい二年間だったな」
満子部長は、天井を見上げて言う。
「サカキ。この文芸部を頼むぞ」
満子部長は、上を向いたまま、僕に顔を見せずにしゃべった。
「はい。分かりました」
僕は、真面目な顔で答える。
満子部長は、しばらく天井を見上げたまま、口元を嬉しそうにゆるませていた。