雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第237話「ま~ん(笑)」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、フェミニンな者たちが集まっている。そして日々、女らしさに囲まれた暮らしを続けている。
 かくいう僕も、そういった、デスクトップを女の子だらけにする系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、キュートなものが大好きな面々の文芸部にも、その手のものに見向きもしない人が一人だけいます。みんな着飾った女子会に紛れ込んだ、ジャージ姿の少女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、ギャル系のファッションとは無縁で、装飾品を何も付けていない。そんな簡素な姿の楓先輩は、シンプルな宝石のような美しさを持っている。その姿に憧れの感情を抱きながら、僕は声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、意味の分からない単語がありましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。マリリン・モンローが、その性的魅力で一世を風靡したように、僕はネット知識で周囲の注目を集めています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、自分の感性でひたすら書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、女性の本能全開の文章に遭遇した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「ま~ん(笑)って何?」

 え、ええと……。僕は答えに窮する。
 ま~ん(笑)は、女性を蔑視する言葉だ。そして、女性の性器の名称をもじった言葉でもある。

 これは、二重の意味で危険だ。このま~ん(笑)を説明すると、女性に対する偏見を僕が持っていると思われかねない。それに、エロい語源について言及すれば、僕が普段から、そういった単語に、辞書で赤線を引いている人間だと、勘ぐられかねない。
 どうすればいいんだ? 僕は、ちらりと楓先輩の姿を見る。お座りを命令された子犬のように、ぴしっとした姿勢で、僕からの説明を待っている。そんな、期待の眼差しの先輩を裏切ることはできない。何とかして、僕のダメージを最小限にして、説明する必要がある。

 そうだ! 僕は、一つの解決方法を思い付く。女性の性器名を言っても大丈夫な空間を、作ればよいのだ! 日本には、そういった言葉が公然と話され、そのものの物体が町を練り歩く奇祭がある。それらについて語り、楓先輩を異空間に引きずり込もう。

「楓先輩。日本には、数々の奇祭があります」

 僕は、拳を握って語りだす。

「そうね。日本は広いし、様々な神様が信仰されているものね。だから、変わったお祭りが多数あることを、私も知っているよ」

 よし、食いついてきた! 僕は、楓先輩を幻惑するために、説明を開始する。

「そう。日本には、諸外国から見て、奇妙な文化としか言いようのないお祭りが多数あります。その中でも、よく知られているのは、男女の性器がご神体になった、お祭りです。

 神奈川県川崎市金山神社でおこなわれる、かなまら祭。この祭りでは、男根をかたどったエリザベス神輿を担いで、町を練り歩きます。海外のメディアも多数取材に来ていて、知名度は高いです。

 同様の祭りは、日本の他の地域でも見られます。静岡県賀茂郡にある、どんつく神社のどんつく祭り。愛知県小牧市にある、田縣神社の豊年祭。新潟県長岡市にある、ほだれ神社のほだれ祭。これらの場所では、巨大な男根のご神体が、祭りで利用されます。

 こういった、性器を奉る風習は、男性器だけではありません。女性器がご神体の神社や祭りも存在します。
 愛知県犬山市にある、大縣神社の豊年祭。この祭りは、別名おそそ祭とも言われ、女陰をかたどった山車などが練り歩きます。

 このように、性器を表すオブジェクトやワードが、人々の会話や生活に登場するのは特別なことではないのです。これは、民俗学的な現象であったり、文化的な事象であったりするのです」

 僕は、熱心な大学教授のような語り口で、楓先輩に話す。

「なるほどね。確かに、サカキくんの言う通りね」
「そうです!」

 楓先輩は、僕の話に乗ってきた。よし、このまま、ま~ん(笑)の説明に突入するぞ! 僕は、一気に続きをしゃべる。

「ま~ん(笑)という言葉は、巨大ネット掲示板で二〇一四年の二月頃に誕生したと言われています。このネット用語は、女性を表します。そして、その由来は、女性器の名前にあります。

 元々、ち~ん(笑)という言葉が、ネットにありました。この言葉は、プロ野球についてのネット掲示板で使われていた阪神タイガースの蔑称、犯珍から来ています。この言葉と、鈴を鳴らす音をかけたものとして、ち~ん(笑)という言葉が存在していました。

 この、ち~ん(笑)は、音が男性器を表す言葉に似ているのですね。そこにかけて、女性器をま~ん(笑)と呼び、そのまま女性を指す言葉として転用したのが、ま~ん(笑)というネットスラングになります。

 この、ま~ん(笑)は、女性を蔑む目的で使われる言葉です。それに、公然と使うには、いささか猥褻のきらいのある単語です。そのため日常生活では、あまり用いるべきではないと、僕は思います」

 僕は説明を終えた。これで、楓先輩は納得してくれただろうか? そして、僕が女性蔑視をしていないと考え、卑猥ではないと思ってくれただろうか。
 僕は、おそるおそる楓先輩の様子を窺う。先輩は、僕の言葉を飲み込もうとして、何度か点頭している。そして徐々に顔を赤く染めて、僕をちらちらと見た。

「ね、ねえサカキくん」
「はい、何でしょうか、楓先輩?」

「私はね、祭りと日常は違うと思うの。ハレとケでは、使う言葉や、他人に見せるものに、違いがあるんじゃないのかな? だから、祭りの時には許されても、普通の時には許されないものもあると感じるの」
「えー、あの-、どういうことですか?」

 僕は、自身の敗北を予感しながら尋ねる。

「うん。だから、ま、ま、ま~ん、……という言葉は、使ってはいけないと思うの。ち、ち、ち~んも」
「そうでしょうか?」

 僕は、絶望しながら声を出す。

「うん、つまり……」
「つまり?」

 負け戦になりそうだと覚悟しながら、僕は聞く。

「サカキくんは、非日常に生きる、性的逸脱者だと思うの」

 楓先輩は、うなじまで真っ赤に染めて言った。そして、顔を両手で覆って、涙目で自分の席へと駆けていった。
 僕は、性的な方面の逸脱者として、日常空間の外側に置かれる存在に、なってしまった。

 それから三日ほど、楓先輩は僕から距離を取って過ごした。僕は、文芸部の部室をハレの状態にするために、神棚を作り、アワビやキノコをお供えして、お祭り空間を演出してみた。
 そんな僕の努力は、何の効果も見せなかった。三日経ち、ようやく先輩の怒りが解けて、僕はほっとした。ああ、よかった。僕は、心の底からそう思った。そして非日常の世界であるネットにダイブして、性的逸脱者としての活動を再開した。