雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第217話「膝に矢を受けてしまってな」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、物事に消極的な者たちが集まっている。そして日々、様々な面倒事を避けながら生き続けている。
 かくいう僕も、そういった逃げの一手を打つ系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、ネガティブ思考な面々の文芸部にも、物事に動じない人が一人だけいます。『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジだらけのクラスに転入してきた、綾波レイ。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の右横にちょこんと座る。先輩は背筋をしゃんと伸ばして、両手を膝の上に添えている。楓先輩の手首が見えた。その腕は細く、なめらかな肌で覆われている。ちらりと目に入った肌の様子は、楓先輩の裸の腕を想像させるものだった。僕は、その姿にぼうっとなりながら、声を返す。

「どうしたのですか、先輩。知らない言葉をネットで見ましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットのベテランよね?」
「ええ。『聖闘士星矢』で、五老峰の老師、天秤座の黄金聖闘士である童虎が、二百年以上生きているように、僕はネットの魔窟で長い経験を積んでいます」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、様々な回想とともに書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、無数の過去を持つ人々の言葉に接触した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「膝に矢を受けてしまってな、って何?」

 楓先輩は、どういった意味かな、といった様子で尋ねてきた。そうか、楓先輩はゲームをほとんどしない。この言葉の意味が分からなくても当然だ。このフレーズは、「ジ・エルダー・スクロールズ・ファイブ:スカイリム」、通称「スカイリム」という海外のPC用アクションRPGで出てきた台詞が元ネタだ。
 街の衛兵がしゃべる台詞の一つで、どこの街でも衛兵が口にするシュールさから、ネットで流行ったものだ。この膝に矢のネットスラングは、何かをしない時の言い訳に利用する。

 僕がその説明を楓先輩にしようとした時、部室の入り口の辺りから、どんよりとした空気が漂ってきた。何事だろう。そう思って、顔を向けると、同学年で幼馴染みの保科睦月が、どよ~んとした様子で落ち込んでいた。いったいどうしたのだろう? 睦月は、いつもの通り、水着姿で部室の入り口近くに座っている。

 睦月は、子供の頃から、野山で一緒に遊んだ友人だ。しかし、中学生になった頃を境に、僕との会話がほとんどなくなってしまった。その代わりに、部室で競泳水着やスクール水着姿で過ごし始めたのだ。睦月は、僕の真正面の席に座って、じっと僕を見ている。僕は、どうすればよいのか分からず、途方にくれている。まあ、水着姿の美少女を毎日拝めるのは、素直に嬉しいんだけどね。

 そんな健気な感じの睦月が、今日は元気をなくしている。何かあったのかなと思い、僕は記憶をたどる。僕と睦月は、週末に一緒に過ごすことが多い。その時に事件でも起きたかな? そう考えているうちに、僕は先週末のある出来事を思い出した。

 それは先週末のことである。僕はいつものように、自分の部屋でオンラインゲームを遊んでいた。隣には水着姿の睦月がいて、僕のマンガを読みながら座っている。その様子を時折確かめながら、僕は剣に魔法に大忙しだった。

「ねえ、ユウスケ」
「なんだい、睦月?」

「今日は、少しだけ、私と勉強をしない? 三年生になったら、高校受験もあるわけだし」
「げふん、げふん。僕も昔は勉強家だったんだけど、膝に矢を受けてしまってな……」

「じゃあ、少しだけ教科書を開いて、一緒に読まない?」
「あー。僕も昔は教科書だったんだが、膝に矢を受けてしまってな……」

「いつ、膝に矢を受けたの?」
「うーん。きっと、睦月と一緒にいる時だよ。そう、目の前で受けたじゃないか」

 僕は適当に答えて、画面に集中する。眼前では、スーパー・ハイパー・エレクトリック・サンダー・ダイヤモンド・ゴールデン・ドラゴンが暴れている。
 僕は魔法を詠唱して、力場の盾を展開して、一撃必殺の力を剣に込める。そうやって敵の隙を窺っていると、僕の腕に睦月の手が触れた。横を向くと、睦月が頬をわずかに赤らめながら僕を見て、身を寄せていた。

 いったいどうしたのだろう? 何だかいつもと雰囲気が違うな。そう思いながら、僕は剣にためた力を放ち、スーパー・ハイパー・エレクトリック・サンダー・ダイヤモンド・ゴールデン・ドラゴンを一刀両断した。

「ふう。ようやく倒せた。それにしても、睦月はどうしたの? 何かあったの」

 僕は、ぴたりとくっついている睦月に尋ねる。

「ユウスケは、膝に矢を受けたんだよね?」
「そうだね。だから、勉強をするのは難しいかな」

 勉強をしたくなかった僕は、そう答える。

「ユウスケは、私の目の前で、膝に矢を受けたんだよね?」
「さっき、そう言ったね。まあ、僕がゲームでダメージを食らう時には、たいてい睦月が横にいるからね」

 僕は、睦月の意図が分からないまま声を返す。睦月は、頬を赤らめて、もじもじしている。僕は、その挙動の意味が分からず、どうしたのかと睦月に聞く。

「膝に矢って、『スカイリム』の台詞よね?」
「うん」

「ネットで見たんだけど、北欧の言い回しで、膝に矢を受けるは、片膝を突く、プロポーズをするという意味もあると書いてあったから。ユウスケは私の目の前で、膝に矢を受けたのよね」

 睦月は、ぼうっとした顔で僕を見上げている。目は潤み、唇は微かに開き、吐息を漏らしている。思わず抱きしめたくなるような、愛らしい様子になっていた。
 僕の心はぐらりと傾く。しかし、自制心を取り戻して、睦月に告げる。

「いや、でも、その説は、出所の怪しい都市伝説とも言われているよ。はっきりとした出典がないそうだから。開発者に、膝に矢の件を尋ねた記事でも、そういった話は出てこなかったし。だから、少なくとも僕は、そういった意図では使っていないよ」

 僕は、気軽な気持ちでそう答えた。睦月は、ショックを受けて魂が抜けたような顔をした。

「じゃあ、結婚という意図は」
「まったくないよ。僕は勉強が苦手だからね。膝に矢のネットスラングを利用して、遠回しに、勉強を断る台詞を口にしたんだ」

 僕が答えると、睦月はしょんぼりとした顔をした。うっ、罪悪感が。

「そうなの。そうだったの……」

 睦月は消え入りそうな声を出して、僕の顔を見上げた。眼には涙が浮いている。水着のせいで、肩や腕はあらわになっており、そのなめらかな素肌が見える。僕は、思わずごくりと唾を飲み込む。睦月は、僕に体を預けてきた。

 どうするべきか? 睦月は、僕と結婚したがっているのだろうか。
 僕が本気で悩んでいると、パソコンが警告音を鳴らした。新しいモンスターとのエンカウントだ。ヘビー・メガトン・ダーク・ブラック・マウンテンゴリラが現れた。

「ごめん、睦月。敵が来た! 今度は、ヘビー・メガトン・ダーク・ブラック・マウンテンゴリラだ。このゲームの敵は、みんな名前が長いんだよな」

 僕は、背筋を伸ばして、キーボードを連打し始めた。睦月は、しばらく頬をふくらませていたが、仕方がないなあといった顔をしたあと、残念そうにマンガを再び読み始めた。そういったことが、先週末にあったのである。

「ねえ、サカキくん。それで、膝に矢を受けてしまってな、って何?」

 楓先輩の声が聞こえて、僕は意識を文芸部の部室に戻す。僕は、睦月にうしろめたさを感じながら、膝に矢の説明を開始する。

「膝に矢を受けてしまってな、というのは、『ジ・エルダー・スクロールズ・ファイブ:スカイリム』、通称『スカイリム』というゲームの中の台詞です。この作品に出てくる街の衛兵が、こんな台詞を話すのです。

 ――昔はお前のような冒険者だったが、膝に矢を受けてしまってな……。

 同ゲームでは、様々な街の衛兵がこの台詞をしゃべります。
『スカイリム』のチーフデベロッパーが、インタビューに答えた話によると、この台詞は、シニア・ゲームデザイナーが開発の終盤に、衛兵にキャラクター性を持たせようとして、大量に書いた台詞の一つだそうです。

 この一連の衛兵の台詞は、ゲームの中で使い回されました。そして、いろんな場所で、同じ台詞を聞くことになったのです。そのせいでこの世界では、膝に矢を受けて冒険者を引退した人が、多数いるという状況になったのです。
 本来は、いろんな場所に傷を受けて引退した人がいるのでしょうが、膝に矢を受けた人の分しか台詞がなかったわけですね。

 そういったシュールな状況が受けて、膝に矢の台詞は、日本、海外問わず、ネットで流行しました。そして、膝に矢を受けて冒険に出られないという意味から、『本当はやりたいんだけど、できないんだ~』という、消極的な断り文句として、人々が利用するようになったのです。

 それでは、いくつか使用例を挙げてみましょう。
 たとえばニートが、『昔は働いていたんだが、膝に矢を受けてしまってな……』と利用する。太っている人が『ダイエットをしようとしていたんだが、膝に矢を受けてしまってな……』とうそぶく。非モテの人が『昔はイケメンだったんだが、膝に矢を受けてしまってな……』と釈明する。
 そういった言い訳の台詞として、膝に矢のフレーズは、活用されています」

 僕は、膝に矢の説明を楓先輩に伝えた。先輩は、納得したような顔をした。その様子を見て、僕は調子に乗って、楓先輩に話しかける。

「まあ、僕は、そういった消極的な断り文句とは無縁な人間です。何にでも、積極的に取り組むサカキくんです。そう。たとえば、楓先輩と一緒に、大冒険の旅に出るなど、大歓迎ですよ!
 どうです、楓先輩。僕と『のび太の魔界大冒険』しませんか! そう、大冒険ですよ、大冒険!!」

 僕は、鼻息荒く、楓先輩に提案する。楓先輩は斜め上を見て、少し考える仕草をしたあと、にっこりと笑って口を開いた。

「昔は、私も冒険者だったけど、膝に矢を受けてしまってな……」

 楓先輩は、やんわりと僕に断りの文句を返してきた。僕は、ずーんと沈み込んで、暗い顔をする。僕の心は、マリアナ海溝よりも深いところに沈み込んでしまった。

「……」

 僕は、台詞を口にできず、楓先輩の横でぐんにょりとなる。

「ご、ごめん! そんなに落ち込むとは思わなかったの。今習った言葉を、使ってみただけだから!」

 楓先輩は、慌てて僕に言う。しかし、僕はすぐには立ち直れなかった。因果応報。睦月を沈み込ませた報いを、僕は受けたのだろう。
 それから三日ほど、僕も睦月も、どよ~んとしたまま、文芸部の部室で過ごした。楓先輩だけは、そんな因果応報、どこ吹く風といった感じで、普通に過ごしていた。