雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第202話「ライフハック」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、様々な工夫で、人生を切り開いていく者たちが集まっている。そして日々、人生をアップデートするべく奮闘し続けている。
 かくいう僕も、そういった改善を好む系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、現状を変えようとする面々の文芸部にも、古きを愛する人が一人だけいます。原宿のストリートファッションの人々に紛れ込んだ、和服の女学生。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横に座る。先輩は、いつもと同じように眼鏡の下の目を楽しげに細める。そして、期待の眼差しを僕に注ぐ。楓先輩の目は大きく、まつ毛は長い。瞳の色は、きれいな黒だ。そんな、黒曜石のような黒目を堪能しながら、僕は楓先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。まだ見ぬ言葉に、ネットで出会いましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。『冒険野郎マクガイバー』の主人公が、手近な材料と科学知識でピンチを切り抜けるように、僕は豊富なネット知識で、様々な問題を解決します」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、効率よく書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、現状打破を目指す、無数の文章に遭遇した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

ライフハックって何?」

 楓先輩は、その質問をしたあと、素早く言葉を言い添えた。

「ライフは、生命や生涯、生活を意味する言葉よね。でも、ハックは、いまいち意味が分からないのよね。
 もしかして、八つの苦しみの、八苦のことなの? 生、老、病、死の四苦。それに加えて、愛別離苦怨憎会苦求不得苦五陰盛苦を加えて八苦。ライフの意味と繋げると、人生には八つの苦しみがあるという意味かしら?」

 楓先輩は、自信満々に言う。僕は残念そうに、首を横に振る。

「違います。というか、まったく関係ありません。ライフハックのハックは、ハッカーやハッキングなどのハックになります」

 楓先輩は、きょとんとした顔をする。どうやら、こういった言葉を知らないようだ。
 僕は考える。ライフハックという言葉に、何か危険はあるだろうか? エロくもないし、難しい部分もない。大丈夫だ。よもや、この言葉で僕が地獄に落ちることはないだろう。僕は安心して、解説を開始する。

ライフハックとは、IT業界を中心として使われる、仕事術を指す言葉です。作業を効率的かつ要領よくおこなう、ちょっとしたテクニックを指します。

 この言葉は、二〇〇四年頃に、アメリカのテクニカルライター、ダニー・オブライエンが使い始めたものです。日本では二〇〇五年頃から流行り、その後、定着していきました。そういった普及の際に、IT技術を離れて、生活術や、DIY的な工夫も、ライフハックに含まれるようになりました。
 こういった言葉の変化は、ライフと言う言葉が、人生や生活といった広範な意味を表すことに原因があるのでしょう。

 では、どういったものがライフハックに相当するのか。そのことを、少し話します。
 ライフハックの元々の意味に従うのならば、こんな感じです。パソコンでの定期的な入力作業を支援する、小さなプログラムを書く。あるいは、スマートフォンの効率的な使い方を発案する。こういったものが、ライフハックです。
 また、広い範囲での意味であれば、こんな感じです。昼休みに効率よく眠る枕の使い方。手を汚さずにポテトチップスを食べる方法。こういったものも、現在ではライフハックに含まれます」

 そこまで僕が説明すると、楓先輩は、へー、と声を上げながら、声を出した。

「ちょっとした工夫なら、何でもライフハックになるのね」
「ええ。最近は、だいぶ意味がぼやけている感じですからね」

「それで、ハックは、どういった意味なの?」

 楓先輩は、ハッカー文化に接点がない人だ。少し丁寧に説明してあげた方がよいだろう。

「コンピューターを扱うIT業界には、ハッカー文化というものがあります。そういった文化にいる人は、ハッカーギークと呼ばれます。彼らは、技術オタクや、技術フェチです。そして、電子機器を操ったり、プログラムを書いたりすることが大好きです。

 では、ハッカー文化とは何なのか? 端的に言うと、サブカルチャーです。
 たとえば、日本の代表的なサブカルチャーである、オタク文化の人々は、マンガやアニメやゲームを好みます。ハッカー文化では、そういった対象が、電子機器やプログラム、インターネットや情報技術だったりするのです。
 アメリカを中心とした情報技術の発展は、このようなハッカー文化の人が、牽引した部分が大きいです。

 また、そういったハッカー文化の一部、あるいはその周辺には、社会に害悪を振りまく活動をする人もいます。そういった人たちは、クラッカーという、別の名前を与えられています。また、そこまで技術力がなく、他人の作ったプログラムで悪戯をする程度の人は、スクリプトキディなどと呼ばれています。

 それでは、ハックについて、少し掘り下げてみましょう。
 ハッカー文化は、ハッカーの文化です。ハッカーは、ハックを好みます。では、ハックとは何なのか?

 ハックという英語の原義は、切り刻むという意味です。現代英語の意味としては、木などを叩き切る、ぶった切る、森林などを切り払って進む、木などを叩き切って品物を作るという意味です。
 ハッカー文化のハックは、この中で最後に話した意味に近いものです。粗削りだけど実用に耐えうるものを、センスと技術でさくっと作ってしまう。イメージとしては、アメリカの開拓者が、斧や山刀で、木材から家の部品や家具をぱっと作る。そういった感じでプログラムを書いたり、電子機器を改良したりする。

 ハックという言葉は、そういったイメージの言葉です。そして、ハッカーというのは、そういったセンスと、それを実現できる技術力を持った人を指します。『ハッカーは、正しいことを雑にやる。スーツどもは、間違ったことを綿密にやる』という言葉は、そういったハックのイメージをよく表していると思います。

 ライフハックという言葉の元々の意味を理解するには、こういったハックという言葉のイメージをつかんでいる必要があります。ライフハックは、そういったハッカー文化の人たちが、仕事を効率よくこなし、人生のクオリティを上げるための工夫なのです」

 僕は、ライフハックについての説明を終える。楓先輩は、首を縦に振った。

「なるほどね。ちょっとした工夫で、仕事や人生の能率を上げる方法なのね」
「そうです。ライフハックは、そういった工夫を集めたものです。ネットには、このライフハックを集めたサイトが、無数にあります。まあ広義のライフハックは、現代版の、おばあちゃんの知恵袋みたいなものですね」

 楓先輩は、僕の説明に大いに満足したようだ。

「ねえ、サカキくん」
「何でしょうか、楓先輩?」

「サカキくんは、ハッカー文化に属しているの?」
「直接は属していませんが、その薫陶は受けていると思います」

「そのサカキくんは、当然のように様々な工夫をして暮らしているのよね?」
「ええ、もちろんです。ライフハックのサカキくんと呼んでいただいて、差し支えありません」

「そのサカキくんの、文芸部での工夫を教えてちょうだい」
「えっ?」

 僕は、声を出したあと言いよどむ。うっ、楓先輩に、あまり教えられないような工夫が多い。
 たとえば、エッチなサイトを見ているのがばれないように、壁を背にして座っているとか、急に楓先輩が来てもよいように、画面に表示されているウィンドウを切り替えるショートカットを用意しているとか。僕の工夫の多くは、楓先輩によい格好をするためのものだ。

「えー、あのー、部室では、あまり語るべき工夫がないのですが」

 僕は、楓先輩を失望させるかなと思いながら告げる。

「じゃあ、執筆の工夫でもいいよ。サカキくんが最近書いた原稿の工夫を、教えてちょうだい」
「いや、あの、その……」

「工夫を言いたくないの? じゃあ、作品から工夫を読み取ってあげるね!」

 楓先輩は、おひさまのような笑顔で、マウスとキーボードを、自分の手元に引き寄せた。
 や、やばい! 楓先輩は、テキストエディタを起動して、履歴から、僕が最後に執筆した小説のデータを呼び出した。

 そ、それは危険な小説です! その小説から、僕の工夫を読み取らないでください! 僕は、必死に心の中で叫ぶ。その絶叫も虚しく、楓先輩は表示された小説を読み始めた。

「ふーん、タイトルは『裸衣婦ハック』なのね。まるで、今日の質問に合わせたようなタイトルね」

 ああっ! 僕は、顔を両手で押さえる。

「えーと、本文は……」

 楓先輩は、僕の書いたエロ小説を読み始めた。

 ――丸の内のオフィスビルで働く柊は、仕事が終わるとともに、ビルの裏口へと向かった。そこには、黒塗りのベンツが一台停まっていた。窓には黒いフィルムが貼ってあり、内部を見ることはできない。柊が着くとともに後部座席のドアが開き、黒服にサングラスの男が、中へと招き入れた。

「遅かったですね」
「すみません。上司がなかなか離してくれなくて」
「その上司も、まさかあなたに裏の顔があるとは、夢にも思わないでしょうね」

 黒服の言葉に、柊は恥ずかしそうに頬を染める。
 会社では、地味な三つ編み眼鏡として過ごしている柊が、もう一つの顔を持っていることを知る人はいない。唯一知るのは、柊をこの道に引きずり込んだ、専務の高崎だけである。

「今日の勝負は、何なのですか?」

 夜の戦い。柊は、それに参加している。富豪たちの前で、一夜のゲームをする。勝てば一千万円、負ければ観戦者の一人に連れ帰られる。敗北者たちのその後を、柊は知らない。

 黒服の男が、ふっと笑う。馬鹿な女だ。そう言いたげだ。金のために人生を捨てる。それも、あんなゲームのために。男はそう思っているのだろう。柊にはお金が必要だった。人生を変える金額。一億円を得るまでには、あと八回の勝負に勝たなければならない。

「今回のゲームは、裸衣婦ハックです」

 男は小冊子を出して、柊に渡す。今晩の勝負のルールが書かれたものだ。
 柊は、その表紙に書いてある「裸衣婦ハック」の文字を見て、眉をひそめる。どうせまともなゲームではない。裸に衣。どんな内容なのかは想像できる。柊の緊張した面持ちを見て、黒服が芝居がかった口調で語りだす。

「勝負は一対一。相手が、全裸か着衣かを当てるゲームです。自分だけ正解すれば一点が入ります。三点先取で勝ち抜け。簡単な内容ですよ。
 ゲームの流れも話しておきましょう。一セットの流れはこうです。
 着替えタイム。この時に、服を着るか脱ぐかします。次は会話タイム。対戦者との、三分間の会話です。この時は、互いに顔だけを見せ合い、話をします。次は、ヒントタイム。相手の上半身か下半身を選び、その場所を見る。最後が、指摘タイムです。相手が全裸か、着衣かを指摘します」

 黒服の男は、裸衣婦ハックのルールを口頭で説明した。

 柊は考える。全裸か着衣かを当てる。その手がかりとなるのは、ヒントタイムで確認した上半身か下半身だ。その場所に服を着ていれば、百パーセント着衣だと分かる。そういったヒントを与えないためには、勝負のたびに、上か下、どちらかの服を脱いでおく必要がある。
 万全を期するのならば、全裸になっておくのが望ましい。しかし、相手も、そのことは承知している。読み合いになる。三分間の会話の間に、どれだけ多くの情報を引き出せるかが勝負になる。

 これは高度な心理戦だ。柊は素早く頭を巡らせる。柊は、平凡で目立たないOLの顔から、勝負師の顔になる。

「そうそう、言い忘れていたことがあります」

 黒服は、いやらしい声を出す。

「今回の勝負は、世界の富豪たちにインターネットで中継されます。なに、大丈夫ですよ。アカウントを持つ人しかアクセスできないページですから。勝負を見ることができるのは、わずか千人ほどですから」

 柊は言葉を失う。これまでの勝負は、密室でおこなわれていた。裸を見られても四、五人程度。だからこそ、卑猥なゲームだと分かっていながらも、戦ってきたのだ。それが千人に裸を見られる。

「降ります。車を戻してください」

 柊は、車のドアに手をかける。その手を、男の大きな手が遮った。

「駄目だぜ、姉ちゃん。あんたはもう、この世界に足を踏み入れているんだ。今さら後戻りはできないぜ!」

 黒服は、サングラスを外してすごむ。男には片目がなかった。この男も勝負に挑み、そこで目を失ったのかもしれない。柊は、直感的にそう思った。

 柊は絶望する。それとともに、多くの人の目に、自らの肢体をさらすことに、微かな期待を感じる。体の中心が疼いている。自分は、アンダーグラウンドの住人になってしまったのか。あの、倒錯的で淫猥の世界に住む人間に。

 車窓の明かりが、背後へと流れていく。その様子を見ながら、柊はこれからの勝負を想像する。全裸になり、多くの人に素肌をさらす。柊はそのことに、全身が汗ばむ興奮を覚えずにはいられなかった――。

 ああ。楓先輩が「三つ編み眼鏡~柊~裸衣婦ハック編」の第一話を読んでしまった。エロシーンは一切ないけど、これから起きる展開が、エロ満載なのはバレバレだ。

 僕は、先輩の様子をそっと見る。先輩は、表情を失い、体を小刻みに震えさせている。どうする? 僕は、素早く頭を巡らせる。これは官能小説ではなく、エンタメ系ギャンブル小説だ。そう主張しようと決める。

「楓先輩! どうですか、僕のエンタメ系ギャンブル小説は! 先輩は、僕が書いた原稿から、工夫を読み取るとおっしゃっていました。楓先輩が読み取った工夫を、僕に教えてください。これは、文芸部のまっとうな活動です!」

 僕は、胸を張って主張する。楓先輩は、ぎこちなく体を動かして、しゃべり始めた。

「う、うまく対立が用意されていると思うわ。簡単な勝負でありながら、そこに相手の心の読み合いが設定されているわね。また、それとは別に、メタな視点での心理的抵抗が用意されており、話にふくらみを与えているわ。
 勝負で、は、は、はだ、はだか……」

 そこまで口にしたところで、これ以上は耐えられないと言った様子で、楓先輩は顔を真っ赤に染めた。

「楓先輩! これは、文芸部のまっとうな活動です!!」

 僕は、懸命に主張する。

「サカキくんのセクハラ~~~!!」

 楓先輩は、拳を可愛く握り、僕をポカポカと殴ってきた。どうやら、ごまかすことはできなかったようだ。
 それから三日ほど、楓先輩は僕から距離をとり続けた。

「私のライフハックを教えてあげるわ! エッチな話を聞きたくなければ、サカキくんには近付かない!」

 ええ~~~! 確かにそうですが、それはあんまりですよ~~~~! 僕は、そのライフハックは、なしだよなあと思った。