第161話「大人買い」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、大人の階段を駆け足でのぼる者たちが集まっている。そして日々、背伸びをして暮らしている。
かくいう僕も、そういった耳年増系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、早熟な心を持つ面々の文芸部にも、年齢相応で純真な人が一人だけいます。「名探偵コナン」の江戸川コナンの群れに囲まれた、本物の小学生。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の右横にちょこんと座った。先輩のスカートが、僕のズボンに触れる。僕は、そのスカートの中のすらりとした足を想像する。まだ女性の丸みをあまり帯びていないその体は、人によっては華奢すぎると感じるだろう。だがしかし、それがいい。開花寸前のつぼみのような肉体は、僕のストライクゾーンである。僕は、楓先輩の足首から太腿までのラインを想像しながら声を返す。
「どうしたのですか、先輩。初めて見る言葉が、ネットにありましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの熟練者よね?」
「ええ。ネットに熟達した人間として、白洲次郎のようなダンディズムを身に付けています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」
先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、毎日飽くことなく書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、様々な年代の人が書く文章に接した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。
「大人買いって何?」
先輩は、大人と付いているから、ちょっとアダルトな内容なのかなと、警戒しながら尋ねる。
大丈夫ですよ、楓先輩。大人買いは、そういったジャンルの言葉ではありません。この言葉ならば、危険はない。胸を張って説明できる。僕は、そう思いながら、軽やかに口を開く。
「楓先輩。大人買いとは、大人の経済力で食玩を箱買いしたり、大人げないやり方で子供向けの商品を大量購入したりする行為です。この言葉は、二〇〇〇年頃にはすでに登場しており、当時の食玩ブームや、その後のトレーディングカードのブームとともに、広がったとされています。
よくあるパターンとしては、お菓子のおまけを全種類獲得するために、段ボール箱ごとお菓子を買ったりします。また、トレーディングカードのレアカードを得るために、数万円出して、大箱を購入したりします。
大人買いは、そういった行為を指す言葉から始まりました。そして、子供には不可能な金額で、子供向け玩具や、娯楽用品や、マンガの全巻セットなどを、まとめて買う行為を指す言葉として定着しました」
「へー、そういった意味だったのね」
楓先輩は、感心した様子で言う。
「まあ、そういった大人げない買い方は、慎ましやかな楓先輩には、無縁の行為だと思いますが」
僕はにこやかに応じる。やった、説明完了だ! 今回は、何のピンチもなく、説明を切り抜けたぞ。たまには、こういうことがあってもよいだろうと、僕は胸をなで下ろす。
「おっ、大人買いの話か? そうそう、私と同様に、サカキも大人買いをしていただろう。最近は、何を買ったんだ?」
ぶっ! 突然の言葉に驚き、僕は顔を向ける。そこには、この文芸部のご主人様、僕の天敵、三年生で部長の、城ヶ崎満子さんが立っていた。
満子部長は、古い少女マンガに出てきそうな、お嬢様風のゴージャスな容姿をした人だ。しかし、この姿に騙されてはいけない。その中身は、気高くも真面目でもなく、エロに染まった品性下劣なものだからだ。
満子部長が、そういった困った性格をしているのは、その出自のせいだ。満子部長は、父親がエロマンガ家で、母親がレディースコミック作家という、サラブレッドな家に生まれた。そういった家庭環境であるために、両親から受け継いだ、深遠にして膨大なるエロ知識を保有している。そして性格はSであり、僕をこの部室で、ちくちくといたぶるのを趣味としているのだ。
「ちょっと、満子部長。何ですか急に」
僕は、急に話に入ってきた満子部長に、文句を言う。
「いや、大人買いの話をしていただろう。だから、最近サカキが、何を大人買いしたのか気になってな。私は、森山塔と、塔山森と、山本直樹のマンガを大人買いしたぞ」
「それ全部、同一人物じゃないですか!」
僕は、突っ込み待ちの満子部長に、鋭い指摘を入れる。
「あははは、さすがサカキだ。乗ってきたな」
満子部長は楽しそうだ。
「あの、どうでもいいですけど、満子部長がからんできたら、だいたい面倒なことになるので、話に入ってこないでくださいよ」
僕は、煙たそうに手を振って、満子部長を追い払おうとする。そうやって、僕と満子部長が話していると、僕の隣に座っていた楓先輩が、不思議そうな様子で声を漏らした。
「ねえ、サカキくん」
「何でしょうか、楓先輩」
「大人買いって、さっきのサカキくんの説明では、大人の人が、大人の経済力で購入するものなのよね?」
「ええ、まあ、そうですが」
「サカキくんは子供よね?」
「ええ。まだ未成年です」
「そのサカキくんが、なぜ大人の経済力で、ものを買っているの?」
「えっ?」
「満子の両親が、マンガになら、いくらでもお金を出してくれる人なのは知っているけど、サカキくんのご両親は、そういった人ではないよね?」
僕は、楓先輩の言葉に動きを止める。あ、ああ! 僕は深く考えていなかった。満子部長との何気ない会話が、僕を窮地に陥れていたとは!
そう。僕のお小遣いは、一ヶ月に二千円だ。中学二年生だから二千円。その謎のルールで決められているのだけど、僕の出費は月二千円を遥かに超える。普通に考えると赤字になるはずなのだけど、なぜか破綻していない。なぜならば、そこにネットの達人たる僕の手腕があるからだ。
僕はネットで様々なハンドルネームを持っている。そのそれぞれでブログを書いたり、ウェブサイトを運営したりしている。暇が無限にある中学生だからなせる業だ。そして、そういったブログやウェブサイトに、広告を貼ってポイントを稼ぎ、商品を購入したり、現金化したりしているのである。
そういった行為を満子部長が把握しているのは、以前、ぽろりとしゃべってしまったからだ。僕は普段から、部費の補てんのために、満子部長にエロSSを書かされている。そのことに疲れて、他の方法でお金を稼ぎませんかと提案したことがあるのだ。
その際に、ネット広告やアフィリエイトのことを話した。そこから芋づる式に、僕のネットでの小遣い稼ぎのことを、聞き出されてしまったのだ。げに恐ろしきは、満子部長の話術なり。
そういった経緯があるために、満子部長は、僕のネットでの経済活動を把握しているのだ。
「ねえ、サカキくん。サカキくんが、なぜ大人買いをできるのか、教えてちょうだい」
楓先輩が、僕に説明を求めてくる。
「なあ、サカキ。最近、何を大人買いしのか教えろよ」
「あー、えー、満子部長は、ちょっと黙っていてください」
僕は、満子部長には、ぞんざいな返事をする。
ううっ、楓先輩にどう答えるべきか。僕は頭を悩ませる。
僕のネット上の活動には、エロマンガソムリエや、エロゲ―探偵団、メガネ愛好家や、三つ編み讃美者など、表に出せないものが多い。それらを、純真で、無垢で、潔癖な楓先輩に明かすことはできない。何とかして、ごまかさないといけない。僕は、梅干し大の脳みそをフル稼働して、危機を脱する方法を考える。
カタカタカタ。
うん? 気付くと、僕の左隣に満子部長が座り、パソコンのキーボードを叩いていた。画面には、ブラウザが表示されており、検索エンジンの画面が見えている。そこに満子部長は、「SKKの物欲ブログ」と入力していた。
「ほんげーっ!」
僕は、慌てて満子部長からキーボードを奪い、バックスペースを連打する。そのブログは危険だ。僕の、エロゲやエロフィギュアの購入記録が、延々と書き込まれている。SKKは、少し考えればサカキの略だと分かる。そんなページを表示された日には、そのエロさに楓先輩は卒倒し、名前を僕と結びつけられて、エッチなサカキくんと認定されてしまう。
「何だよ。見せてくれよ」
満子部長が僕に抱き付いて、嫌がらせのように胸を押し付けてくる。
「ねえ、サカキくんは、なぜ大人買いができるの?」
楓先輩は、興味を持った相手に近付いていく癖がある。そのせいで、僕にぎゅーぎゅーと身を寄せて、質問の答えを聞こうとする。
く、苦しい。満子部長の豊満な胸と、楓先輩の華奢な体に挟まれて、僕は窒息しそうになる。何だ、このご褒美状態は。これで死んだら、変態紳士としての理想形だ。いやいや、それはまずい。僕は朦朧とした意識の中で、何とかしてこのピンチを切り抜けなければと考える。
「ええーい、答えますよ!」
僕は、苦しさと気持ちよさに耐えられなくなって、叫び声を出した。まずは、プロレスの絞め技に移行しようとしている、満子部長を片づけることにする。
「『ちょこっとエッチでグー』という、ネットで販売されている、美少女食玩を大人買いしています!」
「ほう。そういったものがあったのか、初耳だな!」
「ええ。『ちょこエッグ』という略称で、一部のマニアな紳士たちに愛好されています」
拘束がゆるんだ。僕は、満子部長を払いのけて、今度は楓先輩に体を向ける。
「どうして僕が大人買いをできるか。それは、ネットを駆使して、広告でお金を得ているからです」
「広告?」
楓先輩は、きょとんとした顔をする。
「ええ。よく、ウェブページの上とか右とか左とか下とかに、広告が表示されていますよね。あれをクリックすると、僕にお金が入ってくるのです。そうやってネット広告を利用して、僕はお小遣いを稼いでいるのです」
楓先輩は、驚いた顔をする。
「あの広告をクリックすると、サカキくんにお金が入るの? すごいね、サカキくん! サカキくんの広告、ネット中にあるね!」
うん?
楓先輩は、何か勘違いをしているぞ。僕が、自分のサイトのことをぼかして話したせいで、世の中のネット広告のすべてが、僕にお金が入るものだと勘違いしているぞ。
「分かったわ、サカキくん! 私、サカキくんのためにクリックするね!!」
「いや、その、あの、微妙な勘違いが……」
僕は、必死になって、自分のウェブサイトのことを隠しながら、楓先輩の誤解を解こうとする。
駄目だった。そもそも楓先輩は、ネット広告の仕組みなど、一ミリも分かっていない。一人で早合点して、自分の席に戻っていった。
「ああ……」
僕は声を漏らす。
「自業自得だな。私を突き飛ばした罰だよ」
満子部長は、床でなまめかしく体をくねらせながら、お色気ポーズを取って言った。僕は、その姿を無視して、楓先輩を勘違いさせてしまったことに絶望した。
それから三日ほど、楓先輩は、僕が部室に行くと、「昨晩は、がんばってクリックしたよ!」と報告してきた。ううっ、ごめんなさい。楓先輩にもごめんなさいだし、どこかのサイトの管理者さんもごめんなさい。僕は責任を感じた。そして三日間かけて、楓先輩の連続クリックを、どうにかしてやめさせた。