雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第111話「やる夫」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

f:id:kumoi_zangetu:20140310235211p:plain

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、どことなく抜けた雰囲気の者たちが集まっている。そして日々、やらなくてもよいミスを連発している。
 かくいう僕も、そういった墓穴を掘ることを生業としている人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、自滅してばかりの面々の文芸部にも、きちんとした人が一人だけいます。自爆しまくりのボンバーマンの群れに紛れ込んだ、石橋を叩いて渡るお方。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横に軽やかに座る。先輩はにっこりと微笑んで、僕の姿を見上げる。僕は笑顔になりながら、先輩の顔を見下ろす。先輩は相変わらず可愛い。その様子を愛でながら、僕は先輩に声を返した。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、初めて見る言葉があったのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに詳しいわよね?」
「ええ。古老の一人です。ネット村の歴史に通じています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、部室とは違う環境で書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、未知の日本語表現を発見した。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「やる夫って何?」

 大きなネットスラングが来ただお。これは、意外に説明が大変だお。それに、楓先輩がはまりそうだお。そうなったら大変だお。
 僕は、やる夫のしゃべり方で、今回の言葉の難しさを想像する。やる夫は、ネットの掲示板文化ではビッグワードだ。何よりも、その変遷が長期にわたるので、そのすべてを語るのは難しい。上手くポイントを整理して、かいつまんで話す必要がある。それに、楓先輩がはまりそうな、やる夫スレという存在も、その背後には控えている。一筋縄ではいかない。先輩がやる夫スレにはまったら、当分戻ってこられなくなるので注意が必要だ。

「やる夫というのは、インターネットの掲示板文化の中から誕生したアスキーアートのキャラクターです。アスキーアートというのは、文字で描いた複雑な絵です。ここで言うアスキーアートは、複数行利用して描く、巨大な絵のことを指します。
 まずは、やる夫の姿を、モニターで見てみましょう」

 僕は、手持ちのアスキーアートの中から、やる夫を探して表示する。楓先輩は、その絵をまじまじと見た。

       ____
     /⌒  ⌒\
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \
  |     |r┬-|     |
  \      `ー'´     /

「これがやる夫なのね。よく一緒に見る、似たようで違うキャラクターも、いた気がするんだけど」
「それはおそらく、やらない夫です。こちらもお見せしましょう」

 僕は、画面をスクロールして表示する。

   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)
: |     (__人__)
  |     ` ⌒´ノ
:  |         }
:  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \

「そうそう、これよ、これ」

 どうやら楓先輩は、やる夫や、やらない夫がいるような場所を出入りしているらしい。まあ、やる夫が出てくるようなスレは、そんなに殺伐としていないから大丈夫だろう。さてここからが大変だ。僕はやる夫の由来の説明を始める。

「やる夫は、ニュー速でやる夫、あるいはニューソクデ・ヤル夫とも言われます。しかし現在では、やる夫とだけ書くのが一般的です。先ほどのやらない夫は、やる夫の横顔として誕生したのですが、あまり似てなかったので、別のキャラクターに独立しました。
 この二人は性格が違います。やる夫は、表情が豊かで、満面の笑みで微笑むキャラクターです。やらない夫は、冷静沈着な常識人というキャラクターです。

 こうやって、やらない夫を生み出した、やる夫ですが、実は別のキャラクターの顔部として登場しました。しかし、あまり似ていなかったために、別キャラクターとして扱われるようになったのです。歴史は繰り返すという奴ですね。

 さて、やる夫の元のキャラクターですが、内藤ホライゾンという名前になります。この内藤ホライゾンは、何々だお、という口調でしゃべります。このしゃべり方は、やる夫にも継承されています。こちらもアスキーアートを示しておきましょう」

 僕は、楓先輩に内藤ホライゾンを見せる。

         /⌒ヽ
  ⊂二二二( ^ω^)二⊃
        |    /       ブーン
         ( ヽノ
         ノ>ノ
     三  レレ

「これも、見たことがあるような気がするわ」

 どうやら楓先輩は、某巨大掲示板の中をさまよっているようだ。

「この内藤ホライゾンにも、さらに前身があるのですが、延々とさかのぼることになるので、これぐらいにしておきましょう。
 さて、やる夫なのですが、単なるアスキーアートのキャラ以上の存在に、現在ではなっています。それは数多く存在している、やる夫スレのためです」
「やる夫スレって何?」

 楓先輩が食いついてきた。どうやら楓先輩は、やる夫や、やらない夫は見たことはあっても、やる夫スレまでは把握していないようだ。ここからが難しいところだ。やる夫スレの説明をしつつ、先輩がはまってしまわないように、上手く誘導しなければならない。先輩が好きそうな話が多いので、戻ってこられなくなる可能性がある。

「やる夫スレというのは、『やる夫で学ぶ○○』『やる夫は○○をするようです』といったタイトルのお話です。やる夫を中心とした様々なアスキーアートと文章で、紙芝居のようにして、いろいろな物語を書いたり、歴史などの解説をおこなったりするものです。
 このやる夫スレは、一つの大きな文化圏を作っています。これらの書き込みをまとめたサイトがネット上には多数あります。面白くて勉強になる内容が多いので、読み物として多くの人々に読まれています」
「へー、面白そうね」

 うっ、やはり想像通り、楓先輩が食いついてきた。このままでは楓先輩の語尾が、だおになってしまう。それは避けたい。その事態を避けるために、僕は大技を発動させる。

「楓先輩、気を付けてください。やる夫スレには、エッチなものもありますから!」

 楓先輩は、少し緊張した顔になる。純情で恥ずかしがり屋の楓先輩は、エッチな話は苦手だ。だから、やる夫スレの中にエッチな内容があると知れば、避けて通るはずだ。そうすれば、語尾が、だおになる危険から逃れられる。僕は枕を高くして眠れる。

「本当? どういったものがあるの」

 先輩は質問を返してくる。どうやら楓先輩の中で、やる夫スレへの興味が、だいぶ強いようだ。そのせいで、エッチな内容もあると話しているのに、諦めきれない様子だ。困ったぞ。仕方がない。具体的な例を出して、駄目押しをするしかないだろう。

「たとえば、『やる夫がセクロスに挑戦するようです』や『やる夫がSM風俗に興味をもったようです』などがあります」
「うっ」

 楓先輩は、顔を青くして目をつむる。先輩が苦手な分野に突入したようだ。先輩は、仕方がなさそうにため息を吐き、自分の席に戻っていった。どうやら、諦めてくれたらしい。僕は安心して、その日は家路に就いた。

 翌日のことである。僕は部室に行き、いつものように楓先輩にあいさつをした。

「こんにちは楓先輩」
「あ、サカキくん。こんにちは……だお」

 えっ? 僕は耳を疑う。今、楓先輩は、やる夫っぽく話したような気がする。

「先輩」
「何だお?」
「やる夫スレを見ていますね」
「そんなことはないだお」

 楓先輩は、目をキョドらせながら返事をする。やはり見ている。可愛い先輩の語尾が、だおになってしまった。何だろう、このがっかり感は。僕は、床に手を突き、orzのポーズになる。

「大丈夫だお、サカキくん?」
「先輩。語尾のだおは、やめてください。先輩に似合っていませんから」
「分かっただお」

 けっきょく、先輩が元に戻るまで三日かかってしまった。その間僕は、楓先輩の顔がやる夫に見えて、少し辛かった。