雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第107話「bot」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、機械的に動き続ける者たちが集まっている。そして日々、頭の悪いルーチンワークをこなしている。
 かくいう僕も、そういったマシンのような人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、壊れた心を持つ面々の文芸部にも、健全な精神の人が一人だけいます。ディストピアに紛れ込んだ、人の心を持つ少女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、明るい顔で近付いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、小動物のような可愛さで、僕を見上げてくる。その、ちんまりとした姿を見ながら、僕は心地よい気分で、先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、知らない言葉に出会ったのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。友人によく、『知り合いのスーパーハカー』呼ばわりされます」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、少しでも多く書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、これまで見たことのない文学空間に遭遇した。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「botって何?」

 随分用途の広い言葉を尋ねてきたな、と僕は思う。botとひとくくりに言っても、使われる場所によって、そのニュアンスは変わる。そのため、もう少し情報収集しようと思い、僕は先輩に質問する。

「その言葉は、どういった文脈で出てきたのですか?」
「少し前にね、ネットの掲示板に書き込みをして会話をしていたの。そうしたら、他の人が、それはbotだと、何だか馬鹿にするような調子で言ってきたの。私は意味が分からず、そうですか、ご丁寧にありがとうございますと答えておいたの。
 その後、botの意味が分からないままになっていたから、サカキくんに尋ねてみようと思ったの」

 ……。
 僕は口を閉じて、返事を躊躇する。先輩は、ネットの掲示板に生息していたbotに対して、一人で会話を続けていたのだ。そして、そのことを指摘されても意味が分からず、丁寧なお礼の返事をして、おそらく会話を続けたのだ。
 その事実を先輩が知ったら、どう思うだろう。羞恥のために顔を真っ赤に染めて、落ち込むに違いない。これは先輩の心の危機だ。僕は先輩を傷付けることなく、botの説明をしないといけない。これは難易度の高い仕事だ。僕はどうやってこの窮地を脱するべきか、必死に知恵を絞った。

 そうだ。先輩が、自分のしていたことに気が付かなければよいのだ! 幸いなことに、botには複数の意味がある。それらを煙幕のように使い、先輩に大量の情報を一気に与えて、思考停止に陥らせよう。
 僕は、自分が立てた作戦にほくそ笑む。そして、その策を実行するために口を開いた。

「先輩は、ロボットという言葉をご存じでしょうか?」
「うん。知っているよ。機械の装置で、自律的に動いたり、人や生き物の姿を模したりしているものよね」

「そうです。現代の世の中では、様々なロボットが活躍しています。工場で物を作ったり、玩具として生活に入ってきたり。そういったロボットたちは、僕たちとは切っても切れない存在になっています。そしてこの先、無数の高度なロボットが、僕たちの生活に関わってくるでしょう。
 そういった、現実世界のロボット以外にも、実は僕たちの暮らす現代社会には、様々なロボットが存在しているのです」

 楓先輩は、きょとんとした顔をする。ネットに詳しくない先輩は、現実世界の、姿形を持ったロボットしか知らない。それ以外にも無数の形態のロボットがあることは、把握していないはずだ。
 先輩は不思議そうな顔をして、その未知のロボットについて、僕に尋ねる。

「この世界には、私が知らない種類のロボットがあるの?」
「そうです。それらは、インターネットの中にいます」
「インターネットの中で、ロボットがウィーン、ガシャンと動いているの?」

 先輩は、手を動かして、機械の真似をする。

「いえ違います。それらは形を持たず、プログラムとして存在しているのです」

 先輩は、ますます分からないといった顔をする。よし、先輩を煙に巻くチャンスだ。全弾放出せよ! 怒涛の情報を伝えて、楓先輩の思考をショートさせるんだ!

「ネットでは、人間の代わりに、ネット越しの単純作業をおこなうプログラムのことを、慣習的にbotと呼びます。これはロボットを短く言った言葉です。先輩は気付いていないかもしれませんが、インターネットの世界には、無数のbotが存在していて、様々な活動をおこなっているのです」

「そうなの?」
「ええ、そうなんです。
 それでは、いくつかのジャンルに分類して、インターネットの中にいるbotを紹介していきましょう。

 まずは、情報を収集するbotです。この種類には、検索エンジンの情報を集めるクローラーや、スパム業者がメールアドレスを収集するプログラムなどが含まれます。
 次は、情報を発信するbotです。短文で情報を発信するツイッターという場所では、定期的に決められた情報を投稿するbotが無数に存在しています。

 また悪意のあるbotも存在しています。サーバーに何度もアクセスして、高負荷をかけるbot。脆弱性を探して侵入しようとするbot。
 さらには、ボットネットと呼ばれるものもあります。これは、犯罪者の支配下になっている、ウイルスに感染したパソコンのネットワークのことです。

 他には特定の行為のために作られたbotもあります。たとえば、ネットオークションで自動的に値を吊り上げるbotや、ダフ屋がチケットを買うためのbotなどは、この種類だと言えるでしょう。
 さらには、特定のゲームのためのbotも存在します。オンラインゲームで、自動でレベル上げをしたり、お金を稼いだりするbotは、ネットではよく知られています。これらは、リアル・マネー・トレードを目的としていることもありますので厄介な存在です」

 そこまで話して、僕は楓先輩の様子を窺う。情報の海に溺れている。先輩は、高負荷のために目を回しそうになっている。よし、今だ! 先輩にとって核心的な内容、自動で会話をおこなうbotについて説明するぞ!

「そして、もう一つ。会話をするbotも、ネットでは稼働しています。人の書き込みに対して、自動でそれらしい応答をするプログラムです。
 これらは会話botと呼ばれます。その昔には、人工知能をもじって、人工無脳と呼ばれたりもしました。この無脳は、能力がないの無能や、脳みそがないの無脳といった漢字が当てられます。

 ネットでは、そういったプログラムが時折走っています。そして、そういったことを知らない人が、一生懸命プログラム相手に会話したり、説得を試みたりすることがあるのです。
 まあ、そういった会話ができるプログラムではなく、情報を垂れ流すだけのプログラムに話しかける人もいたりするのですが。情報を発信するだけのツイッターbotに、真剣に語りかけている人もたまにいます」

 僕は、先輩にとって最も重要な事実を、一気に告げた。先輩は、これまでの説明で混乱している。だから、右から左に聞き流してくれるはずだ。僕は先輩の反応を、手に汗を握りながら待った。

「えーと、話が多岐にわたっていて理解しづらかったんだけど、話を総合すると、botというのは、ネット上やネットのサービスに対して稼働するプログラムで、人間に代わって様々な単純作業をおこなってくれる存在ということで、よいのかしら?」

 うっ。正確に把握している。これは、僕の言葉の煙幕が利いていない可能性があるぞ。その事実に恐れを抱きながら、僕は、先輩の台詞の続きを聞いた。

「そして、その中には、ネットの掲示板などで、自動で会話するようなものもある。そういうことなの?」
「ええ、そうです」
「ということは、つまり……」

 先輩は、可愛らしい手を口元に当て、眉を寄せる。その顔が徐々にゆるんでいき、ふにゃあという泣きそうな様子になった。

「もしかして私は、プログラムに対して、何度も話しかけていたの?」
「そういうことになります」
「そして、そのことを指摘されたのにも関わらず、何を言われているのか分からず、さらに会話を継続していたの?」
「残念ながら、そうなります」

 先輩は、顔を真っ赤に染めたあと、がっくりと肩を落とした。僕は、先輩が羞恥の海に沈むのを、救うことができなかった。

 翌日先輩は、僕に向かって衝撃の台詞を発した。

「ネット上の人間は信じられないわ。現実の人間も信じられない。もしかしたら、みんなbotかもしれないから」
「えっ?」

 僕は、驚きの声を上げる。先輩のショックは、思いのほか大きかったようだ。そこまでショックに思い、極端な考えにいたるとは思ってもいなかった。

「大丈夫ですよ先輩! 世界はbotばかりではないですからね!」

 僕は先輩を元気付けるために、明るく言った。

「もしかしてサカキくんもbotなんじゃない? 私の質問に、素早く答えすぎるから。それに何だかbotっぽいし」

 ちょ、ちょっと待ってくださいよ~~~~~! botっぽいって、何ですか~~~~~!
 楓先輩は、どうやら僕がbotではないかと疑っているようだった。

 えー、僕は、そんな電子的存在ではありませんよ。それにしても、botっぽいって……、そりゃあないですよ。はあぁ。早く人間になりたい。けっきょく、僕が生身の人間だと先輩に信じてもらうのに、三日ほどかかってしまった。その間先輩は、猜疑の目で僕を見続けた。