雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第35話 挿話13「城ヶ崎満子部長と僕」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中学の文芸部には、人生を脱線した人たちが少なからずいる。そのあまりにもひどい脇道へのそれっぷりは、それだけで学校の伝説になりそうなほどである。
 そんな、人生迷走一直線な人々が集う部活に、僕、榊祐介は所属している。二年生で文芸部では中堅どころ。厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でやっていることといえば、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そういった、ダメ人間たちの園である文芸部にも、きちんとした人が一人だけいます。腐ったリンゴの箱に紛れ込んだ、黄金のリンゴ。それが文芸部の先輩の三年生、僕の意中の人である雪村楓さんだ。楓先輩は、眼鏡で三つ編み。見た感じのままの文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ってきたという純粋培養の美少女さんである。

 この、僕や楓先輩が所属している文芸部に、かつてない恐るべき事態が発生した。それは、文芸部存続の危機である。生徒会長で、演劇部部長の、花見沢桜子さんが、全国大会に行った演劇部の部室を拡張するために、部室の明け渡しを要求してきたのだ。
 その無理難題に、城ヶ崎満子部長が出した答えは、公募で賞を獲って文芸部としての成果を出すというものだった。しかし、この部活で文章を書き慣れている人は、満子部長と楓先輩と僕しかいない。そこで、満子部長は、ペアライティングを提唱して、残りの部員の初稿を僕が書くという奇策に打って出た。……というか、僕に丸投げしたのだ! おかげで、えらく苦労しましたよ、本当に。

「おい、サカキ!」

 満子部長の出した難題のせいで、ふらふらになった僕に向けて、容赦のない言葉が投げ付けられた。僕は仕方がなく顔を向ける。そこには、この部室の魔王。ザ・タブーと先生たちに呼ばれて、恐れられている真正の変態さんが立っていた。
 この部室で、真っ先に避けて通らなければならない御仁。三年生で部長の、城ヶ崎満子さんだ。古い少女マンガに出てきそうな、お嬢様風のゴージャスな容姿。しかし、この外見に騙されてはいけない。その中身は、気高くもないし真面目でもない、低俗で俗悪なものだ。
 満子部長が、そういった性格をしているのには理由がある。満子部長は、父親がエロマンガ家で、母親がレディースコミック作家という、サラブレッドな家に生まれた。そういった家庭環境であるために、満子部長は、両親から受け継いだ深遠にして膨大なるエロ知識を保有している。さらにたちが悪いことに、性格はSだ。満子部長は、この部室で僕を、ちくちくといたぶるのを趣味としている。

「何ですか満子部長。これ以上、僕の仕事を増やさないでくださいよ」

 僕は、露骨に嫌な顔をして、満子部長に向き直る。満子部長は、いつものように胸を張って自信満々だ。この自信は、いったいどこから来るのだろう。まあ、僕と違って、満子部長には確かな実力がある。そこが、同じようなダメ人間でも、僕と満子部長の違いなのだろう。

「今から人に会いに行く。だから、サカキも同席しろ」
「誰に会いに行くんですか? 僕は忙しいんですよ」

 そう答えたけど、実は、もうそれほど忙しくはない。一週ごとに付き合っていた、部員の原稿もあらかた終わった。僕は解放感を味わいながら、部室でゆっくりしようと思っていたところだ。

「誰に会いに行くかは、現地に着くまで秘密だ。というか、この部室で話しても、その価値が分かる人間はいないからな」
「僕なら分かるんですか?」
「微妙だな。それよりも、会ったことのない成人男性の家に、中学三年生の女の子が、一人で訪れることに問題があるといった方がよいだろう。誰か男を連れていくべきだというのが、私の常識的な判断だ」
「あ、なるほど」

 僕は、ようやく合点がいった。満子部長と相対していると、見た目も、中身も、口調も成熟しているから、大人の女性と話しているような気になる。でも、満子部長は、れっきとした女子中学生で、未成年者だ。その女の子が、面識のない成人男性の家に、一人で訪れるのは問題がある。誰か男の子を連れていくべきだというのは、至極まっとうな判断だ。

「そういうことでしたら仕方がないですね。付き合いますよ」
「すまんな、手数をかける」
「それで、近くなんですか、遠くなんですか?」
「電車とバスを乗り継いで一時間半ほどだな。今書いている原稿に必要な、重要なピースになる」
「へー、じゃあ、満子部長の横で、興味深く聞いていますよ。僕は何もしなくていいんですよね?」
「ああ。その場に、私以外の第三者がいることが重要だからな」

 僕は、誰に会いに行くのか分からないまま、満子部長に連れられて、遠出をすることになった。

 電車を乗り継ぎ、バスに乗り、知らない町にやって来た。制服姿の満子部長と僕は、バスを降りて、アパートの前まで歩いてきた。

「ここだな」

 メモを見ながら満子部長は告げる。何の変哲もないアパートだ。建物のサイズと、扉の間隔から考えて、一人暮らしの人間が暮らしている場所だろう。僕は満子部長の背後に従い、階段をのぼる。満子部長は、一つの扉の前で止まった。部屋番号を確かめたあと、インターホンのボタンを押す。返事があった。男性の声だ。扉が開き、四十代後半ぐらいの、小太りの男性が顔を出した。

 どことなく、優しげで人畜無害そうな人だった。温和な独身男性という感じだ。僕は、扉の向こうを見る。きちんと掃除されている。それなのに雑然として見えるのは、廊下の壁際に、無数の雑誌が積み上げられているからだ。
 どういった人なのだろう。そう思いながら、満子部長と部屋の主の様子を窺う。分からなかった。満子部長がわざわざ訪ねる人だから、マンガ家なのだろうかと、ぼんやりと考えた。

 僕たちは促されて靴を脱ぐ。廊下だけでなく、部屋やキッチンも雑誌で埋まっていた。それも、そのことごとくが、成年マンガ誌である。この人は、いったい何者なのだろうと、僕は疑問を持った。
 居間に着いた。真ん中に、二畳ほど開けた場所がある。そこに案内されて、僕たちは座った。相手は謎の中年男性。アパートの部屋には、エロマンガ雑誌がうずたかく積まれている。なるほど、女子中学生が一人で訪れる場所ではない。男子中学生を連れてきたとしても、あまり好ましくない場所だろう。満子部長が自己紹介をして、連れである僕のことも紹介した。そのあと、男性は挨拶をした。

「光峰亨です。雑誌投稿を三十年ほどやっています。しがない投稿者です」

 光峰さんは、少し照れた様子で頭を下げた。その、簡単な自己紹介のあとに、満子部長は、僕のために補足してくれた。

「サカキは、ネット時代の人間だし、まだ中学二年生だから、成年向けマンガ雑誌を購入したことはないだろう。うちは、両親の仕事柄、そういった雑誌が毎月大量に届く。そういった雑誌には、読者投稿欄と呼ばれるページがあるのだよ。
 光峰さんは、そういった読者投稿欄の名物投稿者だ。三十年近く、ほぼすべての雑誌にハガキを送り続けている。業界では、座敷童や生き神様などと呼ばれたりもしている。ただの読者で、プロでも何でもないが、この業界では知らぬ人はいないという方だ。
 私の今書いている原稿の、最終章を飾るのに相応しい方だからな。編集部にお願いして、コンタクトを取ってもらい、今回の取材を実現させてもらった。私としては感無量だよ」

 満子部長は、興奮気味に語った。僕は感動を共有できなかったが、その活動がすごいことは飲み込めた。三十年近く、ほぼすべての雑誌にハガキを送り続けるなど、常識的に考えれば正気の沙汰とは思えない。何が、その活動を支えているのか分からなかった。しかし、その継続力が、業界に知れ渡っており、そのことを知っている満子部長に、少なからぬ感動をもたらしていることは理解できた。

 光峰さんに許可を取ったあと、満子部長は会話の録音を始めた。そして、様々な質問をぶつけていった。モチベーションの維持の仕方や、スケジュールの管理、投稿ハガキの作成手順や、業界への思いなど、微に入り細を穿つようにして、質問を重ねていく。インタビューは二時間ほど続き、僕たちはお礼を言い、光峰さんの家を辞した。
 外はすでに暗くなっていた。夜の帳の下りた見知らぬ町を、僕と満子部長はバス停を目指して歩いていく。何だか、おとぎ話の主人公に出会ったような気分になっていた。上手く言えないのだけど、人間には、様々な可能性があり、どの世界でも突き詰めていけば、一つの境地に達することができるような気がした。

「どうだったか?」

 満子部長が、頭の後ろで手を組みながら尋ねてきた。

「何だか、不思議な人でしたね」

 僕は、正直な気持ちを口にする。

「世の中には様々な人がいる。そういった中でも、何かを続けている人間には価値がある」
「継続は力なりですか?」

 満子部長は、口元に笑みを浮かべる。

「違うよ。得られるものは力じゃない。継続は人なりだ」
「人ですか?」
「ああ。人間は、他人の内面を見ることはできない。だから、他人の本当の姿は分からない。やったこと、やり続けたことだけが、輪郭を作り、人という形を作る。
 それは決して力ではない。それは強さではなく、弱さかもしれない。それに、人生を正しい方向に導くかもしれないし、間違った方向に導くかもしれない。正の面もあれば、負の面もある。ただ一つだけ言えることは、物事に真剣に打ち込めば、そこに他人は『人』を見る。そこに、一人の人間を発見する。あの人は、そうやって世界に発見された人なんだよ」

 満子部長は、笑みを浮かべる。満子部長は、たまにこういった抽象的な話をする。僕には、その言葉の意味は分からなかった。中学二年生の僕には、満子部長の人生訓をくみ取れるほどの、経験はなかった。

「そういうものですか?」
「そういうものだ」

 僕は、満子部長と並んでバス停に立ち、二人で僕たちの町に戻った。

 後日、僕は満子部長が何を執筆していたのか知った。成年誌の投稿欄にイラストを送っていた投稿者が、のちに成長してマンガ家になる。そういった経緯をたどった人たちの、列伝をまとめた原稿だった。アマチュア時代のイラストや、投稿を始めた年、デビューの年、そういった調査情報とともに、その後の活躍や、作品の寸評が添えられたものだった。
 そういった人の中には、のちにメジャー雑誌で連載を持った人もいた。資料としても貴重だし、マンガ読みとしては、とても興味がある内容だった。禁書図書館と呼ばれている、両親のライブラリがあるからこそ書ける原稿だった。そして、その最後に、永遠のアマチュアとして、三十年以上、投稿を続けている光峰さんのインタビューが掲載されていた。

 満子部長の原稿は、他の部員の作品とは違い、文芸賞向けのものではなかった。廃人出版会という出版社から、単行本として出版された。満子部長は、僕たちとは違い、アマチュアではなくプロの作家として、本の企画を作り、必要な調査をして、原稿を書いていたのだ。

「サカキ、お前にも一冊やろう。献本が十冊ほど、届いていたからな」

 満子部長は、僕にその本を渡し、自信に溢れた笑みを見せた。僕たち文芸部の部長は、ただの変態さんではなかった。すでに一人の作家として、活動している人だった。

「ありがとうございます」

 僕は、本を受け取り、その重さを感じた。

「サカキ。私は、お前を期待している。私はお前を、次期部長にしたいと思っている」

 満子部長は、僕の背中を勢いよく叩き、楽しそうに笑みを浮かべた。果たして僕は、その器なのだろうか。僕には、その答えが分からなかった。