雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第260話 挿話65「卒業式と保科睦月」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、優しさに包まれた者たちが集まっている。そして日々、お互いを思いやり暮らし続けている。
 かくいう僕も、そういった、自分を甘やかしすぎる系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、ゆるゆるな面々の文芸部にも、固い人が一人だけいます。タコ男の群れに紛れ込んだ、タラバガニ少女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

 そんな楓先輩と僕の文芸部は、そろそろ最終ページが近付いている。三年生たちが学校を旅立つ、卒業式が間近に迫っていた。

 卒業式の前日の部活が終わった。三年生たちの机の上は、きれいに片づいている。この一週間、本やおもちゃなど、私物を少しずつ持ち帰っていたからだ。僕は、楓先輩の机を見る。今まで、整然と置かれていた本の城が、消えてなくなっている。そこには、楓先輩がいたという痕跡は、もうなくなっていた。

「それじゃあ、帰るぞ。みんな、部室を出ろ。鍵を閉めるからな」

 満子部長が部員を追い出し、明かりを消す。部室は暗くなった。満子部長は、扉を閉め、鍵をかけ、その鍵をもてあそびながら職員室へと向かっていった。
 残りの部員は、玄関へと歩きだす。靴を履き、校門へと移動している途中で、満子部長が追い付いた。僕たち文芸部員は、いつものように談笑しながら学校を出た。

 分かれ道に来るたびに、一人一人、自分の家を目指して別れていく。そうしていくうちに、僕と一緒に歩くのは、同学年で幼馴染みの保科睦月だけになった。

 睦月は、子供の頃から、野山で一緒に遊んだ友人だ。しかし、中学生になった頃を境に、僕との会話がほとんどなくなってしまった。その代わりに、部室で競泳水着やスクール水着姿で過ごし始めた。
 睦月はいつも部室で、僕の真正面の席に座って、じっと僕を見ている。僕は、どうすればよいのか分からず、途方にくれている。まあ、水着姿の美少女を毎日拝めるのは、素直に嬉しいんだけどね。

 その睦月と並びながら、僕は家へと向かっていく。

「いよいよ明日か」

 僕は声を出し、大きくため息を吐く。隣の睦月は、制服姿で、僕に寄り添うように歩いている。

「ユウスケが最上級生になって、文芸部の部長になる日が来るのね」
「先輩たちがいなくなり、僕の肩に重い責任がのしかかる日が来るんだ」

 僕は憂鬱な顔で、睦月と並んで歩く。
 道の脇にある街灯が、明かりを灯し始めた。茜色に染まった空が、ゆるやかに闇へと飲み込まれていく。今日という日が終わろうとしている。明日は、すべてが変わる日だと思い、悲しい気持ちに包まれる。

「四月になると、新入部員が入ってくるね」

 睦月が声をかけてきた。

「うん、そうだね。上級生は、学校を去り、下級生が、学校にやって来る」

「新しい部員に、たくさん入って欲しいね」
「そうだね。最低でも二人は確保しなければ、僕たちが卒業した時点で、廃部になる可能性が出てくるからね」

 僕は、ため息交じりの声を返す。僕と睦月の声は対照的だ。明るい未来を見る睦月と、暗い行く末を見る僕。そんな二人のやり取りが、何度か続いた。

「そういえば睦月は、新入生が入ってきても水着姿で部室にいるの?」

 ふと気になったので、僕は尋ねる。
 睦月は、文芸部の部室で、いつも水着姿になっている。僕の目の届くところで、その美しい肢体をさらしている。

 一年前は、新入生として入ってきた子が、瑠璃子ちゃんだけだったから、問題にならなかった。瑠璃子ちゃんは女の子だ。それに、物事に動じない性格だ。だから、何事もなかったかのようになじんでいた。
 しかし、次に入ってくる一年生は、そうもいかないだろう。女の子が入ってきたら、その破廉恥さに卒倒するかもしれない。男の子が入部してきたら、そのまぶしさに目が潰れてしまうかもしれない。
 僕は、そういった危険を考えて、新年度における睦月の部室での服装について聞いてみたのだ。

「ユウスケは、どうして欲しいの?」

 睦月は、探るような表情で尋ねてきた。うっ、僕に話を振られるとは思っていなかった。僕は、どう答えるべきか考えたあと、渋々といった体で答えた。

「水着ではなく、服を着た方がいいんじゃないかな。僕は残念だけど」
「ユウスケが、私のことをきちんと見てくれるなら、水着をやめて服を着る。ユウスケの部屋でも水着にならない」

 睦月は、僕の顔をじっと見て言う。
 えっ? 僕の部屋でも、睦月の水着姿を見られなくなるの? それは嫌だ。避けたい事態だ。

 僕は歩きながら、うんうんと悩む。睦月は、考えを変えそうな顔をしていない。部室で水着をやめれば、僕の部屋でも水着をやめる。まさか、そんなことを言い出すとは、思ってもいなかった。
 僕は、睦月の水着姿を見たい。それこそ間近で見続けたい。部屋でもこっそりと鑑賞していたい。しかし、それは許されないようだ。睦月に水着姿をやめさせるということは、部室でも、僕の部屋でも、普通の姿になることを意味しているようだ。

 中学三年生、高校一年生と、僕たちは年を取る。今のまま、睦月に水着姿を続けさせるわけにはいかないだろう。
 そう。人はいつまでも、居心地のよい世界で生き続けられないのだ。僕はそのことを、睦月の水着という形で、突き付けられたのだ。

 僕は、睦月の表情を窺う。今日の睦月は、いつもより、少し大人びて見えた。睦月は、この一年で成長した。おっぱいとか、おっぱいとか、おっぱいとか。
 いや、お尻や腰も成長した。顔も少女から大人へと、ゆっくりではあるが変化している。

 子供である僕たちは、永遠の夢を見られるわけではない。人間、誰もが大人になる過程でそのことに気付き、一歩踏み出す。その象徴が、今の僕にとっては、睦月の水着姿なのだ。
 睦月は僕に、夢から覚めることを要求している。楓先輩と永遠に続く、中学二年生の文芸部から、抜け出せと無言で伝えている。現実を見ろ、自分を見ろと、訴えかけている。

「ねえ、睦月。僕の部屋では、水着姿でもいいんじゃないかな?」
「ううん。どちらかを選んで」

 睦月は妥協しない。
 僕と睦月は、まばゆい街灯の下を並んで歩く。空は、夕空から夜空に変わっている。僕は足を止める。睦月も立ち止まった。僕と睦月は、地面に並んで影を作る。足下に、くっきりとした影を落として、互いの顔を見る。

「分かったよ。睦月のことをきちんと見る。部室での水着は、今日で最後にしよう」

 これから先のことを考えて、僕は決断した。

「ありがとう。私はユウスケに、楓先輩ではなく、私のことを見て欲しいの」

 睦月は、僕の目を見て言う。
 今日の睦月は、いつもと違い、ぐいぐいと攻めてくる。僕は楓先輩の姿を思い浮かべて、答えられずに立ち尽くした。

 僕と睦月は、街灯の明かりの下で静止し続ける。しばらく経ったところで、睦月が表情をゆるめた。

「ごめんね。ユウスケを困らせるようなことを言って」

 睦月は、いつものように、僕に優しい顔を見せて、手を伸ばしてきた。

「帰ろう、ユウスケ」

 睦月は僕の手を取り、歩きだす。僕は、きちんと答えられなかったことに、後ろめたさを覚えながら、睦月と手を繋いで歩く。

「私、ユウスケのことを、一年かけて振り向かせてみせるから」

 その声には迷いも暗さもなかった。自分に自信を持ち、未来を確信している声だった。

 僕は、睦月の顔を見る。睦月は僕に、笑顔を向ける。明日で、今までの文芸部は終わる。そして、明後日からは、新しい文芸部が始まる。
 睦月は、僕の手をしっかりと握る。僕は睦月と並び、家へと続く道を、二人でたどっていった。