雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第259話 挿話64「卒業式と氷室瑠璃子ちゃん」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、厳しさをにじませた者たちが集まっている。そして日々、お互いを監視して、監視社会を作り上げている。
 かくいう僕も、そういった、ネット上の失言を見逃さない系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、杓子定規な面々の文芸部にも、ゆるふわな感じの人が一人だけいます。三角定規の群れに紛れ込んだ、雲形定規。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

 そんな楓先輩と僕の文芸部は、そろそろ最終ページが近付いている。三年生たちが学校を旅立つ、卒業式が間近に迫っていた。

 卒業式の前日、文芸部の部室は、どことなく落ち着かない雰囲気だった。明日で先輩たちは、みんないなくなる。そのあとは、二年生と一年生だけの部室になる。
 卒業式から、僕たちの進級、そして新入生が入ってくるまでには、時間がある。その間この部室は、大切な何かが欠けたままの状態になるのかもしれない。

 僕は、楓先輩をちらりと見る。マイペースな楓先輩は、いつもと同じように、本を読んでいる。最後の日であるということを忘れて、本の世界に潜り込んでいるのだろう。僕は、そんな楓先輩の真剣な様子を、少し離れたところから見ていた。

「あの、サカキ先輩。話があるのですが」
「うん、何かな?」

 振り向くと、そこには瑠璃子ちゃんがいた。僕の苦手な相手、一年生の氷室瑠璃子ちゃんが立っていた。

 瑠璃子ちゃんは、氷室という名の通り、僕に対して氷のように冷たい女の子だ。だが、瑠璃子ちゃんの特徴は、それだけではない。どう見ても、小学校低学年にしか見えない外見。そして人形のように整った顔。その姿と、目付きと、きつい性格のせいで、「幼女強い」という謎の陰口を叩かれている女の子だ。

 その瑠璃子ちゃんは、なぜか僕に厳しい。「サカキ先輩は、本当はできる人なんだから、勉強してください」とか、「なぜ、真面目に学校の授業を受けないのですか」とか、「私は、遊んでばかりの先輩が心配でたまりません」とか、世話焼き女房のように、いつも小言を言ってくる。
 僕のガラスのハートは、そのたびに粉々に砕けそうになる。瑠璃子ちゃんの言葉の暴力に、僕はいつも打ちのめされているのだ。

 その瑠璃子ちゃんが、僕に対して、「話があるのですが」と言ってきたのだ。
 瑠璃子ちゃんは、ちらりと廊下の方を見る。ここではなく、外で話したいのだろう。他の部員に聞かれたくないことを、僕に告げるつもりなのだ。

「どこかに行く?」
「はい」

「廊下でいい?」
「少し離れた場所がいいです」

 僕は瑠璃子ちゃんの希望を聞き、部室を出て、そこから遠い階段の下まで移動した。
 僕は、階段の手すりに寄りかかり、瑠璃子ちゃんは四段上がった場所に立つ。いつもは見下ろす瑠璃子ちゃんが、僕より高い目線の位置にいる。上から目線というものをリアルに体験しながら、僕はどんな小言を言われるのだろうかと、戦々恐々とした。

「サカキ先輩。三年生になったら、部長になったら、しっかりと勉強もして、勉強と部活を両立させてくださいね」
「いやあ、はは……」

 厳しい要求だなあ。僕は、そう思いながら、頭をかき、目を逸らす。
 僕の両頬に小さな手が添えられた。瑠璃子ちゃんは、僕の顔を両手で押さえて、自分の方に向かせる。どうやら瑠璃子ちゃんは、僕が曖昧に対応することを見越して、高い位置に立ったようだ。

「勉強、しっかりしてくれますか?」
「はは……」

「私が入学した時のこと、そして、最初の試験の時のこと、覚えていますか?」

 瑠璃子ちゃんは真剣な顔で、僕の目を見た。小さなお人形さんのような顔でにらまれた僕は、記憶をたぐり寄せようとする。どんなことがあったかな? 僕は、過去へと意識をさかのぼらせる。

 僕が、中学二年生に上がってすぐの頃だった。一年生の間の僕は、肉体の暴力である鷹子さんと、精神の暴力である満子部長の圧政に虐げられていた。
 しかし、時代は変わった。二年生として自らの配下を持つ時が来たのだ。そう。小学生時代、なぜか僕を慕っていた瑠璃子ちゃんが、文芸部への参戦を表明してきたのだ。そして、部室の一角に机をもらい、自分の城を築いたのだ。
 僕は、初めての手勢を得て、上級生への反逆の狼煙を上げることを考え、一人ほくそ笑でいた。

「サカキ先輩。よろしくお願いします!」

 瑠璃子ちゃんは、小学生の時に見たままの容姿で、僕に明るい声をかけた。それは、忠誠度マックスを疑わない、屈託のない笑みだった。文芸部の中に、新たな同盟国を得た僕は、「これまでの一年生とは違うのですよ、一年生とは!」と、心の中で叫びながら、三年生へのリベンジを期待してた。

 そういった、僕の目論見が、ドイツのソ連侵攻のように、あえなく崩れ去ったのは、一学期におこなわれた最初の試験のあとだった。

「サカキ先輩。テストの点数はどうでしたか?」
「えっ?」

 そういえば、小学校の頃には、テストの点数なんて話題にしたことはなかった。しかし、中学生ともなれば、そういったことが気になるのだろう。
 僕は、自らの答案用紙を見る。そこには、無数のバツ印がある。それは、満開の桜の下で見る桜吹雪のように、僕の答案用紙の上を軽やかに舞っていた。

「あまり見せるべきものではないと思うね」
「なぜですか?」

「人には、秘めておいた方がよい事実というものがあるからね」

 僕は、大人が子供を諭す口調で、瑠璃子ちゃんに告げた。これで納得してくれるかな? しかし、瑠璃子ちゃんは納得してくれなかった。僕の隙を狙い、答案用紙を盗み見ようとした。
 これはまずい。瑠璃子ちゃんは、独ソ不可侵条約を破る気満々のドイツのようだ。僕は、テストの結果という機密情報を死守しようとして、おろおろとした。

 敵は、思わぬところからやって来た。僕の本来の敵である満子部長が、僕の背後から忍び寄り、羽交い締めにしてきた。

「いけ、氷室! サカキから、答案用紙を奪え」
「はい!」

 僕の味方だと思っていた瑠璃子ちゃんは、敵の甘言に乗り、僕の手から紙の束を奪い取った。

「うわ、やめろ、くぁwせdrftgyふじこl!」

 パンドラの箱は開かれた。そこから無数の絶望が飛び出し、最後には希望が残らなかった。敗残の将となった僕は、申し訳なさそうに腰を曲げ、テストの点数という兵站不足を、追従の笑みでごまかそうとした。

「サカキ先輩。この点数は何ですか?」

 瑠璃子ちゃんは、手を震わせながら言う。

「うん。人は時に過ちを犯す。僕にとってその時は、テストの時間だったようだね」

 僕は、真面目な顔をして答える。そんな僕を無視して、瑠璃子ちゃんは、満子部長に、僕の一年生の時の成績を聞いた。

「そうだな。レーダーに引っ掛かることを恐れるかのような低空飛行だったな。そのあまりにも低い高度のせいで、墜落して、先生に呼び出されて、補習を何度も受けていた。つまり、サカキの成績は、下から数えた方が圧倒的に早いということだ」

 満子部長の評を聞いて、瑠璃子ちゃんの目付きが変わった。瑠璃子ちゃんは、僕を蔑むような目で見たあと、高飛車になった。

「どういうことですか、サカキ先輩。きちんと勉強をしていないのですか!」

 その声はとても鋭く、電撃戦にも似た様相で、僕の心を蹂躙した。

「うん。人生の時間には、限りがあるからね」
「その大切な時間を、なぜ勉強に使わないのですか?」

「そうだね。人は、それぞれ興味の対象が違うからね」
「その興味を突き詰める教養として、中高生程度の勉強内容は、最低限の素養だと思うのですが」

「そういえば、瑠璃子ちゃんのテストの点数は、どうだったの?」

 僕は、必死に話を逸らそうとして尋ねる。瑠璃子ちゃんは、答案用紙の束を僕に渡した。そこには、無数の丸印が踊っている。そして、点数の欄には、百という数字が書き込まれていた。
 僕は、瑠璃子ちゃんに何の反論もできないことを知る。僕と瑠璃子ちゃんの立場は逆転した。僕は、人生に長けた先達ではなく、瑠璃子ちゃんより劣る、落ちこぼれになった。

「サカキ先輩。きちんと勉強をしてください。サカキ先輩は、やればできる人なんですから」

 その日から、瑠璃子ちゃんは、僕に厳しく小言を言うようになった。

 僕は今に意識を戻す。場所は、廊下の先にある階段の下である。僕は手すりに背を預け、瑠璃子ちゃんは四段のぼったところで、僕の顔を見ている。

「サカキ先輩。三年生になったら、部長になったら、しっかりと勉強もして、勉強と部活を両立させてくださいね」

 瑠璃子ちゃんは、鋭い目で僕をにらんだあと、心配そうな顔をする。その表情を見て、僕は、周りの人に心配をかけているのだと気付いた。

「ねえ、瑠璃子ちゃん。僕は頼りないかなあ?」
「はい」

 即答だ。どうやら、光の速さで答えるほど、頼りないようだ。

「部長か~」

 明日から僕は、部活を率いる存在になる。それは周囲の人に、頼られる存在になるということだ。部員に心配をされるような部長は、あまりよいものではないだろう。

「勉強か~」

 僕は、声を出したあと、ため息を吐く。そうだね。しないといけないね。高校受験もあるし、あの鷹子さんだって勉強をして、楓先輩や満子部長と同じ高校に受かったんだし。

「部長は大変だね」

 僕は、感想を漏らす。そして手を持ち上げて、少し高い位置にいる瑠璃子ちゃんの頭を、ぽんぽんとしてあげた。

「勉強、教えてくれるかな?」
「はい」

「三年生の勉強は分かる?」
「サカキ先輩は、一年生の頃に戻り、駆け足で追い付かないといけません」

 そ、そうですよね~。僕は、涙目になった。

「大丈夫です。サカキ先輩は、やればできる人ですから。それに、サカキ先輩に勉強を教えられるように、きちんと三年生の範囲まで予習していますから」

 瑠璃子ちゃんは、僕の目を真っ直ぐ見て言う。どうやら瑠璃子ちゃんは、僕のことを心の底から心配してくれていたようだ。

「うん。がんばるよ」

 僕は、瑠璃子ちゃんに告げる。そして、そろそろ部室に戻ろうと、瑠璃子ちゃんに声をかけた。