第257話 挿話62「卒業式と鈴村真くん」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、二つの心が同居している者たちが集まっている。そして日々、心を揺れ動かし続けている。
かくいう僕も、そういった、心変わりをしやすい系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、ふらふらした心の面々の文芸部にも、一本芯の通っている人が一人だけいます。ぶらんこだらけの公園の中央に立つ、太陽の塔。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
そんな楓先輩と僕の文芸部は、そろそろ最終ページが近付いている。三年生たちが学校を旅立つ、卒業式が間近に迫っていた。
授業が終わるチャイムが鳴った。いつものように、授業を聞いていなかった僕は、ぼんやりとした気持ちで、窓の外を眺めていた。
視線の先には、中庭が見える。明るい日差しが降り注ぐその場所には、桜が花を舞い散らせている。その様子は、時の移ろいを僕に伝えている。
「サカキくん。どうしたの?」
声がかけられて、僕は顔を向けた。鈴村くんが、立っていた。手には、購買で買ってきたサンドイッチと牛乳がある。授業が終わってから、鈴村くんがそれらを購入するまでの時間、僕は窓の外を眺めていたようだ。
鈴村くんは、華奢な体に、女の子のような顔立ちの男の子だ。そんな鈴村くんには、他人に隠している秘密がある。
実は鈴村くんは、女装が大好きな、男の娘なのだ。鈴村くんは家に帰ると、女物の洋服を着て、等身大の姿見の前で、様々な可愛いポーズを練習している。そして、女の子の格好をする時には、「真琴」という女の子ネームに変わるのだ。
僕は、その真琴の姿を、これまでに何回か見たことがある。そして、数々のエッチなシチュエーションに巻き込まれたのだ。
そんな鈴村くんの姿を一瞥したあと、僕は再び窓に視線を戻した。
「外を見ていたんだ」
「桜が咲いているね」
鈴村くんは、その美しさにうっとりとするように声を出す。
僕は、桜が散っていると思った。鈴村くんは、桜が咲いていると感じた。同じ景色を前にしても、受け取り方は人によって違う。僕は、桜を観察しながら、文芸部から去って行く、楓先輩たちのことを考えていた。
「お弁当、食べないの?」
「ああ、うん。食べないとね」
僕は、鞄から弁当を出して、蓋を開ける。今日は、まともな中身が入っていた。ご飯に、ブロッコリーに、唐揚げに、ブロッコリーに、ブロッコリーに、ブロッコリー。
ブロッコリーがゲシュタルト崩壊しそうだけど、まあ、人知の範疇の弁当だ。その凝縮した森を彷彿とさせる弁当を、僕は鈴村くんと一緒に食べ始める。
「明日だね」
「うん」
「寂しくなるね」
「うん」
「サカキくん。大丈夫?」
「うん」
僕は気のない返事をし続ける。そう、明日なのだ。卒業式は、一晩寝たあとにやって来る。そして、お別れだ。僕と楓先輩の文芸部は、明日終わる。僕はそのことが悲しくて、憂鬱な気持ちになっているのだ。
「いよいよだね」
「そうだね、卒業式」
「それもだけど、明日、サカキくんは部長になるね」
「えっ?」
鈴村くんは、可愛い顔で微笑んだ。
そういえば、そうだった。明日、三年生が卒業したら、僕は文芸部の部長になる。クリスマスの時に、そういった約束をした。僕は、そのことを今まで失念していたことに気付く。そう、明日からは、僕が文芸部の部長なのだ。
「ねえ、サカキくんは、どういった文芸部にしていきたいの?」
考えていなかった。今の今まで、先輩たちが卒業することに心を奪われていた。僕は、しばらく悩んだあと、鈴村くんに声をかける。
「ねえ、鈴村くんにとって、文芸部はどういった場所だったの?」
僕にとっての文芸部は、楓先輩と一緒にいられる場所だった。しかし人は、同じ場所にいても違うものを見ている。桜を前にして、散っていると感じるか、咲いていると感じるか。その違いは、尋ねてみなければ分からない。
「僕にとっての文芸部?」
鈴村くんの声に、僕はあごを引く。鈴村くんは、口元に指先を当てて、少しばかり考えた。
「サカキくんが、いる場所かな」
「なぜ、僕なの?」
理由が分からず、僕は尋ねる。
「以前話したよね。僕が、文芸部に入った理由」
確か、文化祭の準備の時だ。最初鈴村くんは、手芸部に入ろうと思っていた。でも、花園中には、手芸部がなかった。そして満子部長に勧誘されて、文芸部に入ったと言っていた。
僕は、鈴村くんが語った、満子部長の台詞を思い出す。
「私たち文芸部は、魂の欲求に従い、自分の道を歩もうとする人間を求めている。
少年よ。君は、理性では間違っていると思う欲望を、持っているか? 他人の目を気にせず、やりたいことがあるか? もし、そうならば、それが人生の進むべき方向だ。それが魂の叫びだ」
鈴村くんは頷く。そして、その続きを語った。
「私たち文芸部は、自分で何かを作ろうとする人間を探している。それは文章かもしれない。詩かもしれない。人生そのものかもしれない。新しい世界かもしれない。
誰も見たことのないものは、作るしかない。それは理不尽な挑戦だ。私たち文芸部は、そんな困難な人生に、挑もうとしている人間を歓迎する。
少年よ。人生に悩んでいるようだな。それならば文芸部に入りたまえ。私が用意したこの部活は、魂を解放することができる場所だ。そして、君の居場所になるだろう」
鈴村くんは一呼吸置き、再び口を開いた。
「それでね、文芸部に入ったら、サカキくんがいたんだ。満子部長とサカキくんは、エロマンガに対する熱い思いを、互いにぶつけあっていたんだ」
うっ、そんなことも、あったかもしれない。僕は、自分の若気のいたりに、恥ずかしくなる。
「そういった二人の様子を見て、僕は思ったんだ。自分の性癖を、倒錯を、秘密をね、信念とともに熱く語れる人たちがいるんだと。
僕は、そういったものを必死に隠して生きていた。でも、文芸部に入って、初めて知ったんだ。他人から偏見を持たれるような内面を、言葉にして堂々と告げられる人たちがいるんだと」
「あっ……」
僕は、鈴村くんの思いに気付く。鈴村くんが、文芸部で何を発見したのか、ようやく理解した。多数派の人々とは違う少数派の自分を、隠し続ける以外の人生もあるのだと知ったのだ。
「でも、なぜ僕なの? それこそ満子部長も、僕と同じことを話していたわけだよね。それに、文芸部は満子部長のものだし。僕がいる部活ではなく、そこは、満子部長がいる部活だと答えるべきだよね?」
僕の問いに、鈴村くんは少し恥ずかしそうに告げる。
「同性だったから。サカキくんは男性で、満子部長は女性だったから。
僕は男性だから、女の人に自分のすべてをさらけ出すことはできなかった。でも、サカキくんならば、同性だから気安かった。僕は、サカキくんに出会うことで、初めて自分のことを他人に語れたんだ」
鈴村くんは、優しい笑顔を見せながら告白する。
「そうだったのか」
「うん。理由は、そんな単純なことだけどね。そして、この二年、僕は文芸部で、様々なことを学んだんだ。
人を救うのは神や宗教だけでない。変態が人を救うことだってある。人の心を癒やしたり、導いたりするのは、聖書や啓蒙書だけでない。エッチな小説や、エロマンガが、人に光をもたらしたり、希望を与えたりすることだってある。社会的に眉をひそめられるような人が、心に安らぎをもたらしてくれることもある。
満子部長とサカキくんは、そういったことを、僕に教えてくれたんだ」
鈴村くんは、微笑をたたえて言った。
ああ……。僕は、知らなかった事実を発見する。人は、知らず知らずのうちに、他人を救うことがあるんだ。そして、清く正しいおこないだけが、人に幸福をもたらすのではないんだ。
社会の中で、下品だ猥褻だと忌避されていることが、人を不幸から抜け出させることもある。
「文芸部の人たちは、みんないい人たちだね。サカキくんと満子部長と、和気あいあいと、部活を楽しんでいる。いつか僕も、文芸部の人たちに、本当の姿を見せられる日が来ると思うよ」
鈴村くんは、静かに言った。僕は頷き、鈴村くんの顔を見た。
「ねえ、サカキくんは、文芸部の部長になって、どんな部活にしたいの?」
鈴村くんは、再び最初の質問を僕にしてきた。
「そうだね」
僕は、窓の外に視線を向ける。桜が咲いている。それは、先ほどまでとは違い、散りゆく存在ではなく、咲き誇る存在として、僕の目に映った。
「清濁を問わず、様々な作品に出会える場所にしたい。そして、そこから受け取った思いを、自分で綴り、形にしていける場所にしたい」
視線を戻すと鈴村くんは、にこにこと微笑んでいた。そして、「サカキくんなら、できるよ」と、嬉しそうに言った。