雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第254話「ふとましい」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、大食らいな人たちが集まっている。そして日々、カロリー補充にいそしみながら暮らし続けている。
 かくいう僕も、そういった、食べながら何かをする系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、食いしん坊な面々の文芸部にも、小食な人が一人だけいます。フードファイターたちの戦いの場に紛れ込んだ、断食中のお嬢さん。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。楓先輩は肥満とは無縁の容姿をしている。自制心が強く、何事にも控えめな楓先輩は、僕とは違い、ストレス発散のために食べまくるということはない。そんな、ほっそりとした楓先輩の姿に、めろめろになりながら、僕は声を返す。

「どうしたのですか、先輩。見たことのない言葉が、ネットにありましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。太陽王ルイ十三世が、ベルサイユ宮殿で大量の食べ物を平らげていたように、僕は、ネットでお菓子の情報を集めて、自分の部屋で大量に消費しています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、やつれるほどに書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、やけ食いしている人たちを目撃した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「ふとましいって何?」

 楓先輩は、僕にぴたりと寄り添い、その言葉を聞いてきた。僕は、先輩のぬくもりを感じながら考える。
 太っているを、まろやかに表現した言葉が、ふとましいだ。その危険度は、どうだろうか? 楓先輩自体は、何の問題もない。楓先輩は痩せている。そして、太る様子もない。そんな楓先輩にふとましいは、無縁な言葉だと言えるだろう。

 しかし、僕は大いに問題だ。僕自身、容姿には絶大な自信を持っているのだが、世間の評価がどうなのかは、また別だ。
 人間はそれぞれ、見たいものしか見ない。人によっては僕の中に、豊満さを認識する可能性もある。そう。僕がふとましいと言われる可能性は、ゼロではないのだ。
 僕が太いということになれば、楓先輩は僕に愛想をつかして、ただしイケメンに限ると、言い出すかもしれない。そして、顔面偏差値の高い人や、肉体美の素晴らしい人に邁進することだって考えられる。

 それはまずい。大いにまずい。どうすればよいのか? 僕は必死に知恵を絞る。そうだ! ふとましかどうかは、時代によって違うと説明しよう。そうすれば、僕の体型は、時代のトレンドとの比較にすぎないと理解してもらえるだろう。
 僕は、自信に溢れた顔で、話を始める。

「楓先輩。ふとましいは、太っている、ふくよかであるといった状態を、婉曲的に表す、ネットスラングです。漢字で書くならば、太いという字を当てて、太ましいとなります。

 とはいえ、この言葉は、漢字で書かれることはあまりありません。なぜならば、コンピューターで文字入力をするIMEというソフトウェアでは、ふとましいと入力しても、太いという字を当てて変換してはくれないからです。
 こういった、IMEの変換により、表現に制限ができたり、誤変換で新しい言葉が生まれたりするのは、コンピューターを基盤としてコミュニケーションをする時代ならではの、現象だと言えるでしょう。

 このふとましいという言葉が誕生したのは、二〇〇一年だと言われています。その時期のネット掲示板のスレッドに『やったー太ましいモナーできたよー』という書き込みがありました。この、書き込みが元ネタとなり、ネットに広まったとされています。

 おそらくこの言葉は、微笑ましいといった言葉と同じようなニュアンスで使われ始めたのだと想像しています。この微笑ましいは、マ行五段活用の動詞『微笑む』の活用である『微笑ま』に、『しい』という接尾語が付いたものです。
 しいは、名詞や動詞の末尾に付き、形容詞を作る接尾語です。おとなしい、喜ばしい、にくにくしいといった形になります。意味は、そういった様子である、そう感じられる、といったものです。
 そのため、ふとましいは、『太い』という形容詞ではなく、マ行四段活用の動詞『太む』に接尾語が付いて、形容詞化したと考えるべきでしょう。

 この太むは、太くなる、不格好になるといった意味を持ちます。しかし、ネットで使われているふとましいには、あまり否定的なニュアンスはありません。若干太ってはいるが、それはそれで、見ていて悪くない。そういった、どちらかといった肯定的なニュアンスで用いられます。
 そういったことから、ふとましいは、太むに、しいが付いた形容詞であると同時に、太いの婉曲表現であると判断した方がよさそうです。ともあれ、ふとましいという言葉には、そういったプラスのニュアンスがあるというのが、特徴になっています。

 さて、こういった、太っている、太っていないという認識は、時代によって解釈が変わるものです。どれぐらいの肉付きが、人々にとって好ましいかということは、その社会における共通認識によって、変化するものだからです。
 たとえば、古代ギリシャでは、豊満な女性が好まれました。また、ルネサンス時代のイタリアでも、太った女性がもてはやされたようです。ここらへんは、ルネサンスという言葉が、ギリシャ・ローマの古典文化の復興、再生を意味していることと、関係しているのかもしれません。

 逆に、現代に近付き、スーパーモデルなどが登場する時代になると、細い体に、しなやかな曲線美が美しいと考えられるようになりました。さらに、ミュージシャンや映画俳優を通して、病的な痩せ姿が人の目に多く触れた結果、そういった姿が美の基準になったりもしています。
 それだけではありません。企業やメディアの経済活動として、ダイエットを過剰に煽ることで、それらが正しい姿だと、人々が誤認する現象も起きています。

 このように、理想の体型というものは、時代背景によって大きく変わり、一様に語ることができないものなのです。ですから、ふとましいという言葉も、文化的な背景が変われば、その基準は変わるものです。そのため、安易に使わない方がよいのではないかと、僕は思います」

 僕は、自分が太っていると言われないための伏線を織り交ぜて、楓先輩に語った。楓先輩は、咀嚼するようにして、僕の言葉を飲み込んでいる。しばらく斜め上を見ながら考えたあと、僕にぐっと顔を近付けて、語りかけてきた。

「うーん。時代によって変わるとは言っても、その時代に合わせることも大切なんじゃないかな。それに、太っているかどうかについては、健康的な適正値はあると思うよ」

 楓先輩は、至極まっとうなことを言った。そして、僕が張り巡らせた言葉のバリケードを、ゴジラさながらに蹴散らして、僕の心の本丸に侵入してきた。
 このままでは、僕は楓先輩に、ふとましい認定されかなない。僕は、必死に考えたあと、楓先輩の追及から逃れるための、言葉の秘密兵器を開発する。僕は、その言葉の威力を試すために、楓先輩に特攻を開始した。

「楓先輩。体型については、時代を先取りすることも大切なのですよ!」

 僕は、意味不明な言葉を、自信満々に告げる。

「そうなの? サカキくんが、少しふとましい感じなのは、意図があってのことなの」

 ぐはあっ! 楓先輩は、あまりにも的確に、僕の心のアキレス腱を破壊しようとする。
 ええい、肉を切らせて、骨を断つ! 僕は、勇猛果敢に、言葉の決戦兵器を、実戦に投入する。

「ええ、そうです。僕は、きたるべき電脳社会に最適化された肉体を持つのです! 動かず、揺れず、たじろがず。椅子にお尻がくっついた。そんな、電脳人間を先取りしたスタイルを、僕は実践しているのですよ!」

 僕は、時代の最先端のスタイルに邁進していると、楓先輩に説明した。

「そ、そうだったの?」
「ええ、そうです!」

 僕は力強く言う。すると楓先輩は、困ったような顔をしたあと、頭を下げてきた。

「ごめん、サカキくん! どうやら、私は、電脳社会に最適化できない人間みたい。本の虫の私は、未来に生きる人たちから、取り残されているみたい。
 でも、私自身は、それでいいと思うの。私は、今のままの食事の量を続けたいから。でも、サカキくんは、サカキくんの我が道を行ってちょうだい! サカキくんは、私とは違う、電脳人間なのだから」

 楓先輩は、僕とたもとを分かつようにして言い、自分の席へと引き返していった。どうやら楓先輩は、僕の思い描く未来に、まったく魅力を感じなかったようだ。
 ノ~~~~~~!!!

 それから三日ほど、ふとましいという言葉を覚えた楓先輩は、ことあるごとに僕にその言葉を使った。婉曲表現だから、ダメージはないよね! そう思っている様子だったが、僕の心は、焦土のようになってしまった。

 僕は太っているわけではない。ネット時代に最適化した体型をしているだけだ。しかし、楓先輩は、僕をちらちらと見ながら、「サカキくんって、ふとましいよね」と、微笑ましそうに言い続けた。
 僕は、何となく自分が太っているような気がしてきた。言葉は心を規定する。心は肉体を規定する。
 僕は、その三日間に、大いにストレス食いをして、三キログラムほど体重を増やしてしまった。