雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第253話「全俺が泣いた」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、涙もろい人たちが集まっている。そして日々、感動の涙を流しながら、暮らし続けている。
 かくいう僕も、そういった泣きゲーに弱い系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、泣き上戸な面々の文芸部にも、涙とは無縁な人が一人だけいます。涙と汗にまみれた人たちの中で、涼しい顔で世を渡っていくお姉さん。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の右横にちょこんと座る。楓先輩の目は、僕の説明への期待で、きらきらと輝いている。この顔を涙で濡らしてはいけない。僕は、楓先輩に明るい顔でいて欲しい。よし。先輩の笑顔を守るためにがんばるぞ! 僕は、心の中で、騎士のようなポーズを取りながら、楓先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。知らないフレーズをネットで見かけましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。サイコパスの人たちが、泣き落としで人々の心を動かすように、僕は、ネットのあらゆるトラップに対して、泣き寝入りで苦しんできました」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、眠さで涙目になりながらも書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、涙もろい人たちの感動の嵐に遭遇した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「全俺が泣いたって何?」

 おっ、今日は、このネットスラングなのか。全俺が泣いたは、映画の広告によく利用されるフレーズ、全米が泣いた、が元ネタのスラングだ。
 これは、僕の立場を危うくするような危険な言葉でもなければ、楓先輩が苦手なたぐいの、エッチな言葉でもない。映画に詳しくない楓先輩には、ぴんと来ないかもしれないけど、映画業界の仕組みを説明すれば、きちんと理解できる言葉だろう。

 僕は安心して、楓先輩に説明を開始しようとする。その時である。部室の入り口の辺りから、声が聞こえてきた。

「先週末、ユウスケと一緒にいる時に、私は泣いた」
「へっ?」

 突然の声に驚いて、僕は顔を向ける。部室の入り口の辺りには、同学年で幼馴染みの、保科睦月がいた。睦月は、いつもの通り、水着姿で座っていた。

 睦月は、子供の頃から、野山で一緒に遊んだ友人だ。しかし、中学生になった頃を境に、僕との会話がほとんどなくなってしまった。その代わりに、部室で競泳水着やスクール水着姿で過ごし始めたのだ。睦月は、僕の真正面の席に座って、じっと僕を見ている。僕は、どうすればよいのか分からず、途方にくれている。まあ、水着姿の美少女を毎日拝めるのは、素直に嬉しいんだけどね。

 その睦月は席を立ち、とことことやって来て、僕の左隣にちょこんと座った。僕は、楓先輩と睦月に挟まれる。睦月は僕にぴったりと体を付ける。僕は、二人の美少女に、サンドイッチされた状態になる。
 楓先輩が、興味津々といった様子で僕を見上げた。睦月が、薄い水着の生地を通して、僕にぬくもりを伝える。僕は緊張しながら、先週末に、睦月はなぜ泣いたのだろうかと考え始めた。

 先週末のことである。僕は、自分の部屋で映画を見ていた。横には、いつものように、水着姿の睦月がいた。僕と睦月は、二人並んで、パソコンのモニターを眺めていた。
 ちょうどその日は、B級映画流しをしていた。ネットで二十四時間耐久B級映画スレというのを見て盛り上がった僕は、睦月を巻き込み、B級映画流しに突入したのだ。

 モニターには、テンポの悪い映像が流れている。スピーカーからは、クオリティーの低い音が漏れている。僕は、あくびをする。そして、うとうととしながら、睦月の肩に何度か頭を乗せそうになっていた。

「ねえ、睦月。この企画は、失敗だった気がするよ」
「うん。私もそう思う。特に、今の映画は、B級どころかC級かD級だと思う」

「そうだね。二十四時間耐久B級映画スレで、何度も名前が出てきた作品ということで見てみたけど、『死霊の盆踊り』は、本当にひどい作品だね」
「うん。今まで、ユウスケと見たB級映画の中でも、特にひどいと思う」

 僕と睦月は、意見の一致を得た。やはり、B級映画流しは無謀すぎた。僕は、眠気を振り払うために、伸びをしたあと、睦月に顔を向けた。

「こうやって映画をぶっ通しで見るんだったら、B級映画ではなく、全米が泣いた系の映画の方が、よかったかもしれないね」
「うん。その方が、正解だったかも」

 睦月は、こくりと頷く。

「そうそう。泣いたということで評価が分かれると言えば、『アルマゲドン』だよね。睦月も、以前一緒に見たよね。どうだった?」
「正直なことを言うと、泣き所がどこなのか、分からなかった」

 睦月は、申し訳なさそうに言う。

「そうかあ。そうかもしれないね。男性でも、泣けた、泣けなかった、科学考証が気になってそれどころじゃなかった、ご都合主義すぎる、細けえことはいいんだよ! などと、意見が分かれる作品だからね」

 僕は、マイケル・ベイ監督の「アルマゲドン」について思い出す。あれだけヒットした作品で、評価が真っ二つに分かれる映画も少ない。睦月は乗れなかったようだ。僕は乗れた。その違いはどこにあったのか? 僕は、そのことについて考察して、睦月に対して語りだす。

「『アルマゲドン』はね、SF映画の皮を被った、『キン肉マン』なんだ」
「『キン肉マン』?」

 睦月が、少し驚いた顔をする。僕の部屋に通って、マンガを片っ端から読んでいる睦月は、当然のように、「キン肉マン」を全巻読破している。

「そう。ゆでたまごの描いた『キン肉マン』というマンガは、細かな設定がおかしかったり、なぜそうなるのか分からない謎理論が出てきたり、冷静に考えたらつじつまが合っていなかったり、冷静に考えなくてもつじつまが合っていなかったりするんだ。
 でも、すこぶる面白い。そして、読んでいる瞬間は、心を揺さぶられ、熱い思いにさせてくれる。

 もちろん、そういった作品が嫌いな人もいる。しかし、友のために戦ったり、勝てない敵に立ち向かったり、自分の身を犠牲にしても、世界を救おうとしたり、そういった人間の原初的な感情を揺さぶる話は、理性を超越して、人間を熱い思いに駆り立ててくれるんだ。

アルマゲドン』という映画にも、そういった『キン肉マン』に通じるものがあるんだ。
 この映画は、無駄に熱く、無駄に壮大で、無駄に派手で、無駄に興奮させてくれる。細かいつじつま合わせよりも、そういったものを優先している。

 特に白眉だと思うのは、男性が特にぐっと来る、父と子のエピソードだと思う。
 この映画のストーリーは単純だ。地球にぶつかる可能性のある巨大隕石が発見された。超一流の石油採掘人であるハリーは、その掘削技術を見込まれて、部下たちとともに、宇宙船に乗って、巨大隕石を破壊しに行く。そういったものだ。

 このハリーには、年頃の娘がいる。その娘の恋人で、自分の部下であるAJとの、ラスト間際のエピソードは、涙なくして語れない。そこで、感動は最高潮になるんだ。
 そして、この娘役のリヴ・タイラーが、エアロスミスのボーカルであるスティーヴン・タイラーの娘であることを知っていれば、その熱い思いは倍化する。この『アルマゲドン』ではエアロスミスの曲が使われており、物語を盛り上げているからだ。

 ただ、そういった感動の押し売りとも取られかねない映画の作りは、人によってはマイナスにもなる。ラストのエピソードでしらける人もいれば、曲が邪魔だと感じる人もいる。それぐらいに、あくが強いものだからだ。
 僕は、この映画が成功した理由は、映画のSF的要素ではなく、そこに出てくる人間ドラマに、普遍的な要素があったからだと感じている。そして、過剰な演出で感動を盛り上げることを、世の多くの人が望んでいるからだと考えている。
 まあ、もう少し突っ込みがないように、シナリオが練り込まれていてもよかったと思うけどね」

 僕は、多くの人が泣いたと言う映画『アルマゲドン』について、熱く語った。睦月は、そんな僕の顔を、じっと見ていた。

「ユウスケは、そういった全米が泣いた系の映画が好きなの?」
「うん、まあ、嫌いじゃないね。僕は、心の底から、感動の涙を流したい系の人間だからね。でも、僕自身の人生は、そういった感動とは無縁なものだけどね」

 だからこそ、そういった話に、憧れるんじゃないかなと思いながら、僕は答えた。

「でも、私は、自分の人生に感動しているよ」

 睦月は、僕に顔を寄せて言った。そして、両手を床につき、水着姿で四つん這いになり、僕を見上げながら声をかけてきた。

「ユウスケとの出会いに、全私が泣いた」

 睦月は、目を潤ませながら言った。
 僕は、睦月の姿と表情に、心臓をばくばくと鳴らす。睦月は、目元に涙を浮かべ、感動に打ち震えている。僕は、その様子に頭が空っぽになった。そして、思わず睦月に手を触れそうになった。そんなことが、先週末にあったのである。

「ねえ、サカキくん。それで、全俺が泣いたは、どういう意味なの?」
「はっ!」

 僕は、楓先輩の声で、我に返る。そうだった。説明をしなければならない。僕は、慌てて話を始める。

「全俺が泣いたという言葉は、全米が泣いたというフレーズが元ネタになっています。この全米が泣いたという言葉は、映画でよく使われるキャッチフレーズです。

 映画産業は、アメリカがとても盛んです。そして、アメリカでヒットした映画が、日本に輸入されて上映される流れが非常に多いです。その際に、日本の観客を呼び込むため、様々な宣伝がおこなわれます。
 そういった時、その映画がどれだけ面白いのかを、分かりやすく示す必要があります。そのために、様々なキャッチフレーズが付けられます。

 そうした言葉の中でも、最も分かりやすいのが、歴代全米興行収入ナンバーワンなどの、数字的な裏付けのあるものです。それだけ多くの人が見たのならば、面白いに違いない。そう思ってもらうことで、映画館に足を運んでもらうわけです。

 しかし、毎回都合よく記録が出るわけではありません。その時には、どうするのか? その際には、初週観客動員数ナンバーワンのように、期間を短くするなど工夫します。
 また、そういった数字を使う方法以外で、観客に訴える方法も存在します。アカデミー賞最有力候補。今年最高の感動作。ベストセラー作品待望の映画化。そういった数字の裏付けのない、感覚に訴えるキャッチフレーズもよく利用されます。そういった惹句の一つに、全米が泣いた、があります。

 この全米が泣いたは、日本に対して先行公開されたアメリカ市場で、多くの人がその映画を見て、感動の涙を流したということを意味します。それだけ、多数の人に支持されたのならば、見てみようかな。そう誘導するための言葉なのです。
 このフレーズに似たものには、全米が笑った、全米が震撼した、全米が絶賛したなどがあります。これらの言葉は、ある種の決まり文句のようなものです。そして、そのメッセージを何度も受け取っている観客にとっては、繰り返しギャグのような部分があります。ああ、いつもの、あのうたい文句かと。

 そういった感情を背景に、全米が泣いたというフレーズは、大げさな表現として一人歩きを始めました。そして、多くの人が知っているこの言葉は、ネットでも引用されて、感動や共感を表現する言葉として、利用されてきました。
 このフレーズの派生表現として出てきたのが、全俺が泣いたという言葉です。全米が泣いたかどうかは知らないけれど、自分は感動した、あるいは悲しかった。そういった時に用いられるのが、全俺が泣いたになります。省略して、全俺と使われることもあります」

 僕は、全俺が泣いたの説明を終えた。これで映画について詳しくない楓先輩も納得してくれただろう。僕は、先輩をじっと見て、その反応を待った。

「ねえ、サカキくん」
「なんでしょうか、楓先輩?」

「それで、なぜ、先週末に睦月ちゃんが泣いたの?」

 うっ、楓先輩は、僕の説明よりも、睦月が泣いたという話の方に、心を奪われたようだ。
 僕は必死に考える。ありのままに語ると、僕の部屋で、水着の睦月と並んで映画を見て、いい雰囲気になったという話になる。しかし、それはまずい。大いにまずい。それでは、僕と睦月が恋人のようではないか。
 僕は、どうするか頭の中をこねくり回したあと、口を開いた。

「睦月と、たまたま感動系の映画を見ていたんです!」

 完全な嘘を吐くのはまずいと、僕は判断した。映画を見ていたことまでは明かして、そこから先のことはぼかす。これならば、楓先輩も納得してくれるだろうと思った。

「何という映画なの?」
「えっ?」

 僕は、その質問を想定していなかった。僕の左隣にいる睦月が、僕の代わりに答える。

「『死霊の盆踊り』です」
「へー、サカキくんや睦月ちゃんが、感動する映画だったのね」

 楓先輩は、目を輝かせながら言った。

 うっ。僕は、感動系の映画を見ていたと説明した。だから、その時に見ていた「死霊の盆踊り」は、当然感動系の映画だったということになる。
 僕は、どう答えればよいのか迷う。「死霊の盆踊り」は、B級映画好きの中でも「あれはひどい」と、多くの人に言われている映画なのだ。

「感動する映画だったかどうかは、正直、うーん。えー、いや、そうですね。そんな気がしないでもないですね。あははははは……」

 僕は、控えめな声で笑い、その場をどうにか取り繕った。

 それから三日ほど、楓先輩は、僕に「死霊の盆踊り」を見せてくれと、せがみ続けた。
 いや、あれは、さすがに、面白くなさすぎですから! それに、まったく感動できませんから!

 しかし僕は、そのことを楓先輩に告げることができなかった。仕方がなく僕は、迫り来る楓先輩から、必死に逃れ続けたのである。その本末転倒な展開に、僕は、よよよと涙するしかなかった。