雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第250話「お祈りメール」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、都合のよい時だけ、神頼みする人たちが集まっている。そして日々、神の奇跡を期待して生き続けている。
 かくいう僕も、そういった、ネットの神に日々感謝する系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、神の加護に頼る面々の文芸部にも、独立独歩な人が一人だけいます。迷える子羊たちの群れに紛れ込んだ、迷わない牧羊犬ロボット。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、ぶれない視線で僕の顔を見上げる。その眼鏡の下の目の輝きに、僕はめろめろになる。
 先輩の目は大きくて整っており、まつ毛が長い。好奇心旺盛な楓先輩の目は、世界に対する興味で、いつもきらきらしている。僕は、そんな楓先輩に、新たな知的興奮を与えたい。そんなことを考えながら、先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、不思議な言葉に出会いましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。法然が、念仏を唱えることの重要さを悟り、浄土宗を開いたように、僕は、ネットの文章をコピペすることの重要さを悟り、様々なウェブサイトを開設しています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、自分の力で仕上げるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、ネットの神を待ち望む人々を目撃した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「お祈りメールって何?」

 楓先輩は、両手の平を組み合わせて、キリスト教のお祈りのポーズをする。その姿の神々しさに、僕は一瞬めまいを覚える。
 ああ、楓先輩は、神がつかわした天使だ。僕は、そんなことを考えながら、楓先輩が口にした言葉のことを検討する。

 お祈りメールは、就職活動中の大学生たちが、企業から受け取る不採用通知のことだ。そういったメールには、末尾に「今後のご活躍をお祈りいたします」といった文章がよく書いてある。
 その一文を読んだ学生は、自身が不採用だったことを知り、激しく落ち込む。多くの企業に就職活動をしている人たちは、多数のお祈りをもらい、憂鬱になり、恨みを抱いたり、憎しみを持ったりする。
 そういったことから、就職活動中の学生たちの間で、いつからともなく、お祈りメールという言葉が発生した。

 僕は、この言葉を楓先輩に紹介したら、どうなるかを考える。僕も楓先輩も中学生だ。就職活動など、まだおこなっていない。だから、お祈りメールのことを聞いて、精神的なダメージを受けることはない。僕は安心して、説明を開始する。

「楓先輩。お祈りメールとは、就職活動をしている大学生が、企業から受け取る不採用通知のことを指します。
 そういった通知のメールには、『今後のご活躍をお祈りいたします』『今後のご健闘をお祈りいたします』『充実した学生生活を送られることをお祈りいたします』といった、末尾に『お祈りいたします』といったフレーズが、よく添えられています。
 そのことから、二〇〇七年頃ぐらいからネット掲示板などで、不採用通知メールのことを、お祈りメールという俗語が広まり始めました。

 また、お祈りメールだけでなく、祈られた、お祈りをされた、お祈りをもらった、といった表現で語られることもあります。さらに、何の通知もなく不採用になったことを、サイレントお祈りと呼称するケースも見られます。

 さて、こういったお祈りメールは、不採用というネガティブな内容を、丁寧な文面で間接的に伝えようとしたものです。しかし、直接的なお断りを避けようとして、敬語を駆使して距離を置きすぎているせいで、かえって慇懃無礼になっているきらいがあります。
 そういったことから、お祈りメールを大量に受け取った学生が、心を病んだり、企業に対して憎しみを抱いたりといったことも発生しています。

 ネットで就職活動が可能になった現代では、多くの企業にエントリーできるようになりました。その代わりに、大量の不採用通知も受け取ることになりました。こういった、お断りという負の感情を一度に突き付けられれば、誰だって心に不調をきたします。そのため、報復行動に出る学生も、時に発生します。
 このリベンジには二つのパターンが見られます。一つは逆お祈りメールで、もう一つは、内定辞退のお祈りメールです。

 逆お祈りメールは、不採用通知に対して、人事にいやみのメールを返すというものです。一例としては、こんな感じでしょうか。

 この度は不採用のご連絡をいただきありがとうございました。貴社の株価の低迷、昨今の業績悪化などの状況を鑑みて、貴社とご縁が切れましたことは、大変喜ばしい結果と判断しております。また、信頼を社是とする御社が、学生に対して面接でぶしつけな態度を取り続けましたことは、とても参考になりました。貴社のそういった内情は、責任をもって公開させていただきます。末筆ながら、貴社のますますのご衰退をお祈り申しあげます。

 えー、けっこう辛辣になりましたね。
 もう一方の、内定辞退のお祈りメールは、内定辞退の連絡を、お祈りメールの形式で送るというものです。こちらの例文としては、こんな感じかと思います。

 慎重に検討しました結果、内定受諾を見合わせていただくことになりました。悪しからずご了承ください。決して気落ちされることなく、今後も求人活動を続けていただければと存じます。末筆になりましたが、貴社の一層のご繁栄をお祈り申しあげます。

 これは、内定を出していた、つまり学生に好意を寄せていた会社に対するメールなので、企業にとっては完全にとばっちりです。また、雇用契約の解除という点で、法的トラブルになる可能性もあり、ネットでは是非が別れていました。

 まあ、そういった論争が起きるのは、お祈りメールが、相手のことを祈っているという文章でありながら、強者が弱者に対して送る、上から目線の一方的な拒絶であることが、根底にあると思います。
 とはいえ、普通に丁寧な文章を書くと、お祈りメール的な定型文になるので、仕方がない部分もあります。そこに就職活動という感情のねじれが入るので、いろいろとこじれるのだと思います」

 僕は、お祈りメールの説明を終えた。就職活動にまだ縁のない僕たちでは、あまりぴんと来ない話だ。
 楓先輩は、この話を聞いて、どう感じただろうか? 僕は、先輩の様子を窺う。楓先輩は、少し考え込む仕草をしたあと、僕の目を見て話しかけてきた。

「なるほどね。お祈りメールは、お断りの時に使う文章が語源なのね」
「ええ、そうです。断りの定型文が、元ネタになった言葉です」

「ねえ、サカキくん。私もお祈りメールを書いてみたい」

 えっ? 僕は、嫌な予感がしながら、楓先輩の台詞の続きを聞く。

「でも、私は、企業の採用担当者ではないから、他のお断りの内容にしないといけないわね」

 楓先輩は、いったいどういったお断りを考えるのだろう? 僕は、警戒しながら、楓先輩の次の一言を待つ。

「ねえ、サカキくん。お互いに、相手に対して、何かをお断りする手紙を書いて、読み上げましょう。いい?」
「……ええ、いいですが」

 僕は、楓先輩を喜ばせるために、おそるおそる承諾の返事をする。

「そうね。お断りの定番と言えば、ラブレターの返信かしら。私は、ラブレターのお祈りメールを書くね! サカキくんも、好きなお断りのシチュエーションで、お祈りメールを書いてちょうだいね」

 ぶっ! 何ですか、それは!! ラブレターのお断りの、お祈りメールなんて、それが架空の内容でも、心折られまくりですよ!!!

 しかし、そんな僕の衝撃をよそに、楓先輩は紙と鉛筆を取り、嬉々として手紙を書き始める。その様子を見ながら、僕は、しばらく動けなかった。そして、震える手でペンを持ち、楓先輩の横で考え始めた。

 僕は、楓先輩にどんなお断りをすればよいのか? そもそも僕は、楓先輩の頼みは、全部受け入れるつもりだ。先輩の頼みなら、全裸待機まったなしのナイスガイだ。いったい何を断ればいいんだ?

「できた!」

 楓先輩の喜びの声が上がる。僕は、慌てて自分の手紙を書く。楓先輩は、自分の手紙を賞状のように持ち、ひょいっと僕の方を向いて読み始めた。

「この度は、私への好意を伝える恋文をいただき、誠にありがとうございました。慎重に検討いたしました結果、残念ながら今回は、サカキくんのご期待に添えない結果となりました。ここにご通知申しあげますと同時に、ご了承くださいますように、お願いいたします。
 末筆になりましたが、サカキくんの今後の恋愛活動におけるご健闘をお祈り申しあげます」

 楓先輩は、目をきらきらと輝かせながら言った。架空のお断りとはいえ、僕は心をぼろぼろにされる。な、何てすさまじいダメージなんだ! 就職活動をしている大学生たちは、こんなハードパンチを日々食らっているのか!!

「ねえ、サカキくんの手紙は?」

 先輩は僕を急かす。僕は、朦朧としながら、震える手で手紙を持ち上げる。楓先輩の言葉に、基本的に拒絶をするつもりがない僕が、必死に考えたシチュエーションだ。

「この度は、文芸部の退部を伝える退部届をいただき、誠にありがとうございました……」

「私は、退部なんかしないよ」
「ですから、架空のお断りをする手紙です」

 僕は楓先輩に答え、続きを話す。

「慎重に検討いたしました結果、残念ながら今回は、楓先輩の退部の意思を受け入れられない結果となりました……」

「私は、退部なんかしないよ」
「ですから、架空のお断りをする、お祈りメールです」

 再度伝えて、続きを読む。

「ここに退部届を受理できないことをご通知申しあげますと同時に、ご了承くださいますように、お願いいたします。末筆になりましたが、楓先輩の、文芸部での今後のご活躍をお祈り申しあげます」

「私は、退部なんかしないよ」
「ですから、架空のお断りをするお祈りメールです! イフの話です!!」

 何度も突っ込む楓先輩に、僕は、少しだけ声を大きくする。

 楓先輩は、何度も退部しないよと言った。そんなに何度も否定するなら、僕にラブレターの返信を出すという設定も、否定してくださいよと僕は思った。
 うん? 僕は、頭の中で、楓先輩の思考のロジックを組み立てる。楓先輩は、自分が退部するという話は、あり得ない話だから否定した。僕の恋文が断られるという話は、あり得る話だから否定しなかった。

 それは、どういうことだ? つまり、僕が楓先輩にラブレターを出して、拒絶されるというシチュエーションは、楓先輩的にとっては当然ということなのか。
 ひ、否定してくださいよ、僕の時も、楓先輩!

 しかし、そんな台詞は、楓先輩に対して言えなかった。楓先輩は、いつものように、僕に笑顔を向けていた。うっ、ううっ。僕の心はがらがらと崩れる。僕はその場で、がっくりと肩を落とした。

 それから三日ほど、楓先輩は僕に、ことあるごとにお祈りメール形式で、様々なことを断ってきた。おそらく、楓先輩の心の中で、お祈りメールがブームになったのだろう。僕は、そのとばっちりを受けた。僕は、就職活動で心折られる大学生たちのように、虚ろな顔で、その三日間を過ごした。