雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第245話 挿話61「バレンタインと雪村楓先輩」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、猥雑な趣味の者たちが集まっている。そして日々、騒々しく活動を続けている。
 かくいう僕も、そういった、ネットでは声が大きい系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、かしましい面々の文芸部にも、静寂が似合う人が一人だけいます。のんべえたちの飲み会に現れた、寡黙な少女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

 そんな楓先輩と僕の文芸部は、今日は少しお休み。二月の恋愛行事が明日に迫った日、僕は、そぞろに心を悩ませながら過ごしていた。

「サカキユウスケ、入ります」

 僕がいつものように声をかけて、部室の扉を開けると、「しっ」とたしなめる瑠璃子ちゃんの声が聞こえてきた。
 文芸部の部室には、僕以外の全員がいた。補習を受けていた僕は、みんなより少しばかり遅い時間に、この部屋にやって来たのだ。

 中央の机には、三年生の三人がいる。参考書の問題を解いている楓先輩。鬼のような形相をしている鷹子さん。その横で、ふんぞり返って教えている満子部長。それ以外の後輩部員たちは、それぞれの席に座り、先輩たちの邪魔をしないように、おとなしくしていた。

 これは、今日は雑談どころではないな。僕は、そっと部屋の壁側を通り、一番奥の自分の席に向かう。そして、先輩たちの様子を見ながら、パソコンを立ち上げた。
 ウィーンという、ファンの音が低く響き始めた。鷹子さんが鋭い目でこちらをにらむ。僕は、慌ててパソコンの電源を落として、仕方なくマンガに切り替える。

 満子部長は悠々自適、鷹子さんは鬼気迫る様子、楓先輩は淡々としている。僕は、そんな先輩たちの姿をちらちらと確かめながら、ページをめくる。明日はバレンタインデーだけど、そんな雰囲気は微塵もない。
 この地域の高校の、お偉いさんたちは、バレンタインデーに何か恨みでもあるのだろうか? あるのかもしれない。僕が、非リア充のまま大人になり、教育何たら委員会になったら、受験日を二月十四日にしかねない。そう考えると、偉い人たちも、灰色の青春時代を送ったのだろうかと、いらぬ同情をしてしまう。

 それにしても、昨日、鈴村くんと買いに行ったチョコはいつ渡そう? 普通のバレンタインデーなら、チョコをもらうのを待つだけなのに、何だか妙なことになってしまった。明日の受験前は無理だと思うから、渡すなら試験のあとか今日しかない。

 ポケットに小箱は入れている。女の子たちは、好きな人にチョコを贈る際、今の僕のように、そわそわしているのだろうか? 鈴村くんの男の娘の心に、僕は当てられたのかもしれない。そういったことに頭を患わせながら、僕は時を過ごした。

「う~~~~~ん」

 楓先輩が、両手を天井に向けて伸びをした。

「疲れちゃった」

 先輩は、隣の鷹子さんの空気を読まず、ふんにゃりとした顔をする。鷹子さんがぴりぴりしている。しかし、楓先輩は気付かない。
 いつもの鷹子さんなら、楓先輩に絶対怒鳴ったりしない。けれども、今の状態だと危険なのではないか? 僕は慌てて立ち上がる。そして、楓先輩に声をかけた。

「先輩。疲れたのなら、散歩に行きませんか? 校内を五分ぐらい歩けば、ちょうどよい気分転換になりますし。僕もお供しますよ!」

 楓先輩は、一瞬きょとんとした顔をしたあと、それもいいかしらといった感じで、にぱっと笑みを見せた。

「じゃあ、サカキくんと一緒に、ぶらぶらと歩こうかな」
「ええ、それがいいです!」

 僕は、なるべく早く、部室内の緊張を解こうとして、楓先輩を廊下へと連れ出した。

 校内は静まりかえっている。放課後になってから一時間以上が経っている。部活に出ている人以外は、学校に生徒は残っていない。それらの人々は、運動場か体育館か部室にいる。夕陽の漏れ込む廊下を歩いているのは、僕と楓先輩ぐらいだった。

 僕は、先輩の少し後ろを歩く。コナミのゲーム「グラディウス」のオプションのように、楓先輩を完璧に追尾する。
 先輩は、時折歩をゆるめながら、教室を、廊下を、窓の外を、階段をしげしげと眺める。アルバムを覗くようにして、胸の中にある思い出のページをめくっているのだろう。僕は、そんな楓先輩の、揺れる三つ編みを観察する。

 先輩が、ふと足を止めた。思わずぶつかりそうになり、僕は横に一歩避ける。

「どうしたんですか、楓先輩?」
「うん。サカキくんの姿が見えないなあと思って」

 楓先輩は僕を見上げて、笑みを漏らす。小さな先輩は、沈む太陽の光を受けて、色づいていた。その姿に見とれて、僕は動きを止める。
 何度かまばたきをしたあと、楓先輩は、どうしたのかなといった様子で、僕の顔に視線を注いだ。そうだ。僕は、思い出してポケットに手を入れる。そして、小さな箱を手に取り、楓先輩の前に差し出した。

 何かな?
 そんな様子で、楓先輩は首を傾げる。そういった反応をされると、どう説明すればよいのか迷ってしまう。

「あの……」
「なあに?」

「ええと」
「うん?」

 先輩は、いつものように好奇心に溢れた表情をしている。

「明日、受験ですから、眠気覚ましにと思いまして」
「何かしら?」

「チョコレートです」
「ありがとう。何だか、立派な箱に入っているね」

 楓先輩は、受け取って明るく言った。

「明日は、バレンタインデーですし。本来は、女性から男性に贈る日とは、限らないみたいですし……」

 僕が言い訳のようにして言うと、楓先輩の顔が、徐々に赤く染まっていった。それは、いつものエッチな説明を聞いた時の反応とは、少しだけ違っていた。

「あ、ありがとう」
「ど、どういたしまして」

 僕たちは硬直する。
 楓先輩は、ぎこちなく回れ右して、部室への道を帰り始める。僕は、そのあとを付いていく。部室に帰ったあと、楓先輩は、平常心を失っている様子だった。

 ああ、やってしまった。先輩の受験に響いたらどうするんだ。瑠璃子ちゃんを止めておいて、自分でやってどうするんだ。僕は自己嫌悪に包まれる。
 先輩からの好意なんてどうでもいい。僕のことなど忘れて欲しい。先輩の受験が上手くいってくれさえすればいい。先輩は、ずっと落ち着かない様子だった。僕は後悔しながら、その日は帰宅した。

 翌日。授業はまったく耳に入らなかった。いや、いつも聞いていないのだけど、今日は楓先輩の受験が心配で、それどころではなかった。
 放課後になった。僕は、重い気持ちで部室に向かう。ガラス窓からは光が漏れている。先輩たちは、もう戻ってきているのだろう。僕は緊張しながら扉を開ける。

 死体が二つ転がっていた。いや、死体のように、机に突っ伏している楓先輩と鷹子さんがいた。その向こうには、いつものように椅子にふんぞり返っている満子部長がいる。

「あの、どういうことですか?」

 仕方がなく僕は、満子部長に尋ねる。

「精も根もつき果てた二人の代わりに、私が答えてやろう。楓と鷹子はな、試験が終わって脱力しているのだ。骨のないタコのようにな」

「あの、試験はどうだったんですか?」

 僕は、不安でたまらなかったので尋ねる。

「ああん?」

 鷹子さんが頭だけ動かして、鋭い眼光で僕をにらんだ。鷹子さんは、あまり解けなかったのだろうか? 怖いので、それ以上突っ込めなかった。

 僕は、楓先輩に視線を移す。反応はない。駄目だったのか? 僕は、そろり、そろりと先輩に近付く。微かな寝息が聞こえた。楓先輩は、突っ伏したまま、寝入っていた。その顔は、解放された様子で、何の後悔もないようだった。

「おいこら、サカキ!」

 楓先輩の様子を見ようとした僕の胸ぐらが、いきなりつかまれた。鷹子さんは、なぜか分からないけど、お怒りのご様子だ。

「えー、あの、何でしょうか?」
「てめえ、眠気覚ましの高級チョコを、楓だけにあげたよな? 楓が一人で美味しそうにほおばっているのを見て、私はストレスをためて試験を受けたんだよ!」

「げっ! そんな理由で怒っていたのですか!?」
「そうだよ。今すぐ、私の分のチョコも買ってこい!!!」

「あのチョコは、けっこうなお値段なのですが」
「ああん? 私には買えないだと!」

「不肖、サカキユウスケ、今すぐ、買って参ります!」

 僕は、砲弾のように部室を飛び出した。

 十日後、合格発表の日がやって来た。郵便物でも合否通知が来るらしいが、せっかくなのでということで、三年生の三人は、合格発表の掲示を花園高校まで見に行った。

「どうでしたか?」

 昼休みに教室を抜け出した僕は、文芸部の部室に行って尋ねた。部屋には、楓先輩と鷹子さんと満子部長がいた。

「うん。合格だったよ!」

 楓先輩はVサインをして、結果を教えてくれた。僕は、心の底からほっとした。

「あの、鷹子さんは?」

 もう一人の先輩、複雑そうな顔をしている鷹子さんに、僕は尋ねる。

「補欠合格らしい。正規合格者に欠員が出れば、入学できるそうだ」

 び、微妙だ。これは、お祝いしてよいのか分からない。

「これは、あれだな……」

 鷹子さんは、拳を握りながら言う。

「合格者と決闘して葬り去れば、私が繰り上がるということだ」
「違いますから! そういった、ルールじゃないですから!!」

 僕は、必死に鷹子さんを止めた。
 一週間後、鷹子さんの繰り上げ合格が決まった。誰かが、他の高校に行ったらしい。文芸部の三年生は、全員が無事に、同じ学校に進学することになった。