雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第242話 挿話58「バレンタインと氷室瑠璃子ちゃん」

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、厳しい視線の者たちが集まっている。そして日々、互いの粗を探して暮らしている。
 かくいう僕も、そういった、細かいことが気になる系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、厳格主義者な面々の文芸部にも、ゆるい世界で生きている人が一人だけいます。局中法度に縛られた新撰組に紛れ込んだ、坂本竜馬。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

 そんな楓先輩と僕の文芸部は、今日は少しお休み。二月の恋愛行事が近付く中、僕はふわふわとした気分で過ごしていた。

「サカキ先輩。折り入って、頼み事があります」

 部室で、いつものようにパソコンに向かい、ネットスラングを収集していると、一年生で後輩の氷室瑠璃子ちゃんが話しかけてきた。

 瑠璃子ちゃんは、氷室という名の通り、僕に対して氷のように冷たい女の子だ。だが、瑠璃子ちゃんの特徴は、それだけではない。どう見ても、小学校低学年にしか見えない外見。そして人形のように整った顔。その姿と、目付きと、きつい性格のせいで、「幼女強い」という謎の陰口を叩かれている女の子だ。

 その瑠璃子ちゃんは、なぜか僕に厳しい。「いつもにやけた顔をしているのは、顔の筋肉に問題があるからですか」とか、「もの忘れがひどいのは、この年にして認知症になっているからですか」とか、「サカキ先輩が変態すぎるのは、遺伝子に何らかのエラーがあるからですか」とか、世話焼き女房のように、いつも小言を言ってくる。
 僕のガラスのハートは、そのたびに粉々に砕けそうになる。瑠璃子ちゃんの言葉の暴力に、僕はいつも打ちのめされているのだ。

 そんな瑠璃子ちゃんからの頼み事である。僕は警戒して、椅子を向ける。そして、どんな言葉が出るのだろうかと身構えた。

「な、何かな?」

「今は、二月です」
「うん、そうだね、二月だね。二月は、如月とも言うね。これは陰暦二月の異称だけど、漢字は、中国の二月の文字を、そのまま当てただけのものだね。
 日本語の意味には諸説ある。寒さのため、衣を重ねることから衣更着。この説は、平安末期の歌人、藤原清輔の歌論書にもあるね。他には、江戸中期の賀茂真淵の木久佐波利都伎也。木草張月なりで、草木が芽を張り出すという意。また、陽気が盛んになることから、気更に来る、から来たという説もある」

 僕は、瑠璃子ちゃんとの会話を弾ませるために、言葉をつくす。瑠璃子ちゃんは、そんな僕の様子を冷めた目で見たあと、声を返した。

「私は、楓先輩ではないですから、そういった言葉の蘊蓄では楽しめないのですが」
「そ、そうだよね」

 会話が続かない。僕は、いったい、何の用かなと思い、瑠璃子ちゃんの言葉を待った。

「実は、二月ということもあり、手作りチョコレートにチャレンジしようと思うのです」
「いいんじゃないかな?」

「二月十四日はバレンタインデーですから、大切な人たちにプレゼントをしようと考えているわけです」
「人たち、ということは複数形だね。いいんじゃないかな。感謝する人は、多い方がいいもんね」

「それで、二月十四日は、文芸部の先輩たちの、高校受験がある日ですよね。だから先輩たちに、そのチョコを試験の直前に、食べてもらおうと思うんです」
「うん、とっても……。ちょっと、待った!!!」

 僕は、真顔で瑠璃子ちゃんに向き直る。
 それはやばい。瑠璃子ちゃんは、よく薬品作りに失敗する。よく分からない謎の薬をこしらえて、僕を実験台にして体調不良にさせる。

 そんな瑠璃子ちゃんが作るバレンタインデーのチョコが、まともなはずがない。
 いや、まともかもしれないけど、そんな危険に楓先輩たちを巻き込むわけにはいかない。僕は、先輩たちの受験を守るために、何とかして瑠璃子ちゃんを止めなければならないと考える。

「そ、それで、僕に頼み事って、実験台かな?」

 犠牲者は僕だけでいい。瑠璃子ちゃんの毒牙に倒れる人数は、少ない方がいい。それで、瑠璃子ちゃんが満足すれば御の字だ。何なら僕が、瑠璃子ちゃんの作るチョコレートを、すべて食べてしまってもいい。僕は、自己犠牲の精神で、そう答えた。

「実験台って、まるでひどいものでも作るような言い種ですね」
「い、いや、そんなことはないんだけどね」

 僕は、目を逸らしながら言う。

「サカキ先輩。もしかして、私が作ったチョコを、一人で全部食べる気ですか?」
「う、うん。そうだね。そういったことも視野に入れているよ。僕は、瑠璃子ちゃんの作るチョコを、全部食べたい欲求に駆られているからね」

 僕が、おそるおそる答えると、瑠璃子ちゃんは、なぜか顔を赤く染めて、横を向いた。

「そ、そんなに、私のチョコが食べたいのならば、サカキ先輩のために、別枠で大きなチョコを作ってあげてもいいですけど」
「違うんだ。そういうことじゃないんだ! 僕のを別に作って欲しいわけではない。僕は、瑠璃子ちゃんが作るチョコを、一人で全部食べたいんだ!!!」

 僕は、文芸部を守るために、必死に主張する。

「し、仕方がないですね。本当は、サカキ先輩に、ちょこっとだけ手伝ってもらおうと思っていたのですが、全面的に手伝ってもらって、必要とあらば全部食べていただくことも、視野に入れてあげなくもないですから」

 瑠璃子ちゃんは、耳まで真っ赤にして、そう告げた。

 翌日。僕はなぜか、瑠璃子ちゃんと一緒に帰宅することになった。どうして、こうなった? 僕にはよく分からない宇宙の力が働いたとしか思えない。宇宙の法則が乱れる。そんなことを考えながら、僕は、幼女のような瑠璃子ちゃんに手を引かれて、氷室漢方実験所まで行く羽目になった。

 アパートが立ち並ぶ道を歩いて、森の小道に入っていく。緑の景色を抜けると、前方に二階建ての中華風の店が見えてきた。瑠璃子ちゃんの家。その稼業の漢方薬屋だ。僕と瑠璃子ちゃんは、店の入り口を通り、奥の階段をのぼる。そのまま廊下を進んで、瑠璃子ちゃんの部屋の扉を開けた。

 六畳ほどの部屋の壁は、すべて本棚になっており、分厚い古書や洋書が並んでいる。部屋の中央にはベッドがあり、窓際には学習机がある。机の上には顕微鏡や試験管、フラスコやビーカーやガスバーナーが見える。相変わらず、魔法使いの研究室といった風情だ。
 僕と瑠璃子ちゃんは、扉の脇に荷物を置き、実験器具のある机の前に向かった。

「材料はそろえています。今から二人で、手作りチョコレートに挑みます」

 僕は、机の上を眺める。大きな乳鉢の中に、謎の黒茶色の物体があり、ラップがかけてある。それ以外にも、数種の小さな皿の上に、粉末が見える。

「これは?」

 僕は、その中でも最も目を引く、黒茶色の物体を指して聞く。

カカオマスです。手作りチョコということなので、カカオ豆の胚乳を発酵、乾燥、焙煎、粉砕して作りました。このカカオマスに、砂糖、ココアバター、牛乳、香料などを加えて、練り固めるとチョコレートという食品になります。

 ちなみに、カカオには、テオブロミンと呼ばれるアルカロイドの一種が含まれています。このテオブロミンは、血管拡張薬、中枢神経刺激薬、利尿薬としての効果があります。また、犬などにチョコレート中毒を起こさせ、場合によると、死にいたらしめることで知られています。

 さらにカカオは、カフェインも含みます。カフェインもアルカロイドの一種で、利尿作用、覚醒作用、強心作用などを持ちます。また、身体的、精神的依存作用もあります。
 このカフェインは、致死作用を持つことでも知られています。人により違いがありますが、五グラムから十グラムほどで死ぬとされています。

 この二つのアルカロイドを持つカカオを使い、それに多種の漢方薬をブレンドして、受験の時に、最大のパフォーマンスを引き出せる、脳ドーピング薬を作ろうと考えているわけです」

 瑠璃子ちゃんは、僕を前にして、真剣な顔つきで言った。

 あ、あかん。駄目な奴だ。
 僕は、瑠璃子ちゃんの真面目な顔を見て、そう判断する。これは、失敗するパターンだ。そして、人知のものとも思えない、謎色の薬物が誕生する前触れだ。何とかして、被害を僕で止めなければならない。僕は、引きつった笑みを浮かべる。

「瑠璃子ちゃん。まずは、僕で試そうね。そして、美味しかったら、僕が全部食べるから。そして、美味しくなかったら、先輩たちにあげるのは諦める。それでどうかな?」
「それって、サカキ先輩しか食べないという話ですよね?」

 簡単には騙されてくれないらしい。仕方がない。瑠璃子ちゃんの心をもてあそぶようで気が引けるが、ここは押しの一手で行くしかない。

「だからさあ、僕は、瑠璃子ちゃんのチョコを全部食べたいんだよ! 部室でもそう言っただろう! さあ、思う存分、食べさせてくれ!!!」

 僕の宣言に、瑠璃子ちゃんは全身を真っ赤にする。

「し、仕方がないですね。と、特別ですよ。サ、サカキ先輩のために、ス、スペシャルチョコを作りますから……」

 い、嫌だ。スペシャルな殺人チョコができあがりそうだ。

 瑠璃子ちゃんは、乳鉢に、電子秤で計った粉末を加えていく。そして、勢いよく乳棒でかき混ぜ始めた。
 何だか、嫌な匂いが漂ってきた。明らかに、人間が食するものとは思えない悪臭が、鼻を突き始める。

「ねえ、瑠璃子ちゃん」
「何ですか、サカキ先輩?」

「人間が食べても大丈夫な成分なんだよね?」
「大丈夫です。理論上は、完璧な薬理作用を発揮します」

 理論上……。僕は、そこはかとない、死亡フラグの気配を感じる。

「できました!」

 真っ黒な中に、無数のカラフルな粉末が練り込まれた、鼻が曲がりそうな物体が錬成された。瑠璃子ちゃんは、その塊を長方形にしたあと、中華包丁でズダン、ズダンと切って、生チョコ風の形にした。

「完璧です。どうぞ、食べてください」

 それは、白い皿に載せられて、僕の前に出された。明らかにやばい。しかし、全部食べると口にした手前、手を伸ばさないわけにはいかない。何より、楓先輩たちの受験を守るためだ。僕は目をつむり、暗黒世界から到来した謎の塊を、口へと放り込んだ。

「くぇrちゅいおp@あsdfghjkl;zxcvbんm!!!!」

 僕は気を失った。

 仰向けになった状態で僕が目を覚ますと、僕の顔の上に瑠璃子ちゃんの泣き顔があった。

「すみません、サカキ先輩」
「うん。大丈夫だよ」

「いつも、私、失敗ばかりして。今度の件も、先輩を卒倒させてしまって」
「いいんだよ。瑠璃子ちゃんは、いいことをしようとして、失敗しただけだから」

 僕は、手を伸ばして、瑠璃子ちゃんの涙を、指で拭ってあげた。

「はあ、今回のチョコは、完全に失敗でした」
「それが、分かってくれればいいんだ」

 僕は、上半身を起こして、瑠璃子ちゃんの頭をなでてあげる。瑠璃子ちゃんは、上目づかいで僕をしばらく見たあと、すくっと立ち上がった。

「今回は失敗でした。しかし、今日の実験結果をもとにして、完璧なチョコを受験の日までに完成させます!」

 瑠璃子ちゃんは、拳を握って宣言した。

「や、やめろ!!!」

 さすがに僕は、今度は言葉を選ばず、瑠璃子ちゃんの暴走を、阻止することにした。