雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第240話 挿話56「バレンタインと保科睦月」

f:id:kumoi_zangetu:20140310235211p:plain

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、季節の行事を大切にする者たちが集まっている。そして日々、時間に追われてイベントをこなし続けている。
 かくいう僕も、そういった、季節の美味に目がない系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、季節感溢れる面々の文芸部にも、本の世界に耽溺している人が一人だけいます。木々に囲まれて生きる野生人に遭遇した、本の森に住む文明人。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

 そんな楓先輩と僕の文芸部は、今日は少しお休み。二月の恋愛行事が近付く中、僕はそわそわとした気分で過ごしていた。

 自宅のインターホンが鳴った。僕は玄関の扉を開ける。建物の外には睦月がいて、いつもとは違い、温かい格好をしていた。厚手のセーターに、ウールのスカート。足下はブーツで、頭には毛糸の帽子を被っている。
 洋服の色はすべて暖色系。赤や茶色でまとめた服に埋もれるようにして、睦月の可愛い顔が見えた。

「ユウスケ。約束の買い物に行こう」
「うん」

 睦月は、子供の頃から、野山で一緒に遊んだ友人だ。しかし、中学生になった頃を境に、僕との会話がほとんどなくなってしまった。その代わりに、部室で競泳水着やスクール水着姿で過ごし始めたのだ。睦月は、部室で僕の真正面の席に座って、じっと僕を見ている。僕は、どうすればよいのか分からず、途方にくれている。

 そんな睦月が、僕を迎えに来た。僕は、家の扉を閉めて、睦月とともに歩きだす。数日前からの約束。今日は、近くのお店に、材料を買いに行くのだ。
 睦月は毎年、僕のためにチョコレートを作ってくれる。例年、僕がもらう手作りチョコは、睦月のものだけだ。あとは義理チョコを、いくつかもらうだけである。

「ユウスケ。今年は、どんな形のチョコにするの?」
「久しぶりに、仮面ライダーがいいかな。特撮系は、ここ数年作っていないからね」

「型は、いつものように、ユウスケが作ってくれるのよね?」
「そうだね。そういった細かい作業は、僕の方が得意だからね」

 例年、バレンタインデーのチョコは、僕が型を作って、睦月がチョコを二人分作る。僕の分と、睦月の分。それが恒例行事になっている。

「チョコの味は、甘め、苦め、どっちがいい?」
「甘い方がいいかな。僕は甘い物が好きだからね。僕は、脳をよく使うだろう。脳は、糖分を要求しているからね。体よりも脳をよく使う僕は、いつも糖分を必要としているんだ」

 並んで歩いている睦月は、僕のお腹をちらりと見て、複雑そうな表情をする。その視線を華麗に受け流して、僕は別の話題を振る。

「それにしても、去年のバレンタインデーはひどかったねえ」

 僕は、ため息を漏らしながら言う。睦月は、僕をちらりと見たあと、同情の表情を浮かべる。

「あの惨劇のバレンタインデー事件よね?」
「うん。満子部長が、まさかあんなチョコを買ってくるなんて。上級生でお金を出し合って、部員のためにチョコを買ってくると言った結果、ああいったものを購入するとは……」

「何を買ってきたか、鷹子先輩も、楓先輩も、知らなかったのよね?」
「当然だよ。あんなことを考えるのは、満子部長ぐらいだから」

 僕は、一年前のことを思い出して、気分が悪くなった。
 そう。満子部長が用意したのは、ロシアンチョコだったのだ。パッケージの中に、一つだけ激辛のチョコレートが入っている危険なお菓子。それを、何も言わずに部員に配り、なぜか僕がその激辛チョコを引き当てた。

 誰が引いてもよかったはずなのに、どうして僕が引いてしまったのかは分からない。しかしそれは、不幸中の幸いだったと言うべきだ。
 楓先輩が、あんな思いをしなくてよかった。鷹子さんが食べていたら、大魔神のように荒れ狂っていただろう。鈴村くんなら、卒倒していたかもしれない。睦月だと、僕の胸が痛む。

 危険なチョコを、僕が食べたおかげで、周囲に被害がなかった。それは本当に喜ばしいことだ。僕は、そういったことを睦月に告げ、同意を求めた。

「ねえ、睦月もそう思うでしょう?」

 睦月は、困った顔をした。

「あのチョコの件は、ユウスケではなく、満子部長が引き当てるのが一番よかったと思うけど」
「あっ! そういえば、そうだね」

 僕は、睦月の鋭い指摘に声を上げる。そうだ。元凶の満子部長が引き当てればよかったのだ。なぜ、そんなことに気付かなかったのだろう。悔しさとともにそう思い、僕は一年前の記憶をたどる。

 そうだ。あの日の一件では、満子部長も激辛チョコを食べる可能性があったのだ。しかし、満子部長は、まったくそういったことを気にしている様子がなかった。
 満子部長は、最初にチョコを手に取り、気軽に口に入れた。もしかしたら、安全な場所を知っていたのかもしれない。満子部長ならあり得る話だ。

 満子部長は、その後、一人ずつに箱を向けて、手前から取らせた。そして最後に僕に食べさせた。うっ、もしかして僕ははめられたのか? あり得る。あの人なら、そういったことをしかねない。
 僕は、そういった満子部長の策略を、一年経過したあとに、ようやく気付いた。何という不覚。僕は落ち込みながら、睦月と並んでふらふらと歩く。

「大丈夫、ユウスケ?」

 睦月の整った顔が、僕の横に来た。

「うん。大丈夫だよ。僕は、自分の馬鹿さ加減に、嫌気が差していたんだ」
「そうなの? 私は、嫌にならないよ。ユウスケは、鈍感だけど、優しいから」

 睦月は、僕のことを心配するようにして言った。

 僕と睦月は、二人で歩く。バレンタインデーまでは、まだ時間がある。早め早めに準備をするのは、睦月の真面目さの現れだ。今日、帰ったら、チョコの型を作らないとなあ。そのデザインに、頭を巡らせていると、食材店が近付いてきた。

「ユウスケ。あと少しだよ」
「あの店は、甘い物が多いからなあ。お菓子を買って帰ろうかなあ」

「食べすぎは駄目だよ。夕ご飯が、入らなくなるから」
「大丈夫。僕は、お菓子もご飯も、行ける系だから」

 いつものように話しているうちに、お店に着いた。店内は、バレンタインデーの準備のためだろう、チョコや調理器具を物色しているお姉さんたちが多くいた。その中、僕と睦月は、チョコ売り場へと移動する。

 睦月は、棚に手を伸ばして、かごに商品を入れる。僕はそのかごに、自分が食べたいお菓子を探してきて放り込む。僕と睦月は、並んでレジに向かった。レジのお姉さんが、僕たちを見て、楽しそうな笑みを漏らした。

 支払いが終わった。チョコとお菓子。それらを、それぞれの袋に入れて、僕と睦月は自動ドアを抜けた。
 道路の空気は、ひんやりとしていた。声を出そうとして向かい合うと、白い息が蒸気のように口から漏れた。その様子を見て、僕と睦月は、思わず笑みを漏らす。

「帰る?」
「うん」

「どこか寄っていく?」
「このままでいいよ」

 二人で寄り添い、枯れた街路樹の下を進んでいく。
 息を吐くたびに、白い煙が一瞬浮かぶ。それが楽しくて、長く息を吐く競争を、睦月とした。勝負は、睦月の勝ち。水泳部である睦月の肺活量は、僕の何倍もあった。

「冬だね」
「うん」

 取り留めのない受け答えをする。
 睦月は、嬉しそうな顔をして、ふと足を止めた。睦月は、仰ぐようにして空を見る。僕も視線を追った。空を覆うようにして、灰色の雲が漂っている。雪を孕んだ雲だろうか。今が冬であることを、僕は実感する。

「今年の文芸部では、去年と違って、まともなチョコをもらえるかな」

 足を止めて、僕はつぶやいた。

「楓先輩のチョコが欲しいの?」
「うん。まあね」

 僕は、睦月の手前、曖昧に答える。

「難しいと思うけど」

 睦月は、気まずそうに告げる。

「そうかな?」
「うん」

「どうして?」
「今年は、先輩たちの誰も、ユウスケにはチョコをくれないと思うよ」

「なぜ睦月は、そういったことが分かるの?」

 僕の知らない情報を、睦月は握っているのだろうか? 僕は不思議に思い、睦月に説明を求めた。

「だって……」
「だって?」

「その日は、先輩たち、高校受験だから」
「えっ?」

 僕は、慌てて睦月に尋ねる。僕は把握していなかったが、先輩たちが受験する高校の試験日は、二月十四日らしい。

「だから、それどころではないと思うよ。バレンタインデーより、受験だと思うから」
「あ、ああ……」

 僕はショックを受ける。どうやら僕は、自分のことしか考えていない、大馬鹿者だったようだ。

 そうか、受験か。そういえば、最近部室はぴりぴりしていた。僕は、精神的なダメージを負って、ふらふらと歩きだす。そんな僕を、睦月が支えてくれる。
 しばらく無言のまま過ごした。睦月が、ちらちらと僕を見上げて、口を開いた。

「だから今年は、文芸部のみんなの分も、私がユウスケにチョコを上げるね」
「う、うん」

「それに、先輩たちが卒業したら、一年間は、ユウスケは、私だけのものだから」
「えっ?」

 僕が声を漏らすと、睦月は顔を真っ赤に染めたあと、すたすたと進んで行った。
 僕は、睦月の背中を見る。睦月は、先ほどの表情とは裏腹に、自信に溢れた足取りで歩いていた。

「ねえ、ユウスケ、行こう」

 振り返った睦月は、何事もなかったかのように、笑みを浮かべていた。仕方がないなあ。僕は、そういった気持ちになり、幼馴染みの睦月のあとを、ゆっくりと追いかけた。