雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第239話「スイーツ(笑)」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

f:id:kumoi_zangetu:20140310235211p:plain

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、自分の人生に甘い人たちが集まっている。そして日々、甘い香りを漂わせながら暮らし続けている。
 かくいう僕も、そういった、甘美な画像が好きな系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、甘々な面々の文芸部にも、辛口な人が一人だけいます。王子様を夢見る少女たちの前に現れた、現実主義のキャリアウーマン。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩の動きとともに、甘い匂いがふわりと僕の鼻に漂ってきた。シャンプーの香りだろうか。それとも、石けんのものだろうか。あるいは、楓先輩が発する、美少女特有の芳香だろうか。それは、僕の恋心を刺激する、極上のフェロモンだ。僕は、怪訝な顔をする楓先輩の顔を見ながら、必死に表情を引き締めて、声を返した。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、謎の言葉を発見しましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。フェデリコ・フェリーニ監督が、映画『甘い生活』で、批評家の議論の的になったように、僕は自身の生活を綴った『大甘な生活』で、ネット民の批判の対象になっています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、自分を甘やかさずに書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、甘い妄想の垂れ流しを大量に読んだ。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

スイーツ(笑)って何?」

 楓先輩は、(笑)を括弧笑いと発音して、不思議そうな顔をした。
 ああ、確かに、スイーツに(笑)が付いている理由は、にわかには想像できないだろう。その文脈が分かっていなければ、この(笑)が、冷笑的なニュアンスを持つとは理解できないはずだ。

 スイーツ(笑)は、未来検索ブラジルが主催する、ネット流行語大賞二〇〇七において、銀賞に選ばれたネットスラングだ。この言葉は、マスコミに踊らされて、お菓子やデザートのことを「スイーツ」と呼び、流行に従って生きる女性たちを、揶揄するものだ。

 僕は、スイーツ(笑)を楓先輩に説明したら、何が起きるかを考える。
 常に二手先、三手先を読む僕は、まるでプロ棋士のように、先を見越して言葉の一手を打つのだ。

 スイーツ(笑)は、ある種の女性を、蔑視する言葉だ。その「ある種の女性」に、楓先輩は含まれない。しかし、その意味を説明することで、僕が女性差別主義者だと思われては困る。
 僕は、女性に対して、常に紳士的な振る舞いをする、ジェントルマンだ。そのパブリックイメージが壊れてしまうのはまずい。僕は、スイーツ(笑)という言葉を、どう説明すれば安全なのか考える。

 そうだ。流行を煽るマスコミと、それに乗せられる人たち。そういった構図を軸にして語ろう。そして、ネットメディアの隆盛により、マスコミへのカウンターパンチの言葉が生まれた。そういった話にすれば、女性蔑視と思われずに済むかもしれない。
 よし! 僕は、自分の作戦を実行するために、説明を開始する。

「楓先輩。スイーツ(笑)という言葉は、当時のマスコミが、スイーツという言葉を流行らせようとしていたことに端を発する、ネットスラングです。

 当時、マスコミでは、お菓子やデザートを、スイーツと呼ぶことで、積極的に消費を促そうとしていました。
 たとえば、和菓子を和スイーツと呼ぶなど、かなりおかしなことになっていました。そして、そういった言葉に踊らされて、自分は流行の最先端だと思い、消費に走る人々がいたのです。

 こういった、言葉の言い換えで流行を作ろうとするのは、マスコミの常套手段です。ネットが登場する以前は、そういったマスコミ主導の流行に、異を唱える人はいませんでした。
 しかし、ネットメディアが発達するにつれ、こういったマスコミの情報発信を馬鹿にして、蔑みの目を持つ発言が、現れるようになりました。そして、扇動的な流行に、すぐに乗ってしまう人々を、嘲る風潮が生まれてきたのです。

 この、マスコミ嫌悪と、マスコミ盲信者叩きの象徴的な言葉が、スイーツ(笑)になります。この言葉の前半部分のスイーツは、スイーツという言葉に踊らされる人々、特に女性を指します。後半部分の(笑)は、そういった人々に対する冷笑を意味します。

 スイーツ(笑)は、こうした、マスコミという表の文化に対する、ネットという裏の文化のカウンターパンチ。そういった側面を持つ言葉なのです」

 僕は、ざっくりと説明を終えた。すべては語らず、表層の文脈だけを伝えた。
 楓先輩の反応はどうだろうか? 僕は、ちらりと先輩の様子を窺う。あまり、納得していないようだ。うっ、突っ込まれるのか? 僕は、戦々恐々として、楓先輩の言葉を待つ。

「ねえ、サカキくん」
「はい、何でしょうか、楓先輩?」

「マスコミとネットの対立という構図は、確かにあるのかもしれないけど、それで突っ込まれているのは、女性中心なのよね? なぜ、男性ばかりが女性を叩くのか。そこのところを、もう少し詳しく語って欲しいんだけど」
「は、はい。分かりました」

 だ、駄目だった。仕方がない。もう少し深い説明をしよう。僕は、自分の作戦が崩れたことを知る。しかし、楓先輩の望みならば、従うしかない。僕は、先輩の従順な犬だからだ。僕は、敗北を受け入れながら、説明を続行する。

スイーツ(笑)という言葉が、主に女性を叩く言葉になっている背景は二つあります。その一つ目は、ネットにおける非モテという文脈です。

 社会には、恋愛にうとく、女性に相手にされないがゆえに蔑視するという人々が、一定数います。彼らは、現実の人間関係から切り離されるネット上で、大きな声で発言することが多い傾向にあります。そういった人たちは、流行に上手く乗り、恋愛を謳歌する、リア充と呼ばれる層を、叩くことが多いです。
 スイーツ(笑)という言葉の背景には、こういったリア充叩きの側面があります。

 また、二つ目の文脈は、ネットの中に存在する、二つの文化の違いです。ネットには、かなり方向性の違う、二種類の文化が存在しています。一つは、パソコンを中心としたネット文化です。これは、パソ通と呼ばれていたパソコン通信時代から続く、男性率の高い文化です。
 もう一つは、携帯電話を中心としたネット文化です。こちらは、若い女性を中心とした文化になります。

 女性は男性よりもコミュニケーションを重視します。昔は、ネットをしている人と言えば、男性を中心とする、少数のパソコンユーザーだけでした。
 それに対して、携帯電話が普及して、多数の携帯電話ユーザーが生まれたことで、元々コミュニケーション能力が高い女性が中心の、パソコンとは異なる独自の文化が育まれたのです。
 その結果、パソコンを中心とした男性ネット文化から、携帯電話を中心とした女性ネット文化への蔑視が、ネットの中で起きたのです。

 そういったことを象徴する出来事が、スイーツ(笑)という言葉が普及した時期にありました。それは『恋空』を代表とする、携帯小説のヒットに対しての反応です。
 これらの携帯小説は、女性向け恋愛物が多いという特徴がありました。また、携帯電話でのコンテンツ消費にマッチした作りになっていました。
 こうした文章コンテンツは、小さな画面で読むことに特化していました。そのため、文章が短く区切ってあり、改行が多く、言葉も文学的ではなく、話し言葉や、マンガのオノマトペに近いものでした。

 パソコンを中心としたネット文化の人たちは、こういった異文化の勃興に嫌悪を抱き、蔑視しました。そして、携帯電話を中心とした文化を蔑みました。
 そういった状況下で、携帯小説を揶揄したネタ文章が、ネット掲示板に投下されました。その結果、スイーツ(笑)という言葉に火が付いたのです。

 そのネタ文章は、『アタシの名前はアイ。心に傷を負った女子高生。モテカワスリムで恋愛体質の愛されガール♪』で始まり、『「ガシッ!ボカッ!」アタシは死んだ。スイーツ(笑)』で終わります。
 この文章を契機として、ネット掲示板に 『スイーツ(笑)ガイドライン』が立つなどして、この言葉は一気に普及しました。

 マスコミという既存文化への、ネット文化からの敵視。それに踊らされる人々への蔑視。そして、新たに発生した携帯電話文化への嫌悪。スイーツ(笑)という言葉は、それらがない交ぜになったところから発生した、シニカルな笑いと、相手を見下す言葉なのです。
 そして、その蔑視の対象は、女子高生といった若い女性だけでなく、社会人女性をも含む、非常に範囲が広いものです。スイーツ(笑)は、時代に乗って奔放に生きる女性を嫌悪する、女性嫌悪ミソジニーの言葉だとも言えるでしょう」

 僕は、スイーツ(笑)についての説明を終えた。楓先輩は、僕をじっと見つめたあと、つぶやいた。

「つまりスイーツ(笑)は、女性を嫌悪したり、蔑視したりする言葉なの?」
「そうですね。すべての女性ではないですが、ある一定の層の女性を嫌ったり、蔑んだりする言葉です」

「もしかして、サカキくんも、そういった感じで、スイーツ(笑)とか、思ったりするの?」
「え、ええ……、少しは……」

 楓先輩は、僕の目を見たまま、孤独な子犬のように、寂しそうな顔をする。

「私、昨日、スイーツを食べちゃった。流行に踊らされて、お菓子を『スイーツ』と呼んで喜んじゃった」
「そ、そうですか」

 楓先輩は、くにゅーんといった感じの顔をする。
 僕は、その表情におろおろして、うろたえる。二人の間は気まずい感じになった。楓先輩は、落ち込んだ様子で、自分の席へと戻っていく。僕は、そんな楓先輩を、引き留めることができなかった。

 それから三日間、楓先輩は、僕から離れて、部活の時間のお菓子を、一人で食べ続けた。
 三日経ち、僕がしおれた菜っ葉のようになっていると、楓先輩が僕の肩を叩いて話しかけてきた。

「サカキくん。これ、あげるね」

 それは、楓先輩からの、おやつの差し入れだった。や、やった! 僕は、水をかけた菜っ葉のように、しゃきっとして、いつものサカキくんに戻った。

 僕は、楓先輩がくれた、おやつを無心にほおばる。それは、甘い甘い、スイーツなプリンだった。
 ああ、スイーツ万歳! 僕は、とてもとても幸せな気分になった。