雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第235話「もにょる」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、微妙な人たちが集まっている。そして日々、どう言えばよいのか分からない雰囲気を醸し出している。
 かくいう僕も、そういった一言では表現しにくい系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、はっきりとは捕らえきれない面々の文芸部にも、とても明快な人が一人だけいます。微妙感漂う人たちばかりのオタクサークルに降臨した、絶妙な容姿の美少女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、僕の視線を受けて、にっこりと微笑んだ。その形のよい、ぷっくりとふくらんだ唇に、僕はうっとりとする。先輩の唇は、みかんの房のように可愛らしい。僕は、その甘酸っぱい果汁を口に含んでみたいと考える。
 ああ、先輩は何と素晴らしい容姿をしているのか。僕は、めろめろになりながら声を返す。

「どうしたのですか、先輩。知らない言葉に、ネットで出会ったのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。ネット上のすっきりとしない事態に対して、快刀乱麻を断つがごとく鮮やかな答えを出していく活動を続けています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、もやもや感そのままに書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、思わず言いよどんでしまう人たちの言説に遭遇した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「もにょるって何?」

 楓先輩は、僕に尋ねたあと、「もにょ、もにょ、もにょ」と反芻するようにして言った。ああ、もう可愛いなあ。僕は、そう思いながら考える。

 もにょるは、少々説明が難しい言葉だ。発生時期の意味と、その後普及したあとの意味が微妙に異なっているからだ。元々もにょるは、言葉にしにくいが、いろいろと歯がゆかったり、こそばゆく感じたり、むずがゆくなったりするような感情を表現した言葉だ。
 当然、言葉にしにくい感情を表現したものなので、その意味を正確に伝えることは難しい。

 僕は、このネットスラングについて思いを馳せる。きっと一年生の頃、僕は楓先輩に、もにょられていただろう。もう少しどうにかならないだろうか。まだまだ子供だし。そう思われていたはずだ。
 しかし、それから僕は成長した。今では、楓先輩の相談事を、鮮やかな手腕で解決する存在になっている。先輩はきっと、僕のそういった成長を実感しているだろう。そして、もにょる対象から、愛情を注ぐ対象へと、心を変化させていることだろう。

 ふっ。もにょるの説明を終えたあと、そのことについて尋ねてみよう。きっと、僕の望む答えを得られるはずだ。僕は、すでに勝った気になって、楓先輩への説明を開始した。

「楓先輩。もにょるという言葉は、某巨大掲示板の同人コミケ版という場所で、二〇〇〇年に立てられたスレが元ネタとされています。その『ヘボい本を読むと』スレで『なんかこう、おなかがモニョモニョします』と書き込まれたのが発端とされています。このモニョモニョしますが、次第に短くなって、もにょるになったわけです。

 では、このモニョモニョするというのは、どういった感情なのでしょうか? 元々のスレには『言葉にはしがたい感情です』と書いてありました。なので、言語化することは困難です。しかし、あえて言葉にするならば、こういった感じでしょうか。

 悪くはないんだけど、なんか微妙。やりたいことは分かるんだけど、実力が足りていない。読むと微妙な残念感が漂うんだけど、だからといって全然駄目なわけではない。ああ、昔自分も通ってきた道だ。自分の黒歴史を見ているようだ。何となく、すっきりとしない複雑な感情。
 そういった感じです。

 この言葉には、愛憎入り混じった思いが、心の中で渦を巻き、ちょっとコメントに困るといったニュアンスがあります。元々は、女性の同人界隈で使われていた表現で、それがネットに普及していきました。

 さて、このもにょるですが、広がっていくに従い、言葉の意味が変質していきます。元々は、もやもとして、すっきりしない様子。言いたいことがあるのに上手く言葉にできない感じ。というものでした。それが、不快、納得できないという意味でも、用いられるようになります。そして、罵倒や中傷、批判の目的でも利用されるようになります。
 これは、文句や不満を言いたい感情があるが、上手く言葉にできず胸中で渦巻くといったニュアンスになります。

 言葉というものは、ある共通認識を持っているコミュニティの中で用いられる、ラベルのようなものです。その集団から言葉が飛び出すと、共通認識が微妙に異なる集団の中で使われるようになります。その結果、元の意味とは違う、文脈や目的で用いられるようになります。
 このように、言葉は生き物のように、姿を変えていきます。言葉を使う際は、現実の世界で活用されている、フレッシュな感覚を追い続ける必要があります。

 しかし、それと同時に、言葉の原義を知ることも、重要なことだと僕は思っています。そうすることで、様々な文化的背景の人たちの、考え方や振る舞いを、知ることができるからです。
 というわけで、もにょるは元々、悪くはないけど、よくもなく、何となく意見を言いたいけど、上手い言葉が見つからないといった、言語化不可能な感情を表現する言葉でした。きっと一年生の頃の僕は、先輩がもにょるような存在だったと思います。しかし、今ではこんなにも、しっかりとした男児に成長したわけです。楓先輩も、そう思いますよね!」

 僕は、自分をよいしょする形で話を結んだ。そして、楓先輩と一緒に、一年生の頃の僕で盛り上がろうと思い、反応を待った。

「うーん、そんなことはないよ」

 楓先輩は、言いにくそうな顔で言った。

「えっ? あの、どういうことですか」

 僕は、楓先輩の台詞の意図が分からずに尋ねる。

「一年生の頃のサカキくんは、もにょる、もにょらない以前に、よく分からないことを延々と言い続ける、謎の後輩だったから」

 楓先輩は、過去の僕のことを、ばっさりと切り捨てた。
 何ということだ。僕の自己認識は、楓先輩とはまるで違っていた。どうやら僕は、意味不明な話題をしゃべり続ける、ただの痛いオタクだったらしい。

 仕方がない。過去は過去だ。僕は今と未来に生きよう。そう。僕は楓先輩に、現在の頼りがいのある僕を認めてもらえばよいのだ!

「楓先輩。今の僕は、どうですか? 楓先輩にも理解される、立派な男性になりましたよね!」

 僕は、肯定の答えを待ちながら、目を輝かせる。

「うーん。今のサカキくんは、もにょる状態かなあ」
「えっ?」

 僕は、困惑のために、挙動不審気味になる。

「何というか、知識はすごいんだけど、残念な感じがあるよね。サカキくんは、まさにもにょるという言葉に相応しい人だと思うよ」

 ぐはあっ! 僕は、楓先輩の言葉の一撃に、魂を砕かれてしまった。
 僕は、一年生の頃の自分がもにょるような人で、今はきちんとした人になっていると思っていた。しかし実態は、大きく違った。去年の僕は、理解不能な謎の人間で、現在の僕は、思わずもにょってしまう人間だった。
 僕は、現在進行形でもにょられる、微妙な立ち位置の存在だったのだ。

 それから三日ほど、僕は、奥歯に物が挟まったような気持ちで過ごした。楓先輩にとって僕は、思わずもにょってしまう後輩なのか。僕は楓先輩に、もにょられないように生きたいと思った。