雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第229話「あけおめ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、おめでたい頭をした者たちが集まっている。そして日々、正月さながらに浮かれ騒いでいる。
 かくいう僕も、そういった毎日がお祭りみたいな人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、喜び祝う面々の文芸部にも、冷静な人が一人だけいます。ビリケンさんの一個師団に囲まれた、迷信を信じない少女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、幸せそうに、にっこりと微笑む。その瞬間、周囲に少女マンガのような、花が飛び散ったような気がした。僕は、その幻の花の香りを嗅ごうとして、くんくんとする。先輩の甘い匂いが僕の鼻に広がった。楓先輩は、どうしたのだろうといった様子で、眼鏡越しに僕を見上げる。僕は、思わず咳払いをして、声を返した。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、知らない言葉に出会ったのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットでの振る舞いに長けているよね?」
「ええ。座敷童子のように、そのスレに僕が降臨すると、スレが賑わうと言われています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、いつでもぱぱっと書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、おめでたい人々の、気ままな書き込みを目にした。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「あけおめって何?」

 楓先輩は、「たまに見るのだけど、意味不明なの」と、言い添えた。

 ああ、最近までネットに触れておらず、こういった砕けた言い方をあまり使わない楓先輩は、この言葉に触れる機会がなかったのだろう。僕はそれが、あけましておめでとうの略であること、そして、あけおめメールという文脈で、ネットで話されることを伝えようとする。

 いや、ちょっと待て。僕がその話をすれば、楓先輩は、今年の年賀状を、あけおめメールで済ますかもしれない。そうすると僕は、年賀状をもらえないことになる。
 去年の楓先輩の年賀状は、手書きだった。僕は、楓先輩からの心のこもった手書きの年賀状を、今年ももらいたいのだ。だから、あけおめメールなんてものに、浮気しないで欲しい。そう、絶対!

 それに、あけおめと言えば、ことよろと続くことが多い。これも注意が必要だ。今年もよろしくお願いします。略して、ことよろ。
 あけおめ、ことよろを、続けて言うと、その八文字の中に、卑猥な言葉が現れてしまう。おこめ券みたいな何かが出現する。その罠も巧妙に避ける必要がある。
 僕は、様々な思惑を胸に秘めながら、説明を開始する。

「楓先輩、あけおめは、あけまして、おめでとうございます、の略です。この略語自体は、江戸時代からあるとも言われています。あけおめは、かなりカジュアルな言い回しなので、目上の人には使わない方がよいです。
 このあけおめが、ネットで話題になるのは、あけおめメールという文脈になります」
「あけおめメール? それはどういったものなの」

 楓先輩は、きょとんとした顔で、僕に尋ねる。

「はい。一月一日午前〇時、つまり新年が始まる瞬間に、日本中の人が、あけましておめでとう、というメールを送ることです。
 携帯電話などでは、長い文字を打つのが面倒なので、あけおめなどの、短い文字が選ばれます。そのため、こういったメールのことを、あけおめメールと呼ぶのです。

 さて、このあけおめメールには、大きな問題があります。一度に大量のメールが送られるために、携帯電話の回線やサーバーが、パンクするのです。そのため一月一日は、携帯電話キャリアのメールで遅延が発生しやすく、よく問題になります。
 ですから僕は、あけおめメールは控えるべきだと思います。そして、楓先輩は、手書きの年賀状を送るべきです。あけおめメールは、社会的に問題になるメールですからね。是非、年賀状にするべきです!!!

 えー、変な方に熱が入りすぎました。
 さて、あけおめに似たような言葉で、ことよろ、というものもあります。その話もしましょう。

 こちらは、今年もよろしくお願いします、の略です。そのため、あけおめ、ことよろ、とメールに書いて送る場合もあります。注意すべき点としては、あけおめと、ことよろの間に、読点やスペース、改行を入れた方が望ましいという点です。
 説明はこんなところです」

 僕は、あけおめについて説明を終えた。あけおめメールを、楓先輩が試さないように伏線を張り、あけおめことよろ、とならないように補足をした。これで、楓先輩が満足してくれれば、ミッションコンプリートだ。

「ねえ、サカキくん」
「何でしょうか、楓先輩?」

「なぜ、あけおめと、ことよろを繋げてはいけないの?」
「うっ」

 満足してくれなかった。僕は、どう返すか、必死に考える。

「そ、それは礼儀です。よくない言葉遣いですから……」
「どうして?」

 楓先輩は、不思議そうな顔をして、あけおめことよろ、と数回つぶやく。
 だ、駄目だ。続けて言わないでください! しかし奇跡的に、楓先輩は、その八文字に隠された卑猥な単語に、気付かなかった。
 ほっ。今日は運がよい。これで危機を乗り越えた。僕は、心の底から安堵する。その時である。楓先輩は、僕を見上げて口を開いた。

「ねえ、サカキくん。年賀状の代わりに、あけおめメールを試してみたいんだけど、サカキくんに送ってもいいかしら? 迷惑にならないように、午前〇時を避けて、昼過ぎぐらいに送ろうと思うんだけど、どう?」

 ぐっ、恐れていたことが来た。
 楓先輩は、なぜピンポイントに、僕が危惧していたことに目を向けたり、試してみようとしたりするのだろうか? もしかして、僕の心が読めるのか。そんなことを考えながら、僕は拒否の言葉を口にする。

「いや、あけおめメールはちょっと」
「そ、そう」

 楓先輩は、しゅんとした顔をする。かなり残念そうだ。そんな先輩を見て、僕は胸が痛くなる。

「あっ! もしかして……」

 楓先輩は、思い出したように声を上げる。

「何でしょうか、楓先輩?」

 僕は、心臓に悪いなあと思いながら尋ねる。

「もしかして、サカキくんは、喪中だったの?」
「えっ?」

 どうやら楓先輩は、僕があけおめメールを断った理由を、身内に不幸があったせいだと、勘違いしたようだ。

「ごめんね、サカキくん。気付いてあげられなくて! 今日の話がなければ、危うく年賀状を送るところだったわ。今年は、控えるね!」

 楓先輩は、僕をいたわるようにして言う。
 いや、待ってください。勝手に突っ走らないでください! 僕は、あけおめメールどころか、年賀状ももらえなくなることに、パニックになる。

「楓先輩! 僕は、喪中ではありません。僕は、あけおめメールではなく、楓先輩の年賀状が欲しいだけなんです! だから、あけおめメールを断ったんです。
 僕は、楓先輩が、僕の名前と僕へのメッセージを書いてくれることが嬉しいのです。そうして届いた年賀状をなでたり、抱いたり、添い寝したり、そんなことがしたいのです!」

 僕は、熱く主張した。

「えっ? それは、ちょっと……」

 楓先輩は、やばいものを見るような目で、僕のことを眺めた。どうやら僕は、ドン引きされたらしい。楓先輩は僕から距離を取り、フェードアウトした。

 それから三日ほど、楓先輩は部室で、僕を避け続けた。そして三日が過ぎ、ようやく今まで通りの距離に戻ってくれた。そのことに、僕はほっとした。しかし楓先輩は、年賀状のことを、一言も口にしてくれなかった。

 うわああ~~~ん。送ってくれるのか、送ってくれないのか、さっぱり分からないのですが!
 しかし、そのことを、楓先輩に直接聞く勇気は、僕にはなかった。年賀状と添い寝するやばいサカキくんという記憶を、思い出させたくなかったからだ。
 今年は、年賀状をもらえるのだろうか? もらえないのだろうか? 分からない。まったく分からない。ああ、年賀状! 僕は、楓先輩からの年賀状を夢見ながら、悶々として過ごすしかなかった。