雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第220話「転売ヤー」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、希少品に群がる者たちが集まっている。そして日々、一攫千金を夢見てさまよい続けている。
 かくいう僕も、そういった限定商品に弱い系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、他人を出し抜こうとする面々の文芸部にも、他人に関心を払わない人が一人だけいます。珍獣ハンターのキャラバンに紛れ込んだ、悟りを開いた尼僧。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。僕は先輩のあごのラインを見る。きめの細かい肌に覆われたその場所は、なめらかな曲線を描いている。僕は、そのあごに手を差し入れて、子犬をなでるように、あごの下をなでなでしたいと思う。その衝動を懸命に抑えながら、僕は声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、初めての言葉に遭遇しましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。坂本竜馬が、のちに海援隊となる亀山社中を結成して、貿易と政治を手がけたように、僕はネットの四方山話に熱中して、放蕩と遊戯に時間を費やしています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、私生活の時間を削って書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、奇妙奇天烈な言動の数々に触れた。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

転売ヤーって何?」

 楓先輩の質問を聞いて、ああそうか、先輩にはなじみのない言葉だろうなと、僕は思う。このネットスラングは、エロくもなく、危険な言葉でもないので、特に注意する必要はないだろう。僕は、気軽に先輩に答える。

転売ヤーとは、買った物をそのまま他人に売る『転売』と、買い手を意味する『バイヤー』を組み合わせた造語です。
 数が少ない希少性の高い商品を買い占めて、転売することで、利益を得るような人を指します。平たく言うと、転売屋のネットスラングバージョンです。

 この転売ヤーの、よく見られるケースを、いくつか紹介しておきます。
 まずは、ゲーム機やゲームなど、市場に出る数が少ないけれども、人気が予想できる商品を大量に購入するというパターンです。こうして買い占めることで、商品は市場で品薄になり高騰します。その状態の時に、ネットオークションなどを使い、高値で売ることで利益を出します。
 このタイプの転売ヤーの取り扱い対象は、子供向け商品にもおよんでいます。ブームになった『妖怪ウォッチ』の商品を買い占めて、子供の手に届かないようにして高額でオークションに出品するなど、その手法は非難を浴びています。

 また、特定の場所で、限定の人数だけに販売される商品を扱う転売ヤーもいます。たとえば、オタク向けイベントの会場で限定販売される商品。また、福袋なども対象になります。
 家電量販店の福袋は、中国からの転売ヤーが買い占めることで、問題になっています。また、そういった中国からの転売目的の人は、アイフォーンの日本発売に合わせて、大量に人を並ばせて、ニュース沙汰になったこともあります。

 さらに、コンサートなどのチケットを扱うダフ屋、特にネットでその行為をしている人も、転売ヤーと呼ばれることがあります。
 というわけで、転売ヤーと一口に言っても、様々な人が存在します。また、組織的な転売の場合は、非合法団体の資金源になることもあるので、注意が必要です。

 こうした転売ヤーは、ネットでは忌み嫌われています。通常の買い手が、正規のルートで商品が入らず、不当に高い値段で買わされることになるからです。
 販売元や製造元も、この転売ヤーを排除するために、様々な工夫を強いられています。メーカーの人々にとって転売ヤーは、本来のユーザーに不利益を生じさせる、排除したい存在だからです。

 転売ヤーと揶揄される人は、基本的に他人が嫌がったり、迷惑したりすることで利益を得ているケースが多いです。ネットでは儲ける人を嫌う、嫌儲という文化があります。転売ヤーは、そういった視点からも嫌われます。
 こういったことがあるために、転売ヤーという言葉には、多くの場合、蔑視の意味が込められています」

 僕は転売ヤーの説明を終えた。楓先輩は、なるほどといった顔をしたあと、口を開いた。

「ねえ、サカキくん」
「なんでしょうか、楓先輩?」

「サカキくんには、転売ヤーの知り合いはいないの?」
「僕の周りにはいないですね」

「じゃあ、ネットで見たことはあるの?」
「それはあります。僕が欲しかったものを買い占めて、ネットオークションに出品していましたから。出品者への質問欄を使い、苦情のやり取りをしたことがあります」

「そうなのね。それで、いったいどんな商品で、転売ヤーに遭遇したの?」
「それはですね」

 僕は、そこまで台詞を言って凍りついた。その商品は、楓先輩の前では、到底語れないようなものだったからである。

 一ヶ月ほど前のことである。僕は、あるエロゲの限定フィギュアが発売されるので、抽選予約に申し込んだ。それは、是が非でも手に入れたい商品だった。しかし、落選のメールが届いた。生産数は三百個。何でこんなことになっているんだよ? それも、受注生産でなく、抽選なんだよ? 僕は憤った。
 メーカーの抽選ページには、一人一回までしか応募できないと書いてあった。きちんとルールを守った僕は、一回しか申し込みをしておらず、選に漏れてしまったのだ。

 そのフィギュアは、ゲームの中で、人気がない方から数えて二番目のヒロインのものだった。それは、三つ編み眼鏡の図書委員のフィギュアだった。
 僕は、そのフィギュアに、並々ならぬ関心を持っていた。なぜならば、ゲームの中での名シーンが再現されていたからだ。
 学校の廊下で、主人公と正面衝突して転んでしまい、その子がM字開脚になる。そして、普段清楚なあの子が、みんなに見せないような場所を、主人公にあらわにしてしまう。

 主人公が何よりも驚いたのは、その場所に、あるべきものがなかったからだ。そう。はいていなかったのだ。そして三つ編み眼鏡さんは、羞恥のために顔を真っ赤に染めた。
 物語はそこから、「なぜはいていなかったか?」の、ミステリーを解き明かす展開になる。その衝撃のシーンを再現したフィギュアを、僕は何としても手に入れたかった。

 その悲しみの落選から数日後、僕は驚くべき事実を知る。そのフィギュアは、一人の転売ヤーによって、ほとんど買い占められていたのだ。僕はそのことを、ネットオークションの検索結果で知った。僕は怒り心頭になり、出品者への質問欄に、買い占めを非難する書き込みをした。
 その解答は、こうだった。

「この愚民どもが! 入手できなかった自分の不手際を棚に上げて、他人を非難するとは何事だ。俺は普段から、商品を獲得するのに、可能な限りの努力をしている。知り合いの名前を借りて、営業所止め置きサービスを駆使して、商品を仕入れるようにしているのだ。非難されるいわれはない!」

 ぐぬぬ。確かに、正規に応募して当選したのかもしれない。一人一回という制限も、実在の人間の名前を借りて使えば、ぎりぎりルール違反ではないのかもしれない。しかし、納得がいかなかった。僕は悶々とした。そして、その質問欄のURLを、メーカーに送付した。

 それから一週間後に、僕はメーカーからのメールを受け取った。同一人物からの大量予約という不正があったので、その人を外して、その商品分の抽選をやり直すという案内だった。どうやらメーカーは、名義が違う中から、同一人物を特定して、不正と見なしたようだ。

「よっしゃあ!」

 僕は、「メーカー、グッジョブ!」と思いながら拳を握った。これは流れからして、僕が買えるはずだと思い、追加分の当選結果を待った。
 僕は、再び落選した。ううっ。
 涙目になった僕は、再度ネットオークションを検索した。検索結果には、商品は一点も出品されていなかった。どうやら、メーカーは本気で対処して、複数購入者をすべて当選から外したらしい。

「メ、メーカー、グッジョブ……」

 くっ、痛み分けか。転売ヤーを儲けさせず、一矢報いることができた。しかし、僕も、フィギュアを手に入れることができなかった。
 というか、メーカーよ。僕が欲しい商品を、なぜ限定販売にするんだ? きちんと受注生産にしてくれよ! 僕は、心の中で泣きながらそう思った。そういったことが、つい最近あったのだ。

「ねえ、サカキくん。それで、いったい、どんな商品で、転売ヤーに遭遇したの?」

 うっ。僕は口ごもる。さすがに、三つ編み眼鏡で、M字開脚で、はいてないフィギュアだとは言えない。
 僕は、楓先輩の姿をちらりと見て、先輩が同じ状態になっている様子を想像する。だ、駄目だ。鼻血が出る。必死に逃げの一手を考えた挙げ句、僕の口から出たのは、こんな台詞だった。

「と、特別なものです。そうとしか言えません。僕はそれを手に入れることができなかったので、お見せすることはできません!」

 楓先輩は、「えっ、それだけ?」といった顔をして、もっと先を教えて欲しいといった目をした。僕はその期待に応えることができなかった。

 それから三日ほど、猟犬のようにしつこい楓先輩は、延々と僕につきまとった。僕は、頑なに口を閉ざして、楓先輩からの追求を避け続けた。
 三日が経ったあと、楓先輩は興味を失った。それだけでなく、僕自体への関心も失った。うわあああん。これならば、エロフィギュアのことを話した方がよかったかもしれない。今からでも言うべきか? 僕はそのことを告白するべきかどうか、激しく悩んだ。