雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第215話「邪気眼」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、闇の力を身に付けた者たちが集まっている。そして日々、覚醒と理性の間で戦い続けている。
 かくいう僕も、そういった秘められた力を持つ系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、光と闇の戦士たちの文芸部にも、妄想とは無縁な人が一人だけいます。オカルト雑誌で前世探しをする人々に紛れ込んだ、現実主義者のお姉さん。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横にすとんと座る。僕はそんな先輩の腰の辺りを見る。まだ女性らしいふくらみを見せていない楓先輩は、腰も細くすらりとしている。その様子は、胸と同じで控えめだ。僕は、そんな先輩の起伏の乏しい体も可愛いと思いながら声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで未知の言葉に出くわしましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。イギリスきっての錬金術師ジョン・ディーが、エノク語で天使の言葉を伝えたように、僕はネットスラングで、集合知の言葉を伝えます」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、妄想爆発気味に書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、無数の妄言、暴言を目撃した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

邪気眼って何?」

 楓先輩はその言葉を告げ、にこにことしながら僕のことを見上げた。ああ、確かにこの言葉の意味は、ネット知識やオタク知識がない人には分からないだろう。僕は、邪気眼について説明するために口を開こうとする。
 その時、部室の一角から声が聞こえてきた。

「サ、サカキ先輩。邪気眼という言葉は、聞きたくもありません!」

 うん? 僕が振り向くと、そこには僕の苦手な相手、一年生の氷室瑠璃子ちゃんが座っていた。

 瑠璃子ちゃんは、氷室という名の通り、僕に対して氷のように冷たい女の子だ。だが、瑠璃子ちゃんの特徴は、それだけではない。どう見ても、小学校低学年にしか見えない外見。そして人形のように整った顔。その姿と、目付きと、きつい性格のせいで、「幼女強い」という謎の陰口を叩かれている女の子だ。

 その瑠璃子ちゃんは、なぜか僕に厳しい。「テストの点数が悪いのは、テストの文字が小さすぎて見えないからですか」とか、「下品なことばかり言うのは、前世が劣悪な人間だったからですか」とか、「挙動が不審なのは、神経回路にどこか欠陥があるからですか」とか、世話焼き女房のように、いつも小言を言ってくる。
 僕のガラスのハートは、そのたびに粉々に砕けそうになる。瑠璃子ちゃんの言葉の暴力に、僕はいつも打ちのめされているのだ。

 その瑠璃子ちゃんは、いつもと違い、顔を真っ赤に染めながら、僕の邪気眼の説明に横槍を入れてきた。いったい、なぜだろうと僕は考える。

「ねえ、瑠璃子ちゃん。『邪気眼!』が、何か気になるの?」
「サ、サカキ先輩。その言葉を口にしないでください」

「うーん、気になるな。なぜ、瑠璃子ちゃんは、『邪気眼!』にそんなに反応をしているの?」
「な、何でもありません!」

 どうやら、瑠璃子ちゃんは、邪気眼という言葉に、何かトラウマがあるようだ。これは、いつもやり込められている僕にとってはチャンスかもしれないぞ。僕は、記憶を必死にさかのぼらせて、瑠璃子ちゃんと邪気眼の関係について、思い出そうとする。

 それは、僕が小学三年生の時のことだった。三年生と言えば、中学生や高校生では最上級生。それだけの経験を積んだ僕は、この小学校世界で、揺るぎない地位を得ていた。
 そんな、上級生としての威厳が溢れる僕は、その日の放課後、運動場の片隅にあるプールの女子更衣室の近くにいた。なぜ、そんな場所にいたのか理由は簡単だ。そこに女子生徒の残り香があるかもしれないという、実存に関する哲学的な命題に、僕は挑んでいたのである。

 僕は、プール更衣室の近くに立っている。プール更衣室の近くにはプールがある。それだけではない。運動場とプールの境目には金網があった。それはまるでデジャヴのようだった。そして、金網の前には瑠璃子ちゃんが立ち、プールを見つめていた。僕はそういった状況を発見したのである。

 僕と瑠璃子ちゃんの距離は、五メートルほどだった。完全に無視するのもどうだろうかと思い、声をかけることにした。

「ねえ、瑠璃子ちゃん。そこで何をしているの?」
「くっ、邪魔をされたか。第三の目で、プールの上に現れた水妖を見ていたのだが。まだ覚醒間もない私の目では、これが限界と言うべきか」

 瑠璃子ちゃんの返答に、僕は凍りついた。小学二年生で幼女にしかすぎない瑠璃子ちゃんは、どうやらその高すぎる知性のせいで、中学生がよく発動する、邪気眼という病に罹患してしまったようである。

「あの、瑠璃子ちゃん。大丈夫?」
「っぐわ! ……くっ! ……また暴れだした。私の中に潜む闇の力が、プールに潜む水妖に反応して、暴走しかけている。サカキ先輩にも、危害がおよぶ可能性があります。素早い待避をおすすめします!」

 これは重症だ。僕は瑠璃子ちゃんに近付き、声をかける。

「えー、瑠璃子ちゃん。それは邪気眼という、マンガやアニメ好きの中学生が、よくかかる病だよ」
「くっ、私のように第三の目を持たぬ物には、分からないのだろう」

 瑠璃子ちゃんは僕をにらむ。瑠璃子ちゃんは、元々目付きが鋭く、他人をにらみ殺せそうな目をしている。その視線はとても恐ろしく、邪気眼などなくても人を死に追いやれそうだった。

 これは、関わらない方がよいのか? しかし、このまま放っておくと問題がありそうだ。というか、あとで瑠璃子ちゃんが恥ずかしい思いをする。僕はまだ邪気眼を発動させたことはないけれど、過去に発動させた人が大人になって赤面する様子を、ネットで何度も見ている。
 僕は、瑠璃子ちゃんの精神を救うために、声をかける。

「ちょっと瑠璃子ちゃんを撮影するね」

 不思議そうな顔をする瑠璃子ちゃんをよそ目に、僕はスマートフォンを出して、瑠璃子ちゃんの痛い言動を動画撮影し始めた。瑠璃子ちゃんは、プールに潜む妖魔と自分の第三の目の関係について、滔々と語り続けた。

 翌日のことである。幼女の瑠璃子ちゃんは、額に眼帯をして学校に登校してきた。おそらく、第三の目を、世間から隠すためだろう。しかし、そんなことをしたいのならば、鉢巻きなどにするべきだ。それを、わざわざ眼帯を付けて目を隠していると主張する辺りに、瑠璃子ちゃんの邪気眼の重症さが窺い知れた。

「瑠璃子ちゃん」
「何ですか。私の魔界時代の上司にして、現世における導き手であるサカキ先輩」

 いつの間にか、設定が増えていた。

「今の瑠璃子ちゃんが、どういった状態なのか、客観的に見せてあげるね」
「ふっ、客観的にだと? 私のオーラが周囲に漏れているとでも言うのか。よかろう、見てやらぬでもない。どんな状態なのか、見せるがよい。わが上司にして導き手のサカキ先輩」

 僕は、ポケットからスマートフォンを出して、昨日撮影した動画を瑠璃子ちゃんに見せた。
 プールの金網の前で、誰もいないプールに向かって、謎の呼びかけをする瑠璃子ちゃん。その様子を確認した瑠璃子ちゃんは、顔を青くして、身をぷるぷると震わせて、僕にすがり付いてきた。

「サ、サカキ先輩。この動画を止めてください」
「どうだった?」

「ど、どうやら私は、恥ずかしいことをしていたようです」
「うん。瑠璃子ちゃんの邪気眼に巻き込まれて、僕は葬られかけていたみたいだね」

「サ、サカキ先輩!」

 瑠璃子ちゃんは、顔を真っ赤に染めて、僕をぽかぽかと叩いてきた。僕は、ごめんごめん、と言いながら、その動画を止めて、スマートフォンをポケットにしまった。
 瑠璃子ちゃんは、その時以来、第三の目の話をしなくなった。そんなことが、小学三年生の時にあったのである。

「ねえ、サカキくん。それで、邪気眼ってどういう意味なの?」

 いつも通り空気を読まない楓先輩が、邪気眼の思い出を消そうと必死になっている瑠璃子ちゃんを無視して、尋ねてきた。
 僕は一瞬躊躇する。邪気眼の説明をすると、瑠璃子ちゃんのトラウマをえぐることになる。しかし、説明しなければ楓先輩からの信頼を失ってしまう。瑠璃子ちゃんを選ぶか、楓先輩を選ぶか。僕は、一秒考えたあと楓先輩を選択した。

「楓先輩。邪気眼とは、若気のいたり的な、痛い妄想と言動のことです。自分は選ばれた人間で、マンガやアニメにありそうな特殊能力があると信じ込み、そういった能力がある前提で振る舞ったり、会話したりすることを指します。

 なぜ、そういった現象を邪気眼と呼ぶかというと、元ネタがあるからです。その元ネタは、ネット掲示板に投下された、ある書き込みにあります。その書き込みには、中学生の頃に格好よいと思って、腕に包帯を巻いて、そこに謎の力が宿っているような振る舞いをしていたという、体験が記されていました。

 その文章の中で、『自分で作った設定』『俺の持ってる第三の目』として邪気眼という言葉がありました。そのことから転じて、こういった思春期にありがちな、選ばれた人間、特殊能力といった現象を総じて、邪気眼と呼ぶようになりました。

 この邪気眼には、さらに元ネタがあります。それは、冨樫義博のマンガ『幽☆遊☆白書』に出てくる飛影というキャラクターです。飛影は、後天的に得た第三の眼『邪眼』の持ち主で、腐女子に大変人気がありました。
 この飛影は、背が低く、目付きが悪く、いつもツンツンしている癖に、重要なところでは仲間として活躍したりします。こういったキャラクターは女性受けがよく、似たタイプのキャラとしては、鳥山明の『ドラゴンボール』に出てくるベジータ諫山創の『進撃の巨人』に出てくるリヴァイ兵長などがいます。

 話は逸れましたので、邪気眼の話に戻りましょう。邪気眼は、思春期の男性の痛い妄想と言動ですが、その妹版として影羅というものもあります。また、こういった感じの設定を、邪気眼設定、作品を邪気眼作品と呼んだりします」

 僕は、邪気眼についての説明を終えた。

「なるほどね、そういった意味だったのね。それで、瑠璃子ちゃんは、なぜ騒いでいるの?」

 楓先輩は、いつもの調子で、無邪気に僕に尋ねてきた。
 ふっ、今回は、先輩の危険な興味が、僕ではなく瑠璃子ちゃんに向いている。これならば恐れることはない。僕は、楓先輩に事実を伝えるために、口を開く。

「それはですね、楓先輩。瑠璃子ちゃんが昔、邪気眼に目覚めていた時期があるからです」

「だから、邪気眼という言葉に反応していたの?」
「そうです!」

 僕の答えに、瑠璃子ちゃんは精神的ダメージを受けて、ふらふらの状態になる。いつも、やり込められている僕は、ここぞとばかりに、フィニッシュブローを放とうとする。

「楓先輩。実は、瑠璃子ちゃんが邪気眼を発動した時の動画がまだあるのです。見ますか?」
「見たいわ」

 楓先輩は、好奇心の塊のような顔をして答えた。僕は、颯爽とスマートフォンを取り出して、厨二病的修辞で、前置きを語り始めた。

「今ここに、過去の封印を解き、禁断の瑠璃子嬢の邪気眼動画を復活させる時が来た! さあ、蘇れ、邪気眼動画よ! わがスマートフォン上で、過去の時間を再生するがよい!」

 小さな手が視界に飛び込んできた。そして、僕のスマートフォンを素早く叩き落として、小さな足で踏み付けた。

 ガシャン!

「ノ~~~~~~~~~!」

 スマートフォンを破壊された僕は絶叫する。その僕の前には、氷のように冷たい目で、僕をにらみつけている瑠璃子ちゃんがいた。どうやら僕は調子に乗りすぎたようだ。僕は、すごすごと、引き下がることにした。

 それから三日ほど、楓先輩は僕のところにやって来ては、邪気眼がどんなものか、実例を通して知りたいから、瑠璃子ちゃんの動画を見せてくれとせがんだ。
 本当は、クラウドに動画のバックアップがあるのだけど、僕は瑠璃子ちゃんが怖いので、楓先輩に見せることができなかった。ううっ、この動画は封印した方がよさそうだ。僕は、ほとぼりが冷めるまで、何度もせがんでくる楓先輩から、逃げ回り続けた。