雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第214話「トピ主」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、話題の提供に余念のない者たちが集まっている。そして日々、とれ立ての話題を机の上に載せ続けている。
 かくいう僕も、そういった流行の最先端に飛びつく系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、新しもの好きな文芸部にも、古い世界を好む人が一人だけいます。藤子・F・不二雄のSF世界に紛れ込んだ、白土三平の時代劇キャラ。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちんまりと座る。先輩は眼鏡を直して、にっこりと微笑む。背筋はぴんと伸びていて、指先は膝の上できれいにそろえている。その所作は、清楚で可憐。そして凜としている。そんな先輩の表情は、にこにこ顔だ。僕は、その楓先輩の様子にめろめろになりながら、声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで知らない言葉に出会いましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。エイブラハム・リンカーンが奴隷解放宣言で様々な議論を呼び起こしたように、僕はネット掲示板への書き込みで、様々な議論を喚起します」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、疑問を抱いた瞬間に書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、無数の意見に遭遇した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「トピ主って何?」

 楓先輩は、不思議そうな顔をして質問した。ああ、確かに、この言葉から、元の形を推測するのは難しいだろう。僕は考える。何か危険なことはないだろうか。問題ない。エロくもないし、危ない内容でもない。僕は安心して説明を開始する。

「トピ主は、トピックの主、または主人の略です。このトピックというのは、話題ごとにページが作られるネット掲示板で、個別に作られるページを指します。ネット掲示板では、話題ごとのページのことを、スレッドやトピックと言います。
 トピ主と言う場合は、トピックと呼んでいるネット掲示板での用語になります。有名所では、発言小町というサイトが、トピックという用語を採用しています。

 発言小町のような掲示板では、質問を出すと、トピックというものが作られます。そして、そのトピックに対して、回答者が返信を書いていく形式になっています。そのため、トピックを作った人を、トピ主と言うのです。
 特に発言小町では、掲示板に、そのものずばり『トピ主』と書いています。そのため、トピックを作った人を、自然とトピ主と呼ぶようになります。

 このトピ主は、多くの場合、トピヌシと読みます。同じように、スレッドを立てた人はスレ主と書き、スレヌシと、ニコニコ動画で生放送をしている人は、生主と書き、ナマヌシと呼びます。

 とはいえ、少数ですが、トピ主をトピシュと呼ぶ場合もあります。どちらが正しいというか、まあネットの文字文化の世界なので、どう読んでも構わないと思います。有名なところでは、『斗比主閲子の姑日記』というブログがあり、この執筆者はトピシュさんとなっています。
 同じように、トピ主のことを、トピシュという場合がまれにあります。まあ、ほとんどの人は、トピシュではなくトピヌシと呼びますので、そちらで覚えておけばよいでしょう。

 また、まれにトピ主をトビ主と、ピを貧乏のビと書いているケースがあります。これは、元の形がトピックなので、トピックのピが正しい文字になります。まあ、文字が小さいと分かりにくいので、仕方がないですね」

 僕は、ざっくりとトピ主について説明した。楓先輩は、なるほどといった顔をしたあと、僕に声をかけてきた。

「ヌシと読むか、シュと読むかは、面白い話題ね」

 言葉について興味のある楓先輩は、主の音の違いについて食いついてきた。

「そうですね。主という漢字については、訓読みには、ヌシ、オモ、アルジ、といったものがあります。音読みには、漢音のシュ、呉音のスがあります。

 漢音は、奈良時代から平安初期に、遣唐使や渡来中国人によって入ってきた漢字音です。呉音は、この漢音が渡来する前に、朝鮮半島経由で入ってきた、中国南方系の漢字音です。また、唐音というものもあり、こちらは平安中期から江戸時代までに伝来した、商人や禅僧によって伝わった漢字音になります。

 主という漢字では、他の漢字と結びつき熟語となったものには、ヌシ、シュ、スのそれぞれがあります」

「それなら私も知っているわよ。ヌシの音ととしては、おぬし、飼い主、株主、神主、地主、名主、船主、荷主、家主といった熟語があるわよね。
 シュはもっと多いかな。救世主、君主、金主、教主、宗主、自主、社主、旧主、祭主、亭主、天主、店主、当主、藩主、領主、楼主といった熟語があるよね。あと、主人など、頭に付く場合はシュの読みが多いよね。
 スは、座主、坊主ぐらいかなあ、思い付くのは」

 楓先輩は、すらすらと単語を口にした。相変わらずこういった言葉遊びは好きなようだ。

「ええ。漢字の音は、様々ありますし、ネットでは、その読みの違いで遊んだりもします。そのため、今は正しいと思っている読みや意味も、数年経てば変わることもあります」

 僕は、先輩との言葉についての会話を楽しむ。

「ねえ、サカキくん」
「何でしょうか、楓先輩?」

 僕は、にこにこ顔で尋ねる。

「サカキくんはネットの達人よね」
「ええ」

「だから、様々なネットの経験をしているよね」
「もちろんです」

「そんなサカキくんは、トピ主になったことはあるの?」
「もちろんです」

「じゃあ、最も近くに、トピ主になった時の話を、教えてくれる?」
「ええ、もちろん……」

 僕は、そこまで口にして凍りついた。しまった。地雷を踏んでしまった。僕は、最後にトピ主になった時のことを、記憶に蘇らせる。

 それは、一週間ほど前のことである。僕は、某有名質問掲示板に、トピ主として質問を投下したのである。その頃、恋について悩んでいた僕は、「眼鏡っ娘と付き合うには、どうすればいいですか?」という、何ともストレートな質問を投下したのである。

 それは、安易すぎる質問だと言えた。そして、爆釣間違いなしの、釣り質問であった。僕は、楓先輩を想定して質問したのだが、質問文を読んだ人からしてみれば、僕が重度の眼鏡フェチで、眼鏡をしていれば誰でもよい人間だと見えてしまったのである。
 ええ、まあ、それほど間違いではないのですが……。そして僕は、外見だけから他人を判断する人間として、猛烈な批判を浴びたのである。

 ――トピ主さんは、女性を外見だけから判断する人なのですか? 最低です。
 ――トピ主さんは、眼鏡フェチですか。そんな外見的特徴で人を判断するような人は、腹を切って死ぬべきである
 ――トピ主さんは、眼鏡が好きなのですか、それとも女性が好きなのですか。そんな外見的特徴で人を判断するような人は、眼鏡と心中してください。
 ――トピ主さんは、眼鏡が好きなのですね。奇遇です。僕も好きです。眼鏡最高!
 ――トピ主さんは、変態さんですね。変態さんは、この世から撤退してください。

 途中、変態仲間っぽい人の書き込みがありつつ、おおむね僕は、罵声の十字砲火を浴びてパソコンの前で灰になった。
 そう。僕は忘れていたのだ。僕が書き込んだ質問掲示板、失言小町は、失言した人を叩く気満々の人々が集う、危険な場所だったことを。

 僕は仕方がなく、みんなの怒りを静めるために、レスを投下した。

 ――すみません。トピ主です。眼鏡っ娘と書いたことで、特定の外見で人をカテゴリ分けして、ステレオタイプで見る、痛い人と思われてしまったようです。相手の人のことをきちんと書きます。僕が好きなその人は、眼鏡っ娘で、三つ編みで、貧乳なのです。

 これで大丈夫。そう思ったことも束の間、今度は罵詈雑言の絨毯爆撃が、僕の精神を焦土と化したのだ。

 ――トピ主さんは、×××で、×××で×××なのですね。××です。
 ――トピ主さんは、××です。×××なんて、××です。×××してください。
 ――トピ主さんは、××××ですか? ××は××らしく、××××するべきです。
 ――トピ主さんは、眼鏡が好きなのですね。奇遇です。僕も好きです。眼鏡最高!
 ――トピ主さんは、××ですね。××は、×××して、×××しなさい。

 途中、約一名、変態さんが湧いて出たのを除いて、すべてが僕を否定する意見だった。僕は、モニターの前で、スライムのように溶解してしまったのである。

「ねえ、サカキくん。どうしたの?」
「はっ!」

 楓先輩の言葉で、僕は意識を文芸部の部室に戻した。トラウマまみれの、最後のトピ主経験を、楓先輩に語るわけにはいかない。内面ではなく、外面で女性を見ると叩かれたことなんて、言えるわけがない。それも、眼鏡っ娘、三つ編み、貧乳について質問していたなんて、口が裂けても言えない。

「ねえ、サカキくん。教えてちょうだい。最も近くに、トピ主になった時の話を」

 そんな僕の気持ちなど知らない楓先輩は、僕から言葉を引き出そうとして、一生懸命質問してくる。どうするべきか。ここは、逃げの一手だ。僕は、目くらましの台詞を述べることにした。

「楓先輩。トピ主になると、ネット中の人から、どんな理由で叩かれるか分かりません。なので、トピ主になるのは注意した方がよいです。僕から言えるのは、それだけです」

 そして、僕は話題を切り上げた。

 それから三日ほど、僕は楓先輩に、最後にどんなトピックを立てたのか聞かれ続けた。うわ~~ん。楓先輩のしつこそさは、今に始まったことではないけれど、僕のトラウマをえぐるのはやめてください!
 その三日間、僕は口をつぐんで逃げ回った。

 三日後、先輩が諦めたことで、僕はようやく安心した。げに恐ろしきは、楓先輩なり。僕は、純真無垢な楓先輩の恐ろしさを、垣間見た気がした。