雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第212話「ヲチ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、他人の観察に命を賭ける者たちが集まっている。そして日々、ストーカーに間違えられて、右往左往している。
 かくいう僕も、そういった熱視線を送る系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、他人に興味を持ちすぎな面々の文芸部にも、自分の道を突き進む人が一人だけいます。「家政婦は見た!」の市原悦子ばかりの屋敷に迷い込んだ、「家政婦のミタ」の松嶋菜々子。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。僕は、そんな先輩の足下を見る。上履きに収められた足は小さくて可愛い。その足首は、ほっそりしていて、高校生のような太ましさは持っていない。そんな、ちょこんとした感じの先輩の足を、好ましいと思いながら、僕は声を返す。

「どうしたのですか、先輩。知らない言葉にネットで出会いましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットをよく見ているわよね?」
「ええ。想田和弘監督が、観察映画と自身が呼ぶドキュメンタリー映画を撮り続けるように、僕はネットを観察して毎日を送っています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、鋭い観察眼で書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、様々な定点観察を目撃した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「ヲチって何?」

 楓先輩は、「『ヲ』は『わをん』の『を』だよ」と、付け加える。
 ええ、知っていますとも。僕は、ある意味ヲチャですから。ヲチは、香ばしいサイトや人物、企業、国家などを生暖かく見守る行為だ。そして、ヲチャは、それをする人である。

 では、いったい僕が、どんな対象をヲチしているかというと、それは実は楓先輩だったりする。僕の憧れの対象であり、恋愛対象でもある先輩だが、それなりにというか、けっこう変わった人だったりするからだ。
 周囲を気にせず、自分の欲望のおもむくままに本を読んでいたりする。さらに、会話の空気を読まずに、僕の心にぐさりとくる発言をしたりもする。楓先輩は、そういった感じで、変人と呼べる部分を持っている。そういった楓先輩の奇妙な行動を、恋愛感情とは関係なく、僕はヲチしているのだ。

 でも本当は、ヲチしているだけでなく、先輩にもっと関わって、その人生に巻き込まれたいと思っている。しかし僕はシャイだから、なかなかそういったことを言い出せない。その結果、少し離れたところから、観察するにとどめているのだ。

 そこまで考えて、今回の言葉は大丈夫だろうかと考える。ヲチの説明をすることで、僕のこういったネットストーカー的なヲチ行為が、見抜かれてしまうのではないだろうか? いや、その危険はない。僕の心の中が、そんなに簡単に楓先輩に覗かれるわけがない。
 そこまで察しがよいのなら、先輩は僕の恋心に、もうとっくに気付いて、何らかのアプローチを取っているはずだ。ヲチという言葉に危険はない。僕はそう考えて、この言葉の説明を開始する。

「先輩。ヲチとは、ウォッチのネットスラングです」
「なるほど。ウォッチは、watchでWが含まれるものね。だから、ヲッチで、ヲチなのね」

「そうです」
「じゃあ、ヲチは腕時計のことを表すの?」

「違います。別のウォッチの意味から派生しています」
「観察したり、見張ったりすること?」

「はい。ヲチは、そこから派生した言葉です」
「ということは、何かを観察したり、見張ったりするの?」

「そうなります」
「その対象は何なの?」

 楓先輩は、早く教えて欲しいといった様子で、僕に体を近付けてくる。先輩は、興奮すると、相手にずんずんと近寄っていく性質を持っている。だから僕の説明を聞く時には、いつも体を密着させてくるのだ。
 僕はそんな先輩に、ヲチの話の続きを語る。

「ヲチの対象は、行動や言動がちょっと変な人や集団、組織です。また、犯罪者めいていたり、何かやらかしそうな雰囲気を持っていたりする相手も対象になります。そういった存在を、監視したり、観察したりして、にやにやするのがヲチになります。

 また、その監視の仕方も、普通の監視とは少し違います。対象にからまない監視です。
 応援する気は当然なく、どちらかというと冷笑的で、冷たい目でも温かい目でもない生暖かい目で、少し距離を置きつつ監視するといった感じです。
 そして、監視対象が何かをやらかすと、これまでの監視を活かして、情報をまとめてネットに公開したりもします。

 では具体的に、どういった相手が監視対象になるのかを説明しましょう。陰謀論に染まっていたり、言動がおかしかったり、犯罪自慢をしている、個人のブログやSNS。また、よくやらかしている企業や、メディア。そこらへんが多いのではないでしょうか。中には、近隣諸国をヲチする人もいます。
 ヲチは、にやにやしながら監視するイメージの言葉です。そういた行為は、基本的に悪趣味なので、あまりしない方がよいです」

 僕は、ヲチについての説明を終えた。
 当然、僕が楓先輩のことを、恋愛とは切り離してヲチしているとは伝えなかった。まあ、僕のは、にやにやしているわけではなく、ドキドキしているわけなので、ストーカーに近いのでしょうが。

 説明が終わったあと、楓先輩は、一人で考え込み始めた。いったい、どうしたのだろう。

「もしかしたら私、サカキくんを少しだけヲチしているのかも。ううん、にやにやしたりはしていないんだけど」

 楓先輩は、ぼそりと言う。

「えっ? もしかして、楓先輩は僕のことが気になって、観察しているのですか?」

 これは相思相愛フラグかと思い、僕は楓先輩に尋ねる。

「サカキくんって、ちょっと変わった言動とか行動とかが多いでしょう。だから、目立ってしまうというか、注目してしまうというか、思わず、何をしたのかメモを取ったりするの」
「そ、それは、僕のことが気になるからでしょうか?」

 ああ、僕と楓先輩は、もしかして同じ考えを持っているのかもしれない。僕が楓先輩をヲチして、楓先輩が僕をヲチしている。さらに、僕が楓先輩に恋愛感情を持っていて、楓先輩が僕に恋愛感情を持っている。
 僕は、そのことに期待を込めて、楓先輩の返事を待つ。

「ううん。気になるからじゃないよ。サカキくんの言動や行動は、珍しいから、自分で小説を書く時のキャラ付けに利用しやすいの。ちょっと変わった登場人物とかを出したい時は、サカキくんフレーバーを使えば、すぐにそれっぽくなるから」
「えっ?」

 そんな理由で、楓先輩は僕を観察しているのですか? いや、にやにやされるよりは、ましなのですが……。

 僕は、楓先輩と僕の関係を考える。二人の間柄は、二重惑星のようなものだと思っていた。互いに相手の重力に引かれて公転する。そういった関係だと信じていた。
 しかし、それは僕の勝手な思いこみだったようだ。僕は親愛の情を持ちつつ、一歩退いて楓先輩を観察していたが、楓先輩は、変人枠として僕の記録を取るのが目的だった。

 いや、ここで諦めては駄目だ。もう一つ、確認しなければならないことがある。僕は、ヲチするとともに、そうやって観察した先輩の人生に、できるならば巻き込まれたいと考えていた。巻き込まれ系主人公の僕は、楓先輩に巻き込まれて、翻弄されるのは本望ですよと思っていた。

 確認しよう。先輩が僕と二重惑星であることを信じて突撃しよう。僕にとっての美しいイスカンダル。「宇宙戦艦ヤマト」に出てくるその惑星を頭に浮かべながら、僕は質問を開始する。

「楓先輩! 僕は、先輩をヲチするとともに、先輩の行動に巻き込まれてもよいと思っています。先輩も同じように考えては、いないでしょうか?」

 僕は、大金を賭ける気持ちで、楓先輩に尋ねた。

「えっ?」

 先輩は、当惑の顔をする。あっ(察し)。
 僕は、みなまで聞かなくても、楓先輩が、僕の人生に巻き込まれたいと思っていないことを知った。
 僕は賭けに負けて、大金をすった状態になる。というか、楓先輩が、僕にあまり興味がないのは、今に始まったことじゃないだろう。うえ~~~ん!

 翌日、僕と楓先輩の間には、微妙な空気が漂った。互いに、相手のことを観察していることを告白してしまったために、そのことが本人たちの行動に影響を与えてしまったようだ。これはもしかして、観察者効果なのか?

 僕と楓先輩は、他人行儀なあいさつをして、互いの様子を窺いながら、部室の席に着く。僕は、ちらりと楓先輩を見る。見られたことに気付いた楓先輩は、ちらりちらりと僕の方を見返す。僕は、姿勢を正して、楓先輩にどう見られるかを考える。
 見る。見せる。見せる。見る。
 僕と楓先輩の視線は交錯して、行動はどんどんぎこちなくなっていく。

 うえ~~~~ん! こんなことなら、先輩を観察しているなんて、告白しなければよかった~~~。
 それから三日ほど、そんな感じの空気の読み合いが続いた。三日経ち、普通の状態になった時、僕は心の底からほっとした。そして、先輩のヲチを密かに再開した。