雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第208話「スパム」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、繰り返しギャグが好きな者たちが集まっている。そして日々、仁義なき繰り返しギャグを唱え続けている。
 かくいう僕も、そういったマンネリが嫌いではない系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、ルーチンワーク気味な面々の文芸部にも、新しい本を次々と読んでいく人が一人だけいます。回し車で遊ぶハムスターの群れに紛れ込んだ、好奇心旺盛な子猫。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、しゃきっと背筋を伸ばして、襟元から首筋を覗かせる。僕は、その首筋から制服の下へと続く、背骨のS字カーブを想像する。先輩の背骨は、きっと控えめな感じの曲線で、思わず指でたどりたくなるのだろう。僕は、そんな先輩の背中の様子を想像しながら、声を返す。

「どうしたのですか、先輩。知らない言葉を、ネットで見かけましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットをものすごい回数見ているのよね?」
「ええ。『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』が、終わりなき日常を繰り返すように、僕は無限とも言える回数、ネットを巡回しています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、何度も何度も書き直すためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、ネットに繰り返される無数のコピペを目撃した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「スパムって何?」

 楓先輩は、僕にぴたりと身を寄せて聞いてくる。少し不思議そうに、少し楽しそうに、「まだかなあ」といった様子で、僕の話を待っている。

 この言葉なら、何の問題もないだろう。エロくもなければ、危険でもない。IT系では、普通に利用される言葉だ。よもやこの言葉でピンチになるとは思えない。もしそうなら、世の中の多くのIT技術者は、楓先輩の前で、あたふたしなければならない。僕は、余裕の態度で、説明を開始する。

「ネットの世界でスパムというと、迷惑メールを指します。迷惑メールとは、不特定多数の人に、大量に送られた、未承諾の広告メールや、詐欺メールなどを指します。

 いわば、ネットの世界のダイレクトメールなのですが、郵便などを使う現実のDMとは、大きく違う点があります。
 それは送信コストです。リアルのDMでは、印刷代や郵送料がかかりますが、ネットの迷惑メールでは、ほんのわずかな通信料で送信できてしまいます。それこそ、一人で何億通も送ることができるのです。

 また、DMは見ずに捨てることができますが、迷惑メールではタイトルが見えてしまうので、見たくない内容が目に入ってしまいます。
 そういった迷惑メールは、大量に送信されているため、人によってはメールフォルダーを埋めつくします。そのため非常に問題となっています。

 このスパムメールと同じように、無差別に大量のメッセージを投下する行為は、スパム行為と呼びます。また、単にスパムとも言います。そういった行為の例を、いくつか挙げましょう。
 掲示板スパムは、ネット掲示板へのスパム行為です。また、ブログなどのコメント欄へのスパム行為もあり、こちらは、コメントスパムになります。検索エンジンを騙す目的で、大量の記事やリンクを作る行為には、検索エンジンスパムという名前が付けられています。その他にも、様々なスパム行為が存在しています。

 さて、ではスパムは、なぜスパムと呼ぶのでしょうか? これはハッカー文化から来た言葉です。ハッカー文化は、アメリカのIT技術者や学生によるサブカルチャーです。これは、日本のオタク文化のIT版と思ってもらえばよいでしょう。
 このハッカー文化では、迷惑メールが、あるものに似ているからという理由で、スパムと呼称され始めました。

 では、何に似ているかというと、イギリスのBBCが製作、放映したコメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』のネタに似ているのです。
 この番組の『スパム』というネタでは、ヴァイキングのいる食堂に来た客が、『スパム卵ソーセージスパム』とか『スパムスパムスパム煮豆スパム』のような、スパムだらけのメニューに悩まされるというコントがおこなわれます。そして、食べたくもないスパムだらけのメニューに発狂しそうになります。
 この『空飛ぶモンティ・パイソン』は、ハッカーに人気です。そして、読みたくもない大量の迷惑メールが、まるでこの番組のスパムのようだということで、迷惑メールをスパムと呼ぶ文化が共有されたのです。

 さらに話を一歩進めて、食堂で出てきたスパムという食材は、何かという説明をしなければなりません。これは、アメリカのホーメル食品が販売している缶詰になります。
 この食品は、ソーセージの材料を、型に詰めたもので軍の配給品として多く利用されてきました。特に第二次世界大戦中は、アメリカ軍だけでなく、連合国軍に配給されていました。

 安価で保存性がよく、味もそれなりによいので重宝されたのです。でも、末端の兵士にとっては『またスパムか……』という感じで、食べ飽きてしまうこともあったわけです。特にイギリスでは食料不足から、民間でも多くのスパムが食べられたという事情があります。そういった背景が、モンティ・パイソンのコントに繋がったのです。

 さて、このようにスパムという言葉が、いつの間にか迷惑メールという、悪者の代名詞にされてしまったホーメル食品は困りました。そこで商品名は『SPAM』と大文字で、迷惑メールは『spam』と小文字で表記するように呼びかけています。涙ぐましい努力です。
 というわけで、スパムという言葉は、こういった経緯で出てきて普及した、ハッカー文化の隠語なのです」

 僕は、スパムの説明を終えた。これで楓先輩は満足してくれただろう。先輩は、なるほどと目を輝かせて、僕を見上げてきた。

「そういった言葉だったのね」
「そうです。迷惑メールや、それに類する行為と理解すればよいです」

「ネットに耽溺しているサカキくんは、やっぱり多くのスパムを受け取っているのよね?」
「ええ。多い時で、日に二千通ぐらいは受け取ったことがあります」

「そんなに!?」
「昔は、何も考えずに、サイトにメールアドレスを掲載していましたから。おかげで、無数のスパムを受け取っていました」

「私はそういったメールを見たことがないんだけど、どんな内容のものが届くの?」
「そうですね。出会い系、バイアグラやED薬といった医薬品、競馬やロトといったギャンブル情報、不正なソフトウェア、キャッシングや融資、フィッシングなどの詐欺、そういった内容が多いですね。
 発信元は、日本以外にも、アメリカ、中国、ロシア、韓国など、様々な国からスパムは届きます。そして、様々なものを買わせようとしたり、詐欺に遭わせようとしたり、あの手この手でメールを送ってきます」

「なかなか大変そうね」
「ええ。大変です」

「ところでサカキくんは、そういったスパムに引っ掛かったことはあるの? あったら、どんな内容だったのか教えてちょうだい」

 うっ。僕は固まる。実はあるのだ。それも最近に。
 楓先輩は、超能力者ではないかとたまに思う。僕の行動をピンポイントで見抜いて、その弱点を突いてくる。いや、僕に隙が多すぎるだけなのかもしれないけど。

 そう、あれは三日前の出来事だ。僕は一通のスパムメールを受け取った。それは、巧妙にスパムフィルターをくぐり抜けたもので、ピンポイントに僕の嗜好を攻撃するものだった。
 件名は「眼鏡の世界にようこそ」、本文の冒頭は「あなたは、眼鏡マニアのための眼鏡SNSに招待されました」というものだった。

 そのメールを見て、僕はどうするか悩んだ。クリックして、ウェブページを見てもよいのではないか? いや、見知らぬメールを受け取ったら、スルーするのが鉄則だ。しかし気になる。眼鏡マニアのための眼鏡SNSだって? 誰が僕を招待したんだろうと思い、招待者を見た。
 眼鏡紳士。知らない人だ。しかし、僕を真のメガネスキーと見込んで、送ってきたのかもしれない。どうする? 五分ほど悩んだあと、僕はURLをクリックした。ウェブブラウザが開き、眼鏡SNSのトップページが表示される。それと同時に、何かが始まった。

「うん?」

 その疑問の声は、三秒後には悲鳴に変わった。

「ふんぎゃー!」

 画面に無数の眼鏡が乱舞した。よく分からない謎のソフトがインストールされたのだ。僕のパソコンは、ウイルスに感染してしまった。ウイルス対策ソフトをすり抜ける、眼鏡マニアを狙い撃ちした、新種のウイルスだった。そして、泣く泣くOSを再インストールする羽目になったのである。

 僕は、思考を文芸部に戻す。楓先輩は、ぴったりと寄り添って、僕の話を聞こうとしている。

「うっ、うっ、僕から言えることは、知らない人から来たメールのリンクを、クリックしては駄目だということぐらいです」

 楓先輩は、なぜ僕が涙目になっているんだろうと、不思議そうな様子だった。

 それから三日ほど、楓先輩は僕から真相を聞き出そうと、何度も何度も尋ねてきた。

「ねえ、サカキくんは、スパムメールのリンクをクリックしたのよね。いったいどうなったの? スパムの結果を教えて。スパムに詳しいのよね。スパム、スパム、スパム!」

 うにゅ~~~。僕の、楓先輩との会話メニューには、スパムしかないのかスパム。

 三日経ち、スパムの嵐が通り過ぎた時には、僕はぐったりとしていた。そんな僕を尻目に楓先輩は、リアルSPAMを見つけたと言って部室に持ってきて、みんなで食べようと盛り上がっていた。