雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第206話「鬼女・気団」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、鬼のような力を持った者たちが集まっている。そして日々、容赦のない戦いを続けている。
 かくいう僕も、そういった鬼神のような人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、悪鬼羅刹な面々の文芸部にも、仏のような人が一人だけいます。鬼ヶ島に迷い込んだ、萌え寺「了法寺」のとろ弁天。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩のいい匂いが、ふわりと僕の鼻をくすぐる。ああ、先輩は、何てよい香りを漂わせているのだろう。それは、おひさまで干した、洗い立ての洋服のような気持ちよさを持っている。僕は、先輩の匂いに囲まれて、ベッドで寝たいと想像する。そして、それが添い寝を意味することに気付いて、顔を赤面させる。僕は、慌ててその考えを振り払いながら、先輩に声を返した。

「どうしたのですか、先輩。知らない言葉を、ネットで見かけましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。源頼光が、頼光四天王とともに酒呑童子を倒したように、僕は、ネットに住む鬼のような人々を、ばったばったとなぎ倒します」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、鬼気迫る勢いで書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、ネットの鬼才たちの文章に接した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「鬼女って何?」

 楓先輩はその質問を口にしたあと、すぐに台詞を続けた。

「もちろん、女性の姿をした鬼や、鬼のような女性だということは知っているよ。でも、ネットを見ていると、それ以外の文脈で用いられているみたいなの。サカキくん、意味は分かる?」

 ええ、もちろん分かりますとも。ネットで使われる鬼女は、既婚女性を意味するものです。しかし、それだけではない、恐ろしい相手を指す言葉でもあります。

 僕は、この言葉の危険度を勘案する。楓先輩が、この言葉を聞いて、どんな行動を取るのか考える。
 鬼女板に興味を持ち、そこに常駐して、将来的にそこの住人になるかもしれない。そして、モサドもびっくりな、恐ろしい情報収集能力を発揮する人に変貌する可能性がある。さらには、可愛い奥様という名前でネットに書き込みをする、真性の鬼女板の住人になってしまう未来も否定できない。

 将来、うまく僕とゴールインしたあと、鬼女板でデビューする楓先輩など、見たくはないものだ。
 実はけっこうネットを見ている楓先輩が、鬼女になる可能性は否定できない。先輩が鬼女になるのを防ぐには、どうすればよいか? 僕は、必死に考える。

 そうだ! 既婚女性の説明をしたあと、既婚男性についても話して、そちらに注意を移そう。そうすれば、鬼女のことは、きれいさっぱり忘れてしまうはずだ。これですべて解決する! 僕は、その作戦を実行するために話を始める。

「楓先輩。鬼女とは、既婚女性の略称です」
「結婚している女性を指すの? でも、それだけではない恐ろしさを、ネットの文脈では感じたんだけど」

 楓先輩は、どんな話が飛び出すのかなといった顔をする。僕は、鬼女の説明をおこなうために言葉を返す。

「鬼女は、大手ネット掲示板の既婚女性板という場所で使われていた、既婚女性の略称です。そのために、既婚女性を指す言葉であるとともに、その板に住む住人を指す言葉でもあります。
 この鬼女板では、どろどろとした人間関係や、愚痴、叩き、アンチな内容が、よく書き込まれています。そして、殺伐とした雰囲気が、そこはかとなく漂っています。この鬼女板で書き込む際の名前は、何も設定していない状態だと、可愛い奥様になります。でも、何となく怖そうな人が住んでいそうな場所なのです。

 実はこの鬼女板の住人は、あることで有名です。それは、問題を起こした相手に対する情報追跡能力と、粘着質な責任追及能力です。
 たとえば、いじめという形で人を殺した加害者の、転出先や親の情報を調べてネットでさらしたり、視聴者を馬鹿にしたテレビ局の社員の住所や電話番号を突き止めたり、大きなところでは、花王不買運動を起こして、売り上げを大きく落としたりといったことが過去にありました。

 つまり、ターゲットロックオンしたら、高い能力と行動力で対象を調べ上げて、ダメージを与えるまで手を休めないという人たちが巣くっているのです。
 そのことからネットで鬼女は、CIAやモサドのような諜報能力を持つ戦闘集団として恐れられているのです。そういった鬼女板の住人のことを、日本のモサドと呼ぶこともあります。
 ちなみにモサドは、イスラエルの情報機関の通称です。モサドを描いた映画では、ミュンヘンオリンピック事件を題材に取った、スティーヴン・スピルバーグの『ミュンヘン』があります。

 では、なぜそういった諜報能力を、鬼女板の住人は持っているのでしょうか? それは、結婚するまでは普通に仕事をしてたり、結婚後に暇だったり、学生とは違い、それなりの経済力があるために行動範囲が広かったり、などの理由が挙げられるでしょう。また、主婦ネットワークを持っていることも関係しているでしょう。
 このように、鬼女という言葉は、既婚女性と、既婚女性板の住人という、二つの意味を持っています。
 それでは、楓先輩に質問です。既婚男性は何というか、ご存じでしょうか?」

 僕はさりげなく、話を既婚男性に移そうとする。それも、楓先輩の口から、その略称を語らせることで、強制的に意識をスイッチして、楓先輩が鬼女板に興味を持たないように誘導する。

「そうね。同じ略し方で言えば、鬼の男と書いて、鬼男なんじゃない?」

 どう、合っているでしょう。楓先輩はそう言いたそうな、自信に溢れた顔で言う。

「残念ながら違います。既婚男性の略称は、空気の気に、集団の団と書いて、気団と書きます」
「気団って、寒気団とか、暖気団とか、シベリア気団とか、小笠原気団とかの気団なの?」

「そうです。この気団は、鬼女と同じように、大手ネット掲示板の既婚男性板から発生した言葉です。結婚生活への愚痴や、お小遣い問題、離婚や性の問題など、やはりどろどろとした話が多いです。
 でもまあ、子供が可愛いといった話もありますし、嫁が可愛いといった書き込みもあります。どうせなら僕は、そういった、嫁が可愛くて、可愛くて、可愛くて、仕方がないといった書き込みを、したいなあと思います」

 僕はさりげなく、自分が妻を愛しまくる夫になりますよ、というアピールをする。
 楓先輩が、伴侶を求めるようになった時、そういえばサカキくんは奥さんが可愛くてたまらない旦那になるな、と思い出してくれるように、今から積極的に刷り込みをする。

 鬼女から気団に話題を移したし、気団からラブラブな夫婦関係に、話をすり替えたし、これで楓先輩も鬼女板なんていう魔窟に興味を持たないだろう。そして、僕のことを旦那にしてもいいかしら、なんて思うに違いない。
 僕は、にこにこ顔で、楓先輩の台詞を待った。

「なるほどね。鬼女に気団なのね」
「そうです」

「それで、日本のモサドの鬼女板には、どうすればたどり着けるの?」

 んがっ! 僕の努力は虚しく。楓先輩は鬼女板に興味を持ってしまった。
 あの、楓先輩は、もしかして、結婚後に恐ろしい鬼女になる人なのでしょうか? 祭りが始まると、カレーを作って冷凍保存して、長期体制で戦い続ける人なのでしょうか?
 鬼女だけは敵に回したくない。僕は、ネット民の習性として、おそるおそる楓先輩に接する。そして、そっと鬼女板のURLを楓先輩に渡した。

 それから三日ほど、楓先輩は、カレーパンを買って部室にやって来ては、文芸部のパソコンで猛然と原稿を書き続けた。
 ひいいい~~~~、楓先輩は未婚なのに、鬼女になられたのでありますか?

 楓先輩は、鬼気迫る勢いで原稿を書く。僕はその様子を、幽鬼を恐れるようにして見守り続ける。

 三日が経った。楓先輩は、満足げな様子で、僕に原稿を渡した。

「ねえ、サカキくん。読んで!」

 それは、鬼女板からネタを拾った、どろどろとした話だった。

「新作よ! とってもリアルでしょう!」
「え、ええ」

 それは、不倫から始まる殺人事件のミステリーだった。楓先輩は、エッチな話が苦手な癖に、そういった要素のある本は平気で読むんだよなあ。とても得意げな楓先輩を見て、不思議だなあと僕は思った。