雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第204話「毒男・毒女」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、毒舌を駆使する者たちが集まっている。そして日々、過酷な舌戦を繰り広げ続けている。
 かくいう僕も、そういった言葉のバトルに生死を賭ける系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、皮肉をたたえた面々の文芸部にも、心清き人が一人だけいます。毒蝮三太夫の集団に囲まれた、科学特捜隊のフジ・アキコ。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横に座る。先輩の声は、少しだけ舌足らずだ。その一生懸命といったしゃべり方が、僕は大好きだ。そんな先輩は、きっと舌も少しばかり短いのだろう。そんな楓先輩と、舌をからめるディープキスをするのは、きっと大変だ。僕は、楓先輩とそういった関係になる未来を想像して、顔を赤面させる。そんな僕を、何だろうといった様子で、楓先輩は見上げる。僕は居住まい正して、先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。知らない言葉を、ネットで見かけましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。ふぐ調理師が、毒魚のふぐを華麗にさばくように、僕はネットの毒言を華麗に処理します」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、独立独歩で書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、独断と偏見に満ち溢れる、数々の文章に遭遇した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

毒男って何?」

 楓先輩は僕に尋ねて、にっこりと微笑んだ。うっ。僕は、この言葉に危険を感じる。毒男は、独身男性のネットスラングだ。
 僕は、オタクでコミュ障気味だ。もしかしたら、そんなことはないと思うのだけど、将来毒男になるかもしれない。そんな未来の可能性を、楓先輩に突っ込まれたら大変だ。というか、心優しい先輩は、僕の不幸を予見して、優しい言葉をかけてくるかもしれない。

 しかし、それは、大いなる罠だ。先輩に、そんな心配を、毛ほどもさせてはならない。なぜならば、もし僕が毒男になるとするならば、それは楓先輩とゴールインできないことを意味するからだ。
 言葉は言霊だ。楓先輩が、その可能性を指摘することで、脳に刷り込みが生じて、現実のものになるかもしれない。それは、絶対避けなければならないことだ。

 先輩に、独身という言葉について、否定的な意識を持たせてはならない。僕に優しい言葉をかけさせてはならない。僕は、この困難な仕事に身構える。

「ねえ、サカキくん」
「何でしょうか、楓先輩」

毒男は、毒って付いているぐらいだから、何か危険な男性のことを指すの? 毒々しいとか、毒にやられているとか、毒を吐くとか、毒手拳を使うとか」
「そういった毒とは関係ありません。いや、確かに、毒男という言葉のニュアンスの中には、毒の要素はあります。毒男になっているということは、どこか人として欠陥があるのではないか。それは、ある種の毒のようなものなのではないか。そう言われることもありますので」

 僕は、毒男のニュアンスのハンドリングに苦労する。

「ということは、毒男という言葉は、どことなくネガティブな言葉なのね。そういえば、毒女という言葉も見たことがあるわ。これは、もしかして毒婦なんかと、同じ意味なの?」
「毒婦は邪悪な女という意味ですよね。毒女は、そういった意味とは違います」

「でも、毒男も毒女も、どこか悪そうな雰囲気があるよね」
「いえ、そんなことはありません」

 これは、なかなか大変だ。楓先輩は、毒という漢字の意味に、大いに引きずられている。何とかして、毒男や毒女という言葉の、毒気を抜かなければならない。

 しかし、このままでは劣勢が続きそうだ。独身ということが、マイナスの意味にならないように、何か話術による罠を張る必要がある。僕は頭の中でロジックを組み立てて、迂遠な説明を開始する。

「楓先輩は、社会性昆虫をご存じでしょうか?」
「聞いたことはあるわよ。一部のハチやアリが、確かそういった昆虫だったよね」

「そうです。社会性昆虫では、その社会の中に、クイーンやワーカーといった違いを持ちます。そして、子孫を残す個体と、そうでない個体というように、異なる役割を持って生活します。
 こういった社会性昆虫の世界では、そのほとんどが働きバチや働きアリのように、子孫を残さない存在です。そういった状態でも、種が維持されるのは、必ずしも個体が子孫を残す必要がないからです。
 社会性昆虫は、非常に独身率の高い社会だと言えます。このことは、社会の形態によっては、個体は必ずしも伴侶を得る必要はないと教えてくれます。

 子孫を得るということは、出産、子育てなど、非常にコストの高い行為です。先に挙げたハチやアリは、そのコストを女王に集中させることによって、種としての生存競争を勝ち抜いています。
 社会の中で、どれぐらいの割合の雌雄が交尾をして、子孫を残すのかは、生物の種によって戦略が異なります。特に社会性を持つ生物においては、役割分担という観点から、子孫を残さない個体が、必然的に一定数出る可能性は、当然考えられるでしょう。

 毒男、毒女というのは、そういった生物の、生殖行動の様式に関わる言葉なのです」

 僕は説明をいったん止め、楓先輩の反応を確かめる。先輩は、毒男、毒女は、いったいどういった言葉なのだろうかと、ドキドキした様子で、僕のことを見ている。よし、先輩は僕の言葉に聞き入っているようだ。僕は、話を一気に核心へと進める。

毒男、毒女というのは、独身男性、独身女性の略です。どちらかという、蔑称として用いられたり、自身を卑下する目的で使われたりします。また、独身男性、独身女性が集う、特定のネット掲示板のことを、指すこともあります」

 僕は、毒男、毒女の意味とは別に、毒男を表すアスキーアートも先輩に紹介する。僕は、テキストエディタを起動して、毒男アスキーアートを示した。

('A`)

 先輩は、このアスキーアートを、しげしげと眺める。僕は、先輩の注意が僕に戻るのを待ち、説明を続ける。

「独身男性や、独身女性は、そうなってしまう個人に問題があると見なされることが多いです。特に、毒男、毒女という言葉は、その単語に毒という漢字が入っているイメージ通り、モテない、生活力がない、性格に問題があるなどの理由で、結婚できない人を指したりします。

 しかし、先ほども説明したように、社会性動物として人間を見た場合、すべての個体が、つがいになり、子孫を残す必要はないと言えるでしょう。そういったことをせず、社会を回す労働力を提供するのも、社会集団を構成する個体として、一つの選択肢なのではないかと思います」

 僕は、独身についてのネガティブなイメージを、どうにかして払拭しようと努力する。そして、心優しい先輩に、僕の将来を心配させないようにする。大丈夫ですよ~~、楓先輩~~~! 僕は心の中で、必死に叫ぶ。

「なるほどね。毒男は、独身男性。毒女は、独身女性という意味だったのね」
「そうです」

「そういえば……」

 楓先輩は、僕の顔をちらりと見る。やばい! 先輩は、僕が将来、毒男になる認定をして、心配を始めるつもりではないか? 僕の努力は、まったくの無駄だったのか。僕は、全身を緊張させて、楓先輩の言葉を待つ。

「私、将来、毒女になるかもしれないね」
「えっ?」

 僕は、先輩の意外な言葉に驚く。

「私は恋愛とか苦手でしょう。だから、もしかしたら、一生独り身なのかなと思ったの」

 楓先輩は、両手を膝の上に置いて、恥ずかしそうに言う。僕は、そんな先輩の様子を見て、愛おしさがこみ上げてくる。そして、先輩にそんな台詞を言わせてしまった自分を、激しく責める。

「大丈夫です。楓先輩が、一生独身とかあり得ませんから。何なら、僕がいるじゃないですか!!!」

 僕は、胸を張って言う。

「でも、サカキくんは、私の後輩だよ」

 えっ、先輩の中で、後輩は恋愛対象の埒外なのですか?

「それに、私が独身のまま、おばあちゃんになっていたら、どうするの?」

 楓先輩は、年上の女性が、年下の男の子を諭すようにして言う。

「まったく問題ありません! きっと、楓先輩は、とっても可愛らしいおばあちゃんになると思いますから。僕は、おばあちゃんになった、楓先輩もストライクゾーンです!!」
「えっ?」

 楓先輩は、とても困惑した様子で声を出す。

「サカキくんって、おばあちゃんもいける人だったの?」
「はい!」

「……さすがに、それは、私の手に負えないわ。ごめんなさい! 私、サカキくんに、付いていけないわ」
「うえっ!?」

 楓先輩は、僕にお辞儀をして、逃げるようにして自分の席に戻っていった。ど、どうして、ですか~~~! 僕は、納得がいかなかった。

 それから三日ほど、楓先輩は僕のことを、ストライクゾーンが広すぎる男として避け続けた。
 そ、そんな~~! 僕の守備範囲が広いのは、楓先輩限定ですよ~~! しかし、楓先輩は、僕を危ないナンパ師のように扱い、三日間、恐れ続けた。