第200話「ググれカス」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、上から目線で優越感を持っている者たちが集まっている。そして日々、自分は選ばれた民だと思って暮らしている。
かくいう僕も、そういった、自負心の強い系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、やたら自信に溢れる面々の文芸部にも、現実を直視できる人が一人だけいます。「ジョジョの奇妙な冒険」のディオ・ブランドーの群れに囲まれた、エリナ・ペンドルトン。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横に座る。その様子は、しっぽの生えた子犬のように愛らしい。先輩は、僕のネット知識を聞くのを楽しみにしている。その様子は、しっぽをぱたぱたと振っているようだ。ああ、先輩は無邪気で素直で愛らしい。僕は、そんな楓先輩の純真無垢な様子を見ながら、声を返す。
「どうしたのですか、先輩。知らないフレーズを、ネットで見かけましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。第十六代ローマ皇帝、哲人皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスが、『自省録』を著したように、僕はネットの日々の行動から『反省ログ』を著すつもりです」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」
先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、物思いにふけりながら書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、現実を直視せず、妄想に溺れまくった文章たちに遭遇した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。
「ググれカスって何?」
楓先輩は、僕を見上げながら、優しい微笑みで尋ねる。パステルカラーを思わせるその笑顔に癒やされて、僕はとろけそうになる。
いや、ちょっと待て。ほうけるな自分。爆弾級にやばい言葉が来たぞ!
これは、僕と楓先輩の蜜月を終わらせかねない、危険すぎるフレーズだ。ググれカスは、「それぐらいググれ、カス!」「それぐらいグーグル検索を使って調べろ、このカス野郎!」といった意味の言葉だ。
この言葉を、ストレートに楓先輩に伝えると大変なことになる。
楓先輩は、ネットは恐ろしいものだと思っている。そして、検索エンジンで検索することを、パンドラの箱を開く行為のように怖がっている。
だからこそ楓先輩は、ネットの大先生である僕に、質問をしてくるのだ。自分で調べる代わりに、文芸部で最も詳しい僕を頼るのだ。
その楓先輩に、僕がググれカスの意味を伝えればどうなるか? 僕が、ググれカスと思っていると、先輩は感じるかもしれない。その結果、どうなるか? 仕方がないから自分で調べよう。そう考えて、楓先輩は、僕への質問をやめるかもしれない。
そうなったら、僕と楓先輩の会話の糸口がなくなる。オタクで、コミュ障気味の僕は、こういった貴重な切っ掛けがなければ、楓先輩と話す機会がほとんどない。
これは、細心の注意を払って解説をおこなう必要がある。核心を隠しつつ、言葉の説明をしなければならない。どうするか? 周辺情報で塗り固めて、内部を語らずに、ぼかす。そして、その部分を楓先輩に推測してもらうことで、僕からの説明を回避する。
ふっ。巧妙な作戦だ。
僕は楓先輩のことを、ググれカスと思っていない。そういった印象を、この方法ならば与えられる。これは、心理バトルだ。「HUNTER×HUNTER」もびっくりな、心理戦だ。僕は、高度な話術で、楓先輩の心を操るのだ!
「楓先輩。ググれカスとは、ある文章を省略した言葉です。この元のフレーズは、ネットでよくおこなわれる、やり取りになります。それは、ネットのベテランと、初心者の飽くなき戦いと、言うことができるでしょう」
「どんな戦いなの?」
楓先輩は、無邪気に尋ねてくる。僕は、その質問に直接答えず、話を進める。
「ググれカスは、『れ』をひらがなで書くこともあれば、全部カタカナで書くこともあります。また、ローマ字で書いて、子音のみを拾い、ggrksと書くこともあります。
ググれカスの意味は、いったん置いておきます。そして、その周辺の言葉を説明します。そのことで、ググれカスの意味を、立体的に浮かび上がらせていきたいと思います」
「なるほど、複数の位置から写真を撮ることで、その立体像を浮かび上がらせるようなものね」
「そうです。知識とは、多数の視点から見つめることで、より深い意味を推察することができます」
僕は、楓先輩に合わせて答える。そして、周辺情報を先輩に告げ始める。
「まず、ググれカスから派生した、ググレカスという人物の話をします」
「ググレカス? 何だか、ローマ時代の人みたいな名前ね」
「そうです。ググレカスは、古代ローマの博物学者・思想家として、ウィキペディアという、ネットのフリー百科事典にも掲載されています。
ただし、『削除された悪ふざけとナンセンス』というページにです。そのことから分かるように、ググレカスは架空の人物です。
このように、ネットのフレーズを、歴史上の人物風に言う行為は、ネット掲示板で時折見られます。ググレカスが出てきた背景は、無蝕童帝ウプレカスという言葉が、発端と言われています。
ウプレカスという名前は、元々は、うpれカス、というフレーズになります。うpれというのは、うPの動詞化です。うpというのは、UPのネットスラング的表記です。アップとは何かというと、アップロードです。
うpれカスは、『画像をさっさとアップしろカス!』といった意味で用いられます。そこから、ウプレカスという、ローマ時代風の架空の人物名が誕生しました。
そこから派生して、いろいろな架空人物が作られたのですね。ググレカスというのも、そういった経緯で出てきた、ネタ人物です。
また、ググれカスにまつわる他の話としては、『ggrks-ググれカス-』という歌も存在しています。あー民P氏、作詞作曲のこの歌は、カラオケにも入っています」
僕は、そこで言葉を止める。
ググれカスの周辺情報を伝えることで、楓先輩に本来の意味を推測させる。そして、先輩の口から正解を言わせることで、僕がググれカスと言ったのではないという、スタンスを取る。そして僕は、楓先輩との蜜月を続けるのだ!
「そうね。何となく、ググれカスの意味が分かってきた気がするわ。ググれカスの最後のカスは、相手を軽んじて侮る、侮蔑の意味のカスよね?」
「そうです」
先輩は、一歩一歩正解に近付く。
「となると、あとは、ググれよね。これは、『ググ』がカタカナで、『れ』がひらがななことから考えて、ググの動詞化と考えればよさそうね」
「ええ、その通りです」
いよいよ核心に迫ってきた。僕は緊張しながら、楓先輩の言葉を待つ。
「ググが何なのか。それが難問よね」
楓先輩は、指を唇に当てて、記憶をたぐり寄せようとする。
し、真剣だ。僕は、ドキドキしながら、楓先輩の顔をじっと見つめる。
「確か……」
「確か?」
「ナマズ目ギギ科の淡水魚、義義の異名がググだったはず。義義は、本州中部以南と四国に分布する食用の魚よね。もしかして、ググるというのは、その義義を食べるということかしら?」
「全然違います」
楓先輩は、残念そうな顔をする。僕は、そんな楓先輩を励まして、ググるの意味を推測させようとする。
「ちょっと待ってね。確か……」
「確か?」
楓先輩は、ぱあっと顔を輝かせる。
「インド産の偽没薬、ブデリウム樹脂の別名がググルだったはず。もしかして、ググるというのは、そのググルを使うということかしら?」
「全然違います!」
楓先輩は、しゅんとする。そして、僕の学生服の袖を持って、僕を頼るような目で、見上げてくる。
「ねえ、サカキくん。ググるって、何?」
うっ。僕は顔全体を真っ赤に染める。
ああ、駄目だ。抗えない! 僕は、楓先輩の忠実な犬です。僕は、わおぉ~~~ん、と叫ぶ勢いで、ググるの意味を楓先輩に語りだす。
「ググるとは、世界で最も普及しているインターネット検索エンジンであるグーグルで、言葉を検索して調べることを言います。また、グーグルが最大手であることから、他の検索エンジンを利用していても、ググると呼ぶことがあります。
ググれカスとは、検索すればすぐに分かるようなことを、ネット掲示板や会話などで聞いてくる人に、『それぐらいググれ、カス!』と文句を言う場合に使うフレーズです。つまりこれは、無知に甘えて、調べ物をしない人を、罵倒する言葉なのです」
僕は勢いに任せて、楓先輩にググれカスの意味を語る。
楓先輩は、僕の言葉の意味を飲み込もうとして、何度か点頭する。そして、次第に申し訳なさそうな顔になった。
「ねえ、サカキくん」
「何でしょうか、楓先輩」
「もしかして、サカキくん。私に、ググれカスと思っている?」
し、しまった~~~~! 恐れていた事態に陥ってしまた。僕は、必死に体勢を立て直そうとする。
「こ、このググれカスという言葉は、初心者と熟練者の、情報非対称性によって発生する台詞です。
初心者は、初心者であるから、何か疑問があっても、それを検索エンジンで調べるという習慣がなかったりする。あるいは、上手く調べられなかったりする。
それに対して習熟者は、それが簡単にできる。また、何度も同じ質問を受けている。そして質問者に、調べる習慣を持つように伝えたり、調べ方を教えていたりする。そのことから次第に、『何度言わせるんだよ、ぼけ!』という気分になる。
現実社会とは違い、ネットではひっきりなしに、初心者という名の新人が入ってきます。部活で一人、二人の後輩に教えるのとは違い、ネットでは一万人、二万人の新参者に説明をしなければなりません。
そのため、ググれカスに限らず、こういった初心者と熟練者の対立は、ネットで大量に見られます。
確かに世の中には、経験の有無にかかわらず、自分で何もせず、頼ることしかしない人もいます。でも、多くの初心者は、経験がないからこそ、助けを求めているのです。そんな楓先輩に優しい僕でありたい。僕は、いつもそう思っています!」
僕は、必死の形相で、フォローの言葉を伝える。楓先輩は、僕の言葉を聞いたあと、しおらしい様子で声を出した。
「ごめんね、サカキくん。私も早く熟練者になるね」
「いえ、楓先輩はいいんです! 僕のために、永遠の初心者でいてください!!」
僕の台詞を聞き、楓先輩は怪訝な顔をする。なぜ、僕のために、先輩が永遠の初心者でいなければならないのか? その背景に、僕の恋心があることに、楓先輩は気付いていない様子だった。
それから三日ほど、楓先輩は、初心者として僕を質問攻めにした。
「ねえ、サカキくん。キーボードに書いてあるCTRLって、何?」
「コントロールの略です。そのキーは、コントロールキーと言います」
「ねえ、サカキくん。キーボードに書いてある、四つの四角は何?」
「ウィンドウズキーです。他のキーと組み合わせることで、特殊な操作をできます」
そんな感じで、キーボードのキーを一つずつ質問して、マウスのボタンを一つずつ質問して、デスクトップのアイコンを一つずつ質問してきた。
「す、すみません。そろそろ勘弁してください!」
楓先輩は、手加減を知らない。そんな先輩の質問攻撃に、僕はとうとう音を上げてしまった。楓先輩は、残念そうな顔をしたあと、いつものように、ネットスラングの質問を僕にしてきた。