雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第60話「帰宅 その1」-『竜と、部活と、霊の騎士』第10章 帰宅

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◇森木貴士◇

 朱鷺村先輩のバイクの後部座席にまたがり、波刈神社を目指した。DBたちは、雪子先輩の運転する末代の車であとを追ってきている。波刈神社までの道は、昼間の市街地を通る。朱鷺村先輩は、車の間を抜けて先を急ぐ。そのために、徐々に末代の車との距離は離れていく。
 俺と朱鷺村先輩は、石の大鳥居を過ぎて、波刈神社に着いた。人影はない。俺たちは、砂利の上を駆けて、拝殿に向かう。拝殿の戸は開いていた。中央には紙があり、置き石がある。奥の偽剣へと続く道は開いていた。そのことで、偽剣が奪われたことが分かった。
 朱鷺村先輩は、横穴にもぐる。俺は紙切れを拾い、そこに書いてある文字を読んだ。

 ――鏑木秋良を人質に取っている。邪魔をすれば、彼女の命は保障しない。

 俺はその文章に戦慄する。戻ってきた朱鷺村先輩に見せると、青い顔をして表情を硬くした。少し遅れて、車で移動した面々がやって来る。俺は書き置きを見せる。朱鷺村先輩は、偽剣が奪われたことを告げた。佐々波先生は、少し前に、白墨の線が消されたと語った。それぞれが情報を出し合ったあと、全員が押し黙った。アキラはさらわれたままで、偽剣も奪われてしまった。そして、こちらが着くよりも早く、敵は引き上げてしまった。

「DB。アキラの場所は分かるか?」
「試してみる」

 DBの顔には、疲労が浮かんでいる。今日だけで何枚写真を撮ったか分からない。激しく精神を消耗しているはずだ。それだけでなく、霊力も大量に使っているのだろう。DBの手に写真が浮かんだ。真っ黒になっている。俺はDBに説明を求める。

「視界が遮られているらしい。有効な写真が撮影できない」
「じゃあ、偽剣の方はどうだ? 針丸姉妹と戦った時に、DBも見ているよな」
「分かった。やってみよう」

 負担を強いているのは分かる。だが、アキラの生命に関わることだ。偽剣の位置が分かれば、アキラの居場所をたどれる可能性がある。俺は、そのことに期待を込めて、DBの作り出す写真を注視する。今度は真っ白になっていた。おそらく、偽剣が発する霊力が強過ぎるせいだ。太陽にレンズを向けた時のような状態になっているのだろう。

「車を撮影してみる」

 DBは告げて、新しい写真を出す。海岸近くに乗り捨てられていた。俺たちはうめく。敵をたどる道は断たれた。DBは疲労が極限まで達したのか、腰を落として、荒く息を吐いた。
 俺は、スマートフォンを出して、アキラにかけてみる。拝殿の外の繁みで音がした。駆け寄ると、スマートフォンが落ちていた。液晶画面が割れている。そのことで、投げ捨てられたのだろうと想像が付いた。
 万策尽きた。いや、何か方策があるのかもしれないが、今は浮かばない。俺は、怒りと後悔で拳を握る。十分ほど、その場で、みんな動きを止めた。その沈黙を破るようにして、佐々波先生が口を開いた。

「今日はみんな帰りなさい。鏑木さんの失踪届は、私が出しておくわ」
「警察署の署長に、朱鷺村の家からも圧力をかけておきます」

 朱鷺村先輩は、力のない声で付け加えた。雪子先輩が、朱鷺村先輩の両肩に手を置く。朱鷺村先輩は、目に涙をためて、ぽとりと落とした。その涙を見て、竜神部は敗北したのだと俺は知った。
 砂利の道を、足音が近付いてきた。誰だろうと思って、顔を向けると、DBの家の田中さんが、拝殿の外に立っていた。

「坊ちゃん、大丈夫ですか? 港の方は、警備会社の人間に見張らせています。私は、坊ちゃんが波刈神社に向かうと、電話で知らせてくれたので、急いでこちらに来ました」

 田中さんの台詞を聞いたあと、DBはゆっくりと体を動かして、屋外に向き直った。その顔は憔悴している。DBは田中さんに、俺を送ってから、家に戻るようにと指示を出した。
 俺たちは、ゆっくりと動き始める。俺とDBは、田中さんの運転するベンツに乗り、朱鷺村先輩と雪子先輩は、大型バイクに乗り込む。佐々波先生は末代の車に乗り、警察に向かうと告げて出発した。俺たちは、波刈神社をあとにした。

 車を下りたあと、俺は小料理屋の扉の前に立った。ベンツは去り、俺は潮風に吹かれながら、しばらくその場に佇んだ。
 たった一週間で、様々なことが起きた。霊の世界に足を踏み入れた。竜神部に入り、この島の霊的な闘争を知った。人を殺した。姉さんに会った。幼馴染みのアキラを、敵の手に渡してしまった。そういったことを通して、俺を取り巻く世界は、大きく変わってしまった。そして今から俺は、もう一つの自分の世界を変えようとしている。

 父さんは、末代や竜神神社について知っていた。そのことを、尋ねなければならない。そうすることで、俺の日常は、すべて失われてしまうかもしれない。しかし、聞かざるを得ないだろう。

 俺は一歩踏み出して、戸を開けた。店の奥にあるカウンターの向こうに、父さんの姿があった。いつもと変わらない光景だ。母さんと姉さんがこの家から消えて以来、五年間見続けてきた父さんの姿だ。
 後ろ手に戸を閉めて、俺はカウンターまで歩いていく。父さんの前に立ち、顔をじっと見つめた。俺の視線に気付いた父さんが手を止めて、顔を向けた。俺は、何から切り出すか考えたあと、口を開いた。

「ねえ、父さん」
「何だ、貴士」
「島の霊剣の伝説を知っている?」

 包丁を動かしていた父さんの手が止まる。一瞬後には再び動き始めて、作業を再開した。

「母さんに聞いたことがあるよ。海峡の竜神伝説とも、関係しているらしいな」

 父さんの返答は曖昧だ。俺が聞きたいことには触れず、一般的な知識を上辺でなぞっただけだ。きちんと尋ねなければならないだろう。一人の人間として、父さんと向き合って、自分の家族に起きたことについて、尋ねる必要がある。

「父さん。俺も、母さんや姉さんと同じように、この島を霊的に守護する、守り人になったよ」

 父さんの手が止まった。その手は、動きを再開することなく、静止し続けている。沈黙の時間が過ぎる。一分ほど待っただろうか、父さんは再び口を開いた。

「守りたいものがあるのか?」
「アキラがさらわれた」
「そうか」

 父さんは包丁を拭い、俺の目を見た。父さんは、俺と正面から向き合い、会話をしようとしている。

「母さんと日和のことを話そう」

 俺は無言で頷く。それは、これまで父子で避けていた話題だった。

「母さんと日和は、この島を霊的に守る、竜神神社の通い巫女を経験した。そのことは、俺も知っていた。だが、どこか他人事のような気がしていた。俺は、この島の出身ではない。だから、実感というものが湧かなかったんだ。この島の習俗としての伝統芸能。その程度に、通い巫女を捕らえていたのだと思う」

 俺は、父さんの言葉を聞いて頷く。たぶん、一週間前の自分ならば、父さんと同じ感想を抱いただろう。

「だが、七人の殺人鬼事件が起きた時、母さんや日和が守ろうとしているものが、見えない世界の出来事ではなく、現実の世界の出来事なんだと分かった。
 竜神神社の通い巫女を経験した二人は、霊剣が抜き放たれることで、何が起きるかを理解していた。剣を背に負っている竜が暴れ、海峡沿いの町や村が壊滅して、人々が死ぬことを知っていた。
 それは、決して霊的に島を守るという抽象的な話ではなかった。島に住む人々の生命や生活を守るという、具体的な話だったんだ」

 父さんの台詞を聞いて、ようやく俺は理解した。母さんや姉さんが、命を賭してまで七人の殺人鬼と戦ったわけが。二人は、殺人鬼がうろつくことで、何人かが死ぬことを恐れていたのではなかった。もっと巨視的な視点で島を守ろうとしていた。
 竜神海峡で津波が起き、島と本土の人々が死んだり、家を失ったりすることを、防ごうとしていた。二人が救おうとしていたのは、一人や二人といった人間ではなく、何千人、何万人という命だったのだ。

 父さんは、俺の様子を眺めたあと、カウンターから出てきた。その顔は、悲しみに歪んでいた。

「貴士。俺は、お前を失いたくない。たった一人残った家族を、手放したくない」

 父さんの目には涙がにじんでいる。父さんの気持ちが、俺の心に流れ込んでくるのが分かった。俺は、廃工場で、姉さんに出会ったことを伝える。父さんの目が、驚きで見開かれる。俺は、姉さんが伝言として、父さんに託した言葉を、ゆっくりと告げた。

「姉さんは、こう言っていた。
 ――貴士の命は、私が守る。だから父さんは、貴士が大人になることを助けて欲しい。人々を守れる人間になるように、支えてもらいたい。
 父さん。俺は、他人を守れる大人になるつもりだ。小学校の頃に、アキラを助けたのは偶然だった。しかし、今度は、俺自身のやるべきこととして、それをおこなうつもりだ。俺は自分の仕事に出会い、それを遂行しようとしている。父さんは、家族として、そのことを見守って欲しい」

 父さんは、顔を歪ませる。そして、俺にすがるようにして体をつかみ、膝を床に突いた。俺は、この戦いで命を落とすかもしれない。父さんは、最後の家族を失おうとしているのかもしれない。俺は、泣き崩れる父さんの姿を見て、そう思った。

「分かった」

 諦めたようにして、父さんはぽつりと言った。俺は、親元を離れる子供の気持ちとは、このようなものなのかと思った。父さんは、故郷を離れて、この島にやって来た。親元から旅立つことは、父さんも通った道である。今、時代は巡り、今度は俺が巣立つ時がやって来たのだ。
 俺は、父さんが立ち上がるのを待った。そして、腰を上げた父さんに、一人の人間として、提案した。

「父さん。明日、竜爪寺に行こう。そして、墓参りをしよう。その後、姉さんが姿を消した風見山に登ろう。そして、海峡を見下ろして、母さんと姉さんが、何を守ろうとしたのか、二人で眺めよう」

 父さんは涙を拭いた。そして、俺の顔を正面から見て答えた。

「そうだな。母さんと日和に会いに行こう」

 俺は頷き、父さんに背を向ける。そして、小料理屋から出て、二階へと続く屋外階段を上った。
 扉を抜けて居間を通り、自室に入った。窓を開けて、竜神海峡の海を眺める。海は、大きな流れを作っている。それは、竜が谷間を抜けるように、本土と島の間を縫っている。母さんと姉さんは、この海が荒れ狂うのを防ごうとした。その災害で起きる、人々の死と絶望を止めようとした。
 俺は、小さな一歩から始めないといけない。幼馴染みの一人の少女を救うこと。それが俺の、この島の守り人としての、真の意味での最初の仕事になるだろう。

「母さん、姉さん。俺は、この島の人々を救うよ」

 俺の言葉は、空虚なものではなかった。それは、本物の言葉だった。窓の外を見ながら、俺は、これからの戦いについて考える。命懸けのものになるだろう。しかし、恐れはなかった。心は平穏だった。俺は一人ではない。部活の仲間がいる。それに、霊剣に導かれた姉さんもいる。
 敵がどれほど強大かは分からない。しかし、やるべきことは一つしかない。

「俺は、この島を守る」

 その声は、窓の外から響いてくる波の音で、かき消された。俺の声は、風に飲まれて消えていく。それでいいと思った。俺の意志だけが、そこにあればいい。俺は、霊珠を取り出して、七色の姿を見る。竜と部活。そして、俺が発動させた霊の騎士。俺は戦いの予感と恐怖に打ち震えながら、霊珠を掌に握り締めた。