雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第197話「ATM」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、飼いならされた者たちが集まっている。そして日々、ゾンビのように働き続けている。
 かくいう僕も、そういった酷使されている系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、首輪を付けられた面々の文芸部にも、自由の翼を持つ人が一人だけいます。女王様の犬の群れに紛れ込んだ、純朴な聖女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の右横にちょこんと座る。先輩は、汚れを知らない瞳をしている。その目には邪なところはなく、慈愛に溢れている。どんな相手にも敬意を払う心。僕のようなオタクにとって、女神のような存在。僕は、そんな楓先輩を崇め奉りながら、声を返す。

「どうしたのですか、先輩。意味の分からない用語がネットにありましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの上級者よね?」
「ええ。中世の錬金術師たちの技術が、のちの自然科学の発展を促したように、僕のネットウォッチの技術が、のちの情報社会の発展を劇的に変化させます」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、次々に頭から引き出すためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、脳内から吐き出された無数の文章に出会った。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「ATMって何?」

 楓先輩は、その言葉を告げたあと、自分が知っている範囲の知識を語りだす。

「この言葉が、いくつかの略語であることは知っているよ。辞書で調べてきたから」
「辞書には、どんな言葉が載っていたんですか?」

 僕は、先輩がどの範囲まで把握しているのか確かめるために、質問する。

「まずは、オートマティック・テラー・マシン。現金自動預入支払機の略が、ATMよね」
「ええ。ATMの最も一般的な用法だと思います。その他には、何がありましたか?」

「小文字でatm。スタンダード・アトモスフィア。標準大気圧で、圧力の単位。これもATMよね」
「そうですね。そういったATMもあります」

 僕がにこにこして声を返すと、楓先輩は嬉しそうに、身を寄せてきた。

「他には、どうですか?」
「うん。アンチ・タンク・ミサイル。対戦車ミサイルも、ATMと書いてあったわ」

「ええ。大きいものは、航空機やヘリコプターに装備したり、小さいものは、個人で携行したりしますね。これもATMです。他にはありますか?」
「それぐらいかな」

 楓先輩は、形のよい唇に、指を付けながら答える。僕は、その他のATMについて語る。

「デジタル用語で、エイシンクロナス・トランスファー・モードという言葉もあります。これは、非同期転送モードと訳されます。
 ネットスラング的なものとしては、英語でatmと書く略語があります。こちらは、今を意味する『at the moment』の略語で、『I’m busy atm.』のように使います」
「へー、そういったものもあるのね。でも、私がネットの掲示板で見るATMは、意味が違うように思えるんだけど」

 楓先輩は、餌を待つひな鳥のような表情をして、僕を見上げる。僕は、その先輩に、ネット知識という餌を与えるべく、声を出そうとする。その声を遮るようにして、別の声が部室に響いた。

「まあ、サカキは、この文芸部のATMだからな」
「ぶっ!」

 誰ですか、そんなことを言う人は? そう思い、僕は顔を向ける。そこには、この文芸部のご主人様、僕の天敵、三年生で部長の、城ヶ崎満子さんが立っていた。

 満子部長は、古い少女マンガに出てきそうな、お嬢様風のゴージャスな容姿をした人だ。しかし、この姿に騙されてはいけない。その中身は、気高くも真面目でもなく、エロに染まった品性下劣なものだからだ。
 満子部長が、そういった困った性格をしているのは、その出自のせいだ。満子部長は、父親がエロマンガ家で、母親がレディースコミック作家という、サラブレッドな家に生まれた。そういった家庭環境であるために、両親から受け継いだ、深遠にして膨大なるエロ知識を保有している。そして性格はSであり、僕をこの部室で、ちくちくといたぶるのを趣味としているのだ。

「ちょっと待ってください、満子部長! 僕がATMだなんて。そんな話題を振られたら困ります!」

 僕は必死の形相で、小声で満子部長に伝える。満子部長は、僕の左横に颯爽と座り、僕の首に両手を回して、しだれかかってきた。

「どうしたサカキ。そんなに慌てて?」
「僕が文芸部のATMだとしたら、そのお金はどこから出ているかという話になるでしょう。そうしたら、僕が満子部長の指示で、エロSSを書いて部費を稼いでいることが、ばれてしまうじゃないですか!」

「不満か?」
「当たり前でしょう。中学生の僕が、ネット官能作家もどきのことを、しているとばれれば、楓先輩は卒倒して、僕を軽蔑します。そんなことになったら、困るじゃないですか」

「なるほど。おい、楓! サカキはな、この文芸部のATMとして、エッ……」

 僕は満子部長の口を塞ごうと、手を伸ばす。満子部長は、僕の首にからませていた両手を、ぱっと離す。

「うわっ!」

 勢い余った僕は、満子部長の豊かな胸に、盛大に顔からダイブする。

「サカキ。お前、大胆だな。白昼堂々と、おっぱいダイブか?」
「サカキくん。破廉恥よ!」

 うわああ~~~ん。

「満子部長がからむと、僕はひどい目にしか遭わないので困ります!」
「おいおい。人の胸に飛び込んでおいて、ひどい目とはけしからんな」

「サ、サカキくん。満子の大きな胸が、そんなにいいの?」

 楓先輩は、エッチな僕を非難するとともに、微かに涙を浮かべている。もしかして、自分に胸がないことを気にしている楓先輩は、僕がおっぱいダイブをしているのを見て、嫉妬したのだろうか?

 えー、ピンチをチャンスに変える男、サカキです。
 僕は、この危難を、楓先輩との関係を進展させる好機にするべく、真面目な顔をする。そして、男女関係を表すネットスラング、ATMについて、真剣な表情で語りだす。

「楓先輩。男女の関係には、様々な形態があります。男性が、女性の顔に惚れたり、胸に惚れたり、お尻に惚れたり、脚線美に惚れたりするように、女性は、男性の収入に惚れたり、イケメンさに惚れたり、収入に惚れたり、高身長に惚れたり、収入に惚れたり、収入に惚れたりします」

「何だか、収入が多いね」
「ええ。ネットスラングのATMとは、そういった、お金にまつわる男女関係を表す言葉なのです」

 僕は、右横にいる楓先輩に、真剣な表情を向ける。
 僕の体は、満子部長の両手に拘束されており、その後頭部は、満子部長の胸の谷間に押し付けられている。満子部長は、僕をおもちゃと思っているから、簡単には手放してくれない。僕は、そんなおもちゃ扱いが、いつ大人のおもちゃ扱いに変わるか戦々恐々だ。そして、今まさに、そんな感じに扱われている。

 しかし、僕は真面目な顔で、真面目な話をしている。つまり、僕は超真面目なオーラをまとって、楓先輩に相対している。そんな僕を見た楓先輩が、僕の様子から卑猥さを感じ取るはずがない。僕はそう信じて、説明を続ける。

「ATMとは、女性が、夫や恋人を金づるとしてしか見ない際に、そういった扱いをされた男性のことを指す言葉です。
 たとえば、夫の給料を妻が管理して、家事も何もせず、そのお金を好きに使う。まるで、ATMからお金を引き出すように、夫からお金を引き出す。そして、夫を機械か何かのように扱う。こういう状態に置かれた夫のことを、ATM夫などと呼びます。

 また、恋人に貢がせるだけ貢がせて、普通の交際的なことをほとんどしないような女性もいます。こういう場合、そうやって扱われた男性のことを、ATMと呼びます。ネットの掲示板などでは、『それは恋人ではなくATM』などと書かれたりします。

 こういう男性は、バブル時代に、メッシー君、アッシー君と呼ばれていたものと同じものです。ちなみにメッシー君は、食事をおごってもらう専用の男性。アッシー君は、送り迎え専用の男性のことを指します。
 そういった男性は、時代がくだりATMとなり、より露骨な金づるとなったわけです。

 このATMの元ネタは、現金自動預入支払機のATMです。物言わぬ機械のように、お金を与えてくれる、女性にとって都合のよい男性。ネットでは、こういったATMにまつわる話がよく出てきます。そのため、話の文脈をつかむために覚えておくとよいでしょう」

 僕は、ATMの説明を終えた。きりりとした表情で語った僕を見て、楓先輩は、きっと僕のことを、好ましい男性だと思ったことだろう。

「なるほどね。ATMは、そういった意味だったのね」
「そうです」

「それで、サカキくんが文芸部のATMって、どういうことなの? サカキくんは、文芸部のみんなにとって都合のよい男性で、部活のために一人でお金を出しているの?」

 楓先輩は、心配そうな顔をして尋ねてきた。うっ。窮乏している文芸部の部費を、僕がお小遣いから補てんしていると思ったのかもしれない。先輩は、心の底から心配そうに僕のことを見ている。

 そういった優しい目で見られることは嬉しいのですが、実態は、エッチな短い小説で小銭を稼いでいるだけです。
 そんなこと言えませんよ~~~~~!

「おい、楓。サカキはな、この文芸部のATMとして大活躍しているんだぞ」
「ぶっ! 満子部長は、話をややこしくするから、黙っていてください」

 僕は満子部長に、非難の言葉を発する。

「大丈夫だ、サカキ。お前がエロSSを書いていることは黙っておいてやる」

 胸の谷間に僕の頭を挟んでいる満子部長は、僕の耳に口を近付けて言う。

「本当ですか?」
「信用しろ。城ヶ崎満子。その言葉に二言はない」

 徹頭徹尾、取って付けたような口調で言ったあと、満子部長は楓先輩に視線を向けた。

「ありがたく思え楓。サカキはな、文芸部の部費を稼ぐために……」
「稼ぐために?」

「私の情夫をして、お金を稼いでいるのだ。こいつはいわば、私のヒモだな。いや、若い燕と言うべきか」
「満子部長~~~~~~~~~~~~~~~~!」

 僕は、非難の声を上げながら、必死に満子部長の胸から逃れようとする。そのせいで、ぶるんぶるんと、満子部長の胸の谷間で暴れることになる。

「サ、サカキくんと、満子って、そんな関係だったの?」
「ご、誤解です。僕は、楓先輩一筋です!」

「ごめんなさい! 私、二人の間に入っていけそうにないわ。自分の席に戻るわ」
「楓先輩~~~! ATM扱いでも、いいですから、僕に振り向いてくださ~~~~~い!」

 僕は悲痛な悲鳴を上げる。その声を聞いたあと、満足した満子部長は、僕を放り出して自分の席へと戻っていった。ひ、ひどすぎる、この人は!

 それから三日ほど、僕は楓先輩に避けられ続けた。
 僕は、「楓先輩のためなら、何でも買いますよ!」と言いながら、あとを追った。しかし、徹底的に逃げられた。僕は、ATMにもなれないらしい。僕から出てきたのは、お金ではなく、涙ばかりだった。