第194話「チャリで来た。」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、少しだけ格好をつけたがる者たちが集まっている。そして日々、気合いを入れて暮らしている。
かくいう僕も、そういったガッツ溢れる系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、ヤンキー文化に染まった面々の文芸部にも、真面目な生活を送っている人が一人だけいます。「愛と誠」の、太賀誠ばかりの高校に紛れ込んだ、早乙女愛。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。楓先輩は、ぴたりと僕に寄り添う。地面に対して、正確に九十度。その真面目すぎる姿勢は、楓先輩の実直さを表している。先輩は、首を動かして僕を見上げる。そして、ふんわりといった様子で微笑んだ。堅い性格と、柔らかい表情。その相反する要素が、楓先輩には備わっている。そんな、魅力的な先輩を見ながら、僕も笑顔で声を返す。
「どうしたのですか、先輩。ネットで知らないフレーズを見かけましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。グレート・ティーチャー・オニヅカが、型破りな方法で学園の問題を解決していくように、僕も破天荒な方法で、ネットの難問を解決します」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」
先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、乗りに乗って書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、記憶に残るフレーズをたくさん発見した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。
「チャリで来た。って何?」
楓先輩は、不思議そうな顔をして聞いてきた。
ああ、確かに分からないだろう。例のプリクラの写真を知らなければ、チャリで来た。は分からない。また、そこから派生したコラージュ画像の存在も、理解不能だろう。
この言葉は、エロでも危険でもない。問題なく解説することができる。よし、華麗に解説して、楓先輩の好感度を上げよう。そして、いつか楓先輩と一緒に、プリクラに収まるのだ。そして、「二人で来た。」と書き込むのだ。僕は、その未来を想像しながら、説明を開始する。
「チャリで来た。とは、ネット上で話題になり、その後、定番ネタとして定着したプリクラのことです。
ちなみにプリクラとは、プリント倶楽部の略称です。自分の姿をカメラで写し、裏がシールになった印刷物を得ることができるアミューズメント機器です。
このプリント倶楽部は、登録商標なので注意が必要です。開発したのは株式会社アトラス。この会社は、株式会社インデックスに吸収されて、その一ブランドになっています。そして、登録商標も、そちらに移っています。
また、アトラスでは、事業の採算が合わなくなったことから、すでにプリントシール機事業から撤退しています。
この分野では、現在フリュー株式会社が、業界シェア四割を持っているそうです。このフリューは、元々は、オムロン株式会社の子会社からスタートしています。
さて、話が逸れましたが、チャリで来た。です。最後の句点まで含めて、一つのフレーズになります。
このフレーズは、ヤンキー中学生四人が、ひし形の頂点の位置にそれぞれ立ち、ガッツポーズを取りながら写っているプリクラが元ネタです。
ネットで拡散した、そのプリクラには、自信満々な顔とともに『チャリで来た。』という言葉が書き込んでありました。
そのガッツポーズ、表情、四人の配置、前時代的なヤンキー姿、チャリで来た。の一文の絶妙さから、この画像は、ネットで瞬く間に人気を得ました。
人気の要因には、チャリで来た。の語呂のよさと、シュールさと、微笑ましさが関係しています。ヤンキーでありながら、中学生なのでバイクには乗れず、そのために自転車で来た。でも、そのことを『どうだ!』という感じで、自信満々に書き、ポーズを取っている。そこが受けたのです。
この、チャリで来た。は、その後、様々なコラージュ作品を生み出します。サンタ風に加工した、ソリで来た。エッフェル塔をバックにした、パリに来た。ジャンボジェット機をバックにした、JALで来た。その他にも無数のコラージュが量産されました。
また、その人気に便乗した、『チャリで来た。画像』が撮れるアプリなども作られました。
その後、二〇一二年に、ギャル系雑誌に、この四人のうちの三人が登場しました。元の画像が撮影されたのは二〇〇〇年台前半。二〇一二年の時点で、彼らは青年になっており、ネットでは驚きの声が上がりました。
ちなみに彼らは、自分たちがネタにされたことを、知っていたそうです。
ネットではこのように、何気ない写真や動画で、有名人になることがあります。そしてそれが、ネット民の共通のネタになったりします。これが、チャリで来た。の正体です」
僕は、楓先輩から質問を受けた言葉の説明を終えた。先輩は、なるほど、そんなこともあるのね、と感心した。
「ねえ、サカキくん」
「何でしょうか、楓先輩?」
「サカキくんは、ネットのトレンドに乗る方よね?」
「ええ。流行の波を乗りこなす系です」
「ということはサカキくんも、チャリで来た。のコラージュで、遊んだことがあるの?」
「ええ。あります」
「どんな感じだった?」
「それはですね……」
僕は、その時のことを思い出そうとする。そして、恐るべき記憶を掘り返してしまった。
それは、僕が中学一年生の時である。僕はネットに溺れて、ネット依存症のような人生を送っていた。その時は、ネットの画像コラ掲示板に常駐して、職人としての腕を磨こうとしていた。
職人とは、徒弟制度の世界である。僕は、板の住人たちに指導されながら、腕を磨いていた。そして、将来を夢見ながら、コラ職人として独り立ちした時のインタビューを妄想していた。
――某県某市花園町。閑静な住宅街の一画。ここに一軒のアパートがある。画像コラ職人サカキくんは、ここで一人暮らしをしている。
世界でも有数の画像コラ職人。彼らの仕事は、決して世間に知らされるものではない。われわれは、画像コラ職人の一日を追った。
インタビュアー「朝、早いですね?」
僕「ええ、まあ。僕が寝てる間に、新しいコラ素材が投下されていないか、チェックしてるんです」
日が昇る前、人々が行動する前から、サカキくんは動きだす――
そんな妄想をしていると、新しい投稿が表示された。
「ねえ、君。チャリで来た。の画像をコラするのはいいんだけどさ。素材の鮮度がいまいちなんだよ。言ってみれば、安売りスーパーで買ってきた、死んだ魚を使っている状態だ。
本当の職人は、素材にこだわるべきだと思う。漁船で釣りに行けとまでは言わないけどさ、せめて築地に行って、自分の目で素材を見定めるぐらいは、するべきだよ」
ぐぬぬ。
僕は、スレ住人の意見も、もっともだと思う。僕は、チャリで来た。の四人の画像を使い、様々なコラ画像を作り、投下していた。狩りに来た。ダリと来た。殺りに来た。といった感じの画像を、僕は手がけていた。
しかし、他人の写した古い写真を使うだけでは、駄目だと言われてしまった。これが寿司職人ならば、素材の鮮度を否定されたようなものだ。
「分かりました。活きのよい素材を仕入れてみせますよ。一週間待ってください。本当のチャリで来た。をお見せしますよ」
僕は、大見得を切った。そして、まずは鮮度のよいプリクラ画像を入手することから、着手した。
お小遣いを握り締めて、僕はゲームセンターに行く。そして、プリクラ機の前に来て、不都合な事実に気付いた。
僕は一人だ。一人では、四身一体のチャリで来た。を成立させることは難しい。だからといって、画像コラの素材のために、友人や知人を巻き込むわけにもいかない。
仕方がない。一人だけでもプリクラを撮ろう。たった一口だけでも、鮮度のよい高級魚を食べさせることができれば、住人たちを納得させることができるはずだ。
僕はレンズの前に立つ。そして、ガッツポーズを取り、プリクラで自分の姿を撮影した。その写真をスマートフォンにダウンロードして、家に持ち帰った。
「顔は隠しておかないと、いけないな」
目線だけ入れて、僕は画像の加工を始める。バックは何がよいだろう。――パリは燃えているか? よし、パリにしよう。エッフェル塔の画像を探してきて、その上に自分の姿を重ねる。そして、パリに来た。という、手書きの文字を加えた。
よし、掲示板に画像投下だ! 僕は、画像をアップロードする。
「どうですか、これが本当のチャリで来た。コラです」
僕は、文章を書き込む。
有象無象のコラ職人たちが群がってきた。そして、口車に乗せられた中学生、つまり僕が、新しい素材を投下してきたと喜び、活動し始めた。
僕の画像は、様々な背景と組み合わせて加工された。その際、僕の書いた文字は消され、違う文字に置き換えられた。
――一人で来た。
――ソロで来た。
――ぼっちが来た。
え、ええっ?
なぜ、みんな、僕が一人のことを強調するのですか? 僕は、スレの流れが分からず、質問する。
「あの、どういうことですか? 確かに一人で写っているのですが、そこしか注目しないのは、どうかと思います」
「いや、ぼっちぽかったから」
「おひとりさまのオーラを、まとっていたから」
「ソロ充乙」
う、う、うわああん!!! なぜ、みなさん、そう思うのですか? 僕は、目線を入れて、顔を隠していたのですよ。それがなぜ、孤独死しそうな人扱いなのですか?
「にじみ出るオーラがすごい!」
「生まれつきの宿命を背負っているっぽい!」
「来世でもぼっち!」
ぶえええ~~~~ん!!! 僕は傷付いた。心に傷を負った。
それから三日ほど、僕の画像を加工した、「チャリで来た。おひとりさま版が」、ネットに出回った。僕の心のライフは、ゼロになった。
「ねえ、サカキくん。どうしたの?」
楓先輩の声で、僕は文芸部の部室に意識を戻した。楓先輩は、僕が急にガクブル状態になったことに、怪訝な顔をしている。
「それで、サカキくんも、チャリで来た。のコラージュで遊んでいたのよね? どんな感じだったの」
先輩は無邪気に、僕の心の傷に、塩を塗るようにして尋ねてくる。
「人が背負った業について、考えさせられました」
「???」
楓先輩が、頭の上に、はてなを無数に飛ばす。先輩は、僕の言葉に、釈然としない様子だった。
それから三日ほど、楓先輩は僕に、「チャリで来た。コラ」の感想を尋ね続けた。し、しつこいですよ~~~! 僕は心折られて、血反吐を吐き続けた。