雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第192話「ホルホル」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、自信に溢れた者たちが集まっている。そして日々、強い自負心を持って暮らし続けている。
 かくいう僕も、そういった自分を信じる系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、自己を盲信しかねない面々の文芸部にも、自己分析ができている人が一人だけいます。「アオイホノオ」の焔燃に囲まれた、とても冷静な少女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。僕は、先輩の足下を見る。小さな上靴に収まった足からは、白い靴下が伸び、その先がスカートに消えている。足は、きちんと閉じられていて、お行儀のよさが窺われる。ああ、女性は、こういった姿をしているべきだ。僕は、先輩のぴたりと閉じた足に、めろめろになりながら声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで意味の分からない言葉を見つけましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。『吼えろペン』の炎尾燃のように、熱き心でネット名言を生み出しています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、自信満々に書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、根拠のない無数の言説に遭遇した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

ホルホルって何?」

 うっ、説明するのが危険な言葉がやって来た。意味は別段難しくないが、差別意識を濃厚に含む言葉なので話すのが難しい。しゃべり方次第では、楓先輩に、差別主義者と見なされて、軽蔑される可能性がある。できれば、そんな危険を冒さずに、もっと安全な言葉を扱いたい。

 しかし、ネットスラングを語る上で、韓国や北朝鮮に関するスラングを、避けては通れない。というか、非常に多い。そして嫌韓的な態度は、ネットの言説を理解する上で、重要な文脈だ。自分で使うことはなくても、どういった流れの会話なのかを理解する上で、把握しておくべき内容だ。

 とはいえ、どう説明すればよいか。自分には、他の国や民族を貶める意図はないというスタンスを取りながら、事実を軸に据えて語っていくしかないだろう。僕は、緊張しながら、ホルホルについて解説を始める。

「楓先輩は、嫌韓という言葉は、ご存じですか?」
「うん。聞いたことがあるよ。お隣の国の、韓国や北朝鮮に対する悪感情よね」

「そうです。この嫌韓という言葉自体は、二〇〇五年の『マンガ 嫌韓流』のヒットで、広く一般に知られるようになりました。ネットの世界では、この嫌韓意識が強く、多くの場所で散見されます。それは、日本のネット社会におけるナショナリズムと言えるものでしょう。
 ホルホルという言葉の登場の背景には、この、ネット上の嫌韓という流れがあります。

 さて、それでは、現在の嫌韓感情は、いったいいつぐらいに始まったのでしょうか? これは、一九九〇年代末から、二〇〇〇年初頭だと言われています。特に、二〇〇二年の日韓ワールドカップの時期に、ネットの一部で、そのうねりは一つのムーブメントになりました。
 ワールドカップというのは、国の威信をかけた戦いです。そこには国民感情や民族感情が色濃く反映しやすいです。この二〇〇二年の大会の際には、韓国に有利な誤審が多く、また開催決定の経緯もあり、韓国に対する反発が少なくありませんでした。そして、メディアがそういった負の部分を取り扱わなかったことから、様々な憶測や疑念が渦巻きました。

 その頃はすでに、インターネット時代に突入していました。それ以前の社会であれば、こういった悪感情は、飲み屋の中だけで語られて、消費されたでしょう。しかし、ネット時代であるために、意見はネットで共有化されて、議論の土壌として蓄積されていきました。

 このワールドカップのあとには、韓流ブームがやって来ました。二〇〇三年、二〇〇四年に放送された『冬のソナタ』から始まる韓流ブーム以降、流行に敏感なテレビ局は、こぞって韓国の情報を流し始めました。
 また、韓国自身が、自国のコンテンツを積極的に海外に輸出するという拡販制作を取っていたこともあり、韓国ドラマ、韓国映画、韓国のポップミュージシャンなどが、日本のマスメディアに溢れることになりました。
 そういった韓国押しに食傷した人々は、次第にその露出の多さに不満を抱くようになりました。そして、徐々に反韓の雰囲気が醸成されていきました。

 そして二〇〇五年には、韓国が不法占拠している竹島の問題が、再燃し始めました。同年には『マンガ 嫌韓流』のヒットもありました。その際、大手マスコミが取り上げなかったということもありました。
 また日本では、かつて韓国を併合していたこと、在日朝鮮人に対する差別が多かったことから、韓国や北朝鮮に対する批判的な報道は、控えられてきたという経緯があります。そのことに対する疑問も、ネット上で提起されるようになりました。
 こういった反韓の感情は、ネットを中心に広がっていました。それらが大きく一般に広がったのは、二〇一二年の、李明博大統領による天皇への謝罪要求と、竹島上陸だと思います。それ以降、嫌韓の雰囲気は、だいぶ変わったように感じます。

 こういった悪感情のもつれは、歴史的経緯と文化の違いによるものが大きいです。
 歴史的経緯としては、日本は大きく二度、朝鮮半島に災禍を振りまいています。一つは、戦国時代の文禄・慶長の役。これは豊臣秀吉による朝鮮出兵として知られています。もう一つは、一九一〇年から一九四五年まで続いた韓国併合です。

 ネットの嫌韓的な言説では、この韓国併合を、文明を発達させたと言って、正当化する文章も見かけます。しかし、その意見には与するべきではないでしょう。
 ある集団が他の集団を、その人々の意思にかかわらず組み入れるというのは、人間の尊厳の問題です。それを、併合した側から正当化しようとするのは横暴でしょう。また、その期間を通じて、文化の改変や、強制的な労働など、様々な問題があったことも忘れるべきではありません。そして、その後、朝鮮半島が分断してしまったという事実もあります。
 そういった背景があるために、韓国では反日教育がおこなわれてきました。こういった教育は非常に残念なことです。しかし、今述べたような事情があるために、日本に対する敵対意識は、今後も長く続くと思われます。

 文化の違いについては、地理的な背景が大きく影響しています。
 日本は、巨大な文明であり争乱のるつぼである中国から、海を隔てて距離を置いてきました。そして、その文明から、必要なものだけを、道具として輸入して、活用してきました。
 また、戦国時代には、大航海時代の洗礼を浴び、世界に目を向けて、経済を発達させました。そして江戸時代に入って鎖国をしたものの、商品流通経済を国内で発達させ、江戸時代末期には、身分の意識を超えた人々を、多く生み出す土壌を作ってきました。

 対して、朝鮮半島は、中国の脅威にいつもさらされてきました。そういった災禍を避けるために、中国の文明や文化を積極的に模倣してきました。それとともに、中国にならい、儒教を中心とした上下意識の強い社会を作りました。そして自国を小中華として、日本を含む周辺国を、下に見るという体制を続けました。
 また、日本と同時期に鎖国政策を取り、その間、文明の発展を止めたという、日本とは違う歴史も持っています。

 これらの違いは、ほぼ地勢によるものだと言えるでしょう。二つの地域は、距離こそ近いとはいえ、まったく異なる文化的背景を持っています。
 そういった、歴史的経緯や、文化的な違いが両国にはあります。そのため、間近にあるとはいえ、互いを正確に理解することは難しいでしょう。そういった土壌の上で、先に述べた、近年の嫌韓の流れが始まったのです。

 ホルホルというのは、そういった嫌韓の初期に現れた言葉です。このスラングは、日韓翻訳掲示板において、韓国人の書き込みが、日本語に機械翻訳された時の、訳語に由来しています。そこでは、嫌韓反日の背景から、罵倒合戦が繰り広げられていました。
 この中で、得意げに咳払いをする、エヘンエヘンといった感じの韓国語の書き込みが、ホルホルという謎の日本語に機械翻訳されました。
 そのことから、自慢げに笑う様子、自画自賛気味に尊大な態度で笑う様子を、日本のネットでホルホルと言うようになりました。この言葉を日本語で言うならば、貴族などがホーホッホッホッと高笑いする様子が近いでしょう。

 この言葉は、ホルホルする、と動詞にして使うこともあります。『何某は、ホルホルしている』と使うと、『何某は自慢げに笑っていやがる』といった感じの意味になります。
 また、他人を揶揄するだけでなく、自分で使い、自嘲気味に用いることもあります。ただ、基本的には罵倒語ですので、他人に対しても、自分に対しても、使わない方がよいでしょう。

 というわけで、私自身は、お隣の国に対して特別な感情は持っていませんが、ネット文化の重要なピースとして、ホルホルを紹介しました」

 僕は、嫌韓の話をしつつ、それとは距離を置きながら、ホルホルについて説明した。歴史的な背景を知らなければ、その意味が理解できない言葉なので、細心の注意を払って取り扱った。しかし、立場によって非難が出ることはあるだろう。歴史観というものは、そういうものだ。

 僕は緊張しながら、楓先輩の反応を窺う。先輩は、口元に手を当てて、何か考え込んでいる。何か大きなミスを犯しただろうかと、僕は身を固くする。

「ねえ、サカキくんも、そういった差別意識を持っているの?」
「そんなことはありません。というか、しないように努めています」

 僕は、なぜそう思われたのか考えながら、声を返す。

「でも、サカキくん、ホルホルを使っていたじゃない」
「えっ?」

 どこで使っていただろうかと疑問に思う。僕が、頭を悩ませていると、楓先輩は席を立ち、自分の席に行き、紙切れを持って戻ってきた。

「これ、サカキくんが書いたものよね? 私の椅子の裏に、貼られていたんだけど」

 何だろうと思い、その紙を見て、僕は、はっと驚いた。

  ホ/レ/ホ/レ
  サカキくん

 それは数ヶ月前に見つけて、実践した、「女の子に惚れてもらう、おまじない」だった。僕は、そのおまじないの説明を思い出す。

 ――「ホレホレのおまじない」
 憧れの子と仲よくなれる、秘密のおまじない! ホレホレという文字を、一文字ずつ斜線で区切りながら、思いを込めて書きます。その下に自分の名前を書いて、思いを遂げたい人の椅子の裏に貼ります。そうすれば、憧れのあの子が、あなたに惚れてくれますよ。これで、あなたの恋もばっちりだね!

 いつもは迷信など信じない僕なのだけど、恋は盲目とばかりに、そのおまじないを実践してしまったのだ。恥ずかしくて、顔から火が噴き出しそうだ。僕は、恥ずかしさのあまり、謎の叫び声を上げたくなる。乙女チックサンダー~~~~~! ……ううっ、穴があったら入りたい。

「ねえ、サカキくん。このホルホルは、どういった意図で、私の椅子に貼っていたの?」

 楓先輩は、疑問を顔に浮かべながら尋ねてくる。

「えー、あのー、そのー。楓先輩は、文芸部の自慢です。エッヘン」

 微妙な空気が漂った。ど、どうしろと言うんだ~~~~!

「あのね、サカキくん。人の席に、変な張り紙はしないでね」
「は、はい。すみません」

 僕は、弱々しい声で答える。僕は、多大な精神的なダメージを負った。そして、三日ほど、その落ち込みから回復できなかった。その間、楓先輩は、いつもと変わらないように、楽しそうに過ごしていた。