雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第190話「まさかとは思いますが」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、精神の迷宮に潜り込んだ者たちが集まっている。そして日々、混乱し続けている。
 かくいう僕も、そういったメンタルが袋小路に迷い込んでいる系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、幻覚の世界に生きる面々の文芸部にも、クリアな精神の人が一人だけいます。不思議の国に迷い込んだ、現実主義者のアリス。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、よしっ、といった感じで拳を軽く握り、僕の説明に身構える。そして、真面目な顔を僕に向ける。そんな、何にでも熱心な、楓先輩のひたむきさに、めろめろになりながら、僕は先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで未知のフレーズに、出会いましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。夢野久作が、構想と執筆に十年かけて、『ドグラ・マグラ』を著したように、僕は妄想と弄筆に十時間かけて、『とぐろ・巻くぞ』を、ネット文壇に上梓したことがあります」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、病的な執拗さで書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、めまいを覚える文章の数々に遭遇した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「まさかとは思いますが、って何?」

 まさかとは思いますが、この質問は、あなたの想像上のネットスラングにすぎないのではないでしょうか。
 僕は思わず定番フレーズに乗せて、心の中でつぶやいた。このフレーズは、ネットで有名な「精神科Q&A」の回答に由来する、ネタフレーズだ。

 僕は、言葉の意味を楓先輩に説明する前に、何か罠がないか検討する。エッチな言葉でもないし、危険な言葉でもない。それに、楓先輩は、精神に問題がある人でもない。そのため、楓先輩の精神に、大きな傷を作ることもないだろう。
 大丈夫。問題ない。これは、楽勝コースだ。僕はそう確信して、にやりとする。僕は、楓先輩からの好感度をアップするために、説明を開始する。

「先輩。まさかとは思いますが、というのは、林公一という名前の精神科医が、ネットで開いているサイト『Dr林のこころと脳の相談室』内にあるコンテンツ『精神科Q&A』に由来する、定番フレーズです。
 この林先生の答えは、妙に親身かと思ったら、一刀両断でばっさりと切り捨てたり、驚愕の落ちが付く短編小説のように、超展開だったりするために、ネットで人気があります。そのため、古参のネット民の多くが、一度は見かけたことがあります。

 質問にあった、まさかとは思いますが、は、その一〇八七番目の質問『家の中にストーカーがいます』の回答が、由来のフレーズです。実際にどういった内容だったか要約で話し、問題のフレーズのところを引用してみましょう。

 まずは質問の要約です。
 三十八歳の弟のことです。彼は、姉である私に対して嫌がらせを続けており、最近エスカレートしています。様々な音を出したり、私の生活を邪魔したりしてくるのです。彼が数々の異常行動をするのは、統合失調症などの精神病のせいではないでしょうか?

 それに対する答えの要約と引用です。
 事実が、メールの通りならば、弟さんは統合失調症の可能性があると思います。しかし、解せないことがあります。もしそうならば、彼は、そんな緻密な嫌がらせをするとは、考え難いです。

 ――まさかとは思いますが、この『弟』とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。もしそうだとすれば、あなた自身が統合失調症であることに、ほぼ間違いないと思います。
 あるいは、『弟』は実在して、しかしここに書かれているような異常な行動は全く取っておらず、すべてはあなたの妄想という可能性も読み取れます。この場合も、あなた自身が統合失調症であることに、ほぼ間違いないということになります。

 全くの的外れかもしれませんが、可能性として指摘させていただきます。

 引用は以上です。
 この回答は、世界が逆転するような超展開です。そういった内容が、人々の心に刺さり、『まさかとは思いますが、この「弟」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか』という一文が、知る人ぞ知るフレーズになったのです。また、この『弟』の部分を入れ替えて、ネタとして使う、言い回しが広まったのです。
 これが、まさかとは思いますが、というフレーズの正体です。

 また、ネットで有名な林先生には、『今でしょ!』で有名な、予備校講師の林修先生もいます。こちらの林先生は、『今でしょ!』のフレーズで、二〇一三年度の新語・流行語大賞で、年間大賞を受賞しています。

 ネットで林先生という言葉を見た場合は、その内容から、林修先生と、林公一先生を判断する必要があります。その区別の言い回しとして、『今でしょ』じゃなく『居ないでしょ』の方の林先生、といったフレーズも見られます。

 というわけで、まさかとは思いますがと、その元ネタである林公一先生について、解説しました」

 僕は、楓先輩の質問に華麗に答えた。今回は簡単だった。そして、僕の説明は的確だった。楓先輩も、さぞ満足したことだろう。そう思って楓先輩の顔を見ると、先輩は楽しそうな顔をして、声をかけてきた。

「林先生の答えには、他にも有名なのがあるの?」
「ええ。いろいろとありますよ。その中から、いくつか紹介しておきましょう」

 僕は、記憶を頼りに、解説を始める。

「一つ目は、質問番号一七六九番『大司令症候群のテレパシー』というものです。
 過去に、『あやつり人形のように体を動かされたという体験をしました』という質問を林先生にして、させられ体験であると回答された女性が、納得がいかずに再質問したというものです。
 彼女は、大司令症候群のテレパシーに命令されていると自説を開陳。それに対する林先生の回答は、こうでした。

 ――あなたの病気は悪化しています。薬をやめたのが原因です。このままでは危険です。薬を再開し、主治医の先生に、あなたの今の状態をよくお伝えしてください。

 二つ目は、質問番号一五四一番『皆と同じようにipodの手術を受けたい』というものです。
 iPodがないと不安、という女性が、他人が耳に付けていないのを見て、もしや脳に直接埋め込むバージョンが出ているのではないかと考えて、林先生に質問をしました。それに対する林先生の回答は、こうでした。

 ――これは妄想です。そして、この方について最も考えられる診断名は、統合失調症です。

 最後に紹介するのは、質問番号一七六九番『ここ数ヶ月の間に彼女の様子が少しおかしくなってきました』というものです。
 質問者に黙って友人と旅行に行ったり、会うことをそれとなく拒否してきたりするといった内容です。それに対する林先生の回答は、こうでした。

 ――あなたは単にふられつつあるのではないでしょうか。

 こういった身も蓋もない答えが、林先生の魅力になっています」

 僕は、記憶にある名回答を三つ、楓先輩に伝えた。

「なるほどね。林先生になり切って回答するには、そういった感じで、受け答えをすればよいのね」
「えっ?」

 僕は、頭の上に疑問符を浮かべながら声を出す。

「分かったわ。サカキくん、私に何か相談をしてちょうだい。私が、林先生になり切って回答するから」

 えー、それは、公開霊言的な何かですか? 僕は、雲行きが怪しくなってきたと思いながら、警戒する。

「あの、楓先輩。どんな質問がよいでしょうか?」
「それは、考えなくても分かるでしょう。『ドクター楓のこころと脳の相談室』というサイト内の、『精神科Q&A』なわけだから、心と脳の相談をしないと駄目だよ」

「そ、そうですよね」

 僕は、どんな質問をしようかと懸命に考える。

「それじゃあ、質問します。
 僕には一歳年上の先輩がいます。その先輩は、三つ編み眼鏡で、細身でちんまりとしていて、非常に素敵な人です。しかし、その先輩は、なかなか僕の気持ちを分かってくれないのです。
 僕が様々なサインを送ったり、台詞を投げかけたりするのですが、その先輩は、すべてを無視して、僕にただの後輩として語りかけてくるのです。それだけではなく、その先輩は、僕に気があるかのように折に触れて振る舞うのですが、僕が近付こうとすると、すべてをひっくり返して、他人の振りをするのです。
 僕は、そういった先輩の、恋愛感情にうといところも好ましいと思っているのですが、まったく思いが届かないのも、もどかしいと感じています。実は先輩は、僕に対して恋の病を患っていて、それを上手く表現できずに、そういった行動をとっているのかもしれません。そう思うのですが、いかがでしょうか?」

 僕は、真顔で楓先輩に質問する。先輩は、林先生を心の中に召喚して、精神科医のような表情になり、淡々と答えた。

「事実が、この質問のとおりだとすれば、あなたのおっしゃるように、先輩は恋の病の可能性があると思います。

 しかし、どうもこの質問の内容は、解せないところがあります。
 先輩が恋の病で、あなたに対して何らかの恋心を持っていると仮定しますと、質問されたように、あなたの行動に対して、付かず離れずするという、手の込んだ形は、ちょっと考え難い行動です。
 しかも長期にわたって、あなたがそれを受容して学生生活を送っているというのも想像し難いところです。そして、『何某が自分に恋心を持っていて、いちいちそれに合わせて振る舞う』というのは、恋の病に陥った方の、典型的な独善的妄想の訴えでもあります。

 まさかとは思いますが、この『先輩』とは、あなたの想像上の相思相愛者にすぎないのではないでしょうか。もしそうだとすれば、一方的に恋心を寄せているのは、あなただけで、先輩自身は恋心を持たず、あなたが身勝手な妄想をもとに、先輩像を捏造していることに、ほぼ間違いないと思います。

 いや、それは全くの的外れかもしれませんが、可能性として指摘させていただきました。質問の言葉だけしか情報がない『精神科Q&A』の、これは限界とお考えください」

 楓先輩は、その長台詞をすらすらと言ったあと、正気を取り戻した。

「はっ! サカキくん。私は、何を言っていたの?」

 先輩は、真顔で僕に聞いてくる。
 僕は、心に多大なるダメージを負った。僕の恋心は一方通行で、楓先輩にはその気がないと、林先生の振りをした楓先輩に、面と向かって言われてしまったのだ。

 僕は、それから三日ほど、うじうじと悩んだ。それはまるで、鬱状態のようだった。そこから一転して、元気なサカキくんに戻った。その様子は、躁状態そっくりだった。そんな僕を見て、楓先輩は心配顔で尋ねてきた。

「サカキくん、精神は大丈夫なの?」

 うわ~~~~ん! 全部、楓先輩のせいですよ!
 僕は、心の傷を癒やすために、パソコンに向かい、林先生に質問メールを書き始めた。