雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第52話「炎の死闘 その2」-『竜と、部活と、霊の騎士』第8章 炎上

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◇森木貴士◇

 丘の上を移動して、俺と朱鷺村先輩と末代は、陰神社に向かう。俺たちは、本殿の建物に入らず通り過ぎ、そのまま後背の森に入っていく。
 末代は、六十を過ぎているとは思えないほど、足腰が確かだった。それでも、高校生の俺や朱鷺村先輩のように駆けることはできない。そのため、どうしても遅れがちな、末代の速度に合わせての移動になる。俺は、はやる気持ちを抑えながら、先を目指す。

 丘を囲むように、ところどころに見えていた炎は、徐々に火勢を上げている。点のように散在していた赤い光は、連なりを見せ、いつしか輪のようになり、麓で揺らめいている。それにつれて、煙も濃さを増していた。丘の周囲に、灯油かガソリンを配置しておき、発火装置でまとめて火を点けたのだろう。誰かが意図的に、そして計画的に、俺たちを監視して、火を放ったことは明らかだった。
 俺は、小走りに進みながら焦りを覚える。偽剣を置いて逃げる方が、適切ではないかと不安になる。

「末代、まだですか?」
「もう少しです」

 森の木々の先には、何も見えない。いったい、どこを目指していると言うのか。このままでは、丘を下りて炎の中に到達するのではないかと不安になる。
 冷たい気配がした。何者かが、俺たちの近くに潜んでいるのが分かった。俺は、末代と朱鷺村先輩の表情を窺う。二人の顔にも緊張が浮かんでいる。末代は、森の中の一点を見つめている。そこに視線を移すと、鎧武者の姿があった。

「あれは」

 俺は、小さく声を漏らす。

「しっ、偽剣の近くなので、さまよっているのです」

 波刈神社と同じだ。七人の鎧武者の一人が、この場所にもいるということだ。俺は、その姿をじっと見る。前回と同じように、殺人鬼の一人と融合しているが、その結合方法が違う。鎧武者の腹に、殺人鬼の顔が浮かび、その胴体が鎧武者の背後から飛び出している。ぱっと見た感じでは、人馬一体のケンタウロスのように見える。
 腹にある顔は虚ろな目をしている。融合はしているが、完全に主導権は鎧武者に奪われて、ただの付属品に成り下がっている。

 末代は、注意深く足を動かして、鎧武者の気を引かないようにする。俺と朱鷺村先輩もそれに倣って、ゆっくりとそのあとを追う。鎧武者が、完全に見えなくなったところで足を速め、俺たちは再び小走りになった。

「着きました」

 末代の台詞とともに、唐突に景色が変わった。目の前に、しめ縄が張り巡らされた、小さな祠が現れた。

「これは」

 俺は驚きとともに声を漏らす。祠を囲むようにして、周囲の木の根元に、いくつかの岩があった。その表面に、「陰」という黒文字と、「迷」という朱文字が、書き込まれている。
 この場所の仕掛けが分かった。「陰」の黒文字で、人の目から隠されている。そして、「迷」の朱文字のために、「許」の呪符がなければ、たどり着けないようになっている。
 俺は、そういった事実を知るとともに、末代が火事を警戒した理由も理解した。祠を囲む木がすべて燃えれば、その熱で、文字の刻まれた岩が割れる恐れがある。そのような状態になれば、おそらく末代の施した封印は消えてしまうのだろう。少なくとも、力は弱まるはずだ。そうなれば、敵はこの祠の燃え跡に来て、偽剣を奪うことが可能になる。

 末代は祠に近付く。そして手を伸ばして、扉を開けた。扉の内側には、波刈神社の時と同じように、朱色の「殺」の文字がある。開け放たれた扉の向こうには、黄色い光を放つ棒状の霊体があった。偽剣だ。しかし、波刈神社のものとは色が違う。

「偽剣は八色あります。霊剣は白色だったそうですから、その光の色を分割したものになっているのでしょう」

 末代が、俺の疑問に答えてくれた。その話を聞き、俺は思った。八本の偽剣を集めると、霊剣に至れるという話も、あながち根拠がないものではなさそうだ。
 末代は、祠から偽剣を取り出す。そして、手に筆を浮かべて、動かし始めた。霊剣の表面に、朱文字で「崩」と、黒文字で「跡」を書き付ける。「崩」は、何者かに奪われることへの対策だろう。「跡」の方は、何のためか分からない。ともかく、敵の襲撃に備えているのだろう。
 末代は、文字を書いたあと、俺たちに向き直る。

「これは簡易的な文字です。封印の場所に施したように、私の死後も働くものではありません。しかし、この場所から脱出する際の役には、立ってくれるでしょう。さあ、家に戻り、他の竜神部の面々と合流しましょう。くれぐれも、敵の襲撃には、気を付けなければなりませんよ」

 俺は頷く。朱鷺村先輩も、真剣な顔で返事をする。俺たちは、末代を先頭にして祠を離れた。
 岩に刻み込まれた「迷」と「陰」の結界を抜けた瞬間、俺たちは驚きの声を上げた。森は炎に包まれており、木々の枝が赤い悲鳴を上げていた。

「これは」

 俺は、困惑の声を漏らす。「迷」と「陰」の結界の外にまで、炎が迫っていたことに、まったく気付かなかった。視線を向けると、末代と朱鷺村先輩も驚いている。俺は、どうするべきか、二人に尋ねる。末代は、厳しい顔をして森を見渡した。

「炎がまだ及んでいない場所を通って、脱出しましょう」

 そういったことが果たしてできるのか、俺は目を凝らす。炎は一様に分布しているわけではない。粗密がある。その中から、一本の道のようにして、抜けられそうな経路が見つかった。

「あそこですか?」

 俺は、朱鷺村先輩に尋ねる。

「ああ。そこしかなさそうだな」

 答えた朱鷺村先輩の表情には、迷いがある。

「どうしたんですか?」
「炎の周りが早過ぎる。それが何を意味しているのか分からないが」

 言われてみればそうだ。俺自身も、同じことを感じていた。しかし、目の前の光景に急き立てられ、思考することを忘れていた。敵が、何かを仕掛けたということだ。もしそうなら、敵は俺たちの位置を捕捉しているということだ。

「どうします?」
「炎はどうしようもない。まずは、脱出するしかないだろう」

 正しい答えなのは分かる。しかし、どこか納得がいかなかった。朱鷺村先輩自身もそうなのだろう。顔には、どこか不満そうな色が浮かんでいる。

「貴士さん、朱鷺村さん。まずは、ここから離れますよ」

 偽剣を持った、末代が告げる。俺たちは頷き、炎の中にできた一筋の脱出路を、進み始めた。
 炎上した丘の森に残された、たった一つの経路。俺たちは、その細い道筋を、熱と煙から逃れるために進んでいく。通れる道は、ここしかない。まるで迷路のような道を、俺たちはたどっていく。高温のせいで、頭が朦朧としてくる。思考が停止し始め、俺たちは、機械のように足を動かして救いを求める。

 襲撃は突然だった。炎の間の道が、「ト」の字形に分岐している場所を、通過した直後だった。背後に殺気を感じて、俺は振り返る。そこには、手っ甲を付けた手が浮かんでおり、末代の手にある偽剣へと向かっていた。

「鎧武者だ!」

 俺は、警告の言葉を発する。人馬一体の姿になった鎧武者は、驚異的な跳躍力で、俺の頭上を越えて、末代に襲いかかる。その奇襲に気付いた朱鷺村先輩が、精神を集中して日本刀を浮かび上がらせる。
 しかし、瞬時に出せるわけではない。朱鷺村先輩が、刀を振った時には、鎧武者は末代の手にある黄色く光る偽剣に触れていた。そして、落下の勢いを利用して、腕から偽剣をもぎ取り、右手に握り締めていた。

 偽剣を奪われた末代が、驚きの声を上げる。俺と朱鷺村先輩と違い、末代は背後から、完全に不意を突かれてしまった。しかしその顔に、後悔や反省の色は浮かんでいない。それどころか、余裕の笑みが現れている。
 鎧武者の悲鳴が上がる。その声は、炎に包まれた丘を、切り裂くように空気を震わせた。鎧武者の腕が、ぼろぼろと崩壊している。偽剣に施された「崩」の文字の罠が、鎧武者の腕に破壊の力を注ぎ込む。そして文字自身は、薄れていき、消滅してしまった。

 偽剣を取り戻さなければ。俺は、地面に落ちた偽剣に手を伸ばす。その時、炎がいきなり割れて、オフロードバイクが躍り込んできた。あまりの唐突さに、俺たちは動きが止まる。その一瞬の隙を突き、バイクに乗っていたヘルメットの男は、偽剣をつかみ、炎の中に飛び込んだ。
 その瞬間、炎が大きく割れた。バイクに乗った男を避けるようにして、炎が左右に退き、道を作る。それだけではない。男がアクセルを吹かして、猛スピードで過ぎ去ると、炎は熱を失い、幻になった。そして、何ごともなかったように、燃えていない森の姿が戻ってきた。

 丘を取り囲む火災は、いまだ続いている。しかし、その火は、麓からわずかに上ってきた程度である。俺は、何が起きたのか分からなかった。末代と朱鷺村先輩の顔を見ると、同様にぽかんとしているのが分かった。
 いったい、何が起きたのだ。混乱が収まったあと、敵が何を仕掛けてきたのか、ようやく理解した。俺たちが、一瞬前まで見ていた炎は、霊術による幻だったのだ。いや、近くに偽剣があったから、炎の熱や光は実体化していた。そして、その術を使う相手と、偽剣が遠ざかったことで、炎は姿を消したのだ。

「やられた」

 俺は、悔恨の台詞を吐く。

「シキ君。気を抜くな!」

 朱鷺村先輩が、鋭い声で俺に告げてきた。火災が消えた森の中には、鎧武者がまだ残っている。右腕は崩壊しているが、左腕は残っている。それだけではなく、融合した殺人鬼の両手が、腰の辺りから垂れさがっている。
 俺は緊張する。腕が三本あれば、俺たち三人と一度に戦うことも可能だ。俺は、どうするべきか考える。目の前には、鎧武者がいる。偽剣を奪った敵は、オフロードバイクで逃げている。俺は、具体的な解決策が浮かばず硬直する。その俺の前で、末代が一枚の懐紙を取り出した。
 末代は、その懐紙に「追」の文字を書き付ける。それを、背後にいる朱鷺村先輩に手渡した。

「『追』という文字と、『跡』という文字で、『追跡』になります。この懐紙は、『跡』の文字が記された偽剣の方角を示します。神流ちゃんは、バイクで来ていますよね。貴士さんとともに、この呪符を持って敵を追ってちょうだい」
「末代は?」

 朱鷺村先輩は、青い顔で尋ねる。

「誰かが、目の前の敵を食い止めないといけないでしょう。私はバイクに乗れません。ここは神流ちゃんが、貴士さんを連れて、脱出すべきです。さあ、行きなさい!」

 末代は、鋭い声を出して、朱鷺村先輩を突き放す。朱鷺村先輩は、泣きそうな顔になりながら、俺に体を向けた。

「シキ君。ここを出て、末代の家に向かう。そしてバイクに乗り込み、敵のあとを追う」

 その声は、俺に対する命令というよりは、自分自身に言い聞かせているようだった。

「行くぞ!」

 朱鷺村先輩は、声とともに走り出す。俺はその背中を見ながら、朱鷺村先輩の命令に従う。森を抜け、丘を駆ける。途中、陰神社の本殿が見え、その横を通過して、坂を下り始めた。
 くそっ。完全に、敵の仕掛けた罠にはまってしまった。翻弄されるだけ翻弄されて、偽剣を奪われてしまった。俺の目の前の朱鷺村先輩は、長い黒髪をひるがえして斜面を下る。俺は、その背後を、影のように寄り添いながら疾駆する。

 坂を下りた。平地に着いた。俺は、朱鷺村先輩とともに、龍之宮の屋敷に向かう。門に着いた。その間を抜けた。庭には、車と大型バイクがある。バイクには、二つのヘルメットがぶら下げてある。

「シキ君は、ユキちゃんのヘルメットを使え」
「はい」

 バイクに乗り込み、朱鷺村先輩がエンジンをかける。俺は一瞬ためらったあと、朱鷺村先輩の細い腰に腕を回して、その胴を強く抱いた。
 エンジンが轟音を上げ、タイヤが砂と小石を巻き上げ、背後に砂煙を作る。強烈な加速を感じたあと、車体は門を抜けて、公道を走り始める。

「シキ君。『追』の懐紙を持って、方向を告げてくれ」

 俺は、朱鷺村先輩のポケットから、懐紙を引き抜く。懐紙は、その上部を、西へと向けている。懐紙はまるで生きているように、行方を示して向かおうとする。

「西です。どうやら、俺たちが来た道を、逆にたどっているようです」
「分かった」

 バイクが速度を上げる。アスファルトの上を、激しい音を立てて進んでいく。俺は、朱鷺村先輩に体を密着させる。そして、バイクの後部座席から、敵の姿はないかと目を凝らして探した。