雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第187話「砂を吐く」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、ラブラブな者たちが集まっている。そして日々、甘い言葉をささやき合っている。
 かくいう僕も、そういった二次元との恋を成就している系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、恋心溢れる面々の文芸部にも、奥手で潔癖な人が一人だけいます。矢沢あいの「NANA」の世界に紛れ込んだ、恋愛潔癖症の女の子。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横にちょこんと座った。僕は楓先輩の、三つ編みの髪のつややかさを見る。染めたりパーマをかけたりしていない天然無印の髪は、まばゆいばかりのキューティクルに包まれている。その天使のような髪の輝きを見ながら、僕は先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットに、初見のフレーズがありましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの玄人よね?」
「ええ。恋の駆け引きに長けた、スペインの伝説上の放蕩児、ドン・フアン・テノーリオのように、ネットの駆け引きに卓越しています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、自室にこもって情感たっぷりに書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、様々な感情表現に出会った。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「砂を吐くって何?」

 僕は、先輩との、ラブラブな部活動の日々を思い出す。まさに、僕と楓先輩の物語は、砂を吐くように甘々だ。僕はそのことに、心をときめかせながら口を開く。

「砂を吐くというのは、僕と楓先輩の関係のようなものです」

 今回のフレーズは、エロでもなければ、危険な言葉でもない。僕は気をゆるめて、楓先輩に声を返す。

「私とサカキくんの関係? うーん。どういった意味なんだろう。そうか! 砂って、ざらざらしているよね。そういった状態から連想して、ぎすぎすしているような状態のことを指すの?」

 えっ?
 いや、そこは甘々な関係だと、答えて欲しかったのですが。どうして、ぎすぎすした関係になるのですか?

 ああ! 僕はそこで気付く。
 楓先輩は、砂を吐くように甘いという言葉の意味が、砂糖を吐くように甘いということを知らない。そういった事情を知らなければ、砂という言葉から連想して、ぎすぎすといった意味を思い浮かべても、不思議ではない。

 それにしても、僕と楓先輩の関係と言ったのに、なぜそんな言葉を選ぶのですか! 僕はそこまで考えて、はたと気付く。もしかして、ラブラブな関係だと思っているのは、僕だけなのか? 楓先輩は、僕のことを何とも思っていないのか。

 僕は、恐るべき事実を想像する。もしかして楓先輩は、僕のことを、自由に情報を引き出せる、ネット知識ATMと思っているのかもしれない。
 もしそうならば、何という一人相撲。僕は、砂を吐くの説明を、初手から誤ってしまったことになる。

「ねえ、サカキくん。それで、砂を吐くって、どういう意味なの?」

 楓先輩が、真っ直ぐな目で僕を見つめる。
 うっ、心苦しい。僕は楓先輩に、二人の関係が当てはまると言ってしまった。その言葉を、楓先輩は、不仲な関係だと解釈した。ストレートにラブラブなことですと説明すると、先輩がどん引きするかもしれない。そのことが切っ掛けで、二人の関係に溝が生じる可能性もある。

 どうにかして、砂を吐くの説明を軟着陸させなければならない。これは、稀有な難事だ。エンジンの壊れたジャンボジェットを、初フライトのパイロットが、胴体着陸させるようなものだ。
 僕は、この難易度ウルトラCの事業に、果敢に挑むことを決めた。

「砂を吐くという言い回しは、元々は女性向け同人誌の界隈から出てきたと言われています。この言葉は、インターネット時代以前から目撃例があり、それがネット上でも使用されていったのだと思われます。

 それでは、砂を吐くの意味は、何なのか? それは、甘すぎて口の中から砂糖を吐くような、甘々な恋愛話やラブラブな状態を指します。
 この言葉は、元々は砂糖を吐くという形だったと思われます。それが、どういった経緯で砂に変わったのかは定かではありません。

 絵面としての何かを吐く様子からなのか。楳図かずおの『漂流教室』で見られる、砂を吐く描写からなのか。砂糖の糖を取り、砂を残したものからなのか、定かではありません。
 由来には諸説ありますが、確証が得られるものはありません。そのためここでは、確定的な説明は控えます。

 このように起源は分かっていませんが、どういった絵面で用いられるかは分かっています。それは、この表現が、マンガの同人誌で多く使われているからです。
 口からごぱぁっと砂を吐く、あるいは、ざぱーっと口から砂をこぼす。そういった描き方で、この言葉は用いられます。この言葉は、同人界隈では、マンガだけでなく文字の世界でも用いられます。

 また、同人関係で砂と言うと、砂かけという言葉も見られます。これは、去りぎわに恩をあだで返すような行為を指します。後足で砂をかける。そういった慣用句を、短くしたものです。
 この言葉は、あるジャンルから他のジャンルに移った際に、以前いたジャンルの作品を貶めたり、そのジャンルにいる人を中傷したりする行為や発言に使われます。こちらも覚えておくと、ネットを見る際に参考になるかもしれません」

 僕は、砂を吐くというフレーズのあとに、砂繋がりの言葉を説明した。最後に別の話を追加することで、感情のソフトランディングを試みた。
 僕は、楓先輩がどういった受け止め方をしただろうかと考えながら、様子を窺う。先輩は、考えをまとめるようにして声を出した。

「つまり、砂を吐くというのは、ラブラブで甘々な関係を指す言葉なのね?」
「そうです。そういった状態を見て、口の中が甘くなりすぎて、ごぱぁっと吐いてしまうような状況を示します」

「そして、サカキくんは、私とサカキくんが、砂を吐くような関係だと言ったわよね?」
「ええ。言いました」

「それはつまり、私とサカキくんが、ラブラブで甘々な関係ということ?」
「三段論法からすると、そういうことになるかと思われます」

 駄目だ! ソフトランディングは、意味がなかった。
 楓先輩は、僕の横で両腕を組む。そして真剣な顔で眉を寄せる。いったい何を考えているのだろう。僕はじっと楓先輩の表情を観察する。

 先輩の顔が、徐々に赤くなってきた。そして耳と首まで真っ赤に染まった。ゆでだこのような状態になった楓先輩は、ぎくしゃくとした様子で僕の方を向いた。

「サ、サカキくん。それは、どういうことなの?」

 僕と接して座っている楓先輩は、腕を組んだまま僕を見上げている。腕を組んでいるのは、心理的な自己防衛の状態だろう。楓先輩は、僕の言葉から身を守ろうとしている。
 楓先輩が守ろうとしているものは何だろうか? それは、これまでの日常ではないか。僕とのほどよい距離を保った、先輩後輩の気持ちのよい関係。楓先輩は、その状態が変化して、新たな段階に移行することを恐れている。

 僕は、どうするべきか考える。先輩の恐れを考慮して、恋愛の階段をのぼることを控えるか。あるいは、勇気を振り絞り、次の段階へと足を踏み出すか。
 僕は、楓先輩の顔をじっと見る。先輩は、眼鏡の下の顔を真っ赤にして、不安そうに僕を見上げている。

 神よ、僕に力をください!
 神が、僕に舞い降りた!

 僕は、神がかりの状態になる。それはまるで、スーパーマリオブラザーズで、スターを取ったような状態だ。

「そうです。楓先輩! 僕と楓先輩は、文芸部の部室の中で、ラブラブで甘々な関係なのですよ!!」
「ごめんなさい!」

 ほえっ?
 楓先輩は、素早く頭を下げて、脱兎のごとく逃げ出した。僕のスターは、瞬時に効果が切れてしまった。

 待ってください、先輩! 僕は心の中で叫ぶ。しかし、楓先輩の動きは、すさまじく速かった。楓先輩が部室から蒸発するタイムは、わずか〇・〇五秒にすぎなかった。

 では、蒸発のプロセスを、もう一度見てみよう!!

 楓先輩は、素早く席を立った!
 楓先輩は、疾風の速さで部室を駆け抜けた!
 楓先輩は、雷神のごとく扉を開けた!
 楓先輩は、刹那の時間で視界から消えた!

 僕は石化して、砂となって砕け散った……。

 それから三日ほど、楓先輩は、僕との関係をクールダウンした。その結果僕は、ふらふらの状態になってしまった。ああ、楓先輩は、僕というジャンルから離脱したのか。砂をかけられなかっただけ、マシと思うしかないのか。
 僕は、血を吐いた。ああ、神は理不尽なり! 僕は、砂を噛むような味気ない日々を送った。

 三日経ち、楓先輩が僕の横に再び座ってくれるようになった。僕は、甘い日々を取り戻した。僕は心の底から、その関係を満喫した。