雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第186話「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、信仰心の厚い者たちが集まっている。そして日々、聖典の解釈について議論を重ねている。
 かくいう僕も、そういった神学的何かをこねくり回す系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、教義に従順な面々の文芸部にも、柔軟な思考を持っている人が一人だけいます。「HELLSING」のアレクサンド・アンデルセンの集団に取り囲まれた、ネコミミ獣人の美少女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、笑顔でやって来て、僕の隣に座った。僕は、先輩の横顔を見る。三つ編みにして髪をまとめているために、形のよい耳があらわになっている。その耳は、大きすぎず小さすぎず品がよい。耳たぶはふっくらとしており、つまんでぷにぷにといじりたくなる。ああ、楓先輩は、体の細部まで可愛さで満たされている。僕は、そんな楓先輩の愛らしさに酔いながら、声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、知らない言葉に遭遇しましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。チャールズ・ロバート・ダーウィンが、ビーグル号での航海の経験から『種の起源』を著したように、僕はネット遊泳の経験から、ネタの起源を探り出します」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、とことんまで進化させるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、人類の思考の多様性を目撃した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

空飛ぶスパゲッティ・モンスター教、って何?」

 うっ。
 ものすごく短い言葉で説明すれば、冗談宗教ということになる。しかし、その登場の背景まで語るとなると、なかなかの難事になる。なぜならば、それは、キリスト教と科学の対立、そしてアメリカに蔓延している聖書主義の文化を知らなければ理解できないからだ。

 僕は、楓先輩の姿をちらりと見る。先輩の家族は、特定の宗教を信仰しているわけではない。楓先輩自身も消極的無神論のはずだ。ちなみに僕は、神はいないと考える積極的無神論だ。宗教は精神的な処方箋として用いるか、支配の道具として利用するものだと考えている。
 さて、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教について、どう話すか。信仰の話は、センシティブな問題なので、地雷を踏まないようにする必要がある。

「楓先輩は、インテリジェント・デザインという言葉をご存じですか?」
「ううん、知らないわ」

 なるほど。その辺りの背景から、きちんと説明しなければならないだろう。

「僕たち日本人がアメリカ合衆国を受容する際、ハリウッド発のコンテンツか、ニューヨーク発のトレンドから多くの情報を得ます。しかし、それはアメリカ合衆国のごく一部、というか例外的な部分です。それ以外のアメリカは、非常に保守的な田舎社会が広がっています。

 そういったアメリカで、大きな勢力を持っている価値観に、宗教があります。この宗教はキリスト教ですが、ヨーロッパとは違う、独自の文化を生み出しています。
 そうしたアメリカ独特なキリスト教文化には、メガチャーチモルモン教エホバの証人キリスト教原理主義の諸会派などがあります。この中でも特に、キリスト教原理主義の人々が目の敵にしているものに、進化論があります。

 キリスト教の聖書では、生物は神が作ったとしています。それに対して進化論は、神なしで生物がその形を作っていく仕組みを述べています。キリスト教原理主義の人々にとって、そういった考えは、教義に反するから受け入れられないわけです。
 アメリカ合衆国では、宗教の影響力が政治に強くおよんでいます。そういったアメリカでは、学校で科学を、特に進化論を教えることに反対して、数々の攻撃が加えられてきました。

 インテリジェント・デザインというのは、そういった攻撃の中で、疑似科学の皮を被ったキリスト原理主義的な言説になります。この説では、宇宙や生物は、偉大なる知性によってデザインされたと主張します。
 これは神がすべてを創造したという創造説の言い換えにすぎず、科学の皮すら被っていない、疑似科学の皮を被った話になります。

 このインテリジェント・デザイン、通称IDが問題なのは、様々な政治的圧力を使い、科学の時間に、進化論と同列で、あるいは進化論の代わりに、ID説を子供に教えようとする人々がいることです。

 宗教とは、時に人間の苦悩を解放してくれ、新しい視点や気付きを提供してくれます。たとえば日本の仏教史は、思想の飛躍の歴史でもあります。しかし、現代社会におけるID説は、子供たちの教育機会を奪い、人々の思考を檻に閉じ込めるものにすぎません。
 空飛ぶスパゲッティ・モンスター教を理解するためには、アメリカ合衆国で、そういった科学と宗教の対立が繰り返されているという、背景を知る必要があります。

 こういったアメリカの現状を知るには、エンターテインメントの書籍としては、川端裕人の『竜とわれらの時代』が参考になります。また、よりカジュアルに情報を得たい場合は、映画評論家である町山智浩の、本やトークを利用するのも一つの手でしょう」

 僕は、楓先輩に、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教を理解する上での、前提知識を伝える。先輩は、興味深そうに僕の話を聞いている。僕は、いよいよ核心に入る。

「こういったアメリカ合衆国を舞台として、二〇〇五年のカンザス州で、一つの事件が起きます。カンザス教育委員会で、進化論と同じように、ID説も教えるという決議が評決されることになりました。
 委員の構成から、この可決は確実視されました。そのことを憂えた、オレゴン州立大学物理学科卒業の無職、ボビー・ヘンダーソンは、独自の方法で抗議の活動を開始しました。それが、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教のでっち上げです。

 ボビーは、自分のサイトで、空飛ぶスパゲッティ・モンスターの概要を示し、ID説の徹底的なパロディーをおこないました。そして、進化論やID説と同じように、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教も、学校で教えるべきだと主張しました。
 ID説が言う偉大なる知性は、キリスト教の神である必要はありません。その何かは、空飛ぶスパゲッティ・モンスターでも構わないのです。ボビーは、科学の振りをしようとした宗教を逆手に取り、架空の宗教を創造したのです。そして、この主張が受け入れられないならば、法的手段を執ると教育機関に警告しました。

 この活動で、教育委員会の評決が覆ることはありませんでした。しかし、一年後の二〇〇六年の教育委員会の改選で、ID説採用を決めた委員は全員落選しました。そして、元の教育内容に戻ったそうです。
 そういった現実の話はさておき、この冗談宗教の活動は、ネットで人気となり、大きなムーブメントになりました。そして、アメリカ、ヨーロッパを中心に、世界に広まっていったのです。

 ここで少し脇道に逸れましょう。ID説やキリスト教原理主義と、科学者の対立において、押さえておかなければならない流れが、もう一つあります。ネットやオタク、サブカル的文脈で、それらの知識は持っておいた方がよいです。その話も、ここで語っておきましょう。

 それは、クリントンリチャード・ドーキンスの存在です。イギリスの動物行動学者であり進化生物学者であるドーキンスは、一九七六年発行の『利己的な遺伝子』という著作で有名です。
 この本で特に有名なのは、遺伝子が生物の主体であり、生物の体は乗り物にしかすぎないという考え方です。また、サブカル的文脈としては、文化や思想を伝達する意味的遺伝子、ミームが提唱されていることも重要です。こういった概念は、SFなどの作品で出てくることがあるので、知っておくべきでしょう。

 そういった本を著したドーキンスは、無神論者の論客であり、宗教と激しい論戦を繰り広げてきました。そんな彼は、二〇〇六年に『神は妄想である――宗教との決別』という本を上梓して、ID説を含む宗教を痛烈に批判したのです。
 この本は、英語版が一五〇万冊を突破しており、日本語など多くの言語に翻訳されています。内容としては、神や宗教を否定して、無神論者に大きなエールを送るものになっています。
 逆に言うと、科学書の著者が、そこまで強烈なメッセージを出さなければならないほど、極端な宗教的政治活動が世にはびこっているということです。

 アメリカ合衆国における、反科学とでも言うべきキリスト教の活動は、常軌を逸しています。現代において、科学、そして進化論は、一定の評価を受けた考え方です。
 たとえば、カトリックの頂点というべきローマ教皇、そのヨハネ・パウロ二世は、一九九六年の段階で、すでに進化論を否定しないと発言しています。キリスト教原理主義の人々が、非常に前時代的な思想をしていることが、このことからも分かると思います。
 まあ、原理主義の人たちはプロテスタント系なので、カトリックの親玉が言ったからどうだという感じなのでしょうが」

 僕は、脇道に逸れてしまったことを楓先輩に詫び、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教に話を戻すことにした。今回の話は、少し僕もヒートアップしすぎている感がある。もっと楽しい話題に移行しよう。

「それでは、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教について説明します。ちなみに、空飛ぶスパゲッティ・モンスターの略称はFSMになります。祈りは、アーメンではなく、ラーメンです。ヌードルですからね。
 この空飛ぶスパゲッティ・モンスターの姿ですが、二つのミートボールと、麺のような触手で構成されています。そして信者はパスタファリアンと呼ばれ、海賊の格好をして、海賊のように生きることが推奨されます。

 FSMには様々な教義があります。そのどれもが、パロディーやユーモアで塗り固められています。
 ちなみに、このFSMは世界中に広まっており、ポーランドでは、正式な宗教として登録申請する許可を与えられました。また逆に、オーストリアでは、教団認定されませんでした。
 真面目な冗談から始まった活動が、ネットを超えて、現実社会に影響をおよぼしているわけです。

 ちなみに、出自はまったく違いますが、ネット時代に広がっている冗談宗教というのは、けっこうあります。
 その一つは、映画『スター・ウォーズ』シリーズに出てくるジェダイを目指すジェダイ教です。また、検索エンジンをあがめるグーグル教。詳しくは語りませんが、十七歳教。ファイル共有を神聖な行為とするコピミズム伝道教会など、多種多様です。
 というわけで、ラーメン! これで、話は終わりです」

 僕は、膨大な知識を圧縮して、楓先輩に伝えた。かなり端折りすぎたので、上手く伝わったかは分からない。大丈夫かなと思いながら先輩を見ると、ぐるぐると目を回していた。どうやら、一度に大量に話しすぎたようだ。

「えーと、つまり、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教は、最高ということね?」
「イエス! イエス! イエス!」

 僕は力強く答えた。楓先輩は、スパゲッティ・コードのような足取りで、自分の席に戻った。

 それから三日ほど、楓先輩は、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の、狂信的な信者になった。

「わが髪の、雪と磯辺の白波と、いづれまされり、沖つ島守」

 楓先輩は、そうつぶやきながら、文芸部の部室を徘徊した。
 先輩が口にしているのは、紀貫之土佐日記中の和歌だ。国司として土佐近海の海賊を取り締まった貫之は、帰京の際に、「高波と海賊への恐怖で、白髪になってしまった」と歌った。

 そう。白波は、古典で海賊や盗賊を表す言葉だ。空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の信者といえば海賊。さすが楓先輩だ。狂信者になっても、文芸部らしい言葉を発している。さすがだなあと、僕は感心した。