雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第46話「末代訪問 その3」-『竜と、部活と、霊の騎士』第7章 訪問

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◇森木貴士◇

 佐々波先生の軽自動車と、朱鷺村先輩の大型バイクが、学校を出発した。軽自動車の助手席に座るDBは、タブレットを出して、地図を表示する。そして、運転席の佐々波先生に、指示を出し始めた。
 ハンドルを握ったことがないDBとは違い、佐々波先生は運転経験がある。それに何度も末代のところに行っているはずだ。それなのに、なぜナビゲーションが必要なのか、よく分からなかった。
 しばらく見ているうちに、理由が分かった。佐々波先生は、ぼうっとしていて、曲がり角を通り過ぎてしまうことが多い。そのため、知らない道に迷い込んでしまい、ナビゲーションが必要になるのだ。

 これは、時間がかかるかもしれないな。俺は、スマートフォンを出す。そして、今日の行く先を確認するために、地図を呼び出す。画面に、八布里島の全景が表示された。
 八布里島は、鞘に入った枝豆のような姿をしている。先端を左下の南西に置き、枝側を右上の北東に置く。そうすると、八布里島の配置になる。本土と島との間の竜神海峡は、島の南西から始まり、北西を通り、北に回り込むようにして続いている。
 俺たちが住んでいる御崎町は、本土に面した北西部にある。島の中心からは、大きく北に寄っており、北端に近い。そこからは、本土に定期連絡船が出ている。

 車が向かっているのは、そういった本土に面した地域ではなく、その反対側になる。島の裏側。その中央付近にある多津之浦を目指している。その場所には、多津之浦新田と呼ばれる、江戸期に開発された干拓地がある以外は、何もない。
 その多津之浦に向かう道は、大きく分けて二つある。一つは、波刈山の道を抜け、海岸線沿いに、島を北回りに移動する経路である。もう一つは、竜門隧道と呼ばれるトンネルを抜けて、山間の道を縫っていく方法である。バイクと軽自動車がたどっているのは、この二つ目の、山を通る道筋である。

 バイクが先を走り、軽自動車があとを追う。佐々波先生は、制限時速を大幅に下回る速度で、運転している。そのため、どうしても距離が開いてしまう。そのままでは離れ離れになってしまうために、朱鷺村先輩たちは停車する。
 バイクの姿が見えなくなりしばらくすると、路肩で休んでいる朱鷺村先輩と雪子先輩に出会う。すると二人がバイクに乗り、再び出発する。そういった、のんびりとした追い駆けっこが、出発から数度繰り返された。気の短そうな朱鷺村先輩のことだから、おそらく普段は、現地集合にして、こんなことはしないのだろう。

 佐々波先生の車は、ゆっくりとうねるようにして進んでいく。なぜ、真っ直ぐ進むだけなのに、蛇行運転になるのか分からない。俺とDBとアキラは、それぞれ窓の上の手すりを握り、全身を緊張させ続ける。たまりかねたのか、DBが口を開いた。

「先生、運転下手ですね」

 身も蓋もない台詞だ。佐々波先生は、心の底から悲しそうに、大きくて長いため息を吐く。

「そうなのよね。私、運転下手なのよね。朱鷺村さんに、散々言われて。朱鷺村さんがバイクを買ったのは、私の車に乗らずに移動するためなのよね」
「そうだったんですか?」
「口に出して言わないけど、おそらくそうだと思うわ。最初は、私の車に乗って、三人で移動していたのよ。そうしたら、ある日、バイクに乗ってやって来て、私は自分の移動手段がありますからと、見下すような目で、私を見て言ったのよ」
「怖いですね」

 俺は、その時の朱鷺村先輩の姿を、想像しながら告げる。美人で、ちょっと冷たい感じの朱鷺村先輩が、無表情で突き放すようにして言う。その場に居合わせたら、俺も恐ろしいと思うだろう。

「怖いな、部長は」

 DBが、顎の下をなでながらこぼす。

朱鷺村先輩って、DBにもきついよね」

 横に座るアキラが、話に加わってきた。その台詞に、佐々波先生が頷く。

「そうなのよね。朱鷺村さんって怖いのよね。おうちも怖いし」
「おうち? 朱鷺村先輩の家ですか?」

 俺は、興味を持って尋ねる。

「そう。部活の顧問ということで、一度招かれて行ったのよ。だだーん、と広い庭に、和風のお屋敷があって、庭を黒服の男の人と、ドーベルマンが警備しているのよ。それで中に入ると、広くて長い廊下が続いていて、やっぱりところどころに黒服を着た、サングラスの男の人たちがいるのよ。
 そんな場所に行くと、びびるじゃない。私の運転で、朱鷺村さんに怪我をさせてしまったらどうしようと、心の底から怖くなったわよ。だから、ある日、バイクでやって来た時も、反応に困ったわ。よかったわね。素敵なバイクを買ってもらったのね。そう言うしかなかったわよ」
「先生も、苦労されているんですね」
「分かる? 気苦労が絶えないのよね」

 佐々波先生は、話ながら、ハンドルを右に左に動かしている。そのたびに車は、左右に大きくスイングする。もう少し集中して、運転してくれないかと思った。
 三十分ほどすると、車内に声はなくなった。全員酔ったのだ。運転している先生も含めて、みなの顔色が悪い。朦朧とした状態で、早く着いてくれないかと思っていると、大きな音とともに衝撃がした。

「うわっ、何だ?」

 俺は思わず声を上げる。前方を見ると、車が路肩に乗り上げて、崖の直前で停まっていた。車の前部を見ると、ブロックが埋め込まれた斜面に、接触している。大破しているわけではないが、ライトなどは割れているようだった。

「事故ですか?」

 俺は、佐々波先生に尋ねる。佐々波先生は、頭を抱えて、悲しそうな顔をする。

「ああ、また朱鷺村さんに、呆れられてしまうわ。教師の威厳が吹き飛ぶわ」

 朱鷺村先輩が、バイクを買った時のショックが忘れられないのだろう。しかし、この件に関しては、あまり同情する気にはなれなかった。

「それで、車は動きそうなんですか?」
「大丈夫よ。JAFを呼ぶから」
「いや、そうでなくて、俺たちは末代のところまで、たどり着けるか、聞きたかったのですが」

 佐々波先生は、「森木お前もか!」といった目で、俺を見る。

「そうよね。先生、頼りないわよね。生徒に呆れられるような、駄目教師よね」

 自虐モードに入ったのか、佐々波先生はぶつぶつとつぶやく。

「どうする?」

 俺は、DBとアキラに尋ねる。アキラは、途方に暮れた顔をして答える。

「どうすると言われても、周りは山だし」

 アキラは周囲を見渡す。左右は崖だ。タクシーを待つのも難しい。バスが通っているはずだが、バス停がこんな場所にあるわけもない。助手席のDBは、タブレットを出して、地図を確認している。途中で「酔うから」と言って、鞄にしまっていたおかげで、壊れずに済んだようだ。

「いちおう、歩いていける距離だ。この谷を出れば、そこが多津之浦だ。まあ、ちんたらと歩かなければ、一時間もかからないと思う」
「歩くか?」

 俺はDBに尋ねる。むちゃくちゃ嫌そうな顔をされる。まあ、DBなら仕方がないだろう。その様子を見て、アキラがシートベルトを外して、車のドアを開けた。

「行こう。シキ。DBなんか、置いていけばいいのよ」
「おい、こら、アキラ。何も、行かないとは言ってないだろうが」
「あら、その重そうな体だと、移動も大変でしょう。佐々波先生とともに、ここで待って、タクシーでも呼んで来なさいよ。あんたの家は、お金持ちなんだから」

 アキラにあおられて、DBはむすっとした顔をして、シートベルトを外した。

「分かったよ。行けばいいんだろう」

 結局、俺たち三人は、車を降りた。

「じゃあ、先生。俺たち、先に末代のところまで歩いて行きますんで」
「そうね。そうしてちょうだい。朱鷺村さんには、電話で先に行っておくように、伝えておくわ。あなたたちは、みんな私を置いていくのね。いいわ。先生は、一人寂しくここで待つわ。二十九歳の独身女性らしく、孤独な時間を過ごすわ」

 佐々波先生は、暗い表情で、ハンドルに顔を埋めている。

「えー、まあ、きっといい人が、現れますよ」

 俺たちは、どんよりした空気に包まれている佐々波先生を残して、歩き始めた。
 山間の車道の脇を、俺たちは縦に並んで歩いていく。先頭は俺、次にアキラ、最後はDBである。

「なあ、シキ」

 DBが、背後から声をかけてくる。俺は、振り向いて声を返す。

「何だ?」
「廃ビルの時もそうだけど、この部活に入ってから、やたら歩いていないか?」
「言われてみれば、そうかもな」
「やばいぜ。このままでは、俺が健康になってしまう。色白で、どこか陰のある美少年が、台無しになってしまう」

 アキラが、呆れたような顔をして、後ろを向いた。

「美少年じゃなくて、肉塊でしょう、あんた」
「アキラみたいな、色気のない女に言われたくないな」

 駄弁りながら歩いているうちに峠を越えた。山で塞がれていた景色が晴れ、視界の先に広々とした光景が広がる。坂の下には、多津之浦の干拓地が広がっている。まだ、季節が早いために、苗は植えられていない。水を張った水田が、平らな土地を覆っている。その合間に、瓦屋根の家が点々と見える。

 新田の手前には、その土地を囲むようにして、いくつかの低い丘が連なっている。新田を越えた向こう側には、入り江があり、二つの岬に囲まれている。岬の間には岩礁がある。その先は、外洋が青くきらめいている。
 俺は、目の前に横たわる、鮮やかな景色を見て、しばし無言になる。

「多津之浦は初めて来たな」

 口から漏れた感想は、ごくごく平凡なものだった。美しい景色を見たからと言って、美麗な言葉が漏れるわけではない。そういうものだよなと思った。
 俺は、多津之浦について考える。自身で口にした通り、この地に来たのは初めてだった。島の人間だからといって、すべての場所を訪れたことがあるわけではない。横でアキラが口を開く。

「けっこう、寂れたところなのね」

 素直な感想だろう。俺は、DBに顔を向けた。

「この地は、うちのご先祖様が主導して干拓したらしい。当時の文献が、図書館に残っている。あの岬の間の岩礁に、竜神神社があるそうだ。そこまでは、資料を取り寄せて調べたよ」
「古い文献を読んだのか?」
「ああ。とはいっても、自分で翻訳したわけではないがな。竜神部に入った翌日に、セバスチャンに頼んでおいたんだ。文献を集めて、史学科の院生でも雇って、翻訳しておいてくれとな。その現代語訳を読んだわけだ。けっこういろんな資料に目を通したぜ」

 DBは、少しだけ得意げな顔をした。俺と違い、DBは頭がいい。それに知恵もある。得た知識を活用する場は、今後必ず来るだろう。

「この先、DBの頭脳が必要になるかもしれないな」
「その時は、任せておけよ」

 俺たち三人は、景色を見渡して、しばし佇んだ。そして末代の家を目指して、坂を下り始めた。