雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第182話「ニキ・ネキ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

f:id:kumoi_zangetu:20140310235211p:plain

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、とても存在感のある者たちが集まっている。そして日々、大物ぶりを発揮し続けている。
 かくいう僕も、そういった注目せざるを得ない系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、やたらと目立つ面々の文芸部にも、人目に触れない場所で過ごす人が一人だけいます。ジャニーズ事務所に紛れ込んだ、芸能人に興味のない女の子。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の隣に座った。先輩は、ちんまりとしていて、軽やかで、昔の少女マンガに出てきそうな、ふわふわ感を持っている。そして、ほとんど屋内で過ごしているせいか、抜けるような白い肌をしている。僕はそんな先輩を、抱きしめて、抱え上げたくなるのを、がまんしながら声を返す。

「どうしたのですか、先輩。未知の言葉を、ネットで見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。古今無双の力士と謳われた雷電為右衛門のように、ネットで向かうところ敵なしの快進撃を続けています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、夜遅くまで執筆するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、燦然と輝くネットの文章を目撃した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「ニキって何?」

 先輩は、何だろうという顔で尋ねてきた。
 さすがにこれは、初見殺しだろう。分かってしまえば、どうといことはないが、知らなければどうしようもない。この言葉は、ある言葉を省略した言葉だ。しかし、普通とは違う略し方をしている。普通は先頭の一文字か二文字を利用するものだが、この言葉では、末尾の二文字を残す省略をしている。知らなければ、何が元の形か、たどり着くことは困難だ。
 僕は、楓先輩の疑問を解消するために、口を開く。

「ニキというのは、アニキの省略形です。ニキの前に、名前や特徴を付けて、何々ニキと言うことが多いです。

 このニキは、ネット掲示板の野球関係のところから出てきて、ネットに広がった言葉です。
 元々は、野球界のアニキ、阪神金本知憲のことを指していたそうです。その後、存在感があったり、有名だったりする人物に対して、親しみと敬意、そして揶揄を込めて、何々ニキと呼ぶようになりました。また、一部、異常な言動をした人を指して、何々ニキと使うこともあります。

 このニキの派生語としては、ネキがあります。ネキは、アネキの略です。このネキは、圧倒的強さを誇る女子スポーツ選手に使われているケースをよく見ます。たとえば、女子レスリングの吉田沙保里女子サッカー澤穂希、女子テニスのクルム伊達公子
 彼女たちは、男性と比べても驚くべき能力を持っています。その女性離れしたパワーから、ネキではなくニキが使われる場合もあります。

 さて、このニキは、様々な派生語を生み出しています。それらの一部も紹介しましょう。
 まずは、自信ニキです。自信ニキは、何かについて自身がある人物を指します。自転車が得意な人ならば、自転車に自信ニキと使います。また、ネットゲームだと、ネトゲに自信ニキみたいな感じで用います。
 この自信ニキは、元々は体力や走力など、一部の能力や技術に限定して、自信があるといった使われ方をしていたようです。たとえば、パワーに自信ニキ、といった感じです。今では、特にそういった制限はなく、自信があれば何でもありになっています。

 次は、脱糞ニキです。シモの話で恐縮ですが、そのままの脱糞です。元々は、銭湯で故意に脱糞した人が、ネット掲示板でその報告をしており、それが元ネタになっています。これは銭湯脱糞ニキと呼ばれています。その後、脱糞した人を指す言葉として、脱糞ニキは使われるようになりました。
 この脱糞ニキの派生には、戦場脱糞ニキがあります。この戦場脱糞ニキは、三方ヶ原の戦いで脱糞した、徳川家康を主に指します。家康公も、まさかネット時代に、こんな二つ名を付けられるとは思っていなかったでしょう。

 ニキの派生語については、これぐらいで留めておきます。他にも大量にあるのですが、キリがありませんので」

 僕は、ニキについての説明を終えた。今回は、何の障害もなかった。僕は安心しながら、楓先輩の反応を待つ。楓先輩は、にこにこしながら僕に話しかけた。

「ねえ、サカキくん」
「何でしょうか、楓先輩?」

「女の人で、ネキやニキが付く人は、頼りがいがある人たちが多いよね」
「そうですね。アニキとして慕われるような、そういった方々が多いようです」

「私もサカキくんにとって、楓ネキという感じかしら?」
「えっ?」

 僕は思わず、「どういったことですか?」といった感じの、声を出す。
 楓先輩は、頼られる姉御というよりは、守ってあげたくなる可憐な女の子だ。圧倒的な存在感を誇るネキたちに比べれば、日陰にひっそりと咲く花といった感じの、控えめな少女だ。
 とてもではないが、ネキという様子ではない。そして、ニキと呼ばれる可能性は、限りなくゼロに近い。

 僕の疑問の声を受けて、楓先輩は凍りついた。もしかしたら楓先輩は、自分のことを、頼りがいのあるお姉さんだと思っていたのかもしれない。僕はその誤解をただすために、台詞を告げる。

「先輩は、ネキという感じではありません。圧倒的強さで、その存在感を誇示するタイプではありませんから。それに、そもそも頼られるようなキャラクターではありませんし」

 楓先輩は、動きを完全に止める。その楓先輩に対して、僕は話を続ける。

「楓先輩ではなく僕ならば、ネット関係の話題でニキと呼ばれても、問題ないと思います」
「えっ?」

 今度は、楓先輩が、「何を言っているの?」といった感じの声を出す。
 あれ? 僕は楓先輩にとって、ネットの世界の導き手ではなかったのですか? 圧倒的な能力で、先輩の心の中に、揺るぎない存在感を示す人物ではなかったのですか。

 僕と楓先輩は、互いの顔を見る。
 どうやら二人の間に、認識のずれがあるようだ。互いに、アニキ、アネキ的存在だと思っていたけれど、相手には、そう思われていなかったらしい。僕と楓先輩は、微妙な空気を漂わせながら沈黙を続ける。

 しばらくして楓先輩が、おそるおそるといった感じで口を開いた。

「もしかして私って、サカキくんの目から見て、頼りない感じなの?」
「ええ。少なくとも、頼りがいのあるアネキといった感じではないですね」

「私は、サカキくんのお姉さん的立場の人間だと思って、接していたんだけど」
「年上ではありますが、お姉さんといった感じではないですね。一歳年上というよりは、半歳ぐらい年上というか。どことなく、守ってあげたくなるような妹成分もありますし」

 楓先輩は、がっくりとうな垂れる。そんな楓先輩を見て、僕も質問する。

「僕は楓先輩の、ネット分野での先導者的立場の人間だと、思っていたのですが、違うのでしょうか?」
「確かにそうだけど、ネットのお兄さんというよりは、ネットの怪人といった感じよね。頼るというよりは、どことなく、距離を置いて、暗黒面に飲み込まれないようにする存在というか」

 僕は、どんよりとした雲を背負う。
 ネットの怪人。暗黒面。僕は、ダークサイドに落ちたジェダイですか? 僕と楓先輩は、互いの顔を見て、つぶやく。

「ねえ、サカキくん。ネキやニキと呼ばれるには、何を身に付ければよいのかしら?」
「そうですね。健康的で頼りがいがあり、存在感を誇示できる肉体。つまり筋肉ですかね。ニキやネキと呼ばれるには、そういった人間としてのパワーが、必要だと思います」

「分かったわ。腕立て伏せをして、体を鍛えるわ」

 楓先輩は、さっそくトレーニングのために、腕立て伏せを始めた。先輩は、腕をぷるぷると震わせながら、ぎこちなく体を上下させる。

「ふにゃあ」

 先輩は、床に突っ伏した。腕立て伏せ三回で、起き上がれなくなった。いくらなんでも、少なすぎるだろうと思う。

「楓先輩、腕力ないですね」
「これじゃあ、ネキやニキと呼ばれるのは無理そうね。サカキくんは?」

「じゃあ、腹筋をしてみます。ふんぬー。ふんぬー。ふんぬー。ふふんぬー。んんぬぬー」

 僕は、五回でへばった。おかしい。小学校時代は、六回できたはずなのに。

「サカキくん、体力ないね」
「これじゃあ、互いに、いろいろと無理そうですね」

 僕と楓先輩は、しょんぼりとなってしまった。二人の運動不足が、まさかネットスラングの話をしている時に、露呈するとは思ってもいなかった。

 それから三日ほど、僕と楓先輩は、自分たちは頼りないということで、自信をなくして過ごした。そして三日経ったところで、根拠のない自信を取り戻した。
 楓先輩は、慎ましくも自信満々に部室を、ととととと、と駆けるようになった。僕は、ぶつぶつとつぶやきながら、どどどどど、と歩くようになった。

 ニキでもネキでもないけれど、僕と楓先輩は、互いの心の中で存在感を主張できれば充分だ。問題は、楓先輩の中での僕の存在感が、いまいち分からないことだ。実際のところどうなのだろう? 楓先輩の心に、僕はどれぐらい食い込めているのだろう。
 あまり食い込めていない気がする。僕は、自身の恋愛の前途多難さを思い、ため息を漏らした。