第176話「こマ?」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、疑問を持つ者たちが集まっている。そして日々、世の中の真相を暴くべく活動を続けている。
かくいう僕も、そういった猜疑心溢れる系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、疑い深い面々の文芸部にも、すぐに相手を信じ込む人が一人だけいます。「LIAR GAME」に参加してしまった、神崎直。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、軽やかに駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。僕が見下ろすと、先輩は顔を上げて、にっこりと微笑んだ。少し広めの額の下には、大きな目と、眼鏡がある。唇は、ぷっくりとふくらんでいて、その先には形のよいあごがある。インドア派の楓先輩の肌は白い。そのきめの細かい肌の様子を眺めながら、僕は先輩に声を返す。
「どうしたのですか、先輩。初見の言葉がネットにありましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。ポーツマス条約をロシア帝国と結んだ小村寿太郎のように、ねばり強い交渉で、ネット紛争を解決する手腕を持っています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」
先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、朝な夕なに書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、驚嘆すべき膨大な情報の蓄積に腰を抜かした。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。
「こマ? って何?」
うっ。意味自体は簡単だけど、その背景の説明が、かなり難しい単語が来た。こマ? を、きっちりと説明するためには、久保帯人やKBTITについて語らなければならない。それは、ホモホモしい内容を、語る必要があるということだ。
そんなアダルトな話をすれば、楓先輩に、エッチなサカキくんとして認定されてしまう。それも、男性同士向け快楽的映像作品について詳しい人という、カテゴリー分けをされてしまう。それは避けたい。全力で避けたい。ここは最小限の説明だけで、場をごまかすしかない。
「こマ? というのは、これマジ? の略です。使い方はいくつかあります。信じられないような情報を見た時に、本当ですかと尋ねる場合。ネタにマジレスするような場合。また、ネタにマジレスする人を嘲笑する場合にも用います。ちなみに、マジレスは、本気で返信をするという意味です。
こういった感じで、こマ? の使い方は多様です。そのため、文脈によって、その意味を上手く読み取らないといけません。まあ、フレーズ自体は、これマジ? という簡単なものですので、読み替えれば、だいたい意味が通じます」
僕は、必要最小限の話だけした。そんな僕に、楓先輩は不満そうな顔をして、口を開く。
「それだけ? いつものサカキくんだったら、もっと詳しい話をしてくれるよね。私、サカキくんの話を、もっと聞きたいんだけど」
うっ、そう言われると断れない。仕方がない。もう少し突っ込んだ話をしよう。僕は不承不承、話を始める。
「週刊少年ジャンプのマンガ家で、久保帯人という方がいます。代表作は『BLEACH』で、ファンからは、師匠やオサレ師匠と呼ばれています。ハイセンスなポエマーとしても有名で、マンガ中で数々の名言を生み出しています。彼は、そのサングラス姿から、ネットで有名人になっています。
この久保帯人の姿は、ネットではすでに一つのアイコンと化しています。そして、彼に似た容姿の人が、よくネタにされます。B’zの松本孝弘など様々な人が、久保帯人のそっくりさんとして確認されており、ネットでもよくスレッドが立ちます。
この『よく似た人』の一人として、KBTITと呼ばれている人がいます。彼の本来の芸名はタクヤです。彼は、男性同士向け快楽的映像作品の男優です。
こマ? という言葉の起源は、諸説あります。その中でも有力なものとして、KBTITにからんだものがあります。
ある時、KBTITの動画を、久保帯人本人のように加工したものが作られました。これに対して『これマジ?』とコメントされたのが、流行りだした切っ掛けではないかと言われています。
特に『これマジ?上半身に比べて下半身が貧弱過ぎるだろ』と書かれている場合には、KBTITが元ネタのフレーズになります。彼は、上半身はムキムキですが、下半身は普通の人という体型をしているからです。
また、このフレーズは『こマ?上対下貧』『こマ?上比下貧』などと、略されたりもします。
こマ? という言葉自体は、これマジ? を略したフレーズです。しかし、今説明したような背景もあります。そのため、時と場合を考えて使うのがよいのではないかと、僕は思います」
僕は、極めて危険なレベルで、こマ? の説明を敢行した。男性同士向け快楽的映像作品が何なのかと問われれば、ゲイビデオと答えなければならない。それだけは聞かないでくださいと心の中で念じながら、楓先輩の反応を待つ。
「こマ? というのは、マンガ家の久保帯人さんや、男優のKBTITさんと関係があるのね」
「ええ、まあそういうことに、しておきましょう」
僕は、あまり深く立ち入りたくないので、歯切れ悪く答える。
「それで、KBTITさんが出ているという、男性同士向け快楽的映像作品というのは、どういうものなの?」
ぐっ、スルーしてくれなかった。できれば、KBTITではなく、オサレ師匠について質問して欲しかった。そうしたら、「BLEACH」内のハイセンスポエムについて大いに語ったのに。
――剣を握らなければ おまえを守れない
剣を握ったままでは おまえを抱き締められない
――僕は ついてゆけるだろうか
君のいない世界のスピードに
それだけではない。「BLEACH」の台詞には、ネットのネタフレーズになっているものが多い。だから、楓先輩が師匠について聞いてくれていれば、ネットスラング解説が随分と捗ったのにと悶絶する。
――なん・・・だと・・・
――チャドの霊圧が消えた
――月島さんのおかげ
――一体いつから――――錯覚していた?
――…あまり強い言葉を遣うなよ 弱く見えるぞ
しかし僕は、「BLEACH」について語ることはできない。質問を受けたのは、もう一方の、KBTITの出演作品についてだからだ。僕は、KBTITについて説明しなければならない。男性同士向け快楽的映像作品がどういうものなのかを、楓先輩に解説しなければならない。
「えー、男性同士向け快楽的映像作品というのは、男性同士が快楽を追求するような映像作品のことを指します」
「男性同士? 快楽を追求するってどういうことなの」
楓先輩は、一ミリメートルも分かっていないようで、にこにこと僕の話を聞こうとする。だ、駄目だ。楓先輩は、こちら方面にうとすぎる。いや、察しがよい人でないのは重々承知しているのだけど、無邪気に危険で素敵すぎる。ぼ、僕は、どうすればよいのだ? 悩んだ末に、ストレートに伝えることにした。
「ゲイビデオです」
「ゲイ……ビデオ……?」
楓先輩は、「BLEACH」の「なん・・・だと・・・」といった感じで、その台詞を口にした。
「ねえ、サカキくん」
「はい」
「それってもしかして、十八歳未満禁止な作品のことを、指すんじゃないの?」
察しの悪い楓先輩も、ようやく気付いたようだ。
「そうです。男性同士が、あんなことやこんなことをして、性的に交わり、興奮する。そういった趣味の人向けの作品です」
「サ、サカキくん。もしかして、そっちの方面の人だったの?」
「いえ、そんなことはないです。知識として知っているだけです」
僕は必死に否定する。
「十八歳未満禁止な情報なのに、わざわざ知っているということは、かなりマニアということよね。サカキくんが、そういった方面の人だったなんて」
楓先輩は、うろたえるようにして言う。
「ご、誤解です! 僕は普通に女性が大好きです! 交わるなら女性。それも、楓先輩!! 僕は、そう心に決めていますから!」
僕は、楓先輩の誤解を解くために強く主張した。
先輩は、僕の台詞を聞いて、するすると後退して、距離を取った。どうして? 僕は自分の台詞を振り返って気付いた。ああ、僕は、楓先輩と交わりたいと、告げてしまった。先輩は、そんな野獣な僕から逃れるために、距離を取ったのだ。
「あの、先輩……」
「ごめんなさい、サカキくん。私、まだ中学生だし、サカキくんの希望には添えないわ」
楓先輩は頭を下げ、僕から逃れるようにして、文芸部の部室から飛び出していった。
それから三日ほど、楓先輩は僕のことを、ゲイビデオが好きだけど、なぜか女性の自分を狙っている危険な人、として扱い続けた。何ですか、そのキャラクター設定は。
僕は、一生懸命、先輩のあとを追いかけた。先輩は、そんな僕から逃げ続けた。
三日経ち、先輩は僕を許してくれた。
「私、三日間考えたの。サカキくんが、男性同士の快楽を追求するのを、止めたりするのは、よくないことじゃないかって。それは、差別に繋がるんじゃないかって。
大丈夫。サカキくんがどんな性的嗜好を持っていても、同じ文芸部の部員だもの。私、サカキくんのことを認めるわ」
うわ~~~ん。全然、誤解が解けていないですよ! 僕はそれから、さらに三日かけて、楓先輩の誤解を解いた。