雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第162話「KY」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、空気の流れを読む武術家たちが集まっている。そして日々、頂点を極めるべく、エア武術の研鑽に励んでいる。
 かくいう僕も、そういった空気と同化する系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、空気に敏感な面々の文芸部にも、周りの空気に無関心な人が一人だけいます。エアギター大会のエアギター奏者たちに紛れ込んだ、ウクレレ少女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横に座った。先輩は、僕の横でしゃきっと背筋を伸ばす。その真面目な姿勢で、にこやかに笑う。その様子は、凛としていながらも、優しげなものだ。僕は、そんな楓先輩の細い体を、思わずぎゅっと抱きしめたくなる。僕は、その衝動を抑えながら、先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。知らない言葉を、ネットで見つけましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。質量保存の法則を発見し、酸素や水素の命名もしたアントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエのように、天才的頭脳でネットの世界を開拓しています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、少しでも多く書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、世界を埋めつくすほどの文章に遭遇した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「KYって何?」

 簡単に答えられそうで、実は説明の手数がいる言葉が来た。
 ネットで使われるKYという言葉には、時代によって複数の意味がある。その中で現在最も通りがよいのは、「空気を読めない」のローマ字頭文字を繋げたKYである。

 僕は考える。世のオタクの多くは、KY認定されることが多い。僕はオタクだ。つまり、僕もKYと呼ばれる可能性が高いということだ。
 これは、楓先輩にKYとして認識されないように、上手く説明していかなければならないぞ。そのためには、どういった話の運び方をしなければならないだろうか。複数の意味を順番に語っていくのは当然として、そこには何らかの仕掛けが必要になる。

 そうだ! 脳の器質的な問題とからめることにより、先輩が僕にKYのレッテルを貼ることを封じ込めてしまおう。そうすれば大丈夫。先輩は空気を読んで、僕をKY扱いしないはずだ。
 そうとなれば、さっそくKYの説明を、時系列に従ってしていこう。僕は、自信に溢れた顔で、楓先輩への話を開始する。

「楓先輩。KYはネットにおいて、時期において違う、三種類の意味を持っています」
「同じ言葉が、違う意味を持っているの?」

「はい。そのそれぞれについて、解説していこうと思います」
「分かったわ。たった二文字だけど、何だかすごい言葉だったのね」

 楓先輩は僕の横で、可愛く拳を握って、膝の上に置いて身構える。僕は、そんな真面目な姿の先輩を見ながら、まずは一つ目の意味から語り始める。

「ネットでは初めの頃、KYと言えば、ある事件を指す言葉でした」
「ある事件?」

「それは、朝日新聞珊瑚記事捏造事件と呼ばれる、一九八九年の事件です。沖縄県西表島の西端、崎山湾において、朝日新聞のカメラマンが、自作自演で珊瑚を傷つけKYという文字を書き込み、その写真をもとにして捏造記事を書いたというものです。
 この捏造は、地元のダイバーたちによって暴かれ、カメラマンは懲戒解雇、編集局長や同写真部長が更迭されるなどの騒ぎになりました。またこの暴露の過程で、朝日新聞が言い訳をして、それが否定されるという、嘘を嘘で隠す体質も露呈しました。

 この事件は、その文字からKY事件とも呼ばれ、マスコミの捏造体質の象徴とされています。そのことから、KYという言葉がネットに登場した当時は、捏造という意味を表していました。
 このKYは古い言葉ですので、ネットでそう頻繁に登場することはありません。しかし、今でも『KYする』と使うと、『捏造する』という意味になりますので、覚えておくとよいでしょう」

「それが、第一のKYなのね?」
「そうです」

「次は第二のKYです。これは、空気を読めという、命令の言葉になります。先ほどの捏造の意味のKYは、この第二のKYの意味により、ほぼ駆逐されました。この、空気を読めという意味のKYは、主にネットの中だけで利用されます。

 そして、第三のKYです。これは、第二のKYから派生したものと考えられます。ネット掲示板などで使われていた言葉が、メールなどにも波及したものだとされています。二〇〇六年頃から、女子高生言葉として使われていたという話もあります。

 この第三のKYが指すのは、周囲の人の気持ちや状況を考えずに、自分勝手な行動を取る人になります。この言葉は、空気を読めないという、一定の人の特徴を指します。
 このKYは、二〇〇七年頃には、テレビなどのメディアでも取り上げられて、多くの人に知られるようになりました。当時の安倍内閣を、共産党市田忠義書記局長がKY内閣と呼ぶなど、政治の世界でも登場する言葉として定着していきました。

 現在、KYと言うと、この第三のKYが主流になっています。一般にも広く普及した言葉で、現実社会でも通用します。この、空気を読めない人々の特徴に関しては、その後、様々な議論や指摘が、ネット上にも登場するようになりました」

 僕は、ここで一呼吸置く。
 ここからが重要なところだ。楓先輩に、空気が読めないサカキくんとして、KY認定されないための、防波堤となる説明をおこなう。先輩の中に、安易に他人をKY認定できないようにする、知識を注入するのだ。

「さて、一般的に言われる、空気が読めないという特徴は、どのようなものでしょうか? コミュニケーションが下手で、人間関係を築くのが苦手、さらに、他人の話を聞いていなかったり、適切な発言の分量が分からなかったりといったものです。

 実は、こういった状況に当てはまるものがあるのです。それは、発達障害と呼ばれる脳機能の障害です。この発達障害とは、コミュニケーションや社会適応に関する障害を指します。
 最近よく知られるようになったADHD――注意欠陥・多動性障害――も、発達障害に含まれます。発達障害は、比較的低年齢において問題とされるもので、適切な支援や治療を受けることで、その症状を軽減することも可能です。

 この発達障害は、若年だけではなく、大人にも存在します。そして、大人の発達障害の中には、まさにKYと呼ばれる状況に合致するような人もいるのです。その障害のせいで、職場で上手くいかなかったり、人間関係を構築できなかったり、うつ病になったりということがあるのです。

 近年は、KYという言葉とのからみで、この大人の発達障害が注目を浴びるようになっています。そのため、KYという言葉で、空気を読めない相手を切って捨てる前に、少しだけ立ち止まって考えた方がよいです。そういった、発達障害の可能性もあるからです。

 そういった障害の存在も含めて、KYな人とどういった接し方をするのか、検討した方がよいでしょう。KYという言葉を使う際には、なぜ相手がKYなのか考える必要があります。もしかしたら、脳の器質的な問題かもしれない。そういったことも考慮した上で、発言する必要があると思います」

 僕は、楓先輩からのKY認定を避けるために、長々と説明をおこなった。いわば、言葉による防壁である。「進撃の巨人」のウォール・マリア。僕は、その頑丈そうな防壁を思い浮かべながら、絶対の自信を持つ。

「なるほど。KYって、そういった言葉だったのね」
「そうです!」

「そういえばサカキくんは、どことなくKYっぽいよね」

 な、何ですと?
 僕のウォール・マリアは、あっという間に突破された。その頑丈そうな外見とは裏腹に、あっさりと楓先輩の言葉に蹂躙されてしまった。
 楓先輩は何というKYなのだ。僕のサインを無視して、空気を読まずに、僕にKYという言葉を投げかけてきた。
 僕のことをKYと言った、先輩の方こそがKYですよ! ええ、KYオブKYですよ!! でも僕は、そんなことは言えずに、もごもごと口ごもる。

「ええと、僕のどんなところがKYでしょうか?」
「サカキくんって、急に猛然としゃべり出すよね」

 うっ。

「それに、ところ構わず好きなことをするよね」

 ううっ。

「基本的にサカキくんって、場の空気をつかむのが苦手だよね」

 うっ、ううっ、うわあああんっ!
 僕は、容赦のない楓先輩の言葉に絶望した。先輩は、僕の心にオーバーキルを食らわせた。僕は、心をボロボロにして、その場に突っ伏した。

 それから三日ほど、楓先輩は僕の問題点を次々と指摘してくれた。僕の心のライフはゼロだったのだけど、先輩は空気を読んでくれずに、ここぞとばかりにまくし立てた。

「サカキくんの問題点を指摘する人は、あまりいないみたいだから、この機会にいっぱい指摘するね!」
「……あ、ありがとう、ご…ざ…い……ま………す…………」

 僕はどうやら、充分すぎるほど空気が読めるらしい。少なくとも楓先輩よりは。
 僕は、そう思いながら、必死に楓先輩のKY無双っぷりに耐え続けた。