第153話「モンペ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、舌鋒鋭い者たちが集まっている。そして日々、炎のように自己主張を続けている。
かくいう僕も、そういった過激な発言をしてしまう人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、クレーマー気味な面々の文芸部にも、おとなしい人が一人だけいます。特大スピーカーのDQN車に囲まれた、スクーターのお姉さん。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、楽しそうに僕を見上げて、眼鏡の奥の目をキラキラとさせる。その目は、まるで磨き上げられた宝石のようだ。この輝きを曇らせてはいけない。それは僕の人生の主題とも言えることだ。僕は、先輩を守る騎士として、決意を新たにしながら声を返す。
「どうしたのですか、先輩。ネットで知らない言葉を見かけましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。特撮で様々なモンスターを生み出した、レイ・ハリーハウゼンのように、ネットに習熟しています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」
先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でもたくさん書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、新しい日本語の世界に出会った。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。
「モンペって何?」
先輩は、質問したあとに言葉を続ける。
「女性が身に着ける労働用袴ではない、ということまでは分かるよ。でも、それが何を指しているのか不明なの」
なるほど、確かにネットのモンペは分からないだろう。それがどんな言葉を略したのか知らなければ、意味を推察することは難しい。
ネットで使われるモンペは、モンスターペアレントの略だ。学校や教師に、理不尽な言いがかりをつける親を指す言葉である。
楓先輩の両親は、そういった人ではないから、この言葉に危険はないだろう。僕は安心しながら、先輩に説明するために口を開く。
「モンペは、ある言葉を略したものです。そうですね。同じ略し方を使うなら、うちの部活の鷹子さんは、モンゲになりますね」
僕は、気軽な口調で楓先輩に告げる。鷹子さんは、モンスターペアレントならぬ、モンスターゲーマーだ。ゲームをプレイして不満があれば、拳を握り、その会社に乗り込む。そういった、やばい人だ。
僕が説明の続きを口にしようとした時である。部室の空気が歪んだ。背中にオーガを背負った何者かの殺気が、部屋に満ち溢れた。
「何? 誰がモンゲだって。というか、モンゲって何だ。サカキ、説明しろ!!!」
その声に、僕は全身を硬直させる。馬鹿馬鹿、馬鹿馬鹿、僕の馬鹿! 僕は何て学習能力がないのだろう。
僕はガクブル状態になりながら、声がした方に顔を向ける。そこには、三年生でちょっと強面、女番長と評判の吉崎鷹子さんが、鬼のような形相で立っていた。
鷹子さんは、高圧的で、暴力的で、僕にアニメや、マンガや、ゲームをよく持ってこさせるモヒカン族だ。そして、僕を部室の真ん中に立たせて、それらの作品の批評や解説をさせる、恐ろしい人だ。
その鷹子さんは、長身でスタイルがとてもよく、黙っていればモデルのような美人さんだ。でも、しゃべると怖い。手もすぐに出る。武道を身に付けていて、腕力もある。ヤクザの事務所に、よく喧嘩に行く。そして、何もしていなくても、周囲に恐るべき殺気を放っている危険な人なのだ。
「あっ、鷹子。今、サカキくんに、モンペの意味を聞いていたの。鷹子も聞く?」
ぶふっ! 僕は心の中で吐血しそうになる。
楓先輩、あなたはなぜ、僕の危機をナチュラルに加速させるのですか? その手際のよさは、まるでマスターキートンのようですよ。僕は、朦朧とした意識を、必死に立て直す。
鷹子さんが、周囲の空気をねじ曲げながらやって来た。そして、僕の前で仁王立ちになった。えー、すみません。まだ何もされていないですけど、ごめんなさい。僕は、もうどうでもよいから、謝りたい気持ちになった。
「それでサカキ。モンペの意味は何だ? お前が口走った、モンゲという謎の言葉も説明してもらうぞ」
鷹子さんは拳を握り、前腕の筋肉をふくらませる。その直径は、僕の腕よりも遥かに太い。僕の脂肪の鎧をまとった腕よりも、鷹子さんの筋肉に覆われた腕の方が、たくましのだ。
僕はちらりと鷹子さんの顔を見る。なるほど、鷹子さんはモンペの意味を知っている。だから、それに引っ掛けた言葉に、意味が分からなくても激怒したのだ。
仕方がない。モンペの説明は素直に言おう。そして、その話の中に、鷹子さんの怒りを回避するための伏線を仕込もう。それしかない。いわば、サブリミナル説明だ。僕は、意を決して話し始める。
「楓先輩。モンペとは、モンスターペアレントの略です。このモンスターペアレントという言葉は、和製英語になります」
「怪物親? 何だか恐ろしそうね」
「ええ、ある種の人にとっては、恐ろしい存在だと思います」
僕は、ちらりと鷹子さんを見て、続きを語る。
「モンスターペアレント、モンペは、クレーマーの一種です。クレーマーは、商品やサービスの欠陥や問題に、激しく苦情を言う人たちのことです。
モンペでは、この苦情をぶつける先が、学校や教師になります。そして、ぶつける側が子供の親になります。モンスターペアレントは、理不尽な文句や非難、また利己的すぎる要求や苦情、そういった行為を繰り返す、保護者のことを指します。
モンスターペアレントという言葉自体は、現実社会で普及しており、二〇〇八年には同名のテレビドラマが制作されています。一九九〇年代後半ぐらいから、こういった親が増えてきたと言われており、教育関係者の間では問題になっています。そして、二〇〇〇年代頃から、報道でもよく見られるようになりました。
こういった問題は、日本以外でも起きています。米国では、この種の親のことをヘリコプターペアレントと呼びます。ヘリコプターのように上空を旋回して子供のことを監視しており、何かあるとすぐに学校に乗り込んでくる。そういった様子から命名されました。
モンスターペアレントには、どういった事例があるのか、その例をいくつか見ていきましょう。
集合写真で、自分の子供が中央に写っていないと、学校にクレームを入れる。汚れる遊びを、不潔だからさせないようにと、教師に迫る。自分の子供がいじめをして叱られると、虐待だと激怒する。教師のちょっとしたミスを大きく騒ぎ立てる。
その他にも、ネットを見ると様々な驚愕の要求が出てきます。
それではなぜ、こういった現象が起きているのでしょうか? 原因はいくつもあるでしょう。社会、学校、親という順番で見ていき、その背景を考えてみたいと思います。
まずは、社会についてです。実はモンスター何々という言葉は、教育関係以外でも使われています。その代表的な言葉は、モンスターペイシェント、怪物患者です。医療の現場で、医師や医療機関に、理不尽かつ激しい苦情を言う人を指します。その他にも、社会全体として、クレーマーの増大が観察されています。
このことから分かることは、モンスターは教育の世界に限ったことではないということです。社会全体がクレーマー化している。その原因の大きな部分は、核家族化などによる地縁社会や血縁社会の後退があると僕は考えています。
昔ならば、村社会などの中で、こういった意見は、集団にいったん吸い上げられていた。その緩衝材になる部分がなくなり、直接相手に苦情を言うようになった。そのため苦情を言う側は、個人で相手と向き合わなければならない。そこには後ろ盾が何もないわけです。そのため強い態度に出なければ、要求を通すことができない。そうしなければ、自分が不利益を被ると考える。
また村社会の崩壊によって、苦情を言う相手が身内ではなくなった、という事情もあるでしょう。相手が近しい関係の人ならば、そこまで強く文句は言わない。しかし、赤の他人であれば、気兼ねなく文句を言えます。
さらには、個人主義の浸透により、自分だけがよければよいと考える、人心の変化もあるでしょう。
次は学校の問題です。その大きな部分は、学校の地位の低下にあると思われます。かつては、学校に行き、勉強をしていれば、それなりの教育を受けることができました。
しかし、現在では塾の併用なしでは、なかなかまともな成績を取ることはできません。また、受験勉強に特化した塾などと比べて、どうしても試験対策という面で、学校はおくれを取っています。
そのために、学校の地位は低下して、親に侮られているという事情があります。
またバブル崩壊が教師への風当たりを強くしたということも指摘されています。それまでは、大企業に就職できない人が教師になっていた。そういった意識が、人々の中にあった。それがバブル崩壊で、公務員だけが浮き上がってしまった。
そのことに対する不満が、親となる世代の人々にくすぶっています。そのため、特権階級は叩かれて当然という意識から、過剰に教師を叩く傾向があります。
もう一つ、教師の多くが、学校以外の社会を経験していないということも、挙げられます。親の中にはそういった教師を、学生の延長と見ていることもあります。そのため、一段低い人間と見なしていたりします。
最後に親についての問題です。少子高齢化の進行により、子供一人当たりに対する親の期待は、年々大きくなっています。そのため、いかに子供に資源を集中して、有利に育てるかということは、非常に重要になっています。
そういった事情から、自分の子供が不利になることに関しては、過剰に反応するという現象が見られます。
また親となる世代については、経済の停滞によるコスト意識の向上という点も見逃せないでしょう。同じ対価を払ったのならば、同じ質の教育を受けられなければおかしい。そう考える親が増えています。
塾や習い事と同じように、費用対効果で学校を見る。そのために、金額に見合わないサービスしか受けていないと感じれば、積極的に苦情を言うようになっているのです。
ではモンペは社会の敵なのか。実はそうとは言い切れません。モンスターペアレントという仰々しい言葉に覆い隠された、問題もあるのです。たとえば教育機関が、親たちの要望をくみ取れていない。そのことが、教育関係者から見れば、理不尽な要求として映ってしまっている。そういったこともあります。
クレームというのは、普段得られない意見を収集する、絶好の機会でもあります。その意見を聞くことを、相手にモンスターというレッテルを張ることで、学校側が一方的に拒否している。
モンスターペアレントの発生には、学校と親の関係が疎遠になっているという、事情もあるでしょう。
また、教師の側がモンスターティーチャーだったというケースもあります。実は、親のクレームの通りに、教師が特定の子を優遇したり、学級崩壊の原因を作っていたりする。さらに、いじめに加担していることもある。
しかし教師は、学校という組織に守られているために、親の意見が無視される。結果的に、親の要求はエスカレートしていき、学校側はモンスターとして扱う。鶏が先か、卵が先かみたいなものです。
極端な場合は、教師が保護者を相手取って、裁判を起こすこともあります。こういった事件は、二〇一三年に実際に起きています。その時は、教師側が敗訴しました。
そういったこともありますので、モンスターペアレントと呼ばれた側が、本当にモンスターかどうかは分かりません。正当な理由がある場合も考えられます。
教師も人間です。善人もいれば悪人もいます。教師が逮捕されるといったニュースは、月に何度も流れてきます。モンスターと呼んで切り捨てるのではなく、冷静な判断が必要だと思います」
僕は、モンペについての説明を終えた。
ふう、ようやくたどり着いた。僕は心の中で安堵する。
説明の中に織り込んだ、モンペ側が正しいこともあるという伏線。これで、鷹子さんの態度を和らげることができるはずだ。
僕が一息吐くと、楓先輩が、なるほどといった様子で声をかけてきた。
「モンスターな親や患者などが出てくるのには、そういった背景もあるのね。そして、モンスターと呼んだ側に、問題のあるケースもあるのね」
「そうです。物事は一面だけから見るべきではありません。互いの言い分や背景をきちんと確かめるべきです。そして、対立を解きほぐすために、モンスター発言の理由を探るべきです。
相手の真意を知り、互いによりよい合意点を見つけようとする。そういった努力が、よりよい社会を作るためには必要なのだと、僕は思います」
楓先輩は、感心した顔で僕を見る。どうやら、僕の深遠な洞察力と、大人な態度に惚れ直したようだ。いいぞ、いいぞ。僕の恋愛偏差値も、ぐいぐいと上昇していることだろう。僕は、得意満面の顔で楓先輩に相対した。
「それで、サカキ。モンゲって何だ?」
鷹子さんの、いらだつ声が、頭上から聞こえた。
うっ。そういえば、そうだった。一人でラブラブな妄想にふけっていた僕は、現実に引き戻される。僕が考えなしに口走ったモンゲという造語の、説明をしなければならなかった。
「えー、モンスターゲーマーです」
「ほう。それはどういう意味だ?」
「モンスター的なクレームをおこなうゲーマーのことです」
「つまりサカキは、私のことを理不尽な苦情を言う、怪物のような人間だと言っているわけだな」
鷹子さんの腕が、すっと僕の胸元に伸びる。そして僕は、鷹子さんに片手で吊り上げられた。
「た、鷹子さん。モンスター側が正しいケースもあります。そういった話をしたじゃないですか」
僕は、空中で足をばたばたとさせながら必死に言う。
「正しいか間違っているかなんて関係ない。モンスターという名前に、腹が立つんだよ!」
鷹子さんは、「ぶちギレ金剛!!」といった感じで、熱く吼える。
あっ。そういえばそうですね。モンスターなんて言われて、反発しない人はいませんよね。
そういえば、そうやってマスコミがモンスターと煽るから、問題が根深くなっているという指摘もあったなあと思い出す。
「制裁の鉄拳を食らえ!」
上上、下下、左右、左右、ボディーアタック!!!
「ぐはああっ!!!」
僕は、様々な角度からの鉄拳を浴びて、きりもみ急降下して、床に突き刺さった。
翌日のことである。僕と楓先輩が部室でお茶をしていたら、荒ぶる鷹子さんが、拳を握り締めて部屋に入ってきた。
「許さんっ!!!」
「えー、どうしたのですか?」
僕は、後輩の責務として、先輩である鷹子さんに、事情を尋ねる。
「昨日遊んでいたギャルゲで、私が好きなキャラのシナリオに、納得がいかなかったんだよ!! 何で、あの可愛いキャラが、ラストシーンで十字架にはりつけになっているんだよ!
十二人の攻略キャラがいるというから、一番シンパシーを感じる奴に告白したら、そいつが裏切りやがったんだよ。そして、メインヒロインが、十字架を背負って丘にのぼり、槍で突かれて、茨の冠を被る羽目になったんだよ。
史実に忠実に作り、女体化しましただと。ざけんじゃねえよ!」
鷹子さんは、口から火を噴きそうな勢いで言う。
ええと。十二人の攻略キャラは、マタイとかペトロとか言うのでしょうか? きっと、メインヒロインの職業は、大工なのでしょう。
「腹が立った! このゲームを作った奴らに、鉄拳制裁をしに行く!!!」
鷹子さんは、島本和彦ばりの炎を背負って叫ぶ。
「えー、会社は近い場所なのですか?」
「ああ。電車で片道二時間ぐらいの場所だ」
鷹子さんは、部室の奥からヌンチャクとトンファーを出して、部室を飛び出した。
えー、武器を持っていきましたよね。それは鉄拳制裁ではなく、ただの討ち入りではないでしょうか? 鷹子さんは、やはりモンスターだなと僕は思った。