雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第148話「絶許」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、ねちっこい性格の者たちが集まっている。そして日々、恨みを胸に抱きながら生きている。
 かくいう僕も、そういった復讐心をたぎらせている系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、根に持ちやすい面々の文芸部にも、のんびりほんわかした人が一人だけいます。魔太郎の群れに紛れ込んだ、どことなく能天気な水木しげるのキャラ。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を上げた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩のよい匂いが漂ってきた。僕はその香りを、胸いっぱいに吸い込む。たとえるのならば、おひさまをたっぷりと浴びた果物を想像させる匂いだ。ああ先輩は、まとう空気まで僕好みだ。僕は、恍惚の表情になりながら声を返す。

「どうしたのですか、先輩。見たことのない言葉を、ネットで見つけましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに尋常ならざる執着心を持っているよね?」
「ええ。父の敵を討つために、呉王夫差が、思わず臥薪嘗胆してしまうぐらいに、多大なる執着心を持って、ネットに向き合っています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、もっとたくさん書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、膨大な文章を発見した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「絶許って何?」

 先輩は、読み方が分からなかったのだろう。絶許を、ぜっきょと読んだ。この言葉の元の形が分からなければ、音読みを重ねて、そう読んでしまうだろう。しかし、原形を知ったあとは、他の読み方をする方が適切だと思うようになるはずだ。
 絶許は、絶対に許さないの略だ。だから、ぜつゆる、ぜっゆるなどと読みを当てることが多い。人によっては、絶許の二文字を見て、省略前のフレーズを思い浮かべて、脳内変換することもある。

 僕は、絶許について楓先輩に説明しようとする。その言葉を口にする直前に、はたと気付く。先輩に、新しいネットスラングを教えると、やたらと使ってみようとする。そのいつもの流れから考えると、絶許を教えたあとは、絶許を使いたがると想像が付く。その際、先輩は、何を絶対に許さないと考えるだろうか。もしかしたら、僕のことを絶対に許さない、絶対だからな、と思うかもしれない。

 気のせいだろうか。いや、気のせいではないかもしれない。気のせいであってくれ。気のせいですよね? 僕は、誰にともなく確認の問いかけをしたあと、細心の注意を払って、絶許の説明を開始する。

「絶許は、絶対に許さないの略です。『もう許してやれよ』『絶対に許さない、絶対にだ』の流れで使われる、お約束のフレーズを短く省略したものです。そのため、ぜつゆるや、ぜっゆるなどと読まれます。
 この絶許は、本当に許さないという意味でも使われますが、元々は先の掛け合いでも分かるように、許す、許さないと言い合う、皮肉を込めたジョークでした。その言葉が変化して、現在では本当に絶対に許さないという意味で、使われることが多くなっています。

 この言葉の明確な由来は、定かではありません。二〇〇六年頃には多く目撃されているので、それなりに息の長いネットスラングだと言えます。この言葉で有名な事件を二つ紹介します。一つは九・一一放屁テロ事件です。
 二〇〇六年の九月十一日に放送された番組で、米倉涼子がコメントをしている最中に、謎のノイズが混入して、笑いだすということがありました。それが、放屁したものとされて、許す許さないのやり取りが続きました。この事件で、『絶対に許さない』のフレーズは猛威を振るいました。

 もう一つは、小清水事件と呼ばれているものです。声優の小清水亜美が『笑っていいとも!』に出演した際に、よく知っている人が会場におらず、場の反応が悪かったということがありました。そのことに対して、ファンたちが『絶対に許さない』というコメントをネットで書きました。
 この小清水事件では、絶対に許さないのフレーズが独り歩きしてしまい、まったく関係のない場合でも、彼女の動画に、絶対に許さないという書き込みがされるようになりました。そして経緯を知らない人が、小清水亜美が、許されない何かをしたと、勘違いするようになってしまったのです。そういった状況に対して、精神的に苦痛だと、本人が表明する事態にまでなりました。

 この小清水事件は、貴重な教訓を僕たちに教えてくれます。ネガティブなフレーズを、ネタとして特定の人に紐づけることは、相手の精神に損害を与えるということです。
 絶許という言葉は、絶対と付いていることもあり、強い印象を相手に与える言葉です。ネタということは分かりますが、しつこく使うと相手の感情を害するので、使用には注意を払う必要があるでしょう」

 僕は、絶許についての説明を終える。先輩が、僕に対して絶許を濫用しないように、予防線を張っておいた。これで、めったやたらに、絶許を使いまくることはないだろう。

「なるほど。絶許は、そういった言葉だったのね」
「そうです。絶対に許さないの省略形です」
「この絶許を、私も練習のために使ってみたいわ」

 き、来た! 先輩は、予防線をやすやすと突破して、僕の心に侵攻してきた。僕は心の中で、完全防備態勢で身構える。

「楓先輩。絶許は、相手にとってきつい言葉になる可能性があります。なので、使用には注意が必要です」
「うん。本当に、絶対に許さないと思っている時でないと、使わないようにした方がいいよね」

 えっ? おだやかな先輩にも、そういった時があるのですか。僕は、嫌な予感がしながら、先輩の様子を窺う。

「そういえば最近、絶許なことがあったわ」
「どんなことですか?」

「サカキくんについてよ」
「えっ、僕についてですか?」

 雲行きが怪しくなってきた。僕は、恐れおののきながら、先輩の言葉を待つ。

「先週、たまたま読んだサカキくんの小説。あの作品のヒロインのモデルは、もしかしなくても私よね」

 うっ。そうだった。先週、僕が書いたエロSSが、様々な手違いが重なったことにより、楓先輩に読まれてしまったのだ。
 部費を稼ぐために、満子部長に命じられて書いたものだから、本来は満子部長が誤字脱字のチェックをするはずだった。そのために、印刷して満子部長の机の上に置いておいたら、たまたま前を通った楓先輩が、目を通してしまったのだ。そしてペンネームから、書いた人間が僕だと、気付いてしまったのだ。

 その時のペンネームは、逆之木・U・スケベーというひどいものだった。満子部長が勝手に付けたものだ。そこには僕の名前が、ほぼそのままの形で紛れ込んでいる。そのせいで、分かる人が見れば、僕の名前の変名だと一発で分かる。
 楓先輩は、その名前で書かれたエロSSを読んだのである。自分をモデルにしたヒロインが出てくる、性的に危険な小説を。

「ええと、どの話でしたっけ?」

 僕は、とぼけようとする。

「タイトルは『三つ編み眼鏡~柊~背徳の女子学生』だったよね」

 ぐわっ。きちんと覚えている!
 柊さんは、楓先輩をモデルにしたキャラクターだ。僕は、その柊さんがヒロインのエロSSを、シリーズで書いている。その一連の作品は、なかなか人気があり、部費にそれなりに貢献している。

「えー、先輩がモデルかどうかは、分からないのではないでしょうか。違うところもありますし」

 僕は、しどろもどろになりながら答える。しかし先輩は、じと目で僕のことを見た。

「あの小説のヒロインは、三つ編み眼鏡で、制服を着た学生で、本好きで、控えめな性格で、学校では影の薄い存在だと書いていたよね?」
「え、ええ。そうでしたっけ」

 僕は、何とかごまかそうとする。

「……そして、巨乳だった。うっ、うう。巨乳だった……」

 楓先輩が、どんよりとした暗い顔で、ぷるぷると震えながら言った。

 そ、そこか~~~! 先輩の不満の原因が、ようやく分かった。
 自分がモデルの小説だと思って読み進めていると、自分と違って胸が大きかった。胸の小ささを気にしている楓先輩には、それがショックだったのだ。なるほど、ようやく怒りのポイントが分かった。

「あの、先輩。あれは読者の好みを反映したものでして、僕の好みを反映したものではありません。一般的な需要を満たすために、そういった造形を選んだだけです」
「……絶許……」

 う、うわあ。楓先輩が涙目で、小刻みに震えている。僕は必死に、その場を取り繕おうとする。

「大丈夫です、先輩! 世の中には、胸の小さな女性に憧れを抱く男性もいます。かくいう僕も、そういった人間の片隅に属しています。僕にとって楓先輩は、ストライクゾーンです! もう見るだけで鼻血が出るぐらいの、セックスシンボルです。先輩の魅力に、僕はめろめろです。小さい胸、最高! だから心配しないでください!!!」

 僕は、真顔でまくし立てる。先輩の震えが止まった。やった。これで大丈夫だ! 僕は、安堵のため息を吐こうとする。その僕の目の前で、楓先輩は、声をこぼした。

「サカキくんの変態……」

 うえっ? 楓先輩のことが、好きで好きでたまらない僕は、変態さんなのですか。もしそうなら、変態さんのストライクゾーンである先輩は、滅茶苦茶マニアックな存在になってしまいますよ!
 しかし僕は、そうやって突っ込むことができなかった。楓先輩に「絶対に許さない」と認定されるぐらいなら、変態さんと思われる方がましだった。

「す、すみません、変態でした」

 僕は、自分が変態であることを認めた。それから三日ほど、僕は変態の仮面を被り、楓先輩に、絶許と言われないか、戦々恐々として過ごした。
 僕の恐れは杞憂に終わった。先輩は、新しいネットスラングに興味が移ってしまった。僕はそのことに、心の底から安堵した。そして変態と認めたことを、いつ撤回しようかと、真剣に悩んだ。