雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第147話「本気出す」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

f:id:kumoi_zangetu:20140310235211p:plain

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、面倒なことを先延ばしにしている者たちが集まっている。そして日々、享楽的に生き続けている。
 かくいう僕も、そういった面倒くさがり屋な人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、怠惰な面々の文芸部にも、やるべきことをきちんとこなす人が一人だけいます。のび太の群れに紛れ込んだ、しずかちゃん。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を上げた。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の右横に軽やかに座る。その拍子に、スカートがふわりと広がり、ぱすんと閉じた。先輩は、その様子を見て、恥ずかしそうにスカートの裾を直す。そして、僕と目が合って、照れ隠しに微笑んでみせた。ああ、先輩は可愛さの塊だ。僕は、思わず笑顔になりながら声を返す。

「どうしたのですか、先輩。意味の分からないフレーズが、ネットにありましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに長く住み着いているよね?」
「ええ。思わずミレニアム、千年王国を築いてしまうぐらいに、常駐しています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、常時執筆するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、大量の文字情報を目撃した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「本気出すって何?」

 楓先輩は、その言葉を告げたあと、さらに台詞を続けた。

「もちろん、字義通りの意味は知っているよ。本気を出すということでしょう。でも、ネットの本気出すは、どうもそれとは違う意味のようなの」

 ああ、そうだよな。分からないよなと僕は思う。まさか、「来年から本気出す」などと言っている人が、まるでその気がないとは、さすがに気付かないだろう。
 本気出すとは、本気を出すという、言い訳を口にして、様々な行為を、先延ばしにすることだ。そのことを楓先輩に伝えようとすると、部室の入り口辺りから、声が聞こえてきた。

「ユウスケは、いつも、明日から本気出すと言っている。先週末も、その台詞を口にしていた」
「うえっ?」

 僕は驚いて、声の主に顔を向ける。そこには、同学年で幼馴染みの、保科睦月がいた。
 睦月は、子供の頃から、野山で一緒に遊んだ友人だ。しかし、中学生になった頃を境に、僕との会話がほとんどなくなってしまった。その代わりに、部室で競泳水着やスクール水着姿で過ごし始めたのだ。睦月は、僕の真正面の席に座って、じっと僕を見ている。僕は、どうすればよいのか分からず、途方にくれている。まあ、水着姿の美少女を毎日拝めるのは、素直に嬉しいんだけどね。
 その睦月が、席を立ち、水着姿で近付いてきた。そして僕の左隣に、ぺたんと座った。

「えーと、睦月。本当に、そんなことがあったの?」

 睦月は無言で、こくりと頷く。
 あったらしい。睦月が、そう言うのならば間違いない。睦月が僕に、嘘を吐くはずがない。どうやら僕は、知らず知らずのうちに、明日から本気出すという言葉を、よく利用しているようだ。そして先週末も、その言葉を口にしたようだ。

 僕は一生懸命、先週末のことを思い出す。えーと、あーと。ああ、そうか。あの時のことか。僕はようやく思い出した。そして、記憶を過去へとさかのぼらせた。

 先週末のことである。僕はネットの仲間たちと、世界の危機を救うべく、冒険の旅をしていた。オンラインRPGである。僕の肉体は、自宅の部屋にいたけれど、僕の心は、ポリゴンで構成された大平原を移動していた。そんな僕のリアルボディの傍らには、いつものように睦月が座っていた。睦月は、マンガを読んでいる。僕が通販で購入した、萌え系四コママンガである。服装は、いつものように水着である。

「ねえ、ユウスケ」
「何だい、睦月?」
「来週月曜日にある小テスト、勉強しなくていいの?」

 睦月は、少し心配そうに尋ねた。

「何だ、睦月は心配性だなあ。大丈夫だよ。いつもと変わらないさ」
「ユウスケのいつもは、赤点だよ」

 睦月の言葉に、僕は微笑する。

「問題ないよ。睦月だって、僕と一緒にいてマンガを読んでいるじゃないか。僕も同じさ。睦月と一緒にいて、勇者の務めを果たしている。そのせいで勉強をする暇がない。
 世界と勉強とどちらが大切か。僕は、世界を救う方だと思う。自己犠牲の精神だよ。僕の些末なテストの点数よりも、世界中の人々の幸せの方が重要だからね。だから、あえて勉強をしていない。誰に恥じることもない人生だよ」

 僕は胸を張って、そう言った。睦月は、少し困ったような顔をした。

「私は、自分の部屋にいる時は勉強している。でも、ユウスケは、私がいない時も、ずっと遊んでいる」
「そうだね。僕は、他人に見られているからといって、行動を変えるような人間ではないからね。僕はいつも、ありのままの自分を出すように努めている。そういった僕の長所を、睦月はよく知っていると思う」

 僕が、モニターに視線を向けたまま言うと、睦月が照れくさそうにしているのが、視界の片隅に見えた。

「ユウスケが、裏表のない性格なのは知っている。でも、テスト勉強は、した方がいいんじゃない?」

 今日は珍しく、睦月は退かなかった。何かあったのかな。そう思い、僕は安心させるために、笑顔を向けた。

「大丈夫だよ。明日から本気出す。今は土曜日。テストまでは、まだ二日もある。明日から本気を出せば、充分間に合う。だから僕は、今日という日を有意義に使うつもりだ。僕は、睦月といる時間を大切にしたいんだ」

 僕がその台詞を言うと、睦月は、ぼーっとしたような顔で僕を見つめたあと、顔を赤くして言った。

「明日から本気を出すの?」
「うん」

「でも、いつも、そう言っている気がするんだけど」
「大丈夫。これまでの本気と、明日の本気は、質が違うんだ」

 僕は、自信たっぷりに言う。睦月は、僕の顔をじっと見たあと、おずおずとしゃべり始めた。

「あのね、ユウスケ。私、ユウスケと一緒に勉強をしようと思って、試験範囲のまとめを作ってきたの」

 睦月は、カバンから、きれいに清書したノートを取り出す。手書きの文字は、一つ一つ丁寧に、思いを込めて書いたもののようだった。うっ、本気だ。明日から本気を出すつもりの僕と違い、睦月は、昨日から本気を出している。いや、もっと前から本気を出していたのかもしれない。

 僕は、自分の本気の浅薄さを思い知らされた。僕の、エンストばかりの本気は、睦月の高性能ターボエンジンのような本気の前で、恥ずかしそうに身を縮めていた。

「べ、勉強か……」

 僕は遠い目をして、諸行無常な表情をする。

「うん。ユウスケは、私がまとめたノートを一緒に見てくれるだけでいいから」

 睦月は、僕に膝を寄せた。睦月は、二人の間でノートを開き、僕にも見てくれるように、視線で懇願した。
 あ、明日から本気を出したい……。今は、冒険の真っ最中だ。仲間とともに、モンスターをなぎ倒さなければならない。
 画面には、他のプレイヤーから、作戦の指示を求めるメッセージが出ている。睦月の頼み。パーティーの仲間との友情。僕はその間で揺れ動く。

「む、睦月……」
「うん、ユウスケ」

「ごめん! 一時間後から本気を出すから!」
「……」

 睦月は沈黙した。僕は、罪悪感とともに、遭遇したドラゴンを狩った。その後、平謝りしながら、睦月と一緒にノートを見た。そのおかげか、月曜日の小テストの点数は、すこぶるよかった。五十九点だった。
 及第点から、わずか一点足りないだけだ。僕の突然の躍進に、クラスの人間や、先生が驚いたのは秘密にしておこう。僕は自信を得た。テスト直前から本気を出せば、どうにかなりそうだと分かった。だから普段は、勉強をしなくても大丈夫だろう。そのように、僕は心を安らかにしたのである。

「ねえ、サカキくん。本気出すって何?」

 過去に飛んでいた意識が戻ってきた。僕の右横には楓先輩がいる。左横には睦月がいる。僕は、本気出すを説明するために、本気を出すことに決めた。

「楓先輩。本気出すとは、ネットでよく使われる、本気を出すつもりがない人が使う言葉なのです」
「えっ?」

 先輩は困惑の表情を見せる。そんな先輩のために、僕は高らかに説明をおこなう。

「本気出すとは、たとえば、引きこもりの人が部屋を出るとか、ぐうたらな人が試験勉強をするとか。そういった、自分にとっては困難が伴うことに対して、本気で取り組む姿勢を示すことです。
 ただし、開始時期を未来に設定することで、けっきょくは何も実行しない。つまり、ていのよい先延ばしの台詞なわけです。

 この言葉は、その特性上、未来の時間とともに用いられます。明日から本気出す。二月から本気を出す。三月から本気を出す。四月から、五月から、……十二月から本気を出す。来年から本気を出す。さらに人によっては、来世から本気出す、とも言います。
 こういった感じで、多くの場合、先の予定として告げる言葉ですが、まれに現在の時間に用いられることもあります。年の初めだし本気出す。二月は短いから本気出す。三月は、四月は……、まあ、けっきょく何もしないことは一緒なのですが。

 この言葉は、先に挙げた、ニートからの脱出であったり、試験勉強であったり、就活やダイエット、様々なことに使われます。
 こういった、本気出すの思考は、先延ばしの心理として知られています。英語ではプロクラシティネーションと言います。その綴りから、PCN症候群と呼ばれることもあります。

 人間の多くは、こういった先延ばしの心理を持っています。また、この傾向がひどい場合は、うつ病などの精神疾患や、ADHDなどの発達障害の可能性もあります。
 このような先延ばし癖は、心理学などの研究対象でもあります。そのため、防止のための方法もいろいろと調べられています。あまりにもひどい場合は、治療を受けるというのも一つの手です。……まあ、僕の場合は、単に怠惰なだけなのですが」

 僕は、本気出すの説明を終えた。自分の悪い部分を見せているようで、たいそう居心地が悪かった。楓先輩は、僕の顔を見たあと、なるほどといった顔をした。

「ねえ、睦月ちゃん。確かに、サカキくんは、先延ばしが多いよね」
「はい。だから、明日から本気出すと、よく言っています」

「私が気付いていないだけで、部室でも、何度も口にしているかもしれないね」
「はい。今月だけで、二十六回言っています」

 ちょっ、ちょっと待った~~。それは、どういうことですか? 楓先輩は僕のことを、先延ばし癖のひどい男の子と思っているのですか。そして僕は部室で、今月だけで二十六回も、そんな人間のクズのような台詞を言っていたのですか?

「えええと、楓先輩、睦月。僕って、そんなにやばいレベルで、怠惰な人間ですか?」

 楓先輩と睦月は、顔を見合わせた。こくり。二人は同時に頷いた。
 あああああああ。そうか。そうだったのかあああああ!!!

 これは、心を入れ替えて、真人間にならないといけない。よし、明日から本気出す! 僕は、駄目なサカキくんを払拭するために、明日から本気で努力することに決めた。