雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第146話「禿同」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、世の中の様々なことに異を唱える者たちが集まっている。そして日々、反抗的な活動にいそしんでいる。
 かくいう僕も、そういったロックな生き方を実践している人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、反乱分子な面々の文芸部にも、素直な人が一人だけいます。シド・ヴィシャスの群れに紛れ込んだ、真面目な女学生。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、楽しそうに歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、ぱあぁと明るい顔をしたあと、僕を見上げてくる。その顔は、内側から輝いている。僕はそんな先輩を見て、心を温かくする。先輩は素敵だ。僕は、心の底からそう思いながら声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、初めて見る言葉がありましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの未来を見通す人よね?」
「ええ。アマゾンのCEOジェフ・ベゾス並みに、先見性を持っています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、たくさん書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、見知らぬ文字の使い方に出会った。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「禿同って何?」

 ああ、字面だけ見ても分からないな。僕は、その言葉を聞いて、そう思う。

「ハゲって付いているから、頭の毛の薄い人を指すの?」

 楓先輩は、僕の生え際を見ながら尋ねる。えー、僕は中学生なので、まだ後退していませんよ。確かに僕の父親は髪が薄い気がするので、将来的にはげる可能性はありますが。それに、僕はスナック菓子をよく食べていますし、運動不足でもあります。でも、男性がハゲるのは、そんなに変なことではありません。僕は、将来の自分のために、ハゲについて論陣を展開する。

「楓先輩。ハゲは、男性にとっては、ごくごく自然な生理現象なのです」
「えっ?」

 禿同は、やっぱりハゲと関係があるの? 楓先輩は、そういった顔をする。僕は、ここは少しだけ回り道をして、ハゲについて語るべきだと判断する。

「男性がハゲるには、いくつかの理由があります。純粋な加齢。不摂生な生活。頭皮の問題。そして、男性ホルモンが多い人も、ハゲやすいと言われています。この男性ホルモンが多い人は、精力的に活動をして、攻撃的な性格をしているという特徴があります。髪が薄くなることは、いわば男性らしさの象徴なのです。

 また、こういった研究もあります。ペンシルベニア大学ウォートン・スクールの研究によると、丸坊主にした人は、薄毛の人に比べて、男らしく力があるように見えるそうです。そして、リーダーシップがある人間と、見なされるそうです。
 ハゲはハゲでも、隠すハゲは、他人からの印象を悪くします。しかし、見せびらかすハゲは、男としての強さを誇示することになるのです。

 経営者の中にも、頭を丸めて、そのパワーを周囲に示している人がいます。アマゾン・ドット・コムのCEOジェフ・ベゾスなどは、その代表例でしょう。ハゲには男らしい魅力があるのです」

 僕は、未来の自分にエールを送る。楓先輩は、そんな僕を見て尋ねてきた。

「禿同は、もしかしてハゲと関係があるの?」
「あっ、すみません。つい興奮してしまいました。えー、何というか、全然関係がありません」
「えっ、そうなの? 信じるところだった……」

 楓先輩は、危ない危ないといった顔をする。僕は、平身低頭で謝ったあと、禿同の意味を告げる。

「禿同は、激しく同意の略です。激しく同意が、激同と縮まり、激しくという漢字が禿に変わったものです。昔からある、古参のネットスラングです。使い方はこうです。ネット掲示板の書き込みを見て、自分も強くそう思うと感じた時に、禿同と書き込む。そうやって使用するのです」

「へー、そういう言葉だったのね」
「そうです。それ以上でも、それ以下でもありません」

 本当にそれだけだ。僕は、禿同の説明を終える。

「ねえサカキくん」
「何でしょうか、楓先輩」

「最近、禿同と思ったり、書き込んだりしたことはある?」
「えー、そうですね」

 僕は考え込む。何かあっただろうか。そういえばあった。僕は、先週の週末の出来事を思い出す。

 その日僕は、コアキバに行った。コアキバというのは、この町の近くにある、秋葉原のような商店街のことである。そこには、アニメショップや同人ショップなどが立ち並んでいる。そしてアレゲな人たちが、多数徘徊している。その一角にあるヨドミバシカメラに、僕は遊びに行ったのである。
 ヨドミバシカメラは、どよ~んと、澱んだような雰囲気の、五階建ての巨大店舗だ。そこには、僕の行きつけの場所がある。ゲームを扱っている四階。その一角にあるエロゲコーナー。そこの店員の丸沢さんに、僕は会いに行ったのである。

 丸沢さんは、太った体で、アニメやマンガの話に強い、生粋のオタクだ。どれぐらいオタクかというと、道ですれ違う人の十人に十一人ぐらいが、ああ、オタクだと思うぐらいだ。オフの日は、背中にビームサーベルを背負い、右手と左手に、美少女の紙袋を提げて臨戦態勢を取っている。そんな丸沢さんのところに行ったのには、理由がある。

「やあ、サカキくん。大人の財力で、例のアレを手に入れたよ」
ヤフオクで落としたのですか?」
「ううん、違うね。知り合いの伝手をたどり、結婚を機にコレクションを処分しなければならない人から、入手したんだよ」

 丸沢さんは、自分が結婚できていなことには、何の憂いもないようだ。そして、結婚した人を、オタクをリタイアした、かわいそうな人だと思っている。そんな丸沢さんは、嬉しそうに僕に話をする。

「まあ、ヤフオクで手に入れられるようなもので一喜一憂しているぐらいでは、オタクとしてはまだまだだね。そういった場所には出てこないものにまで通じて、初めて一流のオタクと言える。そのために、僕は人脈作りに余念がない。そして、いざという時に購入できる資金も用意している」

 丸沢さんは上機嫌だ。僕は、うずうずしながら尋ねる。

「それで、入手したものを、見せてくれるんですよね?」
「うん。伝説の眼鏡同人小説『鯖江~眼鏡に恋して~』を見せるよ。有名ライトノベル作家が、まだアマチュアの時に書いて、百部だけ印刷したという、レア中のレア物だ。彼は同人誌の再販をしないことで有名なんだ。だから世の中に、本当に百部だけしかない。貴重な一品なので、貸すわけにはいかないから、お店のバックヤードで、こっそりと読んでもらう。それでいいかい?」

「ええ、もちろんです。『鯖江~眼鏡に恋して~』、名前だけは聞いたことがありますが、実物を見たことはありません。今から楽しみです」
「じゃあ、読み終わる頃ぐらいに、僕もバックヤードに行くよ。感想を聞かせてくれ」
「はい。分かりました!」

 僕は丸沢さんに答えて、店の裏手に回った。店員でもないのに、こんなところに入るのは、本当は問題なのだけど、ヨドミバシカメラの管理はずさんだから、あまり関係がない。僕は、店舗倉庫の端の椅子に座り、丸沢さんに借りた同人小説を読み始めた。

 ――大正時代。まだ学生だった僕は、一人の女性に恋をした。名前は鯖江。眼鏡の似合う女学生だった。

 鯖江とは、福井県鯖江市からとった名前だろう。
 鯖江は、眼鏡の聖地である。眼鏡フレームのシェアは、国内で九十六パーセント。世界で二十パーセントを占めている。就業者の六人に一人は、眼鏡産業に従事していると言われている。
 そんな鯖江市の名前を冠した女性。その女性が、眼鏡をかけていないわけがない。当然眼鏡も似合っているだろう。禿同だ。僕はそう思いながら、先を読み進める。

 ――鯖江は、眼の病にかかっていた。そのため視力が日々落ちており、眼鏡なしには暮らせない状態だった。

 鯖江さんは、なかなか大変なようだ。眼鏡をかけているということは、眼が悪いということだ。僕は、その当たり前の事実に気付かされる。そうか、眼が悪いのか。それでは、眼鏡をかけるのも仕方がない。僕は、激しく同意しながらページをめくる。

 ――その時代、女学校に行くような娘の家は裕福でした。そして、その娘の嫁ぎ先には、ことのほか気を配っていたのです。そのため自由恋愛などというものは許されていませんでした。鯖江の両親も、そういった考えを持つ人たちだったのです。
 そんな鯖江の眼の病が、次第に重くなっていきました。彼女はホスピタルに入り、僕はその場所に通うようになりました。僕は、鯖江の親が決めた相手ではありません。僕は当時、高等学校の生徒でした。たまたま通学の路面電車鯖江に出会い、互いのことを語り合うようになったのです。
 見舞いに行った僕は、バナナの房を鯖江の枕元に置きました。その頃すでに、鯖江の視力は、たいそう弱くなっていました。その目を細めて、鯖江は僕に微笑みかけてくれました。僕は彼女に、触れてもよいかと尋ねました。
 親の許しがないから駄目です。しかし、あなたを慕っております。鯖江は僕にそう告げました。
 僕は、鯖江に触れることができない。しかし、鯖江との繋がりを得たい。悩んだ末、僕は彼女の眼鏡に顔を寄せ、接吻したのです。鯖江は、僕のその行為に、恥じらいの表情を見せました。
 その日から逢瀬が始まりました。僕はホスピタルを訪ね、彼女の病室の木の扉を叩く。鯖江の声に導かれて部屋に入り、そこで彼女の姿を認める。
 その時分、視力を失いかけていた鯖江に、僕の姿が見えていたかは定かではありません。おそらく、見えていなかったのでしょう。しかし彼女は、眼鏡をかけていた。それは、僕の姿を見るためのものではありませんでした。僕の愛情を受けるためのものでした。
 僕は、彼女に触れることができない。その代わりに、眼鏡のつるを、レンズを、ヒンジを愛撫したのです。僕は、指先で、唇で、舌で、鯖江の眼鏡を愛しました。鯖江はそのたびに、恥ずかしそうに声を上げ、吐息を漏らしたのです。

 こ、この主人公は、何というメガネスキーなのだろう。僕は彼の、眼鏡に対する愛情溢れる態度に驚嘆する。そして、この愛の物語が、どこに着地するのだろうかと、手に汗を握った。

 ――逢瀬は突然打ち切られました。鯖江が手術を受けたのです。独逸より来訪したという医師により、鯖江は視力を取り戻しました。彼女の両親は、鯖江の回復を喜び、婚約を決めたのです。僕は、手術が終わった数日後に見舞いに行き、そのことを知りました。そして、世界が崩れるような絶望を味わったのです。
「あなたは結婚するのですか」
「はい。それが、両親の望みですから」
「僕は、あなたを諦めなければならないのですか」
「ええ。申し訳なく思っております」
 鯖江はそう告げたあと、「これを私と思って、受け取ってください」と言い、眼鏡を僕に渡しました。
 彼女との行為の代わりに、愛情を重ねた眼鏡。僕は、その優美なフォルムと、透き通ったレンズを眺めた。僕には、その眼鏡だけが与えられたのです。
 鯖江は僕の前から消えました。彼女にはもう、眼鏡はいらなかったのです。僕という存在も必要なかったのです。鯖江という女性は、僕の世界から永遠に立ち去ったのです。
 僕は眼鏡を手に入れました。それは僕にとっての愛情のすべてでした。僕はそれからしばらく、その眼鏡と情欲を重ね続けたのです。
 僕は今でも思い出します。眼鏡を見るたびに記憶を蘇らせるのです。僕は眼鏡を愛していた。僕は鯖江ではなく、鯖江の眼鏡に愛情を捧げていた。その破局以降、僕は現実の女性に向き合えない人間になったのです。眼鏡だけに欲情を抱く、そんな人間に変わったのです。

 小説はそこで終わっていた。そこから、あとがきが始まっていた。

 ――この物語は、眼鏡っ娘から眼鏡が失われた時、人はどこに真の愛を持つべきなのかを、哲学的に考えたものである。私は、愛を捧げるべき対象は、眼鏡にあると思っている。この小説の主人公は、眼鏡っ娘を愛したのであって、女性そのものを愛したのではない。だから、眼鏡と女性とどちらを取るかという選択があれば、眼鏡を取るはずだと考えた。眼鏡なくして、眼鏡っ娘は成立しない。だから人は、眼鏡をこそ愛するべきだと思う。

 文章はそこで終わっていた。

「どうだったかい?」

 気付くと、丸沢さんが立っていた。店員の証しであるエプロンを、太ったお腹でふくらませて、丸沢さんは笑顔でたたずんでいる。

「サカキくん。君は、女性を選ぶかい。それとも、眼鏡を選ぶかい?」

 丸沢さんは、僕に究極の選択を投げかけてきた。女性を取るか、眼鏡を取るか。眼鏡っ娘を愛する人間として、僕はどちらと答えるべきだろうか。僕は脳裏に、楓先輩を思い浮かべる。僕は、楓先輩の眼鏡をなめたり、愛撫したりしたことはない。

「両方です。僕は、女性も眼鏡も愛しています。それは不可分なものであり、切り離すことのできない一つの概念だと考えます」

 丸沢さんは笑みを浮かべて、握手を求めてきた。

「禿同だよ。僕もそう思う。君は真のメガネスキーだ。君の意見に激しく同意するよ」

 僕と丸沢さんは、熱い漢の握手を交わした。そして、互いの考えを褒め称えあった。そういったことが、先週の週末にあったのである。

「ねえ、サカキくん。最近、禿同と思ったり、書き込んだりしたことはある?」

 僕は、文芸部の部室に意識を戻す。そういえば、そうだった。楓先輩に、何か禿同したことはあるか、そう尋ねられていたのである。
 しかしまさか、眼鏡同人誌について、熱く語り合っていたとは言えない。僕は、どう答えるべきか悩んだあと、妥協点を見出した。

「眼鏡をかけている人は、素敵だなあと。そういったことを知人と話して、禿同し合いました」
「そ、そう?」

 楓先輩は、少し照れくさそうに尋ねる。恥ずかしそうに、もじもじしている先輩は、とても可愛かった。僕は調子に乗って、大きな声で答える。

「はいっ! 眼鏡っ娘は最高です。眼鏡っ娘こそ正義です。眼鏡っ娘は人類の至宝です。僕はそういった意見に禿同します!!!」

 僕は、拳を振り乱して主張した。気付くと、先輩はドン引きしていた。あれ、やってしまいましたか? 僕は、おそるおそる先輩の様子を窺う。

「あの、先輩?」
「ごめんなさい! サカキくんみたいなマニアックな人には、私、付いていけそうもないから」

 うえっ? 僕は、先輩の拒絶の言葉におろおろとする。

「か、楓先輩」
「ご、ごめんなさい。禿同できなくて!」

 う、う、うわあああんん~~~~。僕は、先輩の同意を、取りつけることができなかった。
 それから三日ほど、僕の意見は、ほとんど同意してもらえなかった。僕はいつでも、楓先輩に禿同なのに。僕は禿同してもらえない。どうやら僕の気持ちは、悲しいほどに一方通行のようだった。