雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第145話「意識高い系」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、自分磨きに前のめりな者たちが集まっている。そして日々、趣味の世界で自分を磨きすぎて、一般常識から剥離しまくっている。
 かくいう僕も、そういった間違った方向に、努力家な人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、趣味的活動に爆走中な面々の文芸部にも、一人黙々と過ごしている人がいます。地獄のミサワの大軍に攻め込まれた、「人類は衰退しました」の主人公。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を上げた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちんまりと座る。先輩の三つ編みの髪が、軽やかに揺れた。先輩は、ぱちりとまばたきをして、眼鏡越しに僕を見上げる。ああ、先輩は僕のビーナスだ。僕はそう思いながら、楓先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、未知の単語を見かけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、膨大なネット知識を有しているのよね?」
「ええ。徳川家康の側近だった天海大僧正ばりに、数多の知識に通じています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家で少しずつ書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、綺羅星ような言語表現に遭遇した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「意識高い系って何?」

 楓先輩は、そう尋ねたあと言葉を添えた。

「系って付いているのだから、何かそういったジャンルのことだと思うんだけど。意識が高い系統って、どういうことなのか、よく分からないの」

 ああ、そうか。分からないよな。意識高い系は、ネットスラングど真ん中の言葉だ。ネットに親しんでいれば、自然と意味が分かるタイプの言葉だけど、まだまだ初心者の楓先輩には、馴染みがないだろう。
 それに、先輩はまだ中学生だ。周囲に意識高い系の友人がいるはずもない。ネットで言われる意識高い系は、大学生や新社会人が主に対象となる。中学生ではさすがに、そういった人はいない。だから、思い当たらないのも仕方がない。
 さて、どう説明するか。そう考えた時、部室の一角から声が聞こえてきた。

「サカキ先輩は、かつて意識高い系だったことがあります」
「うえっ?」

 僕は驚き、顔を向ける。そこには僕の苦手な相手、一年生の氷室瑠璃子ちゃんが座っていた。

 瑠璃子ちゃんは、その名の通り、僕に対して氷のように冷たい女の子だ。だが、瑠璃子ちゃんの特徴は、それだけではない。どう見ても、小学校低学年にしか見えない外見。そして人形のように整った顔。その姿と、目付きと、きつい性格のせいで、「幼女強い」という謎の陰口を叩かれている女の子だ。
 その瑠璃子ちゃんは、なぜか僕に厳しい。「ネットばかりやっているのは、現実社会に適応する能力がないからですか」とか、「テスト勉強をしないのは、物事の先を読む能力が欠けているからですか」とか、「だらしない表情をしているのは、怠惰な精神が顔に浮き出ているからですか」とか、世話焼き女房のように、いつも小言を言ってくる。
 僕のガラスのハートは、そのたびに粉々に砕けそうになる。瑠璃子ちゃんの言葉の暴力に、僕はいつも打ちのめされているのだ。

 そういった感じで、僕にとって天敵である瑠璃子ちゃんが、「サカキ先輩は、かつて意識高い系だったことがあります」と言ったのだ。
 いったいどういうことだ? まだ中学二年生にしかすぎない僕が、意識高い系だったことがあるのか。僕は、必死に記憶を蘇らせようとする。うんうんとうなっていると、過去にそういった時期があったことを思い出した。

 あれは小学校二年生のことである。僕は、一年生という小学校社会の底辺を脱し、これから大きく羽ばたこうとしていた。
 小学生として、この学校社会の中で、大きな仕事をするには、意識を高く持たなければならない。そう考えた僕は、デール・カーネギーの「人を動かす」を読み、スティーブン・R・コヴィーの「七つの習慣」に目を通し、自分磨きを開始した。

 それだけではない。家のパソコンで名刺を作り、人脈作りも始めた。先輩の三年生や四年生と繋がりを作った。セルフブランディングもおこなった。ネット上でソーシャルな活動にいそしみ、きたるべき上級生への準備に邁進した。
 僕は、そういった意識が高い自分のことを誇りに思い、積極的に将来のことを考えていたのである。

「あの、サカキ先輩。何をしているのですか?」

 僕が図書館で手帳を眺めていると、一年生の瑠璃子ちゃんが怪訝な声で尋ねてきた。

「ああ、瑠璃子ちゃんか。僕は今、自分の予定を確認して、時間管理の重要性を確かめているんだ」

 瑠璃子ちゃんは、僕の手帳を覗き込む。そこには、カラフルに色分けされた、様々な予定が並んでいる。

「授業の予定がびっしりですね。放課後の予定はないのですか?」

 その言葉に、僕は狼狽する。僕の週間スケジュールのページには、無数の予定が書き込まれている。しかしそれは、各日の時間割にすぎなかった。

「こ、これは、効率を突き詰めた結果だよ。無駄な予定は切り捨てて、大切な予定だけに集中する。そして残った時間は、自分を見つめるために利用する。僕は、そういった時間の使い方をマスターしているんだ」

 僕は胸を張って、諭すようにして言う。瑠璃子ちゃんは、僕と手帳を見比べたあと、難しそうな顔をして口を開いた。

「自分を見つめるという行為は、手帳の空き時間を眺めることなのでしょうか?」

 瑠璃子ちゃんの質問は鋭い。もし僕の意識が低かったら、そういった問いには、即座に答えることはできなかっただろう。

「色即是空、空即是色。世にあるすべての存在は、そのまま空である。しかし、その空であることが体得されると、それが実在であることが分かる。般若心経の教えだよ」

 僕の言葉を聞いて、瑠璃子ちゃんは一瞬だけ考えてから答える。

「つまり、予定のないことにも意味があると言いたいのですか?」
「まあ、そんなところだね。僕は、自分を見つめる時間の大切さを知っているんだ。そして、そこから高い意識を作り上げているんだ」

 僕は自信を持って、そう告げた。

「高い意識ですか?」
「うん。僕は、多くの重要人物とネットを通して繋がっている。ツイッターで多くの経営者に語りかけ、リプライをもらっている。僕は、そういったコミュニケーションを通して、人を動かすとはどういうことか、社会に貢献するとはどういうことか、そういったことを日々学んでいるんだ」

 瑠璃子ちゃんは、そうですか、といった表情をしたあと、僕の横にちょこんと座り、僕の自分磨きの活動を見始めた。
 ああ、後輩が僕のことを見ている。僕は、社会や自分に対して、高い意識を持っていることを示さなければならない。僕は、カバンから「マンガ七つの習慣」を出して読み始める。文字が書いてある場所は大変だから、図や絵がある場所を中心に、ぺらぺらとめくる。その様子を、瑠璃子ちゃんは眺めていた。

「そうだ。瑠璃子ちゃん。僕の名刺をあげよう。今度、学生を集めてイベントを開くつもりなんだ。『きたるべき三年生社会に向けて、僕たち二年生が取り組むべき課題』というものだ。
 ゲストスピーカーも用意しているんだ。五年生と六年生から、一人ずつ登壇してもらうつもりだよ。僕は、そういった上級生とも繋がりがあるんだ。瑠璃子ちゃんも是非来るといいよ」

 僕は名刺と、イベントのちらしを瑠璃子ちゃんに渡す。名刺には僕の名前とメールアドレス、そしてSNSのアカウントが書いてある。それだけでなく自己アピールも書いてある。チラシにはイベントの日時が書いてある。明日の放課後。その時間に、二年生の教室の片隅で開催されるのだ。

「分かりました。では伺わせてもらいます」
「うん。待っているよ」

 その日はそれで、瑠璃子ちゃんと別れた。

 翌日のことである。僕は教室で、来場者を待った。タンスから出してきた父親のネクタイを、マフラーのように首に巻き、レジュメを用意して、教室の片隅でその時を待った。
 扉が開いた。瑠璃子ちゃんが現れた。瑠璃子ちゃんは、怪訝そうに教室の中を見渡した。

「誰もいませんね」
「うん。そうだね」

「もしかして、私だけですか?」
「その可能性は、否定できないね」

「今日のイベントは、もしかして失敗なのでしょうか?」
「いや、一人でも参加者がいたならば大成功だ。この学校にも、僕以外に意識の高い人間がいたわけだからね」

「ポジティブですね」
「僕は、意識が高いからね」

「先輩のキャラに合わないと思うのですが」
「そうかな?」

「ええ、先輩はどちらかというと、もっと意識の低いところに、注意を向けている人ですから」
「えっ、そんな風に見えるの?」

「はい。だいたい、女の子ばかり見ていますし」
「僕は、この小学校の将来を考えて、この学校の生徒たちを見ているんだ」

「男の子は、眼中に入っていない感じですが」
「でも、五十パーセントは注目しているわけだ。それは、なかなかのものだと思うよ」

「はあ……」

 瑠璃子ちゃんは、あからさまに面倒くさそうなため息を漏らした。うぇっ? どういうことですか。僕は怪訝に思いながら、瑠璃子ちゃんの反応を窺った。

「サカキ先輩。そこに座ってください」
「えっ? は、はい」

 僕は、よく分からないまま、瑠璃子ちゃんの指示で、椅子に座った。瑠璃子ちゃんは、一呼吸置いたあと、厳しい顔つきで語りだした。

「いいですか、サカキ先輩。自分を磨くのも、自分を大きく見せるのもいいですが、まずは自分の足下を見つめてください。そんなことをしていると、いつかバランスを崩して転びます。現に誰も、付いてきていないじゃないですか」
「でも、瑠璃子ちゃんが来たし」

「私は、サカキ先輩が大丈夫だろうかと思って来たんです。案の定、先輩の怪しげなセミナーには、誰もいませんでした。こういったことはやめて、もっと地道に生きてください。いいですね!!!」
「は、はい……」

 そんな感じで、小学一年生の瑠璃子ちゃんに、諭されたことがあったのである。僕が、意識高い系として過ごした期間は短い。僕は、その時のことを、フラッシュバックのようにして思い出したのである。

「サカキくん。それで、意識高い系というのは、どういった意味なの?」

 気付くと、目の前に楓先輩が座っていた。そうだった。説明の真っ最中だった。僕は慌てて声を出す。

「意識高い系とは、就職活動前後や新社会人などに見られる、大人の中二病です。その内容は、自分磨きをしていることを周囲にアピールしたり、人脈作りにいそしんだりすることです。
 意識高い系の人は、経営者に会ったり、インターネット上で多くの人と繋がったり、セルフブランディングに躍起になったりします。また、名刺を持ち歩いて、様々な場所で配ったり、綿密なスケジュールが記された手帳を持ったり、自己啓発本にはまったりします。さらに、学生を集めてイベントをしたり、自分のプロフィールを過剰に盛ったり、やたらと前のめりな活動をしたりします。

 こういった意識高い系と揶揄される人は、実際に意識が高いというよりは、意識が高いと思われる活動をしている自分に、酔っているケースが多いです。そのため、そうではない人を、心のどこかで見下していたり、自分自身に選民意識を持っていたりします。
 まあ、そうやって高い意識を持とうとすること自体はよいのですが、地に足が着いていない場合は、周囲から浮いてしまうことも少なくありません。ようは程度問題だと思います。

 こういった言葉が、世の中に出てきた背景には、そういったタイプの人が、類型化できるほど可視化されてきたからだと思います。
 おそらく、SNSなどの自分発信ツールと、こういった意識高い系の活動が、上手く合致したのでしょう。昔から、一定数は、この種の人たちがいたのだと思います。そういった人たちが、ネットで目に付くようになったということで、この言葉が登場したのでしょう」

 僕は、意識高い系について説明した。楓先輩は、なるほどといった顔をしたあと、僕にちらりと視線を向けてきた。

「それで、サカキくんは昔、意識高い系だったことがあるのよね?」
「うっ……」

 忘れていませんでしたか。どう答えるべきか。そう迷っていると、瑠璃子ちゃんが僕たちの許にやって来て、楓先輩に声をかけた。

「サカキ先輩は、小学生の一時期、意識高い系でした。かなり痛い感じだったのですが、今考えると、そのまま勘違いさせて、自分磨きをさせておけばよかったと、後悔しています」
「えっ?」

 僕は、驚いて瑠璃子ちゃんの顔を見る。瑠璃子ちゃんは、ばつが悪そうに視線を逸らしたあと、楓先輩にぼそりとつぶやいた。

「ここまで、自分を磨かないように成長するとは思っていませんでした。氷室瑠璃子、一生の不覚です」

 そこまで言いますか?
 楓先輩は、瑠璃子ちゃんの台詞を受けて、僕をじっと眺めた。まさか楓先輩も、瑠璃子ちゃんの意見に同意する気なのですか? 僕は、戦々恐々としながら、先輩の反応を待った。

「そうね。サカキくんは、もう少し自分を磨いた方がよさそうね」

 ふんぎゃあ~~。僕は絶望する。意識高い系を揶揄する説明をした僕が、意識が低すぎる系として、瑠璃子ちゃんと楓先輩に呆れられるとは。

「あの、楓先輩。僕の意識は低いでしょうか?」
「高くはないと思うよ」

「ということは、普通ぐらいでしょうか?」
「普通よりも、低いと思うよ」

「百点満点として、どのぐらいでしょうか?」

 楓先輩は、ちらりと瑠璃子ちゃんを見る。

「三十点ぐらいかな?」
「いえ、楓先輩。三点ぐらいです」

 そ、そんなに低いのですか? 二人の僕への評価は……。
 僕は、席を立ち、ふらふらと部室をさまよう。ああ、意識を高く持ちたい。僕は、意識高い系に変身したい。そのためには、自分を積極的にアピールするための名刺を持つ必要がある。

 僕は自分の名刺のデザインを考える。名前を書き、SNSのアカウントを記し、顔写真を貼ろう。
 写真はちょっと恥ずかしいから、アニメのキャラの絵がいいかな。どうせなら、男キャラではなく、女キャラがいい。そうだ。SNSのアカウント名も、それにちなんだものにしよう。ついでに名前も、格好よいハンドルネームにして……。
 僕は、急いで自分の席に戻り、名刺を作り始めた。

「サカキ先輩。何ですか、このオタク丸出しな名刺は?」

 瑠璃子ちゃんが、露骨に馬鹿にしたような声で尋ねてきた。

「いや、意識が高いかなあと思って」
「サカキ先輩は、オタク社会では意識が高いかもしれませんが、現実社会では意識が低いですから」

 う、う、うわああん~~~。僕はその場から逃げ出した。そして、先輩に慰めてもらおうとした。

「サカキくんは、もう少し意識が高くてもよいと思うよ」
「そ、そうですよね~~」

 楓先輩の言葉はつれなかった。それから三日ほど、僕は一人で枕を濡らした。