雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第143話「腐・BL・やおい」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、耽美な者たちが集まっている。そして日々、妖艶な流し目をしながら暮らしている。
 かくいう僕も、そういった退廃的な人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、悩ましげな面々の文芸部にも、清楚で潔癖な人が一人だけいます。腐乱した人間たちに取り囲まれた、おひさまの匂いのする女の子。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向けた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の右横にちょこんと座る。先輩は、上目づかいに僕を見上げる。そのまつ毛が、音を立てたように、ぱちりと動く。ああ、先輩はとても素敵だ。僕はその姿に、ほれぼれとしながら、楓先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、意味の分からない言葉を見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネット文化に造詣が深いわよね?」
「ええ。柳宗悦が、日用品に用の美を見出し、民芸運動を展開したように、僕はネットの言葉を探究して楓先輩に説明します」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、自分のペースで書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、ネットの不可思議な世界に出会った。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「腐って何?」

 先輩は一呼吸おいて、さらに言葉を続ける。

「あと、BLとか、やおいとか、謎の言葉も見かけたのだけど」

 う、うん。確かに似た界隈で目撃する言葉だろう。しかしそれは、ネットスラングではなくオタク用語だ。そしてネットを見る上で、知らないからと言って通り過ぎることのできない重要なものだ。
 それらの言葉を知らなければ、ネットの情報を上手く読み解くことはできない。また、それらの概念が分かって、初めて理解できる用語も多い。これは、どこかでまとめて説明しておかなければならない。それに個別に説明するのは難しい。一度に話す方が適切だ。

「楓先輩。それらの言葉は、主に女性が嗜好する、男性同士の関係にまつわるものなのです」
「男性同士の関係って、どういう関係なの?」

 うっ、いきなり難しい局面に立たされた。恋愛関係や肉体関係。性的行為を伴うそれらの内容を、露骨に楓先輩に語るのははばかられる。純情な先輩は、顔を赤くして、それらの知識に精通している僕を、軽蔑するだろう。ここは上手くハンドリングして、被害を避けなければならない。

「ええと、まあ……、友情を超越した友情というか、白色のゼロ距離射撃というか」

 僕はとっさのことで、言葉の誤用をする。ゼロ距離射撃は、仰角ゼロ度で大砲を撃つ行為だ。いわゆる接射のことではない。それに、今回の話題に関わる行為では、仰角ゼロ度のわけがない。大砲の角度は、限りなくそそり立っているはずである。

 僕がしどろもどろの言葉を告げたあと、楓先輩は、よく分からないといった顔をする。そして、首を傾げて少し考えたあと、ぽんと手を叩いて、部室の他の場所に顔を向けた。

「ねえ、鈴村くん」
「何ですか。先輩」

「ちょっと来て」
「はい」

 鈴村くんは、ととととと、と僕たちの近くまで歩いてくる。そして、何でしょうかという顔で、楓先輩の表情を窺う。

 鈴村くんは、華奢な体に、女の子のような顔立ちの男の子だ。そんな鈴村くんには、他人に隠している秘密がある。
 実は鈴村くんは、女装が大好きな、男の娘なのだ。鈴村くんは家に帰ると、女物の洋服を着て、等身大の姿見の前で、様々な可愛いポーズを練習している。そして、女の子の格好をする時には、「真琴」という女の子ネームに変わるのだ。
 僕は、その真琴の姿を、これまでに何回か見たことがある。その時のことを頭に浮かべながら、近くに来た鈴村くんの姿を眺めた。

「今ね、サカキくんが、友情を超越した友情について語っているの。この部室には、男の子は、サカキくんと鈴村くんの二人だけでしょう。だから、鈴村くんとサカキくんには、そういった友達関係があると思うの。それで、鈴村くんを呼んだの。さあ、鈴村くん。サカキくんの横に座って」
「は、はい。よく分からないですが、座ります」

 鈴村くんは、怪訝な顔をしながら、僕の左横に座った。
 僕は、どう突っ込みを入れてよいのか、分からない状態になる。腐やBLや、やおいの話をするというのに、なぜ鈴村くんを呼んでくるのですか? 楓先輩は、僕と鈴村くんを、そういった関係で捕らえているのですか。

 いや、楓先輩は、まだそれらの言葉について知識がない。僕の説明を聞いて、非常に仲のよい男友達に関係する言葉だと思っているだけだ。これは、誤解を解かなければならない。僕と鈴村くんのカップリングを成立させてはいけない。危険だが、腐海の森の奥深くに入り、僕自身を救出しなければならない。
 僕は意を決して、説明を開始する。

「楓先輩。腐というのは、腐った女子と書く、腐女子を略したものです」
「腐っているの? それって、死体みたいに腐敗しているということ?」

 先輩は、恐れるようにして言う。

「いえ、違います。肉体ではなく、主に思考がです。嗜好でもよいですが」

 楓先輩の頭の上に、はてなが飛ぶ。僕は、先輩に正しい知識を伝えるために、説明を加える。

腐女子というのは、ある特定のオタク趣味を持った女性たちが、自分たちのことを自嘲的に呼ぶことから始まった言葉です。そして、そういった女性は、BLや、やおいといった趣味を持っています。
 ちなみにBLは、ボーイズラブの略です。和製英語で、直訳すると少年愛です。このBLは、少年や青年といった、男性同士の恋愛を描いたジャンルのことです。やおいという言葉も、似たような範囲をカバーするものです」

「男性同士の恋愛? つまり、ホモセクシャルということ」

 楓先輩は、驚くようにして尋ねる。そして僕と鈴村くんを見比べる。鈴村くんは、僕と恋愛関係があると誤解されたことにより、恥ずかしそうにもじもじとしている。
 僕は先輩のために、現実のホモセクシャルと、BLややおいの違いについて、詳しく説明しようとする。

「実は微妙に異なるのですね。BLややおいが扱うのは、現実のゲイカップルではなく、妄想上の恋愛関係なのです」
「難しいわね」

 楓先輩は、悩ましげな顔で言う。

「ええ。これは、関係性のインフレーションとでも言うべきものです。このことを理解するためには、男性オタクと女性オタクの、コンテンツに対する接し方の違いを、知る必要があります。
 男性は主に、キャラクターの記号的情報に価値を見出して消費します。それに対して、女性は、キャラクターの関係性に注目して、コンテンツを受容します。そういった違いがあると言われています。

 これはつまり、どういうことなのか。アニメなどの物語があった場合、男性は誰が好きかというキャラクター単体で考えます。それに対して女性は、誰と誰の関係性が好きかという部分に注目するわけです。
 そして、その関係性を妄想力で高めることで、二つのキャラクターに恋愛関係があると見なすわけです。そして、その二人が肉体関係におよぶ二次創作を書いたり、読んだりするのです。

 このように、男性キャラクター間の疑似恋愛を楽しむ背景には、女性ならではの感情もあると言われています。男性と女性の恋愛では生々しすぎて、現実の自分と対比してしまう。また、女性キャラクターに対して嫉妬してしまう。そのために、純粋に楽しむことができない。
 そういった問題を、男性同士という関係性は、自分から遠い非現実の存在として、解決してくれるそうです。

 さて、こういった、二つのキャラクターの関係性ですが、多くの場合、攻めと受けに役割分担がされます。相手に対して関係を強要する側と、それを受け入れる側です。
 どちらのキャラクターが攻めで、どちらのキャラクターが受けであるかというのは、腐女子の間では、非常に重要なテーマです。これが元で、喧嘩別れすることもあるぐらいに大切なものです。
 こういった、キャラクターを結びつけた関係を、カップリングと呼びます。ちなみにカップリングという言葉は、女性の同性愛や、異性愛でも使われます。

 腐女子はこのように、キャラクター間の関係性を重視します。
 週刊少年ジャンプを代表とする、友情をテーマにした少年マンガ。そういったものに腐女子が食いつくのも、そのせいだと思われます。その手のマンガの登場人物は、精神的な絆で結ばれています。そしてその関係は、必ずしも対等ではありません。
 どちらが精神的な導き手であり、どちらがその相手に従うのか。どちらが主導権を握っているのか。腐女子はそういった、関係性の機微に、敏感に反応します。

 また、歴史的人物に対しても、腐女子の目は鋭く向けられます。戦国武将や幕末の新撰組などは、よく腐の対象になります。まあ、戦国武将は、肉体関係で結ばれていることが多かったわけですし、日本では歴史的に男色が盛んでしたので、腐の視線で見ることは、あながち的外れはありません。

 この腐女子的な、攻めと受けの見方が高ずると、ありとあらゆるものに、腐的関係性を見出すことになります。鉛筆と消しゴムのどちらが攻めで、どちらが受けか。そういったことまで、真剣に議論されるのです。
 このように、実在する人間であったり、無機物であったり、ありとあらゆるところに、関係性を見出して、腐女子的視点で見て興奮する。腐女子は、そういった生態を持っている人たちなのです。

 こういった、男性同士の恋愛創作物を愛好する人には、男性もいます。そういった場合には、腐男子や、腐兄と呼ばれたりもします。そして、そういった腐ジャンルの人たち向けの話や作品を、腐向け、腐注意などと、ネットでは書いたりします」

 僕は、ざっと腐について語る。楓先輩は、度肝を抜かれたような表情で、声を出した。

「な、何だかすごい世界ね。それで、そういった人たちが愛する、男性的恋愛世界の作品のことを、BLとか、やおいとか言うの?」

 僕は、鋭い視線を楓先輩に返す。先輩の言葉には、看過できない重要な内容が含まれていたからだ。

「実は、BLとやおいは、言葉の発生経緯が違うのですね。包含の概念で言えば、やおいはBLを含んだ、範囲の広い言葉と言った方が、適切だと思います」

 深い話になってきた。楓先輩は、興味津々といった様子で、僕に密着する。左隣の鈴村くんも、ドキドキしている顔で、僕に肌を寄せてくる。僕は、美少女と美少年に挟まれて、BLとやおいについて大いに語る。

「まず、やおいという言葉についてです。この言葉は、ヤマなし、オチなし、イミなし、から来ていると言われています。通常の物語に必要とされる、そういった要素が欠落している。そして、性的な描写など、即物的な内容だけで終始する。
 元々は、ジャンルを問わず、そういったマンガを指す言葉として、他人が、そして本人が自虐的に使っていた、否定的な言葉だったのです。そのため、そういった経緯を知っている人の中には、自分の作品を、やおいと呼ばれることに、抵抗を持つ人もいます。

 マンガには、様々な目的や用途があります。性的描写を中心とした作品であれば、その目的に合致していれば、ヤマもオチもイミも必要なかったりします。また、二次創作と呼ばれる、他の作品の設定や登場人物を利用する作品の場合では、起承転結の多くを省き、ある瞬間だけを切り取っても、内容が充分に伝わるといった事情があります。そのために、ヤマなしオチなしイミなし自体が、悪いこととは言えません。
 それに、言葉が出てきた当時は、編集者がそういった物語構成を厳しく指摘していたという事情もあるようです。現在のように、四コママンガや不条理マンガが、一般的に浸透する以前の時代だったという、歴史的背景もあるのでしょう。

 こういったやおいという言葉は、一九七〇年代後半には、すでに記録に登場しています。そして、女性向け創作サークルなどで、自身の作品を指すなどの用途で、使われていたようです。その言葉が、のちに腐女子と呼ばれる人たちが好む作品全般を示す用語として、定着していったのです。

 対してBLは、出自が違います。こちらは、商業誌の分野から出てきた言葉です。一九七〇年代後半に創刊した、『JUNE』と書いてジュネと呼ぶ雑誌があります。その雑誌では、耽美な男性同性愛をテーマとした、マンガや小説が掲載されていました。そして、この雑誌に載っているような内容の作品を、ジュネと呼んでいたのです。
 その当時、ジュネはオリジナル作品を指し、やおいは二次創作を指すという、使い分けがされていました。そして、このジュネのジャンルに、いくつかの雑誌が参入して、ボーイズラブという言葉を使い始めました。その結果、ジュネという言葉が、ボーイズラブに置き換わっていったのです。

 つまり、やおいとBLでは、下から出てきた言葉なのか、上から出てきた言葉なのかという違いがあるのですね。そして、ジュネは耽美的な男性同性愛、BLはそれを含み、もっと万人受けする明るい内容を含んだもの、やおいはもっと広い、腐女子的興味対象を広範に含むもの、という言葉の範囲の差異があるのです。

 ちなみに、『JUNE』という雑誌では、竹宮惠子がマンガ教室を、中島梓が小説道場を連載して、多くのプロ作家を育てたという、日本のオタク文化史的に、重要な側面を持っています。
 この中島梓という名前はペンネームであり、彼女はもう一つのペンネームを持っています。『グイン・サーガ』で有名な栗本薫です。彼女はBL界の大御所だったわけです。彼女が亡くなった際には、多くのBL界の人たちが、哀悼の意を表したことを、付け加えておきましょう」

 僕は、腐、BL、やおいについて、理解に必要だと思われる経緯と知識を、楓先輩に伝えた。かなりの分量の内容だが、個別に把握するには、これらの言葉は密接にからみすぎている。現在では、ほぼ同じ範囲で使われる言葉だが、実際には少しずつカバーする領域が違う。僕は、先輩がどれだけ理解してくれただろうかと思い、様子を窺った。

 先輩は、目を回していた。さすがに大量すぎたか。しかし本当は、もっと語りたいのだ。本気で語れば、数時間のボリュームにおよぶ。いや、本物の腐女子であれば、数日だって語り続けることができるのだ。

「ええと……」

 楓先輩は、ぐるぐると目を回しながら、声を出す。本当にパニックになっているようだ。

「……それで、サカキくんと鈴村くんは、どっちが攻めで、どっちが受けなの?」

 ぶっ!!! 混乱した楓先輩は、腐女子脳が乗り移ったように、僕と鈴村くんの関係を、カップリングで捕らえようとしていた。

「いや、あの、先輩」

 僕は先輩に、僕と鈴村くんの関係は、そういったものではありませんと、必死に伝えようとする。その僕の手を、鈴村くんがそっと握ってきた。

「僕は、受けかなあ」

 鈴村くんが、頬を染めながら声をこぼす。

「ちょ、鈴村くん。僕をはめようとしないでよ! 鈴村くんは、いつも僕を危険な道に引きずり込もうとしているじゃないか。だから、鈴村くんが攻めで、僕が受けでしょう!!」

 鈴村くんは、隙あらば僕を女装の道に引きずり込もうとする。だから、僕が攻めというよりは、鈴村くんが攻めだ。僕は善良なノンケの人間だ。そんな僕を鈴村くんは、バラ色の世界に、いつも誘おうとしているのだ。

 僕と鈴村くんは、くんずほぐれつ、キャッキャウフフの、攻め受けのなすり付け合いをする。そうしていると、楓先輩が困惑した様子で、声を漏らした。

「やっぱり、サカキくんと鈴村くんは、そういった関係だったのね……」

 ふげえっ? そ、そんなことはないですよ。僕は、激しく突っ込みを入れようとする。

「サカキくん。公認だね」
「ちょ、鈴村くん! 公認同人誌みたいな、言い方をしないでよ。僕は、そういった腐女子的餌食になるような存在ではないから! 僕は異性愛者ですから。同性婚には賛成しているけど、自分がそういったことをすることはないと、思っている人間なんだから!」

 僕が慌てて突っ込みを入れると、横で楓先輩がぽつりとつぶやいた。

「ごめん。私は腐女子ではないから、付いていけないわ」
「うえっ!?」

 先輩は、ぴゅいーっと逃げていった。僕は、びえーんと泣き崩れた。

 それから三日ほど。僕は先輩の誤解が解けるように言葉をつくした。
 う、うんっ??? 楓先輩は、何やら腐についての理解が進んでいるぞ。どうやら、用語の意味が分かった先輩は、ネットのその領域を、ずんずんと突き進んでいるようだった。

「大丈夫よサカキくん。どっちが攻めでも受けでも、同じ文芸部員なんだから」

 だから、違うんですって~~~~! 誤解が解けるには、さらにもう三日ほどかかってしまった。

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