雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第141話「聖地巡礼」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、荒ぶる武者のような者たちが集まっている。そして日々、熱き血潮をたぎらせている。
 かくいう僕も、そういった少年マンガの主人公のような人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、ヒャッハーな面々の文芸部にも、おとなしく礼儀正しい人が一人だけいます。「花の慶次」の世界に紛れ込んだ、「ヨコハマ買い出し紀行」の登場人物。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にふわりと座る。その拍子に、先輩のいい匂いが僕の鼻をくすぐった。僕は、自分の鼻の下が伸びるのを必死に食い止める。先輩は、どうしたのかなという表情で、僕を上目づかいに見る。ああ、先輩は最高だ。僕は、めろめろになりながら、楓先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。またネットで、知らない言葉を見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。預言者が神の声を聞くように、僕はネットの集合知の声を聞くことができます」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、夜にこっそりと書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、ネットの非日常の世界に出会った。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

聖地巡礼って何?」

 楓先輩は、僕にその意味を尋ねたあと、急いで言葉を添える。

「もちろん、辞書的な意味は知っているよ。宗教上の聖地や、霊場などを旅して回ることでしょう。たとえば、イスラム教だと、メッカへの巡礼が有名よね。他に、キリスト教ユダヤ教だと、エルサレムがそれに当たるのは知っているよ」
「ええ、日本だと、伊勢神宮に参拝する伊勢参りなどが聖地巡礼に当たりますね。四国八十八ヶ所の巡礼である四国遍路も有名ですね」

 僕は先輩に、軽やかに答える。楓先輩は、言葉のキャッチボールをするように、話を続ける。

「うん。でも、ネットでよく見る聖地巡礼は、そういった宗教上の聖地巡礼とは、どうも無関係な雰囲気を持っているの。だから、ネットに詳しいサカキくんに、その意味を教えてもらおうと思ったの」

 ふっ。僕は心の中でほくそ笑む。
 ええ、詳しいですよ。詳しいですとも。僕は、ネットジャンキーである以前に、マンガやアニメのオタクでもありますから。聖地巡礼。知っていますとも。熱狂的なアニメ信者である僕は、様々な地に、密かに巡礼の旅に出たことがありますから。

 僕が、楓先輩にそのことを告げようとした時である。部室の片隅で、椅子を跳ね飛ばして、誰かが立ち上がる音が聞こえた。何ですか? 僕は、振り向いてぎょっとする。そこには、三年生でちょっと強面、女番長と評判の吉崎鷹子さんが、鬼のような形相で立っていた。

 鷹子さんは、高圧的で、暴力的で、僕にアニメや、マンガや、ゲームをよく持ってこさせるモヒカン族だ。そして、僕を部室の真ん中に立たせて、それらの作品の批評や解説をさせる、恐ろしい人だ。
 その鷹子さんは、長身でスタイルがとてもよく、黙っていればモデルのような美人さんである。でも、しゃべると怖い。手もすぐに出る。武道を身に付けていて、腕力もある。ヤクザの事務所に、よく喧嘩に行く。そして、何もしていなくても、周囲に恐るべき殺気を放っている危険な人なのだ。

聖地巡礼だって!!!!」

 えっ、そこ、怒るところですか? 僕は、体をびくりとさせながら、鷹子さんの様子を眺める。なぜか憤慨している。理由は分からない。鷹子さんは、その殺気をまとった姿のまま、僕の席まで来て、見下ろしてきた。

聖地巡礼について話すのか?」
「ええ。楓先輩に聞かれましたので」
「ゆ、許さん!!!」
「ええ~~~! なぜですか?」

 僕が恐怖で震えあがっていると、その空気をまったく読まない楓先輩が、笑顔で鷹子さんに声をかけた。

「何かあったの鷹子?」
「ああ」
聖地巡礼に関して?」
「そうだ」
「ねえ、鷹子。私、聖地巡礼について、まだよく知らないの。だから、怒りを爆発させるのは、私が言葉の意味を、きちんと把握してからにして欲しいの。その方が、鷹子の怒りの理由が、よく分かると思うから」

 ぶっ! ちょ、ちょっと待ってくださいよ、楓先輩。それは、僕の死刑の時間が、少し伸びただけではありませんか? 僕は、楓先輩の手によって仕掛けられた時限爆弾に、恐れおののく。楓先輩に、言葉の解説をしたい。でも、それを終えたら、鷹子さんの怒りが爆発する。
 ええ~、何ですか、この状況は。もしかして僕は、二〇三高地に立たされた一兵卒ですか? 無謀な突撃をさせられて、屍を野にさらすのですか。
 史実とは違い、この聖地巡礼の旅順攻囲戦に、勝ち目はない。僕は、バンザイ・アタックをしないといけないようだ。何たる日本人の血の濃さ。アメリカ人も恐れる、カミカゼ・ボーイ。
 僕は目を回して、恐怖で卒倒しそうになる。そのまま意識が裏返ってヘブン状態になり、透き通った賢者顔で、説明を始める。

「楓先輩。ネットでよく使われる聖地巡礼という言葉は、宗教用語ではありません」
「えっ。じゃあ、何の用語なの?」
「それは、アニメファンを中心にした、オタク用語です」

 楓先輩は、きょとんとした顔をしている。自分が知らないだけで、日本のアニメは、宗教的なものだったのだろうか。そういった顔だ。

 確かに、宗教アニメは存在する。オウム真理教が、信者獲得のためにアニメを作っていたのは有名な話だ。また、公開霊言で有名な、幸福の科学大川隆法氏は、なぜかアニメを作るのに熱心だ。
 そのことを、奇妙に思う人は多い。しかし、そういった活動は、宗教の歴史から見れば、至極自然な流れであるのだ。

 宗教は、その普及の過程において様々な芸術様式を利用する。日本に仏教が伝来した時、人々が真っ先に感じ入ったのは、その教義ではなく、仏像などのビジュアルコンテンツだった。キリスト教でも、イスラム教でも、宗教はその規模が大きくなるにつれて、壮麗な教会や寺院を建てて、ビジュアルインパクトを強くする。

 人は多くの場合、目から入ってきた視覚情報によって、物事を判断する。そういった視点で見れば、宗教とアニメが結びつくのは、ごくごく自然なことなのだ。
 映像コンテンツのメッカであるハリウッドも、似たような黒歴史を持っている。新興宗教団体サイエントロジーの創始者ラファイエット・ロナルド・ハバード。彼が書いた小説をもとにした映画「バトルフィールド・アース」を作り、ゴールデンラズベリー賞を総なめにしたことがある。
 このように、宗教と映像コンテンツは、元々相性がよいものなのだ。

 しかし、オタクの世界で使われる聖地巡礼という言葉には、そういった宗教的な意味合いはない。いや、確かに、熱心なファンたちは、僕も含めて信者と呼ばれている。そして、何か神がかった言動をする。だがそこに、宗教上の理由は存在しない。僕は、そういった部分に踏み込まないようにして、楓先輩に説明を開始する。

聖地巡礼という言葉は、オタクの界隈のものですが、その行為自体は昔から存在します」
「そうなの?」
「ええ。分かりやすい例で言うと、映画のロケ地巡りです。舞台探訪とも言います。そのアニメ版が、聖地巡礼なのです」

「へー、そうだったの」
「そうです。こういった行為は、非常に一般的です。人は、自分の好きな創作物を見ると、その背景をもっと知りたいと思うものです。そして、その作品世界に、自分も参加したいと考えるものです。
 しかし、フィクションの世界には入れません。そして、空想にふけるしかありません。そういった願望を、ある程度気軽に、そして、それなりに満たしてくれるのが、聖地巡礼なのです。

 こういったフィクションの舞台への訪問は、作品に様々な知識を結びつけて、知的に楽しむ娯楽です。
 聖地巡礼は、広範な知識を持ち、深い洞察力を持っている人ほど、楽しむことができます。そして、その聖地巡礼的行為は、エッセイなどのコンテンツとして、他人が見ても面白い内容になります。

 そういった巡礼の旅として、歴史的傑作となっている作品は、松尾芭蕉の『奥の細道』でしょう。和歌で登場する歌枕を、その作品世界と現実世界とを重ね合わせながら旅する紀行文です。
 この作品では、虚構と事実を織り交ぜながら、日本の文学作品を本歌取りにして、新たな世界を構築しています。現代の僕たちが読んでも、知的刺激に溢れていて、すこぶる面白い内容です。
 松尾芭蕉は、古典作品をよく知っていました。今でいうオタクの人なわけです。僕たちは『奥の細道』を読むことで、オタクの聖地巡礼の楽しみ方というものを、知ることができるのです。

 さて、この聖地巡礼ですが、オタクの世界から飛び出して、一般でも使われるようになってきています。それは、なぜなのか? 実は、経済的観点から、この聖地巡礼は、注目されているのです。観光産業。そして、地域おこしなどの土地PRの観点から、熱い視線を注がれているのです。

 昔から、NHKの大河ドラマなどは、その舞台となる地域に、大きな経済効果をもたらしていました。オタクの聖地巡礼も、そういった観光資源になっているのです。
 オタク層は、一般人に比べれば人数は少ないです。しかし、彼らは、お金をよく使います。これでもかというぐらい散財します。そのため、オタクの人が聖地巡礼をした場合、その地域に多くのお金を落としてくれるのです。

 この聖地として有名なものには、『らき☆すた』という作品の聖地になった、埼玉県鷲宮町鷲宮神社があります。また、『ガールズ&パンツァー』の茨城県大洗町も大きな話題になりました。
 他には、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の舞台である埼玉県秩父市、『けいおん!』のロケ地である京都各地。そういった場所の聖地巡礼は、豊富な写真とともに、各種レポートがネットに上がっています。

 こういった聖地巡礼という社会現象は、多くの人が関心を持っています。そして、NHKの『クローズアップ現代』でも取り上げられています。
 まあ、個人的には、僕が聖地として真っ先に思い浮かぶのは、トキワ荘なんですけどね。あそこは本当の意味での、日本のオタクのメッカだと思いますので」

 僕は、怒涛の勢いで、一気に説明を終えた。だいぶハイになっていた。僕はオタク話で、エンドルフィンを分泌することが可能だ。脳内麻薬で興奮状態になった僕は、鼻息荒く、楓先輩の反応を待った。

「ありがとう、サカキくん。よく分かったわ」
「ええ、語りつくしましたから!」

「というわけで、鷹子。何で怒っているの?」

 あっ……。僕は思い出す。そういえば、荒ぶる鷹子さんが間近にいた。僕の脳内モルヒネは、駆け足で撤退した。全郡退却! その代わりに、恐怖心が、踊りながら脳内を蹂躙していった。ふげえ……。
 えー、鷹子さん。何で怒っているのですか? 僕は、その理由を小さい声で尋ねてみる。

「ああん? なぜ怒っているかだって。決まっているだろう。先週末に、聖地巡礼に行ったからだよ!」

 ええと、全然分からないのですが。なぜ、聖地巡礼に行くと、怒るのですか? 僕には謎でたまりません。そのことを、やんわりとした口調で、鷹子さんに伝える。

「少し前に、コアキバにあるエロゲ会社『ニトリ暮らす』の新作を遊んだんだよ。『○ーメン発見伝 玉と犬と僕の話』という奴だ」

 ええと、○には、何が入るのでしょうか? そういえば「ラーメン発見伝」という名前のマンガがありましたね。そのことを指しているのでしょうか? 僕は、タイトルに入った○については無視して、話の先を聞いた。

「それで、なかなか面白かったから、聖地巡礼をしようと思い、『ニトリ暮らす』の社長を呼び出して、案内させたんだよ」

 ええと、突っ込んでもよいでしょうか? なぜ、ゲームを遊んだあと、そこの社長を呼び出して、ガイドをさせているのですか。鷹子さんは、いつからそんな大物になったのでしょうか。
 そういえば以前、会社に乗り込んだとか、ヤクザにからまれているところを助けてやったとか言っていたなあ。きっと、社長さんは、とんでもない人と知り合いになってしまったと、後悔しているだろう。僕は、そんなことを考えながら、鷹子さんの話の続きを聞く。

「そうしたら、案内された場所は、全部コアキバで、私が知っている場所だったんだよ! せっかく、聖地巡礼をしているのに、何度も訪れたことがある地元ばかりだとは、どういうことだ。もっと新鮮な、驚きのあるところに連れていけ! そう苦情を言ったら、これ以上は、逆立ちしても出ませんと、土下座をして謝られたんだよ!!」

 あっ、あうぅぅ……。社長さん、がんばったなあ。日本のシャチョサン、とてもガンバッタ。
 僕は、ニトリ暮らすの社長さんに、激しい同情を禁じえなかった。鷹子さんの怒りは理不尽だ。ゲームをしている時に、舞台が近場だとは分からなかったのか? 僕は、社長さんを擁護するために、そのことを尋ねた。

「作品に没頭していたんだよ。そうしたら、そんなこと考える暇がねえだろう! ゲームが終わって、ともかく楽しかった。だから、その舞台を訪れてみたい。それは自然な気持ちだろうが!」

 鷹子さんは、ブチ切れながら言った。

「うん。その気持ち、よく分かるよ」
「うえっ?」

 楓先輩は、なぜか同調して、自分が面白かった本について、鷹子さんに語りだす。鷹子さんと楓先輩は、大いに盛り上がる。二人が体験している作品に、共通点は一ミリもなかった。しかし、ほとばしる熱いパトスだけで、会話が成立していた。

 楓先輩と鷹子さんの感動談義は、その日ずっと続いた。相手にしてもらえなかった僕は、仕方なく、ぽつねんと一人で過ごした。
 うわああん。ママン! 僕は心のよりどころを失った。そして、心の故郷を求めた。
 そうだ旅に行こう! 聖地巡礼をしよう! 僕は、傷ついた心を癒やすために、近場の聖地へと一人寂しく旅立った。