雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第140話「百合」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、キャッキャウフフとたわむれる者たちが集まっている。そして日々、和気あいあいと交流し続けている。
 かくいう僕も、そういった取り留めのない会話に、憧れる人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、楽しく盛り上がっている人の中でも、熱心に本を読み続ける人が一人だけいます。女子校の下校時間に紛れ込んだ、二宮金次郎。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、僕を見上げて、目をぱちくりとさせる。長いまつ毛が軽やかに動く。柔らかそうな唇が、ほつれるように開く。先輩は僕に、極上の笑顔を見せる。僕は心をときめかせながら、先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、分からない言葉を見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに詳しいよね?」
「ええ。ネットの将来まで見透かす、ノストラダムスのような目を持っています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でもたくさん書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、華やかな文字表現に翻弄された。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「百合って何?」

 楓先輩は、一呼吸おいて話を続ける。

「もちろん百合が、植物の名前なのは知っているよ。でも、ネットの情報を見ていると、それ以外の意味もありそうなの。それに、百合と付いた言葉も、いろいろとあるみたいだし」

 ああ。百合は、ネットスラングではないが、ネットのオタク系情報を読み解く上で、重要な言葉だ。この言葉を知らないと、最近のネットの書き込みを、正確に理解することは難しいだろう。
 しかし、この言葉を解説するには、大きな問題がある。それは、百合という言葉の起源である。女性同士の性愛に「百合」と名付けたのは、「薔薇族」の編集長だと言われている。「薔薇族」は、男性同士の性愛専門誌である。その誌上に、女性の同性愛コーナーを設けた際に、「百合族の部屋」と名付けたのが起源だとされている。
 そんなことを一から説明すると、「薔薇族」がどんな雑誌なのか説明する必要が出てくる。できれば、それは避けて通りたい。僕は、その発端部分を端折って、話をすることに決める。

「楓先輩。百合という言葉は、ネット用語ではありません」
「えっ、そうなの?」

「はい。元々は雑誌で使われていた言葉です。一九七〇年代に、とある雑誌で、女性向け同性愛者のための読者投稿コーナー『百合族の部屋』が設けられました。現在ネットなどで使われている、百合という言葉の直接の起源は、このコーナーの名前だと言われています。
 この百合という言葉の登場のあと、一九八〇年代初頭に、日活ロマンポルノ映画『セーラー服 百合族』という作品が人気を博しました。そのことにより、雑誌の読者以外の人たちにも、百合という言葉が知られることになったそうです」

 これらは、僕が生まれる前のことだ。そのため、直接見聞きした内容ではなく、知識として仕入れた情報になる。
 先輩は、僕の言葉に反応して声を返す。

「百合というのは、女性同性愛者を指す言葉なの?」

 楓先輩は、興味津々といった様子だ。かなり関心が高いらしい。
 僕は、かぶりを振って答える。

「元々の意味は、レズビアンを指す言葉ですが、現在では様々な変遷をたどり、もう少し違うニュアンスになっています。そのことを、これから解説しようと思います」

 先輩は、姿勢を正して僕の話を聞く。いつになく真剣だ。僕は、その先輩の期待に応えるべく、全身全霊で百合について語る。

「当初の百合という言葉は、先ほど説明したように、女性の同性愛者を指す言葉でした。しかし、この言葉は、違う文化と融合して、意味を微妙に変化させます。

 その流れの一つは、少女小説などの少女文化です。昔は女学校と呼ばれる、女性だけの学校が多くありました。その閉鎖社会の中では、友情を超えた女性同士の結びつきがありました。
 そういった女性同士の親密な関係は、エスと呼ばれました。このエスは、シスター、あるいはシスターフッドの頭文字です。いわば疑似的な姉妹関係というものです。宝塚のような、女性だけの寮生活も、この文化に含めてよいでしょう。このエスの文化の中では、下級生が上級生を、お姉さまと呼んで慕う関係がありました。

 もう一つの流れは、少女マンガです。たとえば手塚治虫の『リボンの騎士』では、お姫様が男装の麗人になって活躍します。そして、その姿に憧れる女性が描かれたりします。それもそのはずで、手塚治虫宝塚歌劇団の影響を強く受けています。ですから、先ほどのエスの文化に、非常に近い系譜を持っているわけです。
 その後、少女マンガは、一九七〇年代に一大転機を迎えます。二十四年組と呼ばれる少女マンガ家たちの登場です。二十四年組とは、昭和二十四年頃の生まれで、一九七〇年代に、革新的な少女マンガを描いた人たちのことを指します。この時期、少女マンガでは、男女問わず、様々な同性愛的ニュアンスの作品が花開きます。この流れは留まることなく、新しい作家を交えながら、八十年代以降も様々な作品が登場します。

 戦前の閉鎖社会における少女小説文化。戦後の性の多様性を反映した、耽美的な少女マンガ文化。これらの文化は、次第に百合という言葉に統合されていきます。百合という、清楚さと女性らしさを持った言葉が、そういった空気に上手く合致したのでしょう。

 一九九〇年代以降には、また新しい流れが出てきます。アニメです。一九九〇年代初頭に『美少女戦士セーラームーン』が大ヒットします。この作品では、これまで男性中心だったヒーロー物の主人公が、すべて女性になるという、男女の立場の逆転が起きます。
 これらは、女性の発言力の上昇という社会的背景があるのでしょう。そして一九九〇年代後半には『少女革命ウテナ』がヒットします。また、エスの文化の直系とも言うべき少女小説、『マリア様がみてる』も人気を博します。
 こうして一般の人にも、百合的文化を受容する環境が整ったのです。

 二〇〇〇年以降は、百合はさらに一般化していきます。百合専門のマンガ雑誌が創刊されます。こうして百合が普及することによって、さらなる化学変化が起きたのです」

 僕の怒涛の説明に、楓先輩は圧倒されている。よし。先輩は僕に釘づけだ。僕は気をよくして、さらに話を続ける。

「百合という言葉が世間に広がり、カジュアルに使われるようになったことで、当初の女性同士の同性愛という意味が薄れていきました。そのため、露骨に肉体関係を持つ同性愛関係に、百合という言葉は、あまり使われなくなりました。もっと、ソフトなもの。プラトニックなものに、百合という言葉は、使用されるようになったのです。
 さらに近年では、女性だけの仲よしグループを扱った作品も、百合として見る視点が加わっています。

 そういった状況を受けて、性的な感情を伴う百合をガチ百合、そうでないライトな仲よし関係を、ソフト百合などと区別することもあります。また、よりライトさを出すために、ひらがなで、ゆりと書くケースも見られます。そういった状況になっていますので、百合とレズは違うという意見も多く見られます。

 百合という言葉は、初出から五十年経たない間に劇的に変化してます。そして、広く普及して、廃れない言葉として定着しました。
 ネットでも、アニメやマンガなどの批評の際に、百合という言葉は多くでてきます。百合は、サブカルチャーを語る上で、その系譜も含めて、知っておかないといけない言葉の一つだと言えるでしょう」

 僕は、百合の説明を終える。
 ふっ、熱く語りすぎたかな。そう思いながら、楓先輩の顔を見る。
 ぽかんとしている。あまりの僕の熱弁に、驚いたようだ。僕は、BLも百合も読みこなす雑食系ですから。もちろん、普通のエロマンガも味わう美食家です。そんなことを思いながら笑顔を見せていると、先輩が僕に質問してきた。

「サカキくんは、なぜそんなに、女性同士の同性愛の言葉に詳しいの?」
「えっ?」

 どういうことだろう。オタクなら、誰でも詳しいと思うのだけど。しかし、オタクではない楓先輩には、僕がそのジャンルのことを把握していることが、不思議らしい。

「サカキくんは、もしかして、女性の同性愛的関係を見るのが好きなの?」
「ええまあ、嫌いではないですが。むしろ好きですよ」
「そうなんだ」

 あれれ? 先輩は真面目な顔をして、目を逸らした。ううん、どういうことだろう?

「ごめんね、サカキくん」

 先輩は、気の毒そうに言う。

「私、百合ではないから、サカキくんの鑑賞対象にはなれないみたい」

 うえっ? 何ですか先輩。勝手に自己完結しないでくださいよ! 僕は、自分の性癖を正しく伝えるために、胸を張って心の内を告白する。

「楓先輩。僕は、異性愛を見るのも、同性愛を見るのも好きですよ!」
「そ、そうなの……?」

 先輩の返事はぎこちない。
 駄目だ。先輩は僕のことを、疑いの目で見ている。仕方がない。よろしい、ならば演説だ。

「楓先輩。僕は恋愛が好きです。
 楓先輩。僕は恋愛が好きです。
 楓先輩。僕は恋愛が大好きです。

 異性愛が好きです。
 同性愛が好きです。
 同種愛が好きです。
 異種愛が好きです。
 サディズムが好きです。
 マゾヒズムが好きです。
 神への愛が好きです。
 仏の愛が好きです。
 虹愛が好きです。
 惨事愛が好きです。

 平原で、路上で、
 穴蔵で、草原で、
 広場で、砂場で、
 人前で、路地裏で、
 学校で、自宅で、
 この地上でおこなわれる、ありとあらゆる恋愛的営みが大好きです。

 楓先輩。僕は恋愛を、極楽のような恋愛を望んでいます。
 楓先輩。僕と同じ文芸部の先輩。
 あなたは、いったい何を望んでいますか?

 爽やかな恋愛を望みますか?
 荒々しく容赦のない恋愛を望みますか?
 鉄風雷火の限りをつくし、三千世界の鴉を殺す、嵐のような恋愛を望みますか?

 恋愛! 恋愛! 恋愛!
 よろしい、ならば恋愛です!!」

 僕は満身の力を込めて、拳を振り下ろす。「恋愛を! 一心不乱の大恋愛を!!」僕は高らかに演説する。

 ……僕の前には、ドン引きしている楓先輩がいた。あれ? やってしまいましたか僕。ヘルシングの少佐のように演説した僕は、後悔にさいなまれる。

「さ、サカキくん」
「何ですか、楓先輩」
「私には、サカキくんの恋愛観が分からないわ……」

 うあああん。エロゲ脳とエロマンガ脳の、ハイブリッドの僕ですから。僕自身、僕の恋愛観なんて分からないですよ! 僕は部室の端に行き、一人でいじけた。

 翌日になると楓先輩は、後輩の睦月と瑠璃子ちゃんに「お姉さま」と呼んでもらっていた。どうやら、百合の世界に目覚めたらしい。でも、可愛くてちんまりとした楓先輩は、お姉さまというよりは、仲のよい同級生という感じだった。その百合ごっこは、三日ほど続いた。僕は、眼福だなあと思った。